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蟷螂の斧 1
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「本当にすいません。亡くなられたんですね……」
線香に火をつけて仏壇へたてると、男は雅也の遺影に手を合わせる。
雅也の写真は一歳の千秋の誕生日にフォトスタジオで撮影したものを切りとった。子供を膝上にのせ、艶然たる笑みが、凛々しい顔のうえに浮いている。いやがる雅也を説得して予約してよかった。裕は写真から目をそむけ、不愛想に声をかける。
「あんた、初対面だよな?」
しょんぼりと肩を落として、大人しく座る太郎がふりむく。頭から爪先までをじろじろと視線を這わせ、顎に目がいって裕は顔をしかめて舌打ちをうってしまう。感情にまかせて殴ったあと、隣人から苦情がくる前に、咄嗟に手が伸びて家のなかへと迎えてしまった。赤みを帯びた顎をさすりながら、太郎は照れくさそうに目をそらした。
その姿は恋する乙女のようにみえ、ますます不安が募る。
雅也ではない男がこの家にいる。いつもとちがう家の雰囲気がして、ポッカリと穴があいたように居心地が悪い。
「市役所でお昼に会いました……」
太郎はばつが悪そうに笑い、声にならない声でつぶやく。いや、だれだよ、こんな背がデカイやつ……。
あ、いたわ。
「あの失礼なアルファか。思い出した」
「ほ、本当ですか!? わー、嬉しいです! まさかお隣さんだなんて、なんだか運命的ですね! うん、これはもう運命です。そう、運命ですよ。うん、好きです。あ、いっちゃった。えへへ。そうだ、怪我はないですか? 体調は?」
太郎は頬を桃色に染めると、頭を掻いて意味ありげに顔を見合わせる。所在なさげに温和な微笑を浮かべるので、雅也とはちがう、柔らかな雰囲気にお人好しという言葉が似合いそうな男だな、と裕は感じた。が、先ほどの惨事のせいか、どう考えても変質者としか思えなかった。
なんだ、こいつ。距離がちかい。
はやく帰って欲しい。しかし、ほんとに佐々木さんの孫っぽいな……。母方の子だから姓がちがうのか?
佐々木夫婦からの差し入れはお稲荷さんだった。じっくりと煮含めた油揚げは甘辛味でジュワっとしてそうで、ごまと生姜を混ぜこんで、くるっと包まれていた。白の琺瑯に美しく整列され、まえに作りすぎたと言って、同じものを頂いた記憶がある。
裕は昼の立ち食い蕎麦からなにも食べておらず、容器の蓋を開けるや否や、佐々木夫婦に申し訳なさとほっとした気分を交互に感じてしまった。有難い。さりげない心遣いと優しさが身に浸みる。本当に佐々木夫婦には頭が上がらない。
「体は大丈夫だよ。それより、明日土曜日なんだから、もう帰ったほうがいいんじゃないのか?」
なぜだろう、第一印象が最悪なので、言葉を選ばなくてすむ。雅也なら棘のある言い方を少しでもしたらすぐに面倒くさい喧嘩に発展してしまうのに。裕は太郎に、心の底から空気をよんで帰れと不穏な空気を漂わせた。
「いやいやいやいや、明日は休みなので大丈夫です!」
が、効果なしだ。
「でも、佐々木さんたち心配してんじゃない?」
「いやいや、そんなことないです! 祖父母にちゃんと挨拶するよう言われました!」
いやいや、佐々木さん、確か二人にしてあげてねって言ってたぜ? 夫がそこで死んでるんですけど? なんで遅くなっても大丈夫って顔してんだよ。こいつの神経はどこいったの? 無神経なの? シナプスは全て消滅したのか? まあ、いいや、もう、めんどせぇ。
どうしたらいいか分からない、という困惑の色を顔に浮かべて裕は腰をあげた。
線香に火をつけて仏壇へたてると、男は雅也の遺影に手を合わせる。
雅也の写真は一歳の千秋の誕生日にフォトスタジオで撮影したものを切りとった。子供を膝上にのせ、艶然たる笑みが、凛々しい顔のうえに浮いている。いやがる雅也を説得して予約してよかった。裕は写真から目をそむけ、不愛想に声をかける。
「あんた、初対面だよな?」
しょんぼりと肩を落として、大人しく座る太郎がふりむく。頭から爪先までをじろじろと視線を這わせ、顎に目がいって裕は顔をしかめて舌打ちをうってしまう。感情にまかせて殴ったあと、隣人から苦情がくる前に、咄嗟に手が伸びて家のなかへと迎えてしまった。赤みを帯びた顎をさすりながら、太郎は照れくさそうに目をそらした。
その姿は恋する乙女のようにみえ、ますます不安が募る。
雅也ではない男がこの家にいる。いつもとちがう家の雰囲気がして、ポッカリと穴があいたように居心地が悪い。
「市役所でお昼に会いました……」
太郎はばつが悪そうに笑い、声にならない声でつぶやく。いや、だれだよ、こんな背がデカイやつ……。
あ、いたわ。
「あの失礼なアルファか。思い出した」
「ほ、本当ですか!? わー、嬉しいです! まさかお隣さんだなんて、なんだか運命的ですね! うん、これはもう運命です。そう、運命ですよ。うん、好きです。あ、いっちゃった。えへへ。そうだ、怪我はないですか? 体調は?」
太郎は頬を桃色に染めると、頭を掻いて意味ありげに顔を見合わせる。所在なさげに温和な微笑を浮かべるので、雅也とはちがう、柔らかな雰囲気にお人好しという言葉が似合いそうな男だな、と裕は感じた。が、先ほどの惨事のせいか、どう考えても変質者としか思えなかった。
なんだ、こいつ。距離がちかい。
はやく帰って欲しい。しかし、ほんとに佐々木さんの孫っぽいな……。母方の子だから姓がちがうのか?
佐々木夫婦からの差し入れはお稲荷さんだった。じっくりと煮含めた油揚げは甘辛味でジュワっとしてそうで、ごまと生姜を混ぜこんで、くるっと包まれていた。白の琺瑯に美しく整列され、まえに作りすぎたと言って、同じものを頂いた記憶がある。
裕は昼の立ち食い蕎麦からなにも食べておらず、容器の蓋を開けるや否や、佐々木夫婦に申し訳なさとほっとした気分を交互に感じてしまった。有難い。さりげない心遣いと優しさが身に浸みる。本当に佐々木夫婦には頭が上がらない。
「体は大丈夫だよ。それより、明日土曜日なんだから、もう帰ったほうがいいんじゃないのか?」
なぜだろう、第一印象が最悪なので、言葉を選ばなくてすむ。雅也なら棘のある言い方を少しでもしたらすぐに面倒くさい喧嘩に発展してしまうのに。裕は太郎に、心の底から空気をよんで帰れと不穏な空気を漂わせた。
「いやいやいやいや、明日は休みなので大丈夫です!」
が、効果なしだ。
「でも、佐々木さんたち心配してんじゃない?」
「いやいや、そんなことないです! 祖父母にちゃんと挨拶するよう言われました!」
いやいや、佐々木さん、確か二人にしてあげてねって言ってたぜ? 夫がそこで死んでるんですけど? なんで遅くなっても大丈夫って顔してんだよ。こいつの神経はどこいったの? 無神経なの? シナプスは全て消滅したのか? まあ、いいや、もう、めんどせぇ。
どうしたらいいか分からない、という困惑の色を顔に浮かべて裕は腰をあげた。
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