きょうもオメガはワンオぺです

トノサキミツル

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蟷螂の斧 2

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「……じゃ、酒でも飲む?」
「はい! 飲みます!」

 夫の遺体が目前にあるのに、太郎は輝いた顔で元気よく返事をする。あまりの緊張のなさに、裕はつい笑いそうになった。なんなんだ、こいつは。
 座りこんでいる太郎から離れて、台所の隅にある冷蔵庫からチューハイを二本取りだした。リビングにある子供用チェアを脇へよせ、雅也の椅子を手前にだすと、太郎に腰を下ろすよう促す。

 酒はウオッカベースなので度数も高いやつしかない。雅也が時おり飲んでは、裕に絡みついて寝てしまうことを思い出す。

「はい、これ。グラスはいる? 言っておくけど、酔って変なことをしたら殴るだけじゃ済まないからな」
「はい! 手はだしません!」

 まぁ、夫が死んで、殺人罪で殺す事なんてしないし、こんな経産婦オメガに性的興奮なぞわかないだろう。裕は太郎の隣に腰掛けると、乱雑に並べられた書類が目にはいった。

「悪い、片付けてなかったな」
「整頓しておきましょうか?」
「いや、大丈夫。俺がやるよ。しかし、結婚してから大黒柱がなくなると残された家族って大変だな。手続きに申請、はては相続税もあるし、頭がまわんないよ」

 おまけに不倫相手もいるけどな、とは口に出さないでおいた。雅也の会社にも菓子折りを持って伺わなければならない。百合子にも頭下げるなんて死にたくなる。でも、世間体と家族の為にも耐えるしかない。
 裕は山積みになっていた紙をそろえて、透明ファイルへしまい込むと、無駄な雑念がまわって胸がおしつぶされるように苦しくなった。やるせない。ただそれだけだ。しんみりした顔で整えると、太郎は神妙な面持ちをした。

「あの、相続は税理士さんとかに依頼しました?」
「税理士?」
 裕の顔が怪訝な顔つきに変わり、太郎は続ける。
「そうです、相続関係は専門家をいれた方がいいですよ。あ、失礼ですが、この家の名義はご主人ですか?」
「……いや、おれと夫で一緒に連帯債務型で住宅ローンを支払っていたけど、共有名義だし、チャラになるんじゃないの?」

 仕事を辞めるつもりもなかったので、夫が一人でローンを負担するより二人で負担して、互いの会社からローン控除を受けたほうがよいと不動産会社に勧められた。まさかすぐに相続税に直面するなんて思わなかったが、相続税の節税になる旨は記憶に残っている。

「そうなると、ご主人分の支払い分はなくなりますけど、貴方の支払い分が残っているはずです。主債務者が返済すべき住宅ローン債務さいむを連帯債務者が代わりに返済した場合、主債務者の債務がなくなったのは『もう一方からの経済的利益の移転があったから』と見なされて、贈与の対象になる場合もあります。それに保険金も相続税がかかりますし……」

「そうなの!?」

「そうです。死亡保険金は、「みなし相続財産」として、遺産の総額に含められます。あと「死亡保険金の非課税」という税制上の特典がありますから、ちゃんと調べて納税した方がいいですよ。やみくもに一人で抱えるとかえって多くの相続税を払ったりして、トラブルに発展してしまうケースがあるので、僕としては専門家を交えるのをおすすめします」

「そうなの!?」

 どっかのCMみたいな台詞が、裕の口から出てしまう。知らなかった。いや、専門用語すぎて、どこから理解していいものか分からない。

「よかったら、知り合いがいるので紹介しましょうか?」
「え、いいの?」
「ええ、その方が絶対安心です」
 急に頼りになる男にみえた太郎という男はてへへと照れながら言った。全然可愛くない。むしろ苛つくが、いい奴なのはわかった。
「あんた、市役所のまえに何かやってたの?」
「あ、僕は以前、民間の法務部に勤めていました。法学部だったし、こっちの知り合いも多いんです」
「へぇ、そうなんだ」
「あの、だから……」
 もじもじと柔らかな栗色の髪を掻きながら、恥じらって微笑む。
「だから?」

 ぐぴっとチューハイを飲んで、妙に納得した顔で太郎に視線を投げた。太郎はごそごそと朽葉色くちばいろのパンツから黒のスマホを取り出す。
「連絡先、交換したいです……」
「は?」
「あ、あの、お隣として今後如何なるときも支え合っていかなければならないと思うんです。勿論、僕はいつでも力になりたいなって思ってまして、その、えっと、なんでもしますから、連絡先交換させてください!」
 土下座にちかい懇願。
 太郎はテーブルに頭をこすりつけて、目に涙をためて哀願した。
 え? まって、最後にお願いになってないか? ほんとうに佐々木さんの孫なの? 必死すぎないか?

「……べつに」

 と、言いかけたときにチャイムが鳴り響いて、二人の沈黙をすぐに破った。

「わぁ、おばあちゃん!」

 太郎は深々下げた頭を起こして、はっとする。
 裕はインターホンで澄江を確認して、玄関の扉をノブを回してひらくと、佐々木家の妻、こと澄江すみえはにこにこと裕の背後にいる太郎に視線を流して目を細める。

「あらあら、やっぱり太郎ちゃん、ここにいたのね。ごめんなさいね。仲良くなったの? でも長居しちゃだめよ? 本当に今回は大変だったわね。雅也くんもまだ若いのに、悔やまれるわ……。あ、いけない、それで大変申し訳ないのだけど、夫がね、さっき階段から足を滑らせちゃって、明日の葬儀の参列なんだけど、難しそうなの……」

 「ごめんなさいね」と顔を曇らせていう澄江の声に、太郎は驚いた表情で目を見開いて、後ろから突拍子ない声を放つ。

「おじいちゃん、大丈夫なの!?」
「ええ、ちょっと捻ったみたいだから心配はないのよ。でも、朝から病院に行こうと思ってね。それで、あの人を一人にできないから、裕ちゃん、悪いんだけど、明日の葬儀、代わりに太郎ちゃんを行かせてもいいかしら?」
「いや、それは……」

 俺一人で十分ですから、と言いかけるまえに太郎が大きな声で返事をした。

「うん、わかった。裕さん、明日はよろしくね!」

 背後で喜々としている太郎。勘弁してほしい。しかも、名前を覚えたようだ。太郎が喜ぶほど、不吉な予感が裕の胸中に広がってしまう。

 別に葬儀場なんて一人でもやってけるさ、ここで頼ってもまた……。

「あの……」
「大人一人に子供二人でしょ? 子守り役だと思っていっぱい使ってあげて。本当にごめんなさいね」
「はぁ……」
 澄江の悲しみがこもった眼差しをむけられると、むげに断ることもできない。裕は太郎と子供たちを連れて、早朝から葬儀場へタクシーを飛ばす。

 そして、東雲 雅子しののめ まさこと五年ぶりに再会する。
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