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第三章 惑う心
3 真実の愛
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「ルリ殿には、お分かりでしょうかね? ……『真実の愛』が、いったいどんなものだかが」
「…………」
殿下はやっぱり困ったような、また悲しげな、しかし不思議に深い瞳で男を見返しただけだった。
藍鉄の鼓動が、ひとつ高く跳ねあがった。
殿下がそんな目をしてこの男を見たのは初めてだったからである。
(いや。……まさか)
心の中でかぶりを振る。まさか殿下が、この王子に心を許されるようなことはあるまい。たとえ天地がひっくり返ろうとも。
(しかし──)
いま殿下は明らかに、はじめてこの男の言うことに心を動かされていらっしゃる。
王族としてあることの虚しさや悲しみについては、彼らは当然、互いの境遇を慮りやすいだろう。第一、それは臣下の誰かれ構わずに洩らしてよい弱音ではない。相手が他国の王族であればこそ、この男だってこうやって素直に心情を吐露しているのだ。
藍鉄は姿を隠したまま、目線を足もとの草地に落とした。ひそかに体の脇で拳を握る。
(そうだ。皇族がたには、皇族がたにしかわからぬ苦しみがおありなのだ)
どんなに身命を賭してお守りするのだとひとり決めをしてみたところで、たかだか臣下の護衛風情に、どうして殿下のお苦しみをまことに理解することができよう。そのお悩みをお話しできるような、信頼できる聞き手になれようか。
(いや……。考えるだけ詮ないことだ)
そんなことはもう、何年も前からわかっていたことである。
玻璃殿下がユーリ王子を気に入られ、ご自身の配偶者として求められたときにもそうだった。瑠璃殿下の張り裂けそうなお気持ちを、自分ごときがいったいどれほど受け止め切れたというのだろう。
「『真実の愛』……ですか」
ぼんやりと自分の考えに気を取られているうちに、殿下はくるりとイラリオンに向き直っておられた。
「もちろん、私なんかには分かりません。私にも、いまだにどうしても諦めきれない人はいますが……。でも、それを『真実の愛か否か』と問われると、どうも自信がないのです」
「……ほう」
イラリオンが目を細めた。ひどく優しい光を湛えた瞳である。その瞳を見るだけで藍鉄の苛立ちは募った。
「羨ましい限りです。あなた様のような方に、心の底から愛される御方がおられようとは」
「……大した事ないのです、私なんか。どうせ、『欲しい、欲しい』と泣きわめいている赤子のようなものなんですから。どうしたって得られないとわかっているものを……いつまでもぐずぐずと引きずって。まったく情けのない限り──」
「左様なことはおっしゃいますな」
「だって」
瑠璃殿下は鼻を鳴らし、自嘲ぎみに笑われた。
「どうせ、顔だけですもの。私なんか」
「ルリ殿。そのような──」
「あなただってそうですよ。いったい私なんかのどこがそんなにお気に召したのです? 見た目がどうでも、私は性格、最悪ですよ? いつまで経っても子供みたいだ、わがままに過ぎると、臣下のだれだって陰で噂しているのですから」
「そうですか? 私はそうしたご性格も、とてもお可愛らしいと思いますがね」
「嘘ばっかり」
にこにこ笑っているイラリオンを、殿下は恨めしそうに睨みつけられた。が、すぐに表情を改めてまた湖面へ視線を戻した。
「でも、私も……今では、羨ましいと思っています」
「と、おっしゃいますと」
「玻璃兄と、ユーリ殿のことです。おふたりの間に結ばれているものの強さと美しさについては、私も例の事件から十分、見て学ばせていただいたので」
「ほう」
殿下は一度そっと眉を顰め、苦しげに視線を落とされた。
