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二章 死神養成学校
八話
しおりを挟む「悪かったな」
半魚人が横柄な態度で謝ってきたのは、次の日の語学の時間だった。緑のピラピラの髪。顔を上げてあらぬ方を見ている。
でも、こうして言葉が通じたという事は、真剣に謝りたいと思っているんだろうな。
「いいんだ」
俺はアロウとのことがショックで元気がなかった。俺は頑張りたいけど、アロウにとってそれは迷惑な事なのだろうか。死神になるのを止めてどうすればいいというんだろう。
「ヴァルファに取り成しを頼む」
半魚人は相変わらず向こうを向いたままで言った。
「俺で出来るなら」
「私は死神になりたいのだ。あの男を怒らせると、なれないと聞いた」
「アロウを……?」
アロウは怒っていたけれど、それは海の中に行けない俺の所為じゃあないのか。こいつに足を引っ張られても、死神になるならやり返せるぐらいでなくては。アロウにいつまでも助けてもらっているようではアロウにとって迷惑なんじゃないだろうか。俺の意識は何処までも落ちて行く。
まだ向こうを向いている半漁人に俺は聞いた。
「あんたは何で死神になりたいんだ」
「私の好きな女はセイレーンなんだ。私は彼女に幻惑され、彼女の腕で息絶えた。死神になればまた会えると志願した」
「会ってどうするんだ?」
「分からない。私は彼女を愛しているのか、憎んでいるのか……」
半魚人は暫らく向こうを向いていたが、やおら俺に向きを変え罵りはじめた。
「だから、お前のような軟弱者は鼻に付いたのだ。お前のような軟弱者に頼みたくはないが仕方がない」
そう言ってまたぷいと向こうを向いた。人にものを頼むのに偉そうな奴だよな。
「お前さ……」
「お前ではない。私には名前がある。ポポーリョという」
この半魚人はどうも意地っ張りらしいと気が付いた。
「ポポーリョ…、俺は七斗」
半魚人は向こうを向いたまま頷いた。
* * *
「どうしたの七斗。水中歩行術はその内出来るようになるわよぉ。それよりヴァルファ様は? 紹介してって言ったのにー」
鬼のロクが俺の背中をバンバン叩いて言った。俺はよろめいて前を歩いていたユーシェンにぶつかった。ユーシェンが大丈夫かと俺を抱きとめる。
「ゴメン。忘れてた」
「いいわよー。時間あんまりないんでしょう。ヴァルファ様ってお忙しい方だから」
「そうなのか」
アロウは忙しくて俺にかまっている暇がないからもう止めろと……? いかん…、何を聞いても落ち込んでしまう。
「忙しさにかまけて、恋人を放って置くなど言語道断です。七斗はあんな男をきっぱりと諦めて新しい出会いを探したらどうですか」
まだ俺を抱きとめていたユーシェンが、さらに抱き寄せて俺に囁きかける。
「お前はもう浮気をするつもりか! ヴァルファ様に言いつけてやる!!」
後ろから天使のオセが指を突きつけ、羽をバサバサと振るわせて喚いた。
あれから湖に行くのが怖くて、一人で自習していると、目の前にバサと羽音がして黒い像を結んだ。
「九朗!」
「元気か七斗」
黒い髪の妖艶な男はニンヤリと俺を見下ろして笑った。
「そうでもないけど」俺が元気なく答えると、
「あいつの機嫌が悪くて困る」と九朗が言う。
「どういうことなんだ?」
「うーん。まあいいか、試してみようか」
九朗は謎のようにそう言って、俺の体に手を掛けた。顎を持ち上げられて、ちょっと待てと手を突っぱねた。九朗はお構いなしに俺を押し倒そうとする。
「何するんだよ!」
押し倒した俺の上に乗りあがって、九朗は俺の服を引き剥がしにかかった。俺はジタバタしたが到底敵わない。上着の中に手を入れられ乳首を捏ねられてヤバイと思った。体が言うことを聞かない。俺の所為じゃなく。
呼んではいけないと思った。
アロウにこれ以上迷惑をかけたくない。忙しいのに……。
九朗の手が俺の下半身に伸びてくる。
アロウを呼んではいけない。でも、そう思っているのに、気が付いたら叫んでいた。
「アロウ───!!」
「九朗!」
アロウの声が聞こえて、チェッと九朗は舌打ちをした。
「もうちょっと、前か後に呼べばいいのに」
九朗はバサと羽ばたいてとっとと逃げてゆく。
「もっと早く呼ばないか」
アロウが紫の瞳を心持怒らせて言った。
「えっ? どういうことなんだ」
「お前が強く呼ばなければ私は来れない」
「えっ?」
「お前は私を呼ばないから、私は必要ないのかと思った」
「そんな、だってだってあんたは忙しいって。あんたは偉い人だって。だから俺は知らず知らずの内に遠慮して」
「何で遠慮をする。お前がアロウと呼ぶ以外、誰が私のことをそう呼ぶ。お前に呼んで欲しくて教えたのに」
「アロウ……」
着ているものが邪魔だった。そのまま二人、まるでものすごく飢えていたかのように抱きあった。
激しく揺さぶるアロウにしがみ付きながら俺は聞いた。
「アロウは俺のものなのか?」
「七斗は私のものだぞ」
すれ違いのようなその言葉でさえも、二人を燃え上がらせる媚薬にしかならなかった。
一応の体の飢えを満たしたアロウの腕の中、見上げる紫の瞳の中に嬉しげな俺の顔がある。
「俺さ、水の中が怖いんだ。でも、あんたがいたら大丈夫かな。一回だけでいいから手伝ってくれる?」
「分った」
アロウは俺を湖に連れて行って、先に水の中に入った。俺も後から追いかける。
揺らぐグリーンの湖水の中にアロウがいる。
湖面から落ちてくる鈍い光に時折銀の髪がキラリと光る。泳ぐように揺れる髪、人形のような顔、紫の瞳が俺を見ている。
「アロウ……」
水を掻き分けるようにしてアロウのところに行こうとするとスイッと逃げた。逃げられるのが嫌で遮二無二俺は追いかける。
「アロウ……」
ジタバタと手を動かして藻掻きながら、何とかアロウの側に行きたいと必死になって追いかけた。纏わりつく水を掻き分ける。銀の髪をなびかせて自在に水の中を逃げるアロウ。まるで綺麗な人魚か魚のようだよな。
俺の手に届かなくても、俺の手に捉まえられなくても、俺はずっと、ずっと、ずっと、あんたをこうして追いかけるよ──。
何度か逃げたアロウが、やがて俺の方を向き、薄く笑って両手を広げた。
「アロウ……」
俺はアロウの腕の中に飛び込んだ。泳いでいた湖の魚がスイッと跳ねて逃げて行った。アロウに抱きついたままで笑った。
「ありがとうアロウ。こんなのってえこひいきだよね」
アロウはただ俺を抱いている腕の力を少し強くしただけだった。
「早く来い、七斗」
そう言って唇を重ねた。透き通ったグリーンのゆらゆら揺れる水の中、何度も何度も口づけた。
水中歩行術は完璧だった。中級コースは終わり、俺たちは上級コースへと進んだんだ。
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