人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第二章【祟り蛇と錆びた断頭台】

水槽の中の吸血鬼

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「……リューグ……!」

 テミッドが牙を剥く。続いて黒羽が俺の前に出るが、敵意を剥き出しにする二人の前、リューグは怯えるわけでもなく俺を見る。

「イナミ、丁度いいところに来たな。……なあ、ちょっと血ィ飲ませてくれよ」
「貴様、この後に及んで伊波様になんと無礼な……ッ! やはりあの場で殺しておくべきだった!」
「なーんか丸い毛玉が飛んでると思ったらイナミの使い魔か、クラスチェンジにしてはやりすぎじゃね?」
「放っておけ! というより、何故貴様は人間のままなんだ! 解せん!」

 今にもリューグに飛びかかりそうな黒羽を抱き留め、俺は辺りに目を向けた。
 全身所々青黒く変色したリューグは正直、通常の人間ならば死体レベルの青白さだ。最後に会ったときよりも明らかに痩せてるリューグに、俺は『貧血』の二文字を思い浮かべた。

「……酷い顔色だな」
「だろ? そこの鳥のせいでこんなところに連行されてからずっとろくに食えてないし、それどころかあのクソ変態野郎、兄貴への鬱憤を俺で晴らすために血抜きして魚の餌にしようとしてたんだからな」

「アンタらが水槽ぶっ壊してくれたおかげでなんとか五体保ってるけどな」と軽薄に笑うリューグはそう言って手のひらを動かした。顔色のわりにはペラペラとよく喋る口だが、確かに所々の出血が見える部分には獣に千切られたような痕があり、俺は目を逸した。

「……う、そのまま食われてればよかったのに」

 黒羽はともかく、テミッドは余程リューグのことが嫌いなようだ。友達を殺されたという話を聞いていただけに、それも無理はないと思う。
 リューグはそんなテミッドの言葉など興味ないといった風に、俺に目を向けたまま続ける。

「イナミ、その様子じゃお前らも脱獄した口なんだろ? ついでに俺も混ぜてくれよ、そこの赤毛のポンコツや黒いボールよりは役に立つと思うけど?」
「な……ッ」
「……まあ、仲良しこよししようってわけじゃない。お前には借りはあるし、ちょこっと血飲ませてくれりゃそれで帳消しにしてやる」

「ど? 結構悪くない話だと思うんだけど」どの口で物を言うのか、リューグはそんなことを当たり前のように言ってくるのだ。
 呆れて何も言えなかった。
 ついこの間騙されたばかりの俺に、よくもいけしゃあしゃあと。
 怪我は痛々しいと思うが、反省の色どころか全然くたばりそうにない。そうだ、見た目は人間だがこいつは普通の人間とは違う。痛みや苦痛も感じる部分も全部違うのだ。

「嫌だ。それにお前に借り作った覚えないし」
「なんだよ、気持ちよくさせてやっただろ?」

 こいつ、とキレそうになったときだった。
 黒羽を掴んだテミッドはリューグの顔面に思いっきり黒羽を投げつける。

「えっ?! ちょ、テミッ……」
「貴様二度と日の光浴びれぬようにしてやる!!」
「痛ッ! ちょ、痛ッ! 突くのやめろ! 髪の毛引っ張るのもやめろ! おい! 離れろこの!」

 俺が怒るよりも先にリューグの顔面に飛び掛かり思いっきり暴れる黒羽を見て止めるのをつい忘れてしまう。
 丸い凶獣とリューグの取っ組み合いが始まりかけたところで、慌てて俺は黒羽を止めた。
 リューグは確かにムカつくが、今こんなことをしてる場合ではない。

「伊波様……何故……!」
「黒羽さん、ここで時間潰してる場合じゃないんだ」

 そう、巳亦のこともある。
 けれど、ここにいてはまた獄長や獄吏たちに追われる可能性だってある。
 一先ず、この地下監獄から脱出しよう。その旨を二人に伝えれば、二人も納得したようだ。
 俺たちは一先ずリューグを柱に括り付ける。リューグは怒っていたが、知ったこっちゃない。俺は先日の仕返し代わりに打ち上げられた魚の死骸をリューグの口に詰め込み、その場を離れた。

