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02 不器用すぎる女の子

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 翌日。

 キリエは学校へ行くのが億劫で、登校直前まで悩んでいた
 どんな顔をして和樹に会えばいいのか。愛花と2人でいるところをまた目撃してしまったら、自分はどう反応してしまうのか。

 考えるだけで怖かった。

 だから、なかなか踏ん切りが付かず、登校時間を遅らせていた。

 ただ、少なくとも『いつもの時間』に家を出ることだけは避けようとは決めていた。その時間は、よく和樹が家を出るタイミングだからだ。彼とは家がすぐ近所で、だから通学路も同じ。

 家を出たら偶然、和樹とばったり顔を合わせた――というシチュエーションのために、キリエは登校時間を調整していたのだ。

 昨日までのキリエは、和樹と両思いだと信じて疑わず――だから、自分がわざわざタイミングを合わせてやっているのだと思い上がってすらいた。

(バカみたい……)

 迷いつつ自室に籠もっていると、母親が、まだ行かないのか、体調でも悪いのかと、ドアの外からたずねてくる。

 ――分かってる。
 そう答えて、取りあえず母親を追い返した。

 ズル休みをする、という手もあるだろう。

 普段のキリエの生活態度は至って真面目だ。そんな彼女が体調不良を申し出れば、母も、学校も信じてくれるに違いない。
 
 もう身支度は済んでいるが、腹痛あたりを訴えれば、それで学校を休める。和樹に会わなくていい。

(…………)

 ――身支度。
 キリエは、視線を姿見に移す。

 制服を着て立っている自分。
 もう、ポニーテールはやめた。

「…………っ」

 なぜか視界が滲む。幼稚すぎた恋心であっても、彼女にとっては大事なことだったのだ。

 やっぱり休もう。
 こんな状態で登校して、和樹と顔を合わせたら、また泣いてしまうかもしれないし――


〝明日、風邪で休んだら笑ってやるよ〟 


 不意に。
 涼介の声が頭に響いた。

 師藤涼介しどう・りょうすけ
 いけすかないクラスメイト。軽薄な、女慣れしきった態度。キリエの好みとは正反対の男子だ。

 けれど、弱ったところを見せてしまったし、借りを作ってしまった。もし今日休んだら――

 あんなやつに笑われるのも、同情されるのもまっぴらだ。

「――――っ」

 意を決してキリエは、家を出た。外は相変わらずの曇天。玄関で、あの赤い傘を引っつかんで早足で登校していった。


 ■ ■ ■

 
 学校は、最悪だった。

 キリエが登校してくると、廊下で会った友人に、珍しい髪型だとはやし立てられてしまった。

 それもそのはず。彼女は小学生からずっとポニーテールで、友人たちの前で髪を解(ほど)くのは、水泳の授業や宿泊した夜くらい。
 
 そんな彼女が朝からその長い髪を下ろして来たのだから、興味を持たれて当然だ。

 ここでキリエが悲しい顔のひとつでも見せれば、友人は察して、食い下がっては来なかったかもしれない。あるいは、親身になって相談相手になってくれたかもしれない。

 ――だがキリエはあいにく、素直に心情をさらけ出せる性格ではなかった。

 ちっぽけなプライドに起因する自己防衛機能は、和樹に対してだけでなく、女友達に対しても発揮されてしまう。難儀な性格だと、自分でもそう思う。

(…………和樹)

 着席して、窓際の一番後ろの席を盗み見る。
 夏服姿の和樹の横顔。

 窓の外を眺めていて、キリエのほうには見向きもしない。けれど永年彼の表情を見てきたキリエは、その横顔に浮かれた色が滲んでいることに気づいてしまった。

 おおかた、『初めての彼女』のことを考えているのだろう。

 愛花は別のクラスだが、もしかしたら途中から一緒に登校してきたのかも知れない。彼女のことを思い出して、幸せな気分でいるのかもしれない。

 そう思うと、ぶわっと全身が熱くなり、また視界が滲み始めてしまった。


 そのとき。
 遅刻ギリギリに涼介が登校してきた。
 息を切らしているのを、男友達にからかわれている。

 彼は着席する途中で、キリエのほうをチラリと見た。

(…………っ!)
 
