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第5話 ラビリンス・ストロベリー

5-2 横恋慕

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 春日部かすかべ 苺花いちかは私のクラスメイトだ。
 去年、一年生の頃もそうで、以降彼女は何かにつけて私に声をかけてくる。
 私に友達はいなくて、彼女のことをそうだと思ったことはないけれど。
 春日部さんはいつだって、一人静かに過ごしている私に、必要以上に絡んでくる。

 それが日常だった。煩わしいし、やめてほしいと思う時もある。
 私は好きで一人でいるんだし、性格的に合わない春日部さんを億劫に思うことも少なくない。
 けれど彼女は一度だってめげたことはなく、私がどんなにおざなりに振る舞っても、いつだってにこやかに近寄ってくる。

 そんな彼女への苦手意識はきっと、なくなることはないんだろうけれど。
 でもいつしか、そんなに鬱陶しくは思わくなっている自分がいた。
 自ら意識的に関わろうとは思わずとも、近寄ってくる春日部さんをあまり嫌だと感じなくなっていた。

 それは私の傲慢なんだろうか。私は嫌な人間なんだろうか。
 自分から仲良くするつもりはないけれど、構ってほしいなら少しくらいは相手をしてあげる。
 そんな風に見えてしまっているんだろうか。

 人間関係が苦手で、他人とコミュニケーションを取るのが苦手な私には、それすらもわからない。
 けれど春日部さんは、それでも私に明るく話しかけてくれる。
 それはいつだって、ずっと変わらないんだ。

 八月。夏休みが半分ほど過ぎた十四日の朝のこと。
 私は最近、以前からよく一方的に送られて来ていた春日部さんからのメッセージが、しばらく来ていないことに気がついた。

 一年生のはじめの頃だったか、半ば強引に交換させられたチャットアプリの連絡先。
 私から連絡を取ることはほとんどなかったけれど、春日部さんは頻繁にメッセージを送ってきた。
 こちらからの返信は、正直まともにしていなかった。無視こそしなかったけれど、多分とてもそっけない内容だった。
 けれどそれも彼女はめげず、一年以上の間ずっと連絡はき続けていた。

 けれど、思えばもう一ヶ月近く何のメッセージも届いていなかった。
 私には友達がいないので、春日部さんからの連絡がなければ、スマホはほぼ着信音を鳴らさない。
 あまり気にしていなかったけれど、夏休みに入ってからというもの、本当に静かな日々だった。

 そう思っていたから、とでもいうようにスマホが音を立てた。
 見てみれば案の定というか、やっとというか。それは久しぶりの春日部さんからのメッセージ。

 ただ、いつもとは違った。彼女のメッセージはいつもガチャガチャと、何回にも分けて騒がしく届く。
 けれど今届いたのは一件だけ。しかも書かれていたのはほんの一言だけだった。

『助けて』

 すぐに返信をしても、通話機能を使っても全く反応がなかった。
 私はこれ以外に彼女の連絡先を知らなかったし、SNSで近況を調べたりすることもできないし、もちろん住所だって知らない。
 これ以上、何をすることもできない。ただ続きが来るのを待つことしかできなかった。

 彼女のことを日々気にかけているわけではないけれど、流石にヤキモキさせられる内容だった。
 お昼頃まで待っても何のリアクションも返ってこず、どんどんと不安が募っていって。
 どうしようもなくなった私は、お昼ご飯もそこそこに制服に着替え、学校に向かうことにした。

 夏休みに入ってからも、私はほぼ毎日学校に通っていた。
 オカルト研究会はそもそも活動をしっかりしていないので、休み期間に集ってすることは特にないけれど。
 でも他にすることもないし、部室にいると落ち着くから。

 ただ、帰宅部の春日部さんが夏休みに学校にいるとはあまり思えなかった。
 でもそこくらいしか私たちに繋がりはない。
 けれど交友関係の広い彼女なら、学校にいる誰かしらが何か情報を持っているんじゃないか、という思惑はあった。

「やっほー! カンちゃん、来てくれたぁー!」

 春日部さんは教室にいた。
 それも私たちの二年二組ではなく、去年を過ごした一年二組の教室に。

 学校に着いてから、私は校内のいろんなところを練り歩き、彼女の姿や手がかりを探した。
 けれどまさか、自分たちの教室や学年に関わりのないところにいるとは思わず、発見までに時間がかかってしまったのだった。

「……。どうして、返事しなかったの?」
「ごめんごめーん。なんていうか、カンちゃんに心配してほしかった、のかな?」

 カラカラといつも通りの明るい笑顔を浮かべる春日部さん。
 そんな彼女が座る椅子の前の席に、私も腰を下ろした。

「この教室、懐かしーよね? でもさ、なんか全然違う感じもするし。不思議だよねぇ」
「春日部さん、何かあったの? あれ、どういう意味?」

 呑気に思い出話を始める春日部さんに、私は単刀直入に尋ねた。
 そんな私に彼女は、「楽しくお喋りしよーよ」と唇を尖らせて。
 けれどその目はとても静かに揺れていた。

