君の絵を探して

天海みつき

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同居生活の色

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 青藍の仕事は、自営業に分類される。つまり、出勤退勤時間に縛られず、仕事の時間も自由。なので、結構外に出る事が多い。特に最近はスランプ故に家に居られず、外に出る機会が多かった。

 何が言いたいかというと。

 「……つくづく、馬鹿猫に毒されてるよなぁ」

 青藍は何とも言えない顔で画材店を見上げていた。




 今日も今日とて外をフラフラと歩きまわっていた青藍は、ふと横道に逸れた場所で画材店を見つけた。常盤は今日も大学に行っているため、昼前にはふらりと姿を消した。また夜に近い夕方になると絵の具の匂いを纏って返ってくるのだろう。そんな事を考えていたせいか、普段ならば全く目に留まらない小さなこの店が目に留まったのだろう。

 脳裏で存在の全力主張をしてくる飼い猫の顔を思い出し、半眼になった。

 逡巡していたのは数秒だっただろう。意を決してなかに入ると、ふわりと飼い猫からよくしている匂いと似た匂いが漂ってきた。紙の匂い、鉛筆の匂い、油絵具の匂い、ペンキの匂い。さまざまな匂いが混ざり合っているが、不思議と不快ではなく、むしろ落ち着く。穏やかな空気が流れる雰囲気を楽しみつつ、そっと足を動かしていたが、ふと立ち止まった。視線の先には、色鉛筆がディスプレイされていた。

 「ボールペンだけじゃなく、もし、色を付けたら……」

 ぼそりと呟くと、幾つかある種類に悩みつつ、一つを手に取った。思い浮かぶのは、先日の血で少しばかり彩られた絵。たった一色、それも微かに混ざるだけで、彼の絵は全く違う味を出していた。もし、さまざまな色を自在に扱える環境だったら。そんな風に考えて、青藍はしばし悩んでいた。

 「お困りですか?」

 すると、穏やかな声が掛けられ、青藍は肩を跳ね上げた。慌てて振り返ると、レジに座り込んでいた初老の男性が、柔らかな眼差しで青藍を見つめていた。

 「あ、いや」

 思わず口ごもりつつ、そっと色鉛筆を元に戻した。しかし、男性がそれ以降なにも言わずに、見守ってきて。青藍はもう一度色鉛筆を手に取った。

 「色鉛筆をお探しですか」
 「ああ、いや、その」

 押し売るという感じでもなく、ただの世間話の様に話しかけてくる店主。その雰囲気に背を押され、青藍は微苦笑して肩を竦めた。

 「……絵が上手い、というか、絵を描かないと生きていけないヤツが居まして」
 「ほうほう、それはそれは」

 いいお客さんになりそうだ、とほけほけ笑う店主。つられて笑いつつ、色鉛筆に視線を落とすと、察しがついたらしい。その人に贈る画材をお探しで?と店主が問いかけてきた。

 「ええ。そんなところです」
 「ちなみに、何を得意とされていらっしゃるので?」

 質問の意図が読めず、戸惑うと、店主は視線で壁を示した。それを追うと、掛けられていたのは、油絵に水彩、それ以外にも様々な絵。

 「一口に絵と言えど、種類も様々。油に水彩、アクリルもあれば、切り絵とて絵ともいえるでしょうし、それ以外にも。勿論、色鉛筆で描かれる方もいらっしゃいますよ?」
 「あー」

 丁寧に解説され、困ったように頭を掻く。一般知識として知ってはいるが、常盤が何を専攻しているか迄は知らない。絵具の匂いとまでしか分からないのだ。でも、美大なら色んな画材で描くこともあるだろうし、手がかりには、と眉を下げると、店主はカラカラと笑った。

 「実は、美大生って事しか知らなくて。専攻も知らないし、とりあえず色鉛筆が目に付いたので」
 「ほうほう。まぁ、確かに片付けも楽ですし、絵の具等では飛び散ると面倒ですから、それもいいのではないかと」

 そのセリフに、思わず想像する。絵具を買い与えたら、部屋の壁にまで手を出さないだろうか。何せ、白いのだから下手したらキャンパスと区別がつかなくて……。そこまで考えて、青ざめ即決した。鬼に金棒は危険。常盤に絵の具?それ以上に色んな意味で危険だ。

 「色鉛筆にしておきます。俺もアパートの壁をキャンバスにされるのはちょっと遠慮したいので」
 「……それはそれは」

 店主も苦笑気味だ。画材に関わっているせいか、そんな話も聞かない訳ではないのだろう。偶にそういう方もいらっしゃいますよね、と遠い目をして同情してくれた。こんな所で同士が、と謎の感動に浸っていると、店主はならばせめてその隣の色鉛筆はどうですか、と提案してきた。

 「色鉛筆ではありますが、水に濡らすと水彩の様に広がる少し特殊な色鉛筆です。それなら被害も少なく、使い勝手もいいので楽しんでいただけるかと」
 「へぇ」

 手に取ってみると、パッケージに言われた通り、筆で色を伸ばしてる様子がかかれていた。小さい筆もついているようだ。確かにこれなら被害が少なそうだ、と最初の色鉛筆を棚に戻し、レジに持っていく。その途中で見つけた枚数が多めのスケッチブックを何冊か追加する。これで何日持つのやら、と思わず呟くと、店主に吹き出された。

 「こちらのスケッチブックは100枚ですし、3冊も買えばかなりもつのでは?」
 「合計300枚……。一回の発作で30から40として……10日持てば万々歳か?2,3日に一回の発作だから、一ヶ月。まぁ、微妙だが良いか」

 なかなか酷い計算の方法に、店主が目を丸くしている。そんな事に気付かない青藍は、もう一つとんでもないことを忘れているのだが、それは後程。そして青藍はそのまま会計を済ませ、心なしか軽い足取りで歩き出した。




 ちなみに、店主も気付いていた青藍のとある行動。青藍は一貫してとある場所を見ようとしなかった。そこに並べられていたのは、言わずもがなクレヨン。手軽でありながら、場所によっては落とすのが非常に難易度が高くなる憎いヤツ。あんなもの与えたら、部屋が危険だ、と青藍は絶対に見ようともしなかったとさ。
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