 なにか言われる。からかわれる。
 そう身構えた。いま、何か和樹に繋がる事柄を口にされたら、もう耐えられそうになかった。

 けれど、涼介はキリエの髪型を見てとると、声には出さずに、

(いいじゃん)

 と、口を動かしてみせた。その仕草は、他の誰にも気づかれていないようだった。

 ――なんであんたなんかにそんなこと言われないといけないのよ。

 という怒りを込めて睨んでみたが、涼介は軽く笑みを作るだけで自分の席に着いてしまった。

(なんなの、あいつ……!)

 そうやって理不尽な怒りを涼介にぶつけるうちに、失恋の涙が引ッ込んでいることを、キリエ自身は気づいていなかった。


 ■ ■ ■


 それから何事もなく2日が過ぎた。
 ポニーテールをやめたことの違和感はまだ拭えないが、そのことを話題にされることもなくなった。

 まだ和樹や、愛花のことは直視できないが――取りあえず、表面的には落ち着いたと言ってよかった。

 そんな日の、移動教室の直前に。

「よう、霧崎」

 歩いている後ろから、涼介に声をかけられた。キリエは足を止めず、ほとんど反射的に横目で睨む。

「なに?」
「くくっ。相変わらず俺、嫌われてるね」
「…………」

 邪険な態度はとったものの、それが正しいのかキリエには判断が付かなくなって、また黙り込んでしまう。弱っているところを見られてしまったが、親切にされてしまった借りもある。

 どう接するのが正解か、分からない。彼と話していると調子が狂う、というのが率直なところだろうか。

「霧崎ってさ、くせっ毛ある? この時季大変だよな」
「そういう無神経なところ、ホント――」
「嫌い?」
「……本当、イヤ」

 嫌悪の感情ではあるが、キリエが他人にこうも素直に感情を露わにするのは珍しいことだった。家族の前でさえつい意地を張ってしまうキリエは、悲しい顔も、怒った顔も、誰かに見せたことはない。

 ――そんな弱い自分を見せれば、きっと嫌われてしまうから。

 そう無意識に思い込んでしまって、すぐに身動きが取れなくなってしまう。

「結んでやろうか?」
「……は?」
「だから、髪」
「やめたから――」
「ポニテに飽きたなら、別のでも」

 言いながら、涼介は新品らしきヘアゴムを取り出した。

「……なんで持ってるの、そんなもの」
「モテたいから」
「はぁ?」
「『髪を束ねたいけど今持ってないし』とか、『ヘアゴム切れた、どうしよう!』とか。そういうときに、こう、さりげなく――」
「バカじゃないの? 付けるわけないじゃん、そんなの。気持ち悪い」
「えー、そうかぁ?」

 歩きながら、涼介は、指先で器用にゴムを回す。

「そういうもんかぁ」
「当たり前でしょ」

 突っぱねつつ、キリエは愛花のことを連想していた。
 彼女はあれ以来ずっと、髪を束ねている。
 和樹の好みに合わせた髪型に――。

 ……ダメだ。考えないようにしないと。
 キリエはぐっと思考を立て直す。

 涼介はそんな彼女の態度に気づいているのか、いないのか。いっそう軽い調子で、

「霧崎にモテたくて用意してみたんだけど。ダメかぁ」
「……頭おかしくなったの?」
「あ。編み込みにしてみる? 俺、そういうの得意だから。指先の器用さなら自信がある」
「――聞いてないし」

 話が通じない男だ。
 キリエの頬が引きつる。

「どうせ、いっつもそんなことばっかりしてるんでしょ」

 とびきり険(けん)のある声で返してみた。

 そう、どうせ――女友達相手に、浮ついたことばかり繰り返しているに違いないんだ、この男の場合は。

「まあ、正解。ただし、妹相手にだけどね」
「妹……」
「甘え癖が治らないんだよ。前は姉さんにも。頭の後ろは手が届きにくいから、涼介、結べって。体(てい)よく使われてたんだよ。女きょうだいに挾まれると、それはそれでツライもんだからさ」

