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第十一話 知りたかったこと
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「しかし、君とクロヴィスが結婚したのは一年ほど前だと聞いている。それなのに君は自分の夫のことを何も知らないんだな」
クロヴィスが馬の蹄鉄まで自分で替えるという話が終わった後、フレデリクが驚いた様子で言った。その言葉にリュカは自嘲気味に笑うことしか出来ない。
「旦那様は望まれて私と結婚したわけではないので」
「しかし、身請けまでしたんだろう? そもそも、あの生真面目なクロヴィスが、娼館に通っていたことの方が驚きだが」
「旦那様は娼館には一度も来られていません。私とは事故で番ってしまったので、仕方なく結婚されたのです」
「事故?」
「よくある突発的な発情期の事故です」
「ああ、なるほど」
リュカがそれだけを言うと、アルファであるフレデリクは大方のことを理解したようだった。
実のところ、オメガの発情による事故は数えきれないほどあるのだ。
突発的に発情してしまい、そのまま近くにいたアルファに項を噛まれたり、犯されたりと被害にあうオメガたちは後を絶たない。しかし、そのほとんどがオメガ自身がフェロモンでアルファを誘った上の行為だとみなされてしまう。
その上、社会的地位の高いアルファたちが、不慮の事故で番ったオメガを大切にしてくれることはほとんどなかった。すぐに番を解消されるか、そのまま妾として囲われるか。リュカのように、正妻として迎えられるのは本当に珍しいことだった。
「旦那様はただすれ違っただけの私と望まない結婚をされました。ラファイエット卿は、旦那様の前の婚約者の方をご存じですよね? どのような方だったのでしょうか……」
「オレールのことか」
「お願いします。屋敷の使用人たちに聞いても誰も教えてくれないのです」
フレデリクが考えるように腕を組んで目を瞑る。いつも朗らかな印象の男が、眉間に皺を寄せて思案するほど「オレールの話」はリュカにとって「知らなくていいこと」なのだろう。
しかし、フレデリクが悩んでいたのは僅かな時間だった。すぐに目を開け、リュカの方を真っすぐに見た。
「分かった、話そう。しかし、これだけは覚えていて欲しい。君も知っているだろうが、クロヴィスは真面目で誠実な男だ。そんなあいつが君を選んで結婚したのだから、今の一番は間違いなく君だ」
だから、心配しなくてもいい、と言われてリュカは曖昧に頷いた。
真剣な顔でリュカを諭すフレデリクに、そんなわけがない、とは言えなかったのだ。
それからゆっくりとフレデリクはオレールのことを話してくれた。
オレールはフレデリクと同じようにクロヴィスの幼馴染で、当然貴族の生まれであるらしい。性格は控えめで穏やか。見た目はオメガにしては少々地味な印象を受ける線の細い青年だそうだ。
クロヴィスとは家の意向で幼い頃から婚約していたらしく、それこそまだ乳歯が生えている頃からふたりはお互いと結婚するのだと思って生きてきたという。
「クロヴィスがオレールのことを愛していたかは分からないが、大切にしていたことは間違いない。お互いを尊重し、いい関係だったとは思う。だから、その……クロヴィスが一方的に婚約を解消し、別のオメガと結婚したと聞いたときはひどく驚いた」
王国騎士団所属であるクロヴィスは、数年砦に配属された後に王都に戻ることになっている。そのときに結婚する予定で、オレールはずっと彼の帰りを待っていた。
そんな折に聞こえて来たのが、ふたりの婚約解消とクロヴィスの結婚話だ。
社交界にも詳細までは伝わって来ず、ただ生真面目なクロヴィス・ド・ヴァリエールが長年の婚約者を捨てた、という醜聞だけが聞こえて来たのだ、とフレデリクは言った。
「何の冗談かと思ったが、ヴァリエール家はクロヴィスの結婚は本当だと言うし、けれど結婚式はしないしで俺もどういうことかと会ったら問いただそうと思っていたんだ」
結婚式、とリュカは呟いた。
結婚式はした。クロヴィスとリュカのふたりだけで、ここ砦の街の小さな国教会で挙げたのだ。
