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第5話 ラビリンス・ストロベリー

5-3 現実

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「……え?」

 私は気の抜けた反応しかできなかった。
 あまりにも予想外すぎて、全く頭が追いつかない。
 春日部さんが私のことを好きだなんて、そんなこと信じられなかった。

「どうして?」

 何も考えずに言葉がこぼれる。だって本当に不思議だったから。
 私たちは決して仲が良くはなかった。悪くもなかったけど、良くもなかった。
 私は彼女に心を開いたことはなかったし、深く関わったことだってなかった。

 私たちの関係はあくまで、春日部さんが時折絡んできた時に、少し言葉を交わす程度のもの。
 友情を育む隙間なんてなかったし、お互いを深く知る機会だってなかった。

 もちろん、仲良くなってからじゃなきゃ恋ができないわけじゃない。
 よく知らないからこそ好きになったり、外見や立場、能力に憧れることだってある。
 けれど私は何も持っていない。キラキラと陽の当たる側にいる春日部さんに見とめてもらえるようなものは、何も。
 むしろ私の印象は、常に最悪だったはずなんだから。

 全く、納得できなかった。

「見なくてもわかるよ。カンちゃん、めっちゃ驚いてるよね。それに困ってるよね。ごめん」

 春日部さんは顔を伏せたまま、小さな声でそう言った。
 私の手は放さないままに。

「でもさ、嘘じゃないんだよね。冗談でもないし。本当なんだ。アタシはずっとずっと、カンちゃんのことが好きだったんだ」
「…………」

 何て言ってあげればいいのか、わからなかった。
 こんなこと初めてで、どう言葉をかけることが正解なのかわからなかった。
 そんな戸惑いすらも春日部さんは承知のようで、繋ぐ手がぎゅっと握られた。

「わかってる。カンちゃんの答えは。わかってるんだ、アタシ。だからずっと言わなかったんだから。本当はこれからだって言わないつもりだった。けどさ、さっきも言ったけど、最近迷ってて。それでごめん、言っちゃった」
「謝らなくても、いいけど……」

 絞り出した言葉は情けなく、どことなく偉そうで。
 自分の愚かしさが嫌になった。

「カンちゃんには好きな人がいる。アタシ知ってるから。だから……諦めてはいなかったけど、でも受け入れてた。アタシはカンちゃんとは結ばれないって」
「…………」
「カンちゃんの気持ちだって、すっごく大きいもん。それをアタシなんかがどうこうできるものじゃない。しちゃいけないって、わかってる。だっておんなじ、恋する乙女だからね」

 そう言って、春日部さんはようやく頭を動かして、伏せた姿勢のままにこちらに顔を向けた。
 切ない笑顔を浮かべながら、けれどどこか私を労るような目をして。

「ガールズ・ドロップ・シンドロームになって、異能力を持っちゃう程の恋。アタシにそれを邪魔できるわけないもん」
「春日部さん。一体、どこまで知って……」

 彼女が私のことを好きだという衝撃も去ることながら、その口振りがとても引っかかった。
 私が異能力を持っていることを知っているのは別におかしくないけれど。
 でも春日部さんは、そのきっかけをまるで知っているような……。

 私の質問に、春日部さんは目を伏せた。

「全部知ってるよ、って言いたいとこだけど。流石にそこまでは。でも、カンちゃんの好きな人は知っている」

 そう、ゆっくりと言った春日部さん。
 その指がじっくりと、存在を確かめるように絡まりを強める。

「カンちゃんは、香葡かほ先輩に恋してるんだよね。オカルト研究会の先輩、神里かみさと 香葡かほさんに」
「っ…………」

 その口から飛び出した名前に、私は息を飲んだ。
 春日部さんと香葡先輩の話をしたことは一度もない。
 彼女のことだから、先輩の存在くらいは知っていてもおかしくはないけれど。
 でも、私たちの関係、私の気持ちを知っているのはどう考えたっておかしい。

 けれど私がその疑問を尋ねる隙を、春日部さんは与えてくれなかった。
 再びこちらへと目を向けて、そのまっすぐな瞳で私を貫く。

「カンちゃんが香葡先輩のこと、すっごく好きで、大好きでしょーがないの、知ってるよ。アタシじゃ全然敵わないくらい、二人がすっごく仲がいいこともね」

 言うと、春日部さんは体を起こした。
 握る私の手を両手で包んで、自らの方に引き寄せる。
 私はされるがまま、机の上に腕を乗っける形になった。

「そんな二人を見てて、悔しーって思ったよ。アタシがカンちゃんの隣にいたいって。でも、香葡先輩といるカンちゃんがあんまりにも幸せそうで。香葡先輩に甘えるカンちゃんが可愛くて。見てるうちにアタシ気づいたんだ。カンちゃんは、香葡先輩がいるからカンちゃんなんだなって」
「…………」
「アタシがもしカンちゃんを奪っても、きっとそれはちょっと違うカンちゃんになっちゃう。そう思った。アタシは、香葡先輩のことが好きなカンちゃんが好きなんだって、気づいたんだ」
「………………」