 一言で言えば、監獄内は酷い有様だった。
 黒羽だけではなく、騒動に紛れて脱獄した囚人はかなりの数がいた。しかし、何れもすぐに獄吏たちに見つかって再び檻の中へと閉じ込められてるようだ。
 それでも、地上に戻れば一先ずはなんとかなるはずだ。そう、思っていた。
 しかしそのこと事態がまず間違っていた。
 いくつもの階段を登り、時折建物破壊を行いながらも巳亦から教えてもらった地上と繋がる穴まで戻ってきた俺たちは、目の前の光景を見て唖然としていた。
 完全に塞がった穴。そして、死屍累々。
 至るところに獄吏や他の囚人たちの亡骸が転がっていた。
 そしてその亡骸の至るところにえぐり取ったような大きな穴が開いていて、中には体が千切られている者もいる。
 それは、殺戮が行われたあとの現場だった。
 黒く滲んだ水溜りはよく見れば夥しい量の血痕。人の形を保てなくなり、土へとなり果てる獄吏。充満する死臭に、俺は直視することができなかった。

「……獣の匂い……」

 そう、小さな鼻をひくつかせ、テミッドは呟く。
 それから地面の足跡や、壁の一部を大きくえぐり取ったその爪痕を撫でた。
 辺りを飛び回っていた黒羽も、「脱獄囚の仕業だな」と頷いてみせる。二人とも、無残な遺体をみても顔色一つ変えないのを見て、ああ、と思う。当たり前だが、魔界で暮らしてる二人にとっては珍しい光景ではないのだろう。
 それでも、俺は込み上げてくる吐き気を堪えることは難しかった。

「伊波様、無理をするな。……場所を変えよう」

 肩の辺りに飛ぶ黒羽はそう声を掛けてくる。
 姿形は違えど、黒羽だ。俺はその言葉に甘え、一旦遺体の内近くの通路へと移動する。
 遺体はないが、床部分には何かを引きずったような血の痕が色濃く残っていた。俺はそれを見ないようにしながら、息を吐く。

「黒羽さん……これってもしかして、俺たち閉じ込められたの?」
「まだ断定はできない。獄吏たちが使う地上へ繋がるルートもあるだろう」
「けど、俺たちでも使えるのかな、そういうのって」
「……可能性は低い。しかし、伊波様は特例だ。是が非でも使わせる」
「……それは、難しいと思う」

 獄長は言っていた、この地下では地上のルールは適用されないと。しかも、俺は獄長を怒らせている。そんな俺に獄長が「はいどうぞ」と緊急避難用経路を使わせてくれるだろうか。答えは否だ。それだけは言える。
 おまけにテミッドは獄長のペットの……なんかすごい名前の泥を足蹴にし、黒羽は脱獄囚ときたもんだ。
 獄吏たちも俺たちを警戒するに決まってる。
 俺の思案を読み取ったのか、黒羽は少しだけ考えるような顔をする。

「或いは、地上からの助けを待つか……」

「これだけの大地震に騒ぎ、地上の者共も気付いているだろう。それに、伊波様の姿が見えないとなれば動くはずだ」黒羽の言葉に、確かにそうなればいいが、とは思うが希望は持てなかった。

「しかし、こんな時ほどあいつの出番だというのに……あいつは何をしてるんだ」
「あいつ?」
「……巳亦とかいうあの蛇だ」

 黒羽の言葉に、俺は息を呑む。
 最後の巳亦と交わしたやり取りを思い出し、ひどく胸が痛んだ。

「……っ、巳亦は……連れて行かれた」
「……なんだと?」
「……獄長に逆らって、そしてこの監獄の最下層に連れて行かれたんだ」

 黒羽の左目が見開かれる。
 自分の声が、自分のものではないかのように酷く冷たく響いた。

「……そういうことか」

「伊波様をこんな場所に一人取り残し、おまけに危険な目に合わせるなどとは言語道断……あの男、絶対に許さん……ッ!!」静かに口にしたらかと思えば、愛らしい姿からは想像できないほど怒りで煮え滾る低い声が嘴から漏れてくる。
 目の前に巳亦がいれば今すぐに飛びかかってそうな勢いだ。

「……黒羽さん、けど、巳亦は……」
「伊波様、貴方はあの狡猾な男がやすやすと死ぬと思うか」
「っ、でも……」
「あの男は、死なん。……というよりも、カガチは死ぬことはない。信仰者を喪えど、あの男は蛇神だ。力は衰えてることがあっても、完全に絶えることはない」

 その言葉を聞いて、全身の力が抜け落ちそうになる。
 巳亦が死ぬことはない。
 俺たち人間とは違う種族だとはわかっていたが、それでも、恐れていた。あのとき巳亦がいなくなるのを見て、強烈な不安が襲いかかってきたのだ。

「ほ、本当に……? 本当の本当に……?」

 それでも、念を押すように何度も確認すれば、黒羽は何度も「ああ」と頷いてくれる。「残念ながらな」とも言った。

「っ、良かった……」
「しかし、不死だからといってあの変態獄長がただ閉じ込めておくだけとは思えない。……それに、こうしてる間にもあの男はのうのうと過ごしてると思うと実に不愉快だ」

