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不毛な協定
不毛な協定(4)
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「静さんはぁ、相変わらずのぉ社畜はんでしたわぁ。お仕事のことで頭いっぱいでぇ、せっかくのんがぁ日頃の感謝の気持ちを込めたチョコを渡したのにぃ、何のことかさっぱり分かっとらんやったんですよぉ…!?」
「そうか」
本当は、そのあと静さんに『明日がバレンタイン』だってこと教えたのだけど、そのことは秘密。
別にあたしがしたことは、包み隠さず話さないといけないわけじゃないもんね。
あたしと彼が去年の今ごろに結んだ“協定”は、一年以上経った今でも継続中。
お互いの利害一致のために手を組んだあたしたちは、時々こうやって“報告会”と称した逢瀬を重ねている。
今のところ姉が結婚したとか、実家から結婚相手を押し付けられるという事態にはなっていない。だけどそうなることは目に見えているから、あたしはとにかく合コンや友人の紹介には積極的に参加していた。
『数打ちゃ当たる』とは言うけれど、たまに“かなりの好物件”と出会えることがある。そして相手もあたしのことを気に入って、二人で会うところまで漕ぎつけたことも一度や二度じゃない。
だけど――。
最初に“好物件”とデートするという話になったとき、セフレとはいえ“協定契約”を結んでいる彼を無視するわけにはいかないと、一応デートのことを報告した。
すると――
『上手くいくといいな』
サラリとそう言われた時、あたしの胸がチクリと痛んだ。
気のせいだ。そんなわけない。
頭の片隅に湧いた考えを振り払うようにデートに行った。
けど、その“好物件”とは上手くいかなかった。キスがど下手だったから。
その次も、またその次も――。
“好物件”とは上手くいかない。キス以上まで進んだ相手もいたけれど、ホテルに入る直前で胸がざわざわして仕方なくて、結局相手の隙をついて逃げてしまった。
あたし、いったいどうしちゃったんだろう。
そんなことばかり考えていた頃だった。
定例となったホテルでの“報告会”。
もつれあうようにベッドに転がって、舌を絡ませ合いながら互いの体をまさぐり、性急な手つきで着ているものを剥がし合って。
巧みな愛撫に焦らしに焦らされた末、しとどに濡れそぼるそこに熱い昂りをあてがわれた時だった――着信が鳴ったのは。
鳴ったのは彼の携帯電話。
仕事関係かと思ったけれど、日曜日の夜九時前。本社も取引先も掛けてくることはめったにない時間だ。
無視して続行するかと思いきや、彼はあたしの上からするりと降り、ベッドサイドのスマホを手に取り、耳に当てた。
少なからずショックはあった。だけど、セフレとの戯れなんかより仕事のほうが大事なのは仕方ない。彼は自分では隠しているけれど上昇志向の野心家なんだもん。
そう自分に言い聞かせていると、電話の向こうに向かって彼が第一声を発した瞬間、あたしの胸が「ドクン」と大きな音を立てた。
『――どうした』
あたしに対して一度も発したことがない、柔らかく、それでいて熱のこもった声。
『ああ…そうだ、田辺産業との取引データはそこに……いや、それ以前のファイルは別の、……そうか……なるほど』
ホテルの一室は決して広いとは言えず、どんなに小さな声で話していても聞き取れる。言葉の端々から仕事のことだと分かる。――なのに、変わらず彼の声は柔らかい。
止せばいいのに、あたしは彼の顔を覗き見た。
どうせ優しげなのは声だけで、顔は繕わない真顔なのだろう――そう思ったのに。
思わず目を見張った。それくらい、彼の顔が甘く蕩けていたから。
しかも次に聞こえた言葉にあたしは自分の耳を疑った。
『……しょうがないな、俺が行くまで大人しくそこで待っていろよ、静』
オレガイクマデ マッテイロヨ――シズ。
それってどういう……
心臓がまるできつく絞られた雑巾みたいにねじれて、息が止まりそうになった。
通話を終えた彼は、『用事が出来た』と短く告げるとその場にあたしを残し、あっという間にいなくなってしまった。
あの時のことを思い出すと、今もまだ胸が軋む。忘れたいのに忘れられない。
『あんな男好きじゃない。好きになるわけない』
ひとり残されたホテルの一室で、まるで自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
両目から溢れ出す涙が妙に生温くて、ひどく体が冷えて寒くて堪らないことに気付いた。
ついさっきまで感じていた、汗ばむほどに高い体温を思い出して、ひどく寂しく思ったことも。
そうしてあたしはやっと気付いたのだ。