「あのとき……宇宙から来たあの者に身柄を求められたとき──ユーリ殿は恐ろしさにひどく震えておいでだった。兄の側近たちの無残な死にざまを知っていれば、当然のことだったでしょう。でも、それでもあのかたは玻璃兄のため、たったひとりで宇宙の果てへ出かけて行かれた……」
殿下の瞳が、遠くの記憶を思い出す色になる。
「正直、『とても勝てぬ』と思いました。いや私だって、もしも求められたのが自分であったのならば宇宙へ行ったと思います。躊躇などなかったとも思います」
「当然でしょうね。あなたは兄君をまことに大切にしておられるゆえ」
「でも、『兄を無事に連れ帰れたかどうか』と訊かれたら……とても自信がありません」
「…………」
「あれは恐らく、ユーリ殿だからできたことです。玻璃兄も常々申していますから。『あれは、ユーリの気性であればこそ叶ったことだ』と」
話されるうち、次第に殿下の手と声が震えだした。殿下は細かく震える手をにぎりあわせ、ぎゅっと唇に押し当てられた。
「あの人は、凄い。最初のうち、あんなに見下していた自分が今ごろになって恥ずかしいのです。……こんな自分が、兄に愛されるはずがなかった。当然です。顔がどうでも、姿がどうでも……そんなのまったく意味がなかった。あの兄は、ちゃんと人の『中身』を見る人なのですから……!」
その喉から、嗚咽が漏れだしそうになる。
イラリオンは湖面を見つめたまま必死にそれを堪えている殿下を、しばらくじっと見つめていた。が、やがて胸に手を当て、殿下に頭をさげた。いかにも貴族らしい身振りだった。
「ありがとう存じます、ルリ殿」
「え……?」
「わが弟を、左様なまでにお褒めいただきまして。兄冥利に尽きるというものです」
「いえ……。本当のことを申したまでです」
殿下の声は冬枯れの野のように掠れている。
「あれは昔から、我ら兄弟の中でも格別、素直で優しい気質の弟でした。やや自己卑下が過ぎるところはございますが、それもまあご愛嬌。自己過信で身を亡ぼすよりはいくらかマシというものでしょうし。父も昔から、あれのそういうところを愛しておりましたしね」
瑠璃殿下は悲しげな瞳で男を見返した。
「…………」
殿下はやっぱり困ったような、また悲しげな、しかし不思議に深い瞳で男を見返しただけだった。
藍鉄の鼓動が、ひとつ高く跳ねあがった。
殿下がそんな目をしてこの男を見たのは初めてだったからである。
(いや。……まさか)
心の中でかぶりを振る。まさか殿下が、この王子に心を許されるようなことはあるまい。たとえ天地がひっくり返ろうとも。
(しかし──)
いま殿下は明らかに、はじめてこの男の言うことに心を動かされていらっしゃる。
王族としてあることの虚しさや悲しみについては、彼らは当然、互いの境遇を慮りやすいだろう。第一、それは臣下の誰かれ構わずに洩らしてよい弱音ではない。相手が他国の王族であればこそ、この男だってこうやって素直に心情を吐露しているのだ。
藍鉄は姿を隠したまま、目線を足もとの草地に落とした。ひそかに体の脇で拳を握る。
(そうだ。皇族がたには、皇族がたにしかわからぬ苦しみがおありなのだ)
どんなに身命を賭してお守りするのだとひとり決めをしてみたところで、たかだか臣下の護衛風情に、どうして殿下のお苦しみをまことに理解することができよう。そのお悩みをお話しできるような、信頼できる聞き手になれようか。
(いや……。考えるだけ詮ないことだ)
そんなことはもう、何年も前からわかっていたことである。
玻璃殿下がユーリ王子を気に入られ、ご自身の配偶者として求められたときにもそうだった。瑠璃殿下の張り裂けそうなお気持ちを、自分ごときがいったいどれほど受け止め切れたというのだろう。
「『真実の愛』……ですか」
ぼんやりと自分の考えに気を取られているうちに、殿下はくるりとイラリオンに向き直っておられた。
「もちろん、私なんかには分かりません。私にも、いまだにどうしても諦めきれない人はいますが……。でも、それを『真実の愛か否か』と問われると、どうも自信がないのです」
