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二章 死神養成学校

九話

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 上級コースでは空を飛ぶ、つまり空中飛行術を学ぶ。俺はアロウと一緒に飛びたいと思っていたから、わくわくして授業に望んだんだ。


「無念、無想、無の境地で、空に浮かんだ自分を思い描きます」
 エイファ教官がそう言って、俺たちはトランポリンに乗ってポーンポーンと空中に浮かび上がったんだがすぐに落ちてしまう。

 何でだろう。心を空にしているつもりなのだが──。
 俺は水の中でも溺れそうになったし、下界の垢が濃く付いているのかな。言葉はほぼ完璧だが、空を飛べないことには死神にはなれない。

 アロウとはじめて会った時、俺は宙に浮いていた。その時、俺は自分が何処にいるか分からなかった。俺が知らなかったから浮いていたんだろうか。無意識だったら浮かべるけれど、浮こうとすると落ちてしまうんだろうか。


「ほら七斗、仙人草をもっと食べて」
 そういうロクも浮かぶ事が出来ないでいる。
「ここまでは順調だったが……」
 ロクの隣に座ったユーシェンが憂鬱そうに呟く。心持俯けた顔に黒髪がはらりと散って、顰めた眉に影を落とし余計に憂鬱そうに見える。

 オレの右隣にはおばさんのジェーニャがいて、いつもはコロコロと笑っている彼女も、今は頬杖ついて吐息を吐いている。

「あんたは飛べないのか?」
 左隣にいる半魚人のポポーリョに聞くと、彼は緑の髪をピラピラと翻らせ胸を反らせて言った。
「水の中と空気中は勝手が違う。私はこの陸上にいるのも、はじめのうちは苦しかったのだ」

 半魚人のポポーリョは態度のでかい偉そうな奴だ。ためしに
「あんた、随分いい態度だけど、いいとこの生まれ?」と聞くと
「私は王族の出だ」と返事が返ってきた。
「王子様か?」
「そうだ」

 後から聞いた話だが、七つの海にはそれぞれ王国があったが、今は何処も民主国家となり、王は国の象徴としてあるそうだ。陸上も海の中も大差ないらしい。
 天使のオセ以外は誰も飛ぶ事が出来ないで、身体を軽くするために皆でせっせと仙人草を食べている。


 空に飛び上がるために、はじめは大きなトランポリンを使っていたが、なかなか皆が飛び上がれないので、昔の投石器のような発射台に連れて行かれた。

 これでひゅんと空に飛び出すわけだが、でも、やっぱし飛べなくて、失速してズデンと落ちてしまう。発射台は湖に向かって飛び出すようになっているので、落ちると湖の中である。それでも空中から落ちると結構痛いので、俺の体…、いや、俺の魂は傷だらけだ。

 どうやったら空中に留まれるのかな?とか思いながら湖の中をヨロヨロと戻っていると、ユーシェンが落ちてきた。
「うまく行かないね、ユーシェン」
「そうだな、七斗。何かコツがあるはずなんだが」
 ゆらゆら揺れるグリーンの水の中、短い黒髪をたなびかせユーシェンは考え込んでいる。

 顰めた眉、すらっとした立ち姿の甘い二枚目。どうしてこいつが振られたのかな?
「あんた、本当に振られたの?」
 ユーシェンは顰めた眉を解いて俺に近付いた。
「君は可愛いね、七斗」
 ……? ええと、それが俺の今の質問と何の関係があるんだ?

 ユーシェンはなおも俺に近付き、肩を抱き寄せた。俺の顔を覗き込み話しかけようと口を開きかけたので俺がその顔を見上げていると、チョンと唇を啄ばまれてしまった。
 こ、こいつ、すばやい……。

 俺が「何する……」といいかけた途端、怒声が降ってきた。
「お前!! 見たぞ!! 何てことを!! 言いつけてやるー!!」
 天使のオセが俺に指を突きつけて怒鳴っている。一体いつの間にオセは来たんだ。大体オセは飛べるからこの授業を取っていないのに、何でここにいるんだ。

 ユーシェンは俺から離れて両手を広げ首を竦めた。
「こういう訳ですよ」
 ああ、そうか……。ユーシェンは浮気者で相手はユーシェンを見限って裏切ったのかな。じゃあオセはもしかして──。

「オセ、お前本当にアロウ…、ヴァルファが好きなのか?」
 俺に指を突きつけてまだ喚いているオセに聞いた。
「恋に恋していただけじゃあないのか」
 楽園の庄屋の息子はグッと言葉に詰まり、考え込んでしまった。

「美しい天使、考える事はありません」
 ユーシェンはサササッとオセの側に寄り、その肩を抱いた。ぷいと振り切るのをなおも抱き寄せて甘く囁く。
「死の天使という言葉もあります。あなたには似つかわしい。一緒に空を飛びましょう。そして私の敵討ちの手助けを──」
「死神は私情を持ってはいけないんだー……」
 オセは喘ぐように言ってユーシェンの腕から逃れ出た。そのまま金の光を残して湖上へと逃げて行った。ユーシェンはふむと考え込んでいる。

「どう思う? 七斗」
 後ろからロクが聞いてきた。
「やはりそうなのかしら」
 ジェーニャが考え深そうに呟いた。
「あれが真実なのだな」
 ポポーリョが口をへの字に曲げている。あんたら、いつの間に……。
 しかし、どういうことなんだ。


 * * *


「愛の心を持って奉仕してください。死神というお仕事に誇りを持ってください。我々は迷える魂の案内人なのです」
 月に一度の訓示の時間にグラックス校長は厳かに告げた。


「つまり、私情を持ってはいけないってことね」
 訓示が終わった後、教室に戻ってからロクが言った。

「だって、オセは?」
 俺がロクを見上げるとその横からユーシェンが言う。
「オセは、はじめから飛べるからな」

 教室に入って来たエイファ教官が説明する。
「ここでは私情は抑えないと卒業できません。我々は愛の心を持ち、迷える魂の案内人になる方々を育てているのです。もちろん、後で私情を持とうがどうしようが、それは我々の関知しない事です」

 つまり、アロウと一緒にいたいからって思っていちゃダメなのか?
 でも、俺にとってそれが死神になりたい唯一の原動力なんだが……。


「七斗、これ煩悩を落とす百八つの鐘の音のCDなの。これを聞くと煩悩が落ちていいそうよ」
 ロクが何処からか変なものを手に入れてきた。皆でそのCDを聞きながらため息を吐いた。

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