あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。

汐埼ゆたか

文字の大きさ
上 下
45 / 106
Chapter11*こぼれたビールは戻らない。

こぼれたビールは戻らない。[1]―②

しおりを挟む
生まれて初めての“ガトーショコラ”作り。
上手くいったかどうかは半々。

この“ガトーショコラ”は、つい数時間前にスーパーで材料を買い、家に帰って作ったもの。一度も練習していないぶつけ本番。味見もナシ。

ちょっとだけ、(底のところをちょっと削ってみてもバレないわよね……)とは思ったけれど、さすがにやらなかった。
ま、砂糖と塩を間違ってなければ、なんとか食べれるでしょ。

正直、根っからのスイーツ男子であるアキに“手作りスイーツ”をあげることに抵抗はあった。
だって絶対わたしが作ったのより、買ったやつの方が美味しいんだもん。

だけどあまりに直前すぎて、彼に満足してもらえるようなチョコをゲットするなんて無理。

変なものを買うよりもわたしが作った方がマシ?という気持ちもあったし、わたしが作ったケーキを喜んでくれるかな、という期待もあった。

だけどその中に、 “手作り”という付加価値をつければギリギリまで忘れていたことの免罪符になるかも――という打算もかすかに入り混じっていて。

可愛くもないし純粋でもない。ちょっと擦れたアラサー女。
そんな自分のことを俯瞰ふかんして見ると、やっぱり彼がどうしてわたしのことを「好き」だと言ってくれたのか不思議になる。

(いつまでも続くわけじゃないのよ……)

立場も生きている世界も全然違うひとなのだ、彼は。

「今だけ今だけ」と自分に言い聞かせるように呟きながら、わたしは手に持っていた箱をリビングの真ん中にあるソファーテーブルの上に置いた。


『吉野』

耳障りの良いつややかな中低音。愛おしげに囁かれるそれに、胸が甘く鳴る。

小学校に上がる頃には周りの子達の名前と違和感を感じはじめ、思春期に入った頃にはすでに大嫌いになっていたその名前。

きっと自分は、この名前を一生嫌いなままでいるだろうと思っていた。

せめて苗字だったら、結婚するまでの我慢なのに。
可愛さの欠片もない、まるで自分のことを表すようなこの名前と一生付き合っていかなければならないのか。
そう考えると、余計に名前への嫌悪感が湧いた。

それなのに――。

『吉野』

そう彼が口にするたび、自分の名前が色とりどりの宝石みたいな果物で飾られたデコレーションケーキみたいに、甘くて可愛いものに思えてくる。

『吉野ってご両親がつけたの?』

ついさっきまで散々乱されたシーツと彼の腕にくるまれて、半分うとうと・・・・しかかっていた時、アキが突然そう訊ねた。

『うん、そう……どうして?』

まぶたを持ち上げるのすら億劫なほど体も意識も重たくて、とりあえず口だけを開いて答える。

『素敵な名前だな、と思って』
『………』

いつもだったらここで力いっぱい反論するところだけれど、半分眠りに落ちかけていたわたしには、もうその気力は残っていない。

『……父と母の思い出の場所が由来らしいわ』
『ああ……もしかして奈良の吉野山?』

さすが、よく知ってるわね。

『もしかして吉野は春生まれ?』
『……うん。四月一日』
四月一日わたぬきのひか……じゃあご両親は、吉野が生まれた時に咲いた桜を観て、思い出の吉野山を思い出したんだろうな』

