【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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不毛な協定

不毛な協定(5)

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「未だ進捗なし、か」
「そう…みたいですぅ……あっ、でも」

そこで一瞬言葉を止めたら、彼がじっとこちらを見つめた。ハッキリと態度に出すわけじゃないけれど、続きが気になっていることは分かる。

のん・・だって一生懸命ぇ静さんをその気・・・にさせようって頑張っとるんですよぉ?」

合コンに誘っても全然乗ってこない、という“報告”はいつもしてある。だけど、肝心なことをあたしはまだ彼に教えていなかった。

 “静さんと王子がホテルでデートしていたこと”―――だ。


少し前のことだった。
ホテルのレストランで開かれる合コンに参加した時、途中のお化粧直し(という名の作戦タイム)を済ませてレストルームから出たとき、見てしまったのだ。

合コン会場になっているイタリアンレストランよりも、さらにハイグレードな鉄板焼き店から静さんと王子――こと【Tohmaトーマ】の御曹司『当麻聡臣とうまあきおみ』が出てくるところを。

思わず友人の陰にサッと隠れたあたしに彼らは気付くことなく、なにやら会話を交わしたあと腕を組んで、エレベーターの中へと吸い込まれて行った。

急いで見上げたエレベーターの電光表示は『上』。

『鉄板焼きデートの後はスイートルームにお泊りで間違いなし』

あたしの勘がそう言っていた。

あたしたちの“契約”上、本来ならそのことを課長に教えるべきだと思う。実際何度か言おうとしたのだ。

でも言えなかった。

静さんと王子の間に何かがあるとしたら、彼はどう出る?
なりふり構わず奪いにいく?それとも黙って身を引く?

野心家な彼のこと。自社の役員で後継者に逆らってまで、奪いに行くだろうか。出世の為に諦めるんじゃないか。

そう考える一方で――。

『大学の頃から好きだった』、そうポツリと漏らした時の彼の顔がせつなそうで、でも愛おしそうで。

見ているこっちまで胸が苦しくなった。

彼はきっと本当に静さんのことが好きなんだ。
自分の気持ちを抑えてまで、彼女のことを守りたいと思っているんだ。

だったら、静さんが他の男と幸せになるのを黙って見送るかもしれない。
その時彼は、あの時よりもっと悲しい顔をするのかな……。

そんなの、見たくない。


『腹黒のクセにヘタレだからこうなるんだ』

そんな腹立たしい気持ちと、

『他のヒトを想って悲しむ彼を見たくない』

という気持ちが交差して、複雑な心境のまま二週間近くそれを言えずにいた。

悶々とするのに疲れたあたしは、今日《・・》彼に本命チョコを渡して脈がなければ、静さんと王子のことを報告して、彼との関係を終わりにしようと思っていたのだ。

ううん。脈がないことは最初から分かりきっている。

どんなにあたしが彼の目の前で合コンの話をしても、たとえ王子に気のあるそぶりを見せても、彼は何の反応も示さなかったもの。
むしろ、「頑張れよ」くらいの前向きな応援すらあった。

彼のことを“腹黒”だ“ヘタレ”だなんて皮肉っているくせに、彼なんかよりずっとあたしのほうが “腹黒”で“ヘタレ”なんだ。

結局あたしは誰かの“一番”になんてなれっこない。

そう思ったら、もうどうでもよくなった。


「あのぉ、課長ぉ……」

おずおずと呼びかけると、彼は「ん?」とこちらを向く。

「あの……実はぁ……そのぉ……」

何と切り出そうかとまごまごしていると、彼が「どうかしたのか?森」と首を傾げてあたしの顔をのぞき込んで来た。

間近に来た綺麗なアーモンドアイに、うっかり頬が染まりかけたあたしは、それを隠すようにうつむいた。

しもーた…!今日こそ言うって決めとったくさ…!
〈しまった…!今日こそ言うって決めてたのに…!〉

またしても言い出すタイミングを逃しそうになって慌てた時、頭の上にポンと重みを感じた。

(あっ……)

頭の上に乗った温かくて大きなものが彼の手だと気付くのに、まばたき三回分もかかった。

「……っ、」

気付いた途端、カーっと熱くなった顔を上げられない。うつむいたままのあたしに、彼は言った。

「本当は、欲しいものがあるんだろう…?」

――え?

下を向いたまま両目を見開く。
いつのまにあたしは頭の中のことを口に出したのかと驚いた。だけど―――。

「バレンタインのお返し。遠慮なんてしないで好きなものを言ったらいい。社交辞令じゃなく、本当に奮発するつもりなんだぞ?おまえにはずいぶん世話になっているからな」
「や…、その……」
「なんだ?俺の給料の心配か?」
「えっ……そんなわけや、」
「まあ、今すぐじゃなくていい。欲しいものをホワイトデーまでに言ってくれ」

――欲しいのはあなただけ。

その言葉が喉元まで込み上げた時、頭の上に乗せられていた大きな手がぽんぽんと二回跳ねた。

「おまえは俺の可愛い部下で、大事な協力者だからな」


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