転生遺族の循環論法

はたたがみ

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第1章 民間伝承研究部編

観測少女の修学旅行6

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 朝は静かだ。まずそもそも人が少ない。仕事や学校が始まる前の世界を、五月蝿いとは思わない程度の雑音が満たしている。ビルの屋上から双眼鏡を覗き込んでいた成にとっても、その静けさは心地よいものだっただろう。寒さはまた別の話だが。

「あの辺りかしら」

 成の仕事は既に始まっている。しかし電源の切られた携帯電話も観光地ばかりが載せられたパンフレットも、今の彼女にとっては頼りにならない。一方高い建物はその仕事を助けてくれるありがたい存在だった。何を隠そう視界は広まり障害物は少なくなる。
 尤も成の仕事が円積問題むりなんだいなのは変わらないが。

「『昨日今日で役所に忍び込め』ってのがお姉様たちでも流石にキツいのは分かるんだけど、動き回る個人をソロで見つけるのも大概じゃない?」

 せめて住所だけでも知りたかった。待ち伏せしたとしても必ず成功するとは限らないが、知っているだけでも後々使い道があるからだ。
 微によると、カンナは十彩駅まで自転車で来れるぐらいの範囲に住んでいるらしい。小学生が自転車を漕いで来れる距離――半径が積み重なるのはうざったいものの、町内を全て巡るよりもずっとマシになるだろう。

「電車とかバスじゃないのが救いか。あ、太陽」

 遅刻魔な冬の夜明けが本番を迎えたようだ。目線を合わせた低い太陽の光が、成の目に突き刺さる。ビルの壁に塗りたくられていく。暗いと思える時間が間もなく終わってしまう。

「そろそろ起きる頃かな。起こしに来るだろうな、先輩だったら。そして私がいないことに気づき……やめよう。先輩に本気で探し回られるとか考えたくない」

 おそらく初めて来たであろう町で微が成の居場所を突き止める確率は低い。しかし手当たり次第な捜索であろうとも、微ならば常人より数段早く見つけてくるだろう。あまりのんびりとはしていられない。

 すぐ隣に、丁度よい高さのビル。
 成は荷物をリュックにまとめて背負い、数歩ほど後ずさった。助走をつけるにはこの程度の距離がちょうど良い。地上だと移動が手間がかかる。痕跡を残したくないので人に訊ねる予定も無い。ならば降りる意味はない。

「捕まる前にさっさと終わらせないと。山梁橋も行かなきゃだしっ!」

 頭が冴える前の町の中、ビルからビルへ飛び移る少女の姿は誰も見なかった。



「成ぢゃああああん! どご行っだのおおおおお!!!」
「ええい朝から鬱陶しい。泣くか叫ぶかどっちかにしろ」

 隣の部屋も鳩高の生徒だったことが不幸中の幸いだろう。一般の客とトラブルにならずに済む。

「カンナぢゃああん! 成ぢゃんはどごおおお!」
「知らんな。朝食が待ちきれなくて先に下へ降りたんじゃないか?」
「いや、見てきたけどいなかったよ。それに成ちゃんだったら朝食が待ちきれなくなるのを昨日の内に想定してコンビニで軽食ぐらい買ってそうだし」
「急に落ち着くな気持ち悪い。ていうかお前寝巻のまま降りたのか? さっさと着替えろ」

 カンナは微が逃げないように服を掴むと、ベットに座らせ片手で器用にボタンを外し始めた。微は借りてきた猫のように大人しく、寝巻きを剥ぎ取るカンナに対して抵抗するそぶりも見せない。
 彼女のスーツケースを漁ると、制服が丁寧に折り畳まれて詰め込まれていた。おそらく微が詰めたものではないだろう。

「今日の分の服はこれでいいのか?」
「うん。基本的に制服で行動するようにって担任の先生から言われてたから」

 抵抗はしないが、手伝いもしなかった。彼女の姿勢やポーズが多少服を脱がしにくいそれであろうとも、カンナが何とかしろと言っているようだ。
 カンナは唇を尖らせつつも淡々と微の上下共に脱がせ終わると、制服をスーツケースから取り出し広げた。

「流石に着るのは自力でやれ。そもそもよく考えたらわたしが着替えさせてやってるのはおかしいだろ」
「ああ、そういえばそうだったね。思い出したよ」
「分かったのなら早くしろ」

 カンナとて制服に袖を通したことはある。それどころか週の7分の5は制服に身を包んで暮らすことを求められている。彼女が通う学園小等部の制服と微のそれとでは他校の制服故の差こそあれども、どのように着ればいいかは分かるぐらいには共通点が存在していた。
 だからこそ分かる。要領が悪い。毎日誰かに着せてもらっているのかと思うほどに手が覚束ない。

「おい、流石に遅すぎやしないか?」
「じゃあカンナちゃんはできるの?」
「無論だ」

 嘘も見栄もカンナは持っていない。仮にカンナが微の体を乗っ取って乗り物よろしく動かすことができたなら、彼女の半分の時間で着替えを済ませてみせる自身があった。

「それならその場で説明してみせてよ。身振り手振りで」
「随分面倒な頼みだな」
「いいから。早く」

 引き受けると面倒な人間と断り続ける方が面倒な人間、その区別がつくくらいには少女は賢かった。

「はあ、いいだろう。よく聞け、まずシャツのボタンはこのように――」

 歳が一桁の頃に覚えた所作をこなしていく。

「――と、これでボタンが留められる。理解したか?」
「なるほど。こんな感じか」
「なんだ、できるじゃないか」

 1番上のみだったが、確かにボタンが留められていた。相手は高校生なのだから特段驚くことでもないのだが。

「助かったよ。お手柄だね」
「大袈裟だ」
「そんなことないよ。君のおかげでボタンの留め方が分かった。これでもう誰かに手伝ってもらわなくても大丈夫。だからお手柄。褒めてあげる」
「今まで誰かに手伝ってもらっていたのか……」

 カンナは思わず顔を引き攣らせるという大罪を犯してしまったが、同時に心の中で自分の無罪を訴えた。瓜二つの顔をした裁判官も微が悪いという主張を全面的に支持し、地球上では数秒しか経過しないうちにカンナの裁判は幕を閉じた。

「ちなみにカンナちゃん」
「ん? 何だ?」

 微がベッドの上に放られた布の塊を拾い上げる。

「このスカートとブレザーってやつはどう着ればいいの?」

 寝巻きが床に捨てられたホテルの一室、服を着る所作をするカンナの姿は、同室の少女以外誰も見なかった。
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