よくよく考えてみると、孤児で天涯孤独のリュカはともかく、貴族であるクロヴィスの親族が誰一人として参列していないというのはおかしな話だった。しかも、リュカはクロヴィスの両親にすら会ったことがない。兄がひとりいる、という情報だって使用人たちの話に聞き耳を立てて得たのだ。
クロヴィス自身からは何も話してもらえず、「家族」に会わせてももらえない。本当にリュカは、クロヴィスのことを何も知らないのだと、突きつけられた気分だった。
「すまない、余計なことを話した。しかし、本当に心配しなくていいと思う。クロヴィスは堅物で面白みに欠けるやつだが、意図的に奥方を裏切るようなことはしないはずだ」
だから、そんな顔をしないでくれ、と言われてリュカは慌てて笑みを作る。
そんな顔とはどんな顔だったのだろう。娼館で教えられた感情を隠す穏やかな笑みを浮かべて、フレデリクに静かに頭を下げた。
「色々教えて下さり、ありがとうございます」
「いや、俺は昔馴染みの昔話をしただけだ。ここには任務で来ただけだが、数日間は砦の方に滞在する予定だ。何か困ったことがあれば力になるから、何でも相談して欲しい」
「ふふ、相変わらずお優しい。それよりラファイエット卿、当家には何か用事があってお越しだったのではないのですか」
「ああ、そうだ。クロヴィスがいるかと思って来たんだが。仕事の用件を伝えたい。取りついでもらえるだろうか」
「旦那様は砦の方です。お帰りも遅いので、直接砦に行かれた方が早く会えるかと」
「そうか、ありがとう。では、また」
そう言ってフレデリクは踵を返した。持っていた手綱を引き寄せて、ひょいと馬に騎乗する。
そういえば、クロヴィスの数少ない趣味は、乗馬だとフレデリクが言っていた。仕事でも馬には乗るだろうに、よほどの馬好きなのだろう。
砦の街は田舎だから、街を越えるとすぐに丘陵地帯が広がっている。生い茂った草が風になびく穏やかなその地形は、遠乗りにはもってこいだという。
貴族であるオレールはきっと乗馬も出来ただろうから、結婚したら一緒に遠乗りなどを楽しんだのかもしれない。
けれども、リュカのせいでそんな日は永遠に来ないのだ、と顔も知らないオレールに言われたような気がした。
クロヴィスが馬の蹄鉄まで自分で替えるという話が終わった後、フレデリクが驚いた様子で言った。その言葉にリュカは自嘲気味に笑うことしか出来ない。
「旦那様は望まれて私と結婚したわけではないので」
「しかし、身請けまでしたんだろう? そもそも、あの生真面目なクロヴィスが、娼館に通っていたことの方が驚きだが」
「旦那様は娼館には一度も来られていません。私とは事故で番ってしまったので、仕方なく結婚されたのです」
「事故?」
「よくある突発的な発情期の事故です」
「ああ、なるほど」
リュカがそれだけを言うと、アルファであるフレデリクは大方のことを理解したようだった。
実のところ、オメガの発情による事故は数えきれないほどあるのだ。
突発的に発情してしまい、そのまま近くにいたアルファに項を噛まれたり、犯されたりと被害にあうオメガたちは後を絶たない。しかし、そのほとんどがオメガ自身がフェロモンでアルファを誘った上の行為だとみなされてしまう。
その上、社会的地位の高いアルファたちが、不慮の事故で番ったオメガを大切にしてくれることはほとんどなかった。すぐに番を解消されるか、そのまま妾として囲われるか。リュカのように、正妻として迎えられるのは本当に珍しいことだった。
「旦那様はただすれ違っただけの私と望まない結婚をされました。ラファイエット卿は、旦那様の前の婚約者の方をご存じですよね? どのような方だったのでしょうか……」
「オレールのことか」
「お願いします。屋敷の使用人たちに聞いても誰も教えてくれないのです」
フレデリクが考えるように腕を組んで目を瞑る。いつも朗らかな印象の男が、眉間に皺を寄せて思案するほど「オレールの話」はリュカにとって「知らなくていいこと」なのだろう。
しかし、フレデリクが悩んでいたのは僅かな時間だった。すぐに目を開け、リュカの方を真っすぐに見た。