「……ほう」
イラリオンが目を細めた。ひどく優しい光を湛えた瞳である。その瞳を見るだけで藍鉄の苛立ちは募った。
「羨ましい限りです。あなた様のような方に、心の底から愛される御方がおられようとは」
「……大した事ないのです、私なんか。どうせ、『欲しい、欲しい』と泣きわめいている赤子のようなものなんですから。どうしたって得られないとわかっているものを……いつまでもぐずぐずと引きずって。まったく情けのない限り──」
「左様なことはおっしゃいますな」
「だって」
瑠璃殿下は鼻を鳴らし、自嘲ぎみに笑われた。
「どうせ、顔だけですもの。私なんか」
「ルリ殿。そのような──」
「あなただってそうですよ。いったい私なんかのどこがそんなにお気に召したのです? 見た目がどうでも、私は性格、最悪ですよ? いつまで経っても子供みたいだ、わがままに過ぎると、臣下のだれだって陰で噂しているのですから」
「そうですか? 私はそうしたご性格も、とてもお可愛らしいと思いますがね」
「嘘ばっかり」
にこにこ笑っているイラリオンを、殿下は恨めしそうに睨みつけられた。が、すぐに表情を改めてまた湖面へ視線を戻した。
「でも、私も……今では、羨ましいと思っています」
「と、おっしゃいますと」
「玻璃兄と、ユーリ殿のことです。おふたりの間に結ばれているものの強さと美しさについては、私も例の事件から十分、見て学ばせていただいたので」
「ほう」
殿下は一度そっと眉を顰め、苦しげに視線を落とされた。
「あのとき……宇宙から来たあの者に身柄を求められたとき──ユーリ殿は恐ろしさにひどく震えておいでだった。兄の側近たちの無残な死にざまを知っていれば、当然のことだったでしょう。でも、それでもあのかたは玻璃兄のため、たったひとりで宇宙の果てへ出かけて行かれた……」
殿下の瞳が、遠くの記憶を思い出す色になる。
「正直、『とても勝てぬ』と思いました。いや私だって、もしも求められたのが自分であったのならば宇宙へ行ったと思います。躊躇などなかったとも思います」
「当然でしょうね。あなたは兄君をまことに大切にしておられるゆえ」
「でも、『兄を無事に連れ帰れたかどうか』と訊かれたら……とても自信がありません」
「…………」
「あれは恐らく、ユーリ殿だからできたことです。玻璃兄も常々申していますから。『あれは、ユーリの気性であればこそ叶ったことだ』と」
話されるうち、次第に殿下の手と声が震えだした。殿下は細かく震える手をにぎりあわせ、ぎゅっと唇に押し当てられた。
「あの人は、凄い。最初のうち、あんなに見下していた自分が今ごろになって恥ずかしいのです。……こんな自分が、兄に愛されるはずがなかった。当然です。顔がどうでも、姿がどうでも……そんなのまったく意味がなかった。あの兄は、ちゃんと人の『中身』を見る人なのですから……!」
その喉から、嗚咽が漏れだしそうになる。
イラリオンは湖面を見つめたまま必死にそれを堪えている殿下を、しばらくじっと見つめていた。が、やがて胸に手を当て、殿下に頭をさげた。いかにも貴族らしい身振りだった。
「ありがとう存じます、ルリ殿」
「え……?」
「わが弟を、左様なまでにお褒めいただきまして。兄冥利に尽きるというものです」
「いえ……。本当のことを申したまでです」
殿下の声は冬枯れの野のように掠れている。
「あれは昔から、我ら兄弟の中でも格別、素直で優しい気質の弟でした。やや自己卑下が過ぎるところはございますが、それもまあご愛嬌。自己過信で身を亡ぼすよりはいくらかマシというものでしょうし。父も昔から、あれのそういうところを愛しておりましたしね」
瑠璃殿下は悲しげな瞳で男を見返した。
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