 ちょっと大げさに肩を落としてみて、涼介は、

「霧崎は、兄弟とかいるの?」
「いないけど」
「欲しいと思わなかった?」
「――別に」

 それこそキリエにとって、和樹は弟のような存在だった。年は同じでも生まれはキリエのほうが早かったし、頼りない和樹は、幼い頃は彼女の後ろを付いてくる存在だった。

「俺はさ、欲しいと思ってたら出来ちゃったんだよね」
「?」

 言葉の意味が分からず、キリエは小首をかしげる。

「義理の姉妹。父さんの再婚相手の連れ子なんだ」
「ふうん――」

 想定していなかった事情に、興味を惹かれる。

 踏み込んではいけない領域かとも思ったが、涼介は特に気に掛けてはいないようだった。

「初めは遠慮もあったんだけどさ、お互いに。でもいつの間にか姉さんの尻には敷かれるし、妹はワガママ放題だし」

 はあ、と涼介はため息をつく。

「……信じられるか? 母さんの居ない日には、朝昼晩、全部俺が料理したこともあるんだぜ」
「逆らえなかったんだ」
「無理。絶対無理。俺は僕(しもべ)だね、僕」
「きょうだい居るのも、大変なのね」
「いやホント。姉さんは大学に入ってから、彼氏と同棲するために出てったけど。でもそのぶん、妹はもう『暴君』なんだ」
「師藤は、それくらい苦労したほうがいいんじゃない?」
「どういうことだよ?」
「軽薄な性格を直すには、誰かに躾(しつ)けられるくらいのほうが丁度いいんじゃない、ってこと」
「うわ、ひど」

 言って、涼介は苦笑する。

 しかし、意外だった。
 彼に家庭的なところがあることも、姉妹に頭が上がらないことも。そして、家族のことを語る彼のリラックスした横顔も。

「だから、妹にせがまれて買い物に付き合わされたりもしてさ……あ、そうだ」

 急に白々しく、涼介は話題を変えた。

「次の土曜日、一緒に買い物に行かない?」
「はぁ?」
「靴、買いに行きたくてさ。霧崎も、髪型変えたんなら合う服探したいでしょ? いいじゃん、行こうぜ」

 前言撤回。
 やはり涼介との会話はストレスフルだ。

「私にも都合が――」
「予定あるの?」
「ある――けど」
「どんな?」
「…………っ」

 つい油断していたせいで、適当なスケジュールが思い浮かばず、言葉に詰まってしまう。そして、その機を逃す涼介ではなかった。

「んじゃオッケーってことで」
「あのねぇ……!」
「いいじゃん。別にデートってわけじゃないし」
「で、でも」
「俺さぁ、このあいだの雨で靴思いっきり濡らしちゃったんだよねぇ。、全身びしょ濡れになっちゃったし」

 借りを返したいならその日は付き合え、という脅迫か。
 
「あんたってホント、最低……!」
「知ってる。あと諦めも悪いところも欠点なんだ」

 へらへらと笑いながら涼介は、

「とにかく、土曜な」
「イヤだってば――」
「じゃあ、午後からだけでいいから」
「だからそういう問題じゃ――」
「そんじゃ2時間だけ。本当に買い物だけ。余計なとこには行かないから。せめてショッピングだけ付き合ってよ。お願い」
「……そ、それは」

 冷静に考えてみれば涼介は何一つ譲歩していないのだが――まくし立てられているキリエは、そのことに気づけない。

 そしてそのうち、キリエは折れてしまった。

「本当にそれだけ……だからね?」

 口ごもりながら答えると、涼介は顔をぱあっと輝かせて、

「ありがとう、約束な。また連絡するから」

 そう言い残して、去って行ってしまった。

「何なの……」

 取り残されてキリエは、頭を整理できないまま立ち尽くした。


 ■ ■ ■

 
 涼介が指定してきた待ち合わせの場所は、大きな繁華街の駅だった。キリエたちの街からは電車を乗り継いで行く必要がある。

 指定時間は14時。涼介の提案で、現地集合することになっていた。同じ街に住んでいるわりに回りくどい待ち合わせだったが、

 ――涼介と歩いているところを知り合いに見られたくない。

 そんなキリエの心情を見透かしての、涼介なりの配慮なのかもしれなかった。

(それはそれで……ムカつくけど)