「分かった、話そう。しかし、これだけは覚えていて欲しい。君も知っているだろうが、クロヴィスは真面目で誠実な男だ。そんなあいつが君を選んで結婚したのだから、今の一番は間違いなく君だ」
だから、心配しなくてもいい、と言われてリュカは曖昧に頷いた。
真剣な顔でリュカを諭すフレデリクに、そんなわけがない、とは言えなかったのだ。
それからゆっくりとフレデリクはオレールのことを話してくれた。
オレールはフレデリクと同じようにクロヴィスの幼馴染で、当然貴族の生まれであるらしい。性格は控えめで穏やか。見た目はオメガにしては少々地味な印象を受ける線の細い青年だそうだ。
クロヴィスとは家の意向で幼い頃から婚約していたらしく、それこそまだ乳歯が生えている頃からふたりはお互いと結婚するのだと思って生きてきたという。
「クロヴィスがオレールのことを愛していたかは分からないが、大切にしていたことは間違いない。お互いを尊重し、いい関係だったとは思う。だから、その……クロヴィスが一方的に婚約を解消し、別のオメガと結婚したと聞いたときはひどく驚いた」
王国騎士団所属であるクロヴィスは、数年砦に配属された後に王都に戻ることになっている。そのときに結婚する予定で、オレールはずっと彼の帰りを待っていた。
そんな折に聞こえて来たのが、ふたりの婚約解消とクロヴィスの結婚話だ。
社交界にも詳細までは伝わって来ず、ただ生真面目なクロヴィス・ド・ヴァリエールが長年の婚約者を捨てた、という醜聞だけが聞こえて来たのだ、とフレデリクは言った。
「何の冗談かと思ったが、ヴァリエール家はクロヴィスの結婚は本当だと言うし、けれど結婚式はしないしで俺もどういうことかと会ったら問いただそうと思っていたんだ」
結婚式、とリュカは呟いた。
結婚式はした。クロヴィスとリュカのふたりだけで、ここ砦の街の小さな国教会で挙げたのだ。
よくよく考えてみると、孤児で天涯孤独のリュカはともかく、貴族であるクロヴィスの親族が誰一人として参列していないというのはおかしな話だった。しかも、リュカはクロヴィスの両親にすら会ったことがない。兄がひとりいる、という情報だって使用人たちの話に聞き耳を立てて得たのだ。
クロヴィス自身からは何も話してもらえず、「家族」に会わせてももらえない。本当にリュカは、クロヴィスのことを何も知らないのだと、突きつけられた気分だった。
「すまない、余計なことを話した。しかし、本当に心配しなくていいと思う。クロヴィスは堅物で面白みに欠けるやつだが、意図的に奥方を裏切るようなことはしないはずだ」
だから、そんな顔をしないでくれ、と言われてリュカは慌てて笑みを作る。
そんな顔とはどんな顔だったのだろう。娼館で教えられた感情を隠す穏やかな笑みを浮かべて、フレデリクに静かに頭を下げた。
「色々教えて下さり、ありがとうございます」
「いや、俺は昔馴染みの昔話をしただけだ。ここには任務で来ただけだが、数日間は砦の方に滞在する予定だ。何か困ったことがあれば力になるから、何でも相談して欲しい」
「ふふ、相変わらずお優しい。それよりラファイエット卿、当家には何か用事があってお越しだったのではないのですか」
「ああ、そうだ。クロヴィスがいるかと思って来たんだが。仕事の用件を伝えたい。取りついでもらえるだろうか」
「旦那様は砦の方です。お帰りも遅いので、直接砦に行かれた方が早く会えるかと」
「そうか、ありがとう。では、また」
そう言ってフレデリクは踵を返した。持っていた手綱を引き寄せて、ひょいと馬に騎乗する。
そういえば、クロヴィスの数少ない趣味は、乗馬だとフレデリクが言っていた。仕事でも馬には乗るだろうに、よほどの馬好きなのだろう。
砦の街は田舎だから、街を越えるとすぐに丘陵地帯が広がっている。生い茂った草が風になびく穏やかなその地形は、遠乗りにはもってこいだという。
貴族であるオレールはきっと乗馬も出来ただろうから、結婚したら一緒に遠乗りなどを楽しんだのかもしれない。
けれども、リュカのせいでそんな日は永遠に来ないのだ、と顔も知らないオレールに言われたような気がした。
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