 人から自分がどう見えているかなんて、考えたことがなかった。
 でも春日部さんから見たら私は、それほどまでに香葡先輩にベッタリだったということだ。
 恋をする彼女が受け入れてしまうくらいに。
 確かに、私にとって香葡先輩は全てだ。

「だからアタシはね、カンちゃんの友達でいるだけで満足することにしたんだ。せっかく同じクラスだし、お喋りできるだけで楽しいし。ちょっとうざかったかもだけど、だからいっぱい話しかけちゃった」

 彼女の過剰なまでの私への構い方は、そういうことだったんだと納得させられる。
 話し相手としてあまりにも素っ気ない私に、ああも絡み続けてくるのは彼女だけだった。
 孤独な人に手を差し伸べようとする善人だって、私にそう何回もは近寄ってこなかった。
 私が誰とも、別に一緒にいたいと思っていなかったから。

「ずっとそれでいいと思ってた。それで幸せだった。毎日楽しかったんだよ、アタシ。でも最近、なんだかむしょーに不安になっちゃって。このままでいいのかなって。これでいいのかなって。何かおかしいんじゃないのかなって」
「な、何が、そんなに……?」
「カンちゃんが、だよ」

 ボソボソとこぼした言葉に、春日部さんは悲しそうな笑みを浮かべた。
 不安というよりそれは、どこか恐れを抱いているような、不安定な笑み。

「今学期に入って、カンちゃんが活動を再開したのを知ってさ。アタシすっごく驚いたんだけど、でもとっても嬉しかった。頑張ってるカンちゃんは格好いいからね」

 ただね、と春日部さんは続ける。

「そんなカンちゃんを見てて、すっごく不思議なこともあって。実際いろんな子のこと助けてるみたいだし、でも変というか、不思議というか……。なんていうんだろ、腑に落ちなくて」

 春日部さんの言葉の雲行きが悪くなっていくにつれて、私の心臓がドクドクと鼓動を強めていく。
 正直聞きたくはなかったけれど、逃げるわけにはいかなかった。

「ねぇ、カンちゃん。カンちゃんは、研究会の部室で、何をしてるの?」
「何って、普段は別に、特には、何も……」

 春日部さんの不意の問いに、私はぎこちなく答える。
 部活動として特に何もしていないことは褒められたことじゃないけれど、でも事実だった。
 私たちオカルト研究会は、まともな活動を一切行っていない。
 そんな答えに、春日部さんは首を横に振る。

「そういうことじゃなくって。カンちゃんが、ガールズ・ドロップ・シンドロームに困ってる子たちを助けてる時だよ。そういう時、カンちゃんはあそこで何をしてるの?」
「そんなこと言われても……。どうすればいいか、考えたりしているくらいで……」
「どうやって?」

 ゴニョゴニョと答える私に春日部さんは食いつくように言った。

「カンちゃんはいつも、どうやって考えをまとめてたの?」
「な、何を、言って…………」

 春日部さんの言葉が全く理解できなくて、私は意味もなく首を横に振る。
 そんな私を彼女は逃してくれず、また目を離してもくれなかった。

「アタシね、香葡先輩が好きなカンちゃんのこと、好きだったよ? 香葡先輩といる時の幸せそうなカンちゃんが好きだった。だからこそ、自分の気持ちに蓋だってできたし、報われないことを受け入れられた。でも、今のカンちゃんはなんか、違う気がする。そんなカンちゃんを見てたくないよ、アタシっ……!」

 強く、強く手を握って、春日部さんの声にはどんどんと力がこもっていく。
 さっきまでの悲しげな雰囲気はそこにはなくて。
 必死に、切実に、自分の気持ちをまっすぐに私に向けてくる。

「だったらアタシ、やっぱりアタシを選んで欲しいよ。香葡先輩じゃなくて。忘れろとは言わないけどさ、アタシを見てほしいって思っちゃうよ。今ここにいるアタシを。だって────」

 今すぐこの手を振り払って、この教室から出て行きたい。
 でも触れ合った手は、握り合った手は、彼女の想いと同じように強く絡み合って放れない。

「だって香葡先輩は、もう半年も前に、死んじゃったんだから!!!」
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