 無神経な態度も腹立たしいが、気を遣われたら遣われたで気にくわない。我ながら面倒な性格だとキリエは思うが、それは涼介の軽薄な振る舞いが悪いのだ――と責任を転嫁しておいた。

 地下鉄の改札を出て、地上へ出て待ち合わせの場所へ。
 天気は快晴。
 もう梅雨が明けたのか、夏がすぐそこに迫っている気配だった。

「霧崎」

 すでに到着していた涼介は、こちらに気づくと顔をほころばせて片手を上げた。

 ――嬉しそうな顔も、ムカつく。

 本気でそう思っているというより、そう思わないと、なんだか負けたような気がして嫌だ、という心理が働いたようだった。

 スラリと長身な涼介は、私服のセンスも良かった。かといってこちらが気後れするほどのハイセンスさではなくて、キリエはやや安心する。

 キリエもファッションのセンスは人並みにあるつもりだが、どうしても地味な服を選びがちな傾向があった。
 キツめな顔をしていると自認しているので、あまり可愛らしい系統の服を選ぶことができず、かといって大人っぽい物を選ぶと彼の――和樹の好みから外れてしまいそうで、手を出せずにいたからだ。

「行こうか」

 涼介の先導で、近くの商業施設に入った。若者向けのショップが多く入っているビルで、だから比較的学生にも手の届きやすい服や雑貨が取りそろえられていた。

 脇目も振らず女性ファッション用のフロアに向かう涼介に、キリエは、

「靴は? 自分の靴、先に見なくていいの?」
「ん……ああ。欲しいものはもうネットで選んで決めてるから」
「――は?」
「売ってるショップも分かってるし。この中」

 涼介は天井を指して上の階を示す。

「だからあとは、履いてみてサイズを選ぶだけ。ってことで、2時間フルに霧崎のために使えるってわけ」
「……本当に頭おかしいのね、あなたって」

 もはや『靴を選びたい』という口実すらかなぐり捨てていた涼介に、頭痛を感じてきた。

「そんなので、本当に楽しいの?」
「霧崎がいろんな服を試着してるところが見れる。楽しいじゃん」

 満面の笑みで言われて、頭痛はますますひどくなる。とはいえ、ここまで来て帰るわけにもいかない。

「……買わないからね」
「ん?」
「あなたが選んだ服なんか――」
「ああ、別にいいよそれは。俺は店を選ぶだけ」
「どういうこと?」
「俺が、普段霧崎が入りそうにない店を選ぶから、服は自分で選んでよ。いいのがあったら買えばいい」

 涼介の見いだした妥協点なら、確かに、キリエの持つバリエーションにない、だけど気に入る服を選ぶことができるかもしれない。

「――師藤って、詐欺師とか向いてるかもね」
「よく言われる」

 どんな嫌味も涼介には通じないようだ。観念してキリエは、2時間だけ我慢して彼を満足させ、早く解放してもらおうと決めた。


  + + +


 いざ服を選び出すと、キリエの頑固な意地もなり・・を潜めてきた。普段のキリエなら入らない系統のブランド。気に入るものは少なかったが、それなりに新しい発見もあったりした。

 涼介は、こういう買い物に慣れているのか、女性向けの店内でも特に気負う様子もなく、かといって、予告どおりキリエの服選びに口を出すでもなく、つかず離れずの距離感をキープしていた。

