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三章 地区管理局でお仕事
三話
しおりを挟む「歌手になるために何もかも捨てたの」
夫も子供も家も何もかも。自分のやった事に悔いは無いけれど、子供のことだけが心残りだった。
「この街に来て私の坊やに会ったわ。私を探しに来ていたの」
ジェーニャはそう言って涙ぐんだ。
「七斗にも会わせてあげるわ」
俺はジェーニャと一緒にその子に会いに行った。
「ほら、あのホテルに泊まっているの」
ジェーニャの示すホテルから背の高いスラリとした金髪の男が出て来た。
「え……? あれが?」
「私の坊やよ。名前はキリルというの。まだ高校生なの」
高校生と言われてもう一度よく見ると、体格はいいけれど、顔にはまだ幼さが残っている。ジーンズにTシャツ姿でバッグを背に歩き出した。
「今日帰るらしいの。でも、会えて良かったわ。私のことも探しに来てくれて……」
ジェーニャは涙ぐんで息子の方を見ている。
「これで思い残すことなく、お仕事に精を出せるわ」
俺はジェーニャにかける言葉も無くて、その肩に手を置き金髪の少年が立ち去ってゆくのを一緒に見送った。
しかし、キリルにはもう一度会わなければならなかった。
ジェーニャは今日は仕事が入っていないと言うので街を案内してもらったが、途中でなにやら柄の良くない連中が旅行者らしき人物を脅しているのに出くわした。
「あれは?」
「ああ、外国人が来ているのが気に食わない連中がいるのよ」
ジェーニャは両手を広げて溜め息を吐いた。俺たち死神は人から見えるわけじゃないし、何の影響も与えられない。何も出来る訳じゃない。
空の上から街を見れば綺麗だけれど、地上に降りれば様々な考えの人が居て、様々な暮らしがあった。人はそこで生き、笑い、悩み、苦しんで、何時か俺たちの手であの世に送られる。ならば俺たちはご苦労様と言って、優しくあの世に送ってあげられたらな。そんなことを考えていたら近くで爆発音が響いた。
「何があったのかしら」
ジェーニャが不安そうな顔を向けた。
「行ってみよう」
先ほどのジェーニャの息子キリルが泊まったホテルの方角から、聞こえてきたような気がする。俺たちは空に舞い上がった。黒煙が吹き上げている。何があったんだろう。
ジェーニャとともにそこに駆けつけた。地下鉄の駅から黒煙が吹き上げているようだ。野次馬が取り囲んでいるが誰も近づけない。
「火事だ!!」
「放火か!?」
「いや、爆発物を誰かが投げ入れたらしい!」
舞い降りたジェーニャが悲鳴を上げた。
「この駅は坊やが乗る電車が出る駅だわ!! まだ電車は出ていないんじゃ……。おお、なんてこと!!」
ジェーニャはもうもうと黒煙の吹き上げる駅のエスカレーターをドスドスと駆け下りてゆく。俺も後から追いかけた。
「可愛いキール!! 私の坊や!!」
シェルターも兼ねているとかいわれている地下鉄は、深い深い地下にあった。長い長いエスカレーターを駆け下りてやっと広いホームに着いた。
ホームに爆発物が投げ入れられたのか、天井が吹っ飛んで落ちた瓦礫が通路を塞いでいた。火の手はさほどでもないがホームには煙が充満している。人がそこここに倒れていた。
落ちたシャンデリアや、大理石の壁を潜って、ジェーニャは必死になってキリルを探している。やがて煙に巻かれて身動きが取れなくなっているキリルを見つけた。
「ああ、このままじゃあ坊やが死んでしまうわ。助かっても酷い後遺症に……。坊や」
俺たちは死神で人には見えないんだ。触ることも出来ないし話も出来ない。このまま手をこまねいて見ているのか。しかし、まだ仲間の死神は来ていない。俺はそのことをジェーニャに言った。
「きっとキリルは助かるよ。そうだ、ジェーニャ。歌だ!」
「歌……?」
涙にくれたジェーニャがキリルの側で顔を上げる。
「きっと聞こえるよ。あの子に歌った事はないの?」
「ああ、そうね。子守唄なら……」
ジェーニャは涙を拭って必死になって歌い出した。くぐもってしまう声を張り上げキリルに向かって呼びかけたんだ。
『坊や、いい子ね、泣かないで──』
「起きてキール……」
キリルが身動ぎする。
『どうしたの。何があったの。私に教えて御覧なさい』
「キール……、起きて頂戴」
煙で煤けた顔を上げた。不思議そうに周りを見ている。
『この世は悲しみに満ちているかしら。それとも喜びに──』
「立って……キール。ほら、こっちよ」
手をついてヨロとよろめいた。ジェーニャが悲鳴を上げる。涙をぽろぽろ零してまた歌いだした。
『あなたの幸せの数を探して御覧なさい』
「キール……、立って、歩いて……」
キリルはもう一度手をついてゴホゴホと咽た。手をついたままでヨロとジェーニャのほうに這って行く。
「そう、キール。こっちよ、頑張って」
『そしてその顔を微笑みにかえて。そう、笑うことが一番のお薬──』
ジェーニャの歌声の方に向かってキリルはズルズルと這って行った。
「こっちだ! 出口があるんだよ」
瓦礫の中をキリルを誘導する。ジェーニャの歌声が聞こえるのか、キリルは歌声に向かって手足を動かした。やがて、瓦礫を何度か避けてやっと煙が薄いところに這い出た。
「もう大丈夫よ、坊や」
ジェーニャはキリルの髪を撫でるようにして小声で歌っている。キリルは苦しそうな息の下から小声で呟いた。
「かあさん……」
「キール……、私の坊や」
ジェーニャは抱き締められない手と身体でキリルを包み込むようにして泣いた。
救助隊が来たのはそれからしばらくしてからだった。酸素吸入器を宛がわれて担架に乗せられ、キリルは病院に運ばれて行った。
「大丈夫かな?」
「ええ、七斗のお陰だわ、ありがとう」
キリルの側から離れないジェーニャを置いて、俺はそっと病室を出たんだ。
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