ビンゴ。

父と母からよくその話を聞いていた。
二人が結婚前に訪れた吉野山の桜の美しさ。わたしが生まれた時に咲いていたソメイヨシノ。

いにしえの昔から長く愛され続けてきた桜のように、みんなから愛される素敵な人になって欲しい。
そう言われていた。

でもそれなら、『桜』とか『美桜』とか、そういう名前にしてくれれば良かったのにな。
――なんて、幸せそうに思い出を語る両親には言えなかった。

『綺麗でカッコイイあなたにピッタリの名前だ』

思いがけない言葉にまぶたを持ち上げると、それと同時に「ちゅっ」と音を立ててくちづけられた。

『なっ』
『ご両親が願いを込めた名前通りに、吉野は育ったんだな』
『っ、』

一瞬で眠気が覚めるほどの甘い言葉に両目を見開く。すると今度は、さっきよりもずっと深く唇を奪われた。


「……ゆ、め?」

呼ばれたような気がしたけれど、開いた瞳に映るのはがらんと広いリビングだけ。

「わたし……寝てたんだ……」

アキのことを待っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたみたい。

両手をついて体を起こす。
黒い窓ガラスに映る自分とその向こうに広がる夜景を眺めながら、しばらくぼんやりとしていたけど、突然ハッとした。

「今何時!?」

慌てて腕時計に目を遣ると、時計の針がもうすぐ日付をまたごうとしている。

うわっ、寝すぎた…!
ここしばらくの寝不足が祟ったのかも。

慌ててキョロキョロと部屋中を見渡してみるも、部屋のあるじが帰ってきた痕跡はない。

ていうか、帰ってきたらソファーでグーグー寝ている彼女ってどうよ……。ビックリを通り越して呆れちゃうわ。

そうならなくて良かった、と胸を撫でおろしたら、今度はこんな時間まで働いている彼のことが心配になった。

(毎日こんな遅くまで働いてるのかな。今夜はなんちゃら連合会の人と会合だって言ってたわよね……)

仕事とはいえ、こんなに遅くまで付き合わされるなんて御曹司も楽じゃないな。
でもきっとそろそろ帰ってくるはず。
帰ってきたら一番に「お疲れ様」って言ってあげたい。きっと驚くだろうな。だって、彼はここにわたしが来ていることを知らないのだから。

わたしがいるのを見た時の彼の顔を想像するだけで、顔がゆるんでしまう。
彼がこの部屋に戻ってくるのが明日バレンタインになるかもしれない、ということは織り込み済み。

きっとアキはたくさんのバレンタインをあちこちから貰うだろう。それは仕方ない。エリート御曹司云々うんぬんというよりも、整った容姿と抜群のスタイル、そして何より真面目で優しい。要は素敵な人ということ。だからモテるのは仕方ないことだ。

そんな人と付き合っていて、いちいち小さなことで妬いていたらキリがない。
バレンタインにチョコを貰ってくるくらいで怒ったりはしない。その代わりに、せめてわたしのチョコをバレンタイン当日一番乗りで受け取って欲しい。

――なんて、バレンタイン自体忘れていたくせに、我ながらちょっと都合が良すぎるかな、と思うけど。

それでも、好きな人に喜んで欲しいという気持ちは決して嘘じゃない。

「アキ、驚くかな……きっと喜んでくれるよね……?」

わたしが焼いた“ガトーショコラ”を食べながら彼が幸せそうな笑顔になることを想像するだけで、これ以上ないくらいに頬がゆるんでしまう。

わたしの心は羽よりも軽く舞い上がっていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

初色に囲われた秘書は、蜜色の秘処を暴かれる

ささゆき細雪
恋愛
樹理にはかつてひとまわり年上の婚約者がいた。けれど樹理は彼ではなく彼についてくる母親違いの弟の方に恋をしていた。 だが、高校一年生のときにとつぜん幼い頃からの婚約を破棄され、兄弟と逢うこともなくなってしまう。 あれから十年、中小企業の社長をしている父親の秘書として結婚から逃げるように働いていた樹理のもとにあらわれたのは…… 幼馴染で初恋の彼が新社長になって、専属秘書にご指名ですか!? これは、両片想いでゆるふわオフィスラブなひしょひしょばなし。 ※ムーンライトノベルズで開催された「昼と夜の勝負服企画」参加作品です。他サイトにも掲載中。 「Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―」で当て馬だった紡の弟が今回のヒーローです(未読でもぜんぜん問題ないです)。

忘れたとは言わせない。〜エリートドクターと再会したら、溺愛が始まりました〜

青花美来
恋愛
「……三年前、一緒に寝た間柄だろ?」 三年前のあの一夜のことは、もう過去のことのはずなのに。 一夜の過ちとして、もう忘れたはずなのに。 「忘れたとは言わせねぇぞ?」 偶然再会したら、心も身体も翻弄されてしまって。 「……今度こそ、逃がすつもりも離すつもりもねぇから」 その溺愛からは、もう逃れられない。 *第16回恋愛小説大賞奨励賞受賞しました*

お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜

Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。 渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!? 合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡―― だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。 「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき…… 《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。