ああ……あたし、あの人のことが好きなんだ――って。
「静さんはぁ、相変わらずのぉ社畜はんでしたわぁ。お仕事のことで頭いっぱいでぇ、せっかくのんがぁ日頃の感謝の気持ちを込めたチョコを渡したのにぃ、何のことかさっぱり分かっとらんやったんですよぉ…!?」
「そうか」
本当は、そのあと静さんに『明日がバレンタイン』だってこと教えたのだけど、そのことは秘密。
別にあたしがしたことは、包み隠さず話さないといけないわけじゃないもんね。
あたしと彼が去年の今ごろに結んだ“協定”は、一年以上経った今でも継続中。
お互いの利害一致のために手を組んだあたしたちは、時々こうやって“報告会”と称した逢瀬を重ねている。
今のところ姉が結婚したとか、実家から結婚相手を押し付けられるという事態にはなっていない。だけどそうなることは目に見えているから、あたしはとにかく合コンや友人の紹介には積極的に参加していた。
『数打ちゃ当たる』とは言うけれど、たまに“かなりの好物件”と出会えることがある。そして相手もあたしのことを気に入って、二人で会うところまで漕ぎつけたことも一度や二度じゃない。
だけど――。
最初に“好物件”とデートするという話になったとき、セフレとはいえ“協定契約”を結んでいる彼を無視するわけにはいかないと、一応デートのことを報告した。
すると――
『上手くいくといいな』
サラリとそう言われた時、あたしの胸がチクリと痛んだ。
気のせいだ。そんなわけない。
頭の片隅に湧いた考えを振り払うようにデートに行った。
けど、その“好物件”とは上手くいかなかった。キスがど下手だったから。
その次も、またその次も――。
“好物件”とは上手くいかない。キス以上まで進んだ相手もいたけれど、ホテルに入る直前で胸がざわざわして仕方なくて、結局相手の隙をついて逃げてしまった。
あたし、いったいどうしちゃったんだろう。
そんなことばかり考えていた頃だった。
定例となったホテルでの“報告会”。
もつれあうようにベッドに転がって、舌を絡ませ合いながら互いの体をまさぐり、性急な手つきで着ているものを剥がし合って。
巧みな愛撫に焦らしに焦らされた末、しとどに濡れそぼるそこに熱い昂りをあてがわれた時だった――着信が鳴ったのは。
鳴ったのは彼の携帯電話。
仕事関係かと思ったけれど、日曜日の夜九時前。本社も取引先も掛けてくることはめったにない時間だ。
無視して続行するかと思いきや、彼はあたしの上からするりと降り、ベッドサイドのスマホを手に取り、耳に当てた。
少なからずショックはあった。だけど、セフレとの戯れなんかより仕事のほうが大事なのは仕方ない。彼は自分では隠しているけれど上昇志向の野心家なんだもん。
そう自分に言い聞かせていると、電話の向こうに向かって彼が第一声を発した瞬間、あたしの胸が「ドクン」と大きな音を立てた。
『――どうした』
あたしに対して一度も発したことがない、柔らかく、それでいて熱のこもった声。
『ああ…そうだ、田辺産業との取引データはそこに……いや、それ以前のファイルは別の、……そうか……なるほど』
ホテルの一室は決して広いとは言えず、どんなに小さな声で話していても聞き取れる。言葉の端々から仕事のことだと分かる。――なのに、変わらず彼の声は柔らかい。
止せばいいのに、あたしは彼の顔を覗き見た。
どうせ優しげなのは声だけで、顔は繕わない真顔なのだろう――そう思ったのに。
思わず目を見張った。それくらい、彼の顔が甘く蕩けていたから。
しかも次に聞こえた言葉にあたしは自分の耳を疑った。
『……しょうがないな、俺が行くまで大人しくそこで待っていろよ、静』
オレガイクマデ マッテイロヨ――シズ。
それってどういう……
心臓がまるできつく絞られた雑巾みたいにねじれて、息が止まりそうになった。
通話を終えた彼は、『用事が出来た』と短く告げるとその場にあたしを残し、あっという間にいなくなってしまった。
あの時のことを思い出すと、今もまだ胸が軋む。忘れたいのに忘れられない。
『あんな男好きじゃない。好きになるわけない』
ひとり残されたホテルの一室で、まるで自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
両目から溢れ出す涙が妙に生温くて、ひどく体が冷えて寒くて堪らないことに気付いた。
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そうしてあたしはやっと気付いたのだ。
ああ……あたし、あの人のことが好きなんだ――って。
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