「カンちゃんにね、助けてほしくって」
「助けるって、何を?」
「ガールズ・ドロップ・シンドロームだよ」

 相変わらず笑顔を浮かべながらそう言う春日部さん。
 その手のことだろうとは思いつつ、でも驚いてしまう。
 明るくさっぱりとした性格で、誰とでも仲良く、交友関係がとても広い春日部さん。
 そんな彼女は恋愛にも積極的に見えるし、叶わぬ恋のような重い恋愛をするようには思えなかった。

 私のそんな感想を読み取ったのか、春日部さんははにかむ。

「ちょっとぉ、アタシだってねぇ、真剣に熱烈に恋をしたりするんだぞぉ?」
「ご、ごめん……」

 流石に失礼だったかと反省すると、春日部さんはにこやかに笑った。
 けれどその笑顔が引いた後、とても寂しそうな色を浮かべる。

「ずっと、長いこと、それはもう長いこと、恋をしてる。ずっと同じ人を好きでい続けてんの」
「でも、ううんだからこそ、それは叶わない恋なんだね?」
「そ。わかりきってるんだ。だってその人には、別に好きな人がいてさ。アタシの入り込む隙間、ぜーんぜんないんだもん」

 横恋慕。それはそれで辛い恋だ。
 けれどこう言っては何だけれど、それだけでは叶わぬ恋の要件を満たすのは難しい。
 明確な定義はわからないけれど、それは場合によっては叶う可能性のあるもの、となるケースが多い。

 でも春日部さんは、私たちほどではなくてもガールズ・ドロップ・シンドロームについて知っている。
 そんな彼女が言うのだから、きっと罹っていることに間違いはないんだろう。

「その人に、想いを伝えたりは、した? そういうことができる相手?」
「うん。もう結構前の話なんだけどね。キッパリ断られちゃってもう撃沈! でもさ、忘れられなくって。今でもずっと好き」

 やっぱり春日部さんは笑う。
 でもそれは、見ているこちらが辛くなるくらい、悲しげだ。

「ただね、なんていうかなぁ。この恋をしてること自体はアタシ、全然嫌じゃなくてさ。むしろ嬉しくて、幸せで。その人のことを考えてることが、本当に楽しいんだっ!」
「じゃあ春日部さんが苦しんでいるのは、異能力のこと?」
「うーん、どうなんだろう。そうだとも言えるし、そうじゃないとも言えるしー」

 春日部さんは腕を組んで、眉を寄せて考えるようなポーズをとる。
 でもそれはあくまでポーズで、彼女の中では答えが決まっているように見えた。
 場を、話を温めるための。そして心の準備をするための。そんな前置きのよう。

「アタシが今困ってんのはね、最近迷っちゃってるからなんだ」
「迷ってる? それは、その恋をし続けることを?」
「ううん、そうじゃなくて。アタシは多分、ずっと好きだと思うんだけどさ。んーと、好きな人のためにアタシがし続けてきたことを、かな?」

 そう言って春日部さんは、前の机に倒れ込むようにし、そしてこちらに向けて腕を伸ばす。
 伏した姿勢から見上げてくる視線が、私に何かを訴えかけているように感じて。
 彼女の手の近くに自分の手を持っていくと、指先同士が僅かに触れた。
 春日部さんは小さく笑う。

「ずっと、それがベストだと思ってやってたんだけど。それがアタシの愛だぁって、思ってたんだけど。最近さ、どうしたらいいかわからなくなっちゃって。アタシはちゃんともう一回、向き合った方がいいのかなって。今はまたさ、前とは状況が違うし?」
「春日部さんは……」

 春日部さんが何かに思い悩んでいることはよく伝わってくる。
 けれどその本質が、何をどうしたいと思っているのかが、まだいまいちよくわからない。
 彼女の心の準備が整うのを待った方がいいのか。
 あるいは、私がはっきりと尋ねるのを待っているのか。

「春日部さんは一体、どんな恋をしているの?」

 どうすればいいか、何を求めているのかわからなかった。
 でももう、そう聞かずにはいられなかった。
 春日部さんの願いを、恋を、苦しみを。尋ねないことには助けられない。

 私の質問に、春日部さんは視線を外した。
 けれど触れていた指先は私の指に巻きつき、すがるように絡まる。
 手と手が、触れ合う。

「春日部さんは、誰に恋をしているの?」

 答えない彼女に質問を重ねる。
 追い詰めるつもりはない。言いたくないのなら、深追いするつもりはない。
 でも春日部さんの手は、指は、吐き出したいと告げていた。
 私を決して放さない。私に助けを求めて、喘いでいる。

「カンちゃん」

 しばらく沈黙が続き。そして春日部さんはポツリと口を開いた。
 顔を完全に伏せ、私に目を向けることなく。

「カンちゃんが、好きなの。ずっと前からアタシは。カンちゃんに、恋してる」
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