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第三章 惑う心
4 第二王子イラリオン
しおりを挟む瑠璃殿下は悲しげな瞳で男を見返した。
「あなたの兄君のような素晴らしい男子に選ばれて──いや正直、最初は我らも度肝を抜かれたのですがね。父など激怒したものです。『なにが悲しゅうて、大事な息子を他国の皇子に嫁がさねばならんのだ』とね」
「…………」
「ですが、ハリ殿下を存じ上げるようになり、嫁した弟の姿を見るに及んで、今はもう『ああ、よかった』としか思われません。弟は、まことにハリ殿下を愛している。己が身を擲っても良いほどにだ。ハリ殿下もまた、弟をこよなく大切に想ってくださっている。そのことが、よくよく分かり申したゆえ」
「……そうです。『いい加減な愛』なんてものは存在しませぬ。こと、玻璃兄に限っては」
「でしょうなあ」
男は唇に拳をあて、くくっと楽しげに笑った。覗く白い歯がいかにもさわやかである。その目はやっぱり、不思議に澄んでいるのだった。
「『羨ましい』と申すなら、私もまったく同じ気持ちでおりますよ、ルリ殿」
「え?」
「さきほど申した通りです。顔も知らぬような何人もの女と、臣下の勧めのままに結婚しては子供を儲ける。王家の血筋を絶やさぬために。そんなことを繰り返して来た男ですよ、この私は」
瑠璃殿下はしばし沈黙して男を見つめ返した。
男はその視線を受け流すようにしている。首のあたりまでのうねる黒髪を風に遊ばせ、相変わらず微笑みを崩さない。
「……あの。なにかおありだったのですか。お国で」
「なにかとは?」
「だって。これが最後、とかおっしゃったから。その……いつものあなたなら何と言うか、もっともっと強引というか。あきらめが悪いというかしつこいというか──」
「ぶっはっは!」
男は吹きだした。目尻に涙まで浮かべて、腹を抱えている。
「これは酷い言われようだ。まあ、事実ですけれどね。ある程度、意識的にそうやっていたのですし」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」
ひょいと腰に両手をあてると、男はさも冗談っぽく、殿下のお顔を覗き込むようにした。
「こう申してはなんですが。私が今まで一人の人を、ここまで執拗に追いかけるような男だったと思いますか? そんなにもそちらの道に不自由していると?」
殿下がついと目をそらす。
「……そうおっしゃられても、わかりかねます」
「先ほども申しましたが、第二とはいえ王子は王子です。私が望めば、女性は決してその求めを拒まない。父やセルゲイ兄の妃や愛人でもない限り、ね」
「…………」
「いや、拒めないのですよ、事実上。そうでしょう?」
瑠璃殿下は変な顔になって男を軽く睨んだ。「これはもしや、ちょっとした自慢話なのだろうか」と疑っておられるのが、瞳の色だけではっきりとわかる。
「たとえ将来を言い交わした男がいるような女でも、ひとたび私が望めばあっさりと気持ちを翻す。たとえ本人がそうでなくとも、親族郎党がみんなして結託し、彼女の意思を踏み潰す。『もったいなくも、イラリオン殿下に求められたのだぞ。ありがたくお受けせぬか。我らみんなの権益のため、くだらぬ男とは別れてさっさと嫁げ』とね。……そんなものです、王族などというものはね」
「…………」
(実際、そういう経緯で来た女がそばにいるということなのか)
藍鉄は思った。イラリオンの顔は相変わらず笑っているが、瞳は暗い色を湛え、決して笑ってなどいない。これは恐らくこの男の本音なのであろう。そう、自分の中で結論づけた。
イラリオンは瑠璃殿下にまっすぐに向き直った。
「でも、あなた様はそうではない。私がどんなに強く求めたからといって、誰があなたを無理やりに私に添わせようなどとできるでしょう。邸の地下室に閉じ込めて『うん』と言うまで食事を与えず、責め続けたりいたしましょうや」
「そんな。まさか……」
「そうでしょう? グンジョウ陛下もハリ殿も、あなたのお気持ちを無碍になさる方ではないし。あなたがひと言『いやだ』とおっしゃれば、話はそれで終わりでしょう」
「それはもちろんです。でも──」
そんなつもりで自分を求めたのだとしたら、それはそれでまたひどい。殿下はそうおっしゃりたいようだった。
藍鉄もほぼ同じ気持ちである。「簡単に自分になびく者ではないから」などという理由で瑠璃殿下を求めたのだとしたら、それは許されざることだ。「恋の鞘当て」などと呼ばれる、つまりは遊戯ではないか。それではあまりにも殿下を馬鹿にしているというもの。
藍鉄は、思わず眉間のあたりに殺気を漲らせた。
が、男はちらっとこちらを見たのみで、あっさりと微笑んで片手を上げ「ああ、誤解なさらないでいただきたいが」と言った。手のひらは藍鉄を向いている。
「もちろん、心からあなたに惹かれた。『ひと目惚れ』というのは噂には聞いていたが、恥ずかしながら私はそれが、実際どんなものだか知りもしなかったのです。あの時、あなたにお会いするまでね。これはまことに、神に誓って真実のことです」
殿下は目を細めて男をほんのわずかに睨むようになさったが、一瞬こちらを見て目だけで「やめよ」とおっしゃった。藍鉄は、それでどうにかお二人の間に割って入るのを踏みとどまった。
「だからこそ、私はあれほど不躾に強引に、またずうずうしいほど無神経に、あなた様に迫ったのです。品のないこととは知りつつもね」
「イラリオン殿……」
瑠璃殿下が困ったお顔になる。これまでのご自分の態度について、やや顧みられたのかも知れなかった。
「いや、よいのです」
イラリオンは笑ったまま、胸の前で両手を振った。
「ですから、『羨ましかった』と申しました。なんの柵も誰かからの強請もなく、ただひとりの人に自然に心惹かれ、恋に落ちる。その人を想うと鼓動が跳ね上がり、体温が上がる。寝ても覚めてもその人のことしか考えられず、心から愛して、求めて──。
この虚しい立場にあって、そういう貴重な経験をさせていただいた。そう思っておりますよ。むしろ御礼を申し上げたいほどだ」
「イラリオン殿……」
「でも、まあできることなら、あなた様のお心を得たかった。これまでの私の愚かな行動の理由と言えば、まあそういうことなのです。偏に、ただそれだけでした」
「でも、最後だとおっしゃった」
瑠璃殿下は、わずかに唇を尖らせておられる。押し殺した声だった。
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