 ――姉妹との買い物に慣れているのかもしれない。

 女性物の買い物袋を両手にぶら下げ、荷物持ちをさせられている涼介の姿をイメージすると、なんだか可笑しかった。


「それ、試着してみる?」

 何店舗目かに入ったショップで、少し気になるスカートを見つけたキリエに、涼介が声を掛けてきた。

「え、――うん」

 可愛い系のロングスカートだが、これくらいなら自分の持っている服に合わせられるかもしれない。ちょうど、そう考えていたところだった。

 涼介が店員に話しかける。

「これ、試着してもいいっすか?」
「どうぞどうぞ。試着室はこちらです」

 二十歳くらいの店員さんが、満面の笑みで応じる。
 靴を脱いで、試着室へ。するとカーテンの向こう側から、

「待ってる間、あちらも見てみますか? ちょっとだけ男性向けも置いてるんですよ。カレシさんに似合いそう」

 スカートのホックを外そうとしていたキリエの耳に、そんな言葉が飛びこんで来た。思わずカーテンの中から声を上げそうになるが、

「いやいや違うんすよ。友達です」
「あ、そうなんですか」
「もうフラれてるし」
「えー」

 冗談めいた涼介の回答に、同じようなノリで店員が応じている。

「でもいいっすよ。待ってます」
「そうですか。もし、他のサイズも合わせたいときには声かけてくださいね」

 恋人扱いされなかったことに安堵しそうになるが、

(いや……友達でもないし……!)

 思い直して頭を振る。
 自前のスカートを脱ぎ下ろし、試着のスカートに手を掛けたところで――ふいに、鏡の自分と目が合う。

 ……あらためてみると、不思議な状況だった。

 どうして自分は涼介と買い物になんか来ているのか。そして、このカーテン1枚に隔てられた距離で、自分は下着姿になっていて。

「…………っ」

 急に、かあっと全身が熱くなる。

 別に見られているわけでないのに、剥き出しになった白い脚に涼介の視線が注がれているような気がして、恥ずかしくなる。

 ただ、そんな妄想を走らせても、これも不思議と嫌悪感は抱かなかった。

〝霧崎、脱いだら結構足太いよな〟

 とか、そのくらいのセクハラはしてきそうだ、あの男は。

 そんなふうに、またも勝手に想像を膨らませて、憤ってみることで、涼介のことを嫌おうとする。


 試着が終わって、イヤイヤながらにカーテンを開く。少し離れたところで壁により掛かってスマホをいじっていた涼介が、それに気づいて近づいてきた。

「おお、かわいーじゃん」
「……そんなわけないでしょ」

 似合わない。と自分では思う。

「そうか? うーん。上とのバランスか?」
「どうかな……自信ない」
「さっき霧崎が見てたブラウスあったよな。アレ持って来てみようか。あと、店員さんに合いそうな服選んでもらってくるわ。ちょっと待ってて」
「へ? えっ――」

 止めるまもなく涼介は、店員を伴って次々と服を持ち込んできた。
 上も。下も。帽子も。靴も。
 アクセサリーやバッグまでも。

 いろいろと着せ替えられて、そのたび、涼介と店員に評論される。

「さっきのも良かったけど、これも似合ってると思わないっすか?」
「そうですねぇ。こっちを合わせてみたらどうです?」
「おお、それも可愛い! さすがプロ。この帽子も合うかも? ほら可愛い」
「ですね――って、カレシさん、何でも可愛いって言ってません?」
「事実だし、仕方ないっすよね。あとカレシじゃないです」
「あはは。そうでしたねー」

(……こいつら、何なの!)

 文句を言ってやりたくなるが、口を挟む暇も与えてもらえず、大量の試着をさせられるハメになった。最初はカーテン1枚で服を脱ぎ着することに抵抗を覚えていたのに、

(ああ、もう……っ!)