 かなり私怨も含まれているが、黒羽の言葉には一理あった。
 そうだ、ユアン獄長。あいつの存在が危険因子そのものだ。あいつの王国であるこの地下牢獄にいる限り、何一つ安心できない。

「っ、黒羽さん、どうにかして巳亦を助けられないかな」
「……伊波様、何を……」
「だって、黒羽さんも言ってただろ、『あいつがいれば』って。……巳亦がいれば、ここから出ることも獄長から逃げることも出来るんじゃないか?」

 実際、巳亦は獄長から俺を連れて逃げてくれた。
 あのとき、巳亦が獄長に捕まったときだって、自分から追い込まれて捕まろうとしていた。
 巳亦が何を企んでいるのか分からないが、全て巳亦の意志だったことは間違いないだろう。
 黒羽さんは眉間の辺りの羽毛が微かに動く。眉を潜めてるのだろう、わかりにくいが、あまりいい反応ではない。

「伊波様、本気ですか」
「本気だよ、巳亦も助けられるし、逃げられるし、一石二鳥じゃん」
「確かにそれに関しては同意します。が、今の自分たちでは力不足が否めない。……テミッドの馬鹿力は頼もしいが、私がこの姿である今、テミッドに頼ることになるだろう。そして、テミッドの体力消耗したところを狙われればどうなるか……火を見るより明らかだ」

 黒羽は、至って冷静だった。
 あの黒羽がこうして己の非力を認めるのはかなり歯痒いことだろうと思う。
 それでも俺を諭すために静かに続ける黒羽に、なにも言い返せなかった。

「せめて、黒羽さんが元の姿に戻れたら……」

 黒羽は何も言わないが、それは誰よりも黒羽本人が強く思っていることだろう。
 しかし、この姿にした張本人、獄長、もしくは獄吏たちにしか変化を解く方法を聞くしかない。
 そして聞けたとしても、それに素直に答えてくれるとは思えない。

「あっ……伊波様、黒羽様……いた」 

 どうしたらいいものか、と悩んでいたときだった。
 扉だったらしき穴からひょっこりと覗くテミッドは俺たちを見つけ、歩み寄ってくる。

「テミッド……なにかあったか」
「た、大したものはないです……けど、あの獄吏の人の服漁ってたら見つけた……です」

 これ、とテミッドは大きめの輪に引っかかった鍵束を差し出した。それは、確かに獄吏たちが牢獄の施錠に使っていたものだ。

「……これ、ぼくがさっき別の人からもらったこの鍵とちょっと違う」

 そう、テミッドは制服から血がこびりついた鍵束を取り出した。ぎょっとしたが、俺は敢えて深く突っ込まないことにしておく。
 それよりも、と二つの鍵束を見比べる。
 確かにテミッドが持っていた鍵束に比べ、今見つけた鍵束は明らかに量が多い。そして、特殊な形をしている鍵が三本あった。他の鍵に比べ、大きなそれには見たことのない文字が模様のように刻まれている。

「……明らかに怪しいな」
「……もしかしたら、宝箱の鍵かも、です」
「はは、そんな馬鹿な……」

 言いながら、その三本の鍵に触れようとした瞬間だった、手袋越しにビリッとした痛みが走り、「おわっ!」と慌てて手放した。

「伊波様?!」
「だって、この鍵……呪いが掛けられてます……」
「テミッド……そういうことは先に教えてくれ……」

 まだビリビリしてるような感覚の指を服の裾で拭いながら俺は思わず突っ込んだ。
「大丈夫ですか伊波様!」と心配して俺の手元に飛んでくる黒羽の頭を撫でつつ、俺はテミッドに向き直った。

「けど、こんな仕掛けが施されてるってことは……よっぽど重要な場所の鍵だったりして」
「……その可能性は高いな。しかし、脱獄不可能だかなんだか偉そうに掲げてる割にはガバガバだなこの監獄は」

 確かに、それは思っていた。
 獄吏たちが持ち歩くこの鍵だって、こうして何らかの事故が重なって落としてしまう可能性もあるわけだ。それなのに、こうしてわざわざ形のある鍵にしてるのは逆に危なくないのだろうか。
 ……罠か、それとも、脱獄不可能と謳われるのはまた別に理由があるからか。
 まさか、二度と地上に戻れないなんてことはないよな、なんて悪い想像してしまい、慌てて俺は頭を振った。

「取り敢えず、この鍵がなんの鍵なのか調べてみようよ。もしかしたら、獄吏たちだけが使える秘密通路の鍵だったりするかもしれないし」

 死臭が漂うこの場所にいるのも気が遠くなるだけだ。
 今は悲観的になってる場合ではない、俺の言葉にテミッドと黒羽は頷いた。
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