 最後にはもう何も気にせず、すぽーんと脱いでしまえるようになっていた。

 勢いだけで言えば、もう下着を見せても恥ずかしくない!……くらいのテンションにはなっていた。


  + + +


「いやー、いい買い物ができたね」
「……そう。それは良かったわね」

 思いがけず、あっというまに2時間が過ぎた。

 結局キリエは先刻のショップでブラウスを1枚、そして涼介は抜け目なく、初めから決めていたというスニーカーを購入して、2人して同じビルのカフェに入った。

 もうタイムオーバーなのだが――

「今日はむちゃくちゃ楽しかったから。お礼だけさせてよ。カフェおごるからさ。……いや、これでまた借りを作ろうとか思ってないから。いろいろ試着してくれたお礼。これでチャラ」

 そうのたまう涼介に押し切られて、キリエは、彼と向かい合わせでカフェラテのストローをすすっていた。

 実際のところ、外は暑かったし、冷房の効いた店内でも連続試着の憂き目にあった直後だったので、冷たいモノを口にできたのはありがたかった。ケーキも美味しいし。

「あーあ。霧崎、全然写真撮らせてくれないんだもんなぁ」

 頬杖を突いた涼介が、そう愚痴をこぼす。

「行儀、悪いわよ」
「へいへーい」

 涼介は素直に姿勢をただす。

「……あんたに写真なんて撮らせたら、すぐ人に見せるでしょ」
「見せない見せない。俺だけの宝物にするから」
「気持ち悪い」

 軽い調子で冗談を言う涼介のことを、一刀両断にする。だが、やっぱり彼はへこたれない。

「好きな人の写真を保存しておきたいって、気持ち悪いか?」
「あんたがやると、全部気持ち悪い」
「うっわ、ひど」

 言って、またからからと笑う。

 その笑顔に嘆息しつつもキリエは――自身のスマホの中に、和樹の写真を大事に取ってあることを思い出す。

 今しがた自分の放った言葉が、翻って自分の胸に突き刺さる。

(私は……)

 今日は本当に、デートみたいだった。キリエの気分はともかく、端から見ればカップルが買い物をしているように映っただろう。

 これがキリエにとっての、初デート。
 もちろん、和樹とあちこちに出かけたことはある。ただそれは家の近所だったし、小学生の頃だったし、出かけたというよりキリエが連れ回した、という感じだったのだが。

(和樹は今頃……)

 愛花と一緒にいるのだろうか。こんなふうに、デートをしているのだろうか。そう考えると、じくじくと胸が痛んだ。

「霧崎ってさ――」
「え」

 ふいに声をかけられて、キリエは顔を上げる。涼介がじっと見つめてきて、

「死ぬほど不器用だよね」
「……うっさい。てか、なんでそんな話になるわけ?」
「なんとなく。くくっ。いや、面白いなって」
「はぁ? バカじゃないの」
「だから、俺はバカだし、最低なやつなんだって」
「よく分かってるじゃない」

 言い捨てながらも、

(私よりは、きっとマシだけど……)

 と、キリエは胸中で付け加えていた。
 グラスの氷が、からんと乾いた音を立てた。


 ■ ■ ■


「じゃあまた、学校で」

 待ち合わせのときに会ったのと同じ場所で、涼介と別れた。
 彼は『他の用事』のために、別方向の電車に乗って行くのだという。

「うん。じゃあ……」

 キリエも、小さく手を振り返す。
 
 ――他の女に会いに行くのかも。

 あんな性格だ。外見も――まあ、キリエの好みではないが、よく整っている。

 ちゃんとした恋人がいたり、多くの遊び相手がいたとしても不思議ではないし、むしろ当たり前という気がする。

「…………」

 キリエは、今日の戦利品の買い物袋を肩に掛けて、家路に就く。時刻はまだ17時。これからゆっくり帰っても十分夕飯の時間には間に合う。

 戦利品。
 キリエには新鮮な、可愛らしい白のブラウス。そして、カフェからの帰りにふらりと立ち寄ることになった雑貨店で、ちょうど欲しいと思っていたサイズのポーチも手に入れた。

 そして何よりの収穫は、涼介に借りを返したこと。

 これでもう、彼につきまとわれる理由はない。つきまとわれても、突っぱねることができる。

「…………」

 十分、合格点な1日だったはずなのに、ひとりで帰途に就くキリエは、なぜか、物寂しさを感じるのだった。

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