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それが一番賢いやり方だよ

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 週明け。雲ひとつない爽やかな朝。
 いつものように未亜を迎えに行く。御陵家の二階の窓がブルーシートに覆われていた。呼び鈴を押す前に未亜が玄関から飛び出して来る。「オス」と言って歩き出した。いつもと変わらない未亜。変わらなすぎて恐ろしい。
「目、赤いね。寝てないの?」と未亜が俺の顔を覗き込む。
 昨日の昼過ぎまで吐き気と頭痛で寝込んでいた。夕方にはなんとか回復したものの、今度は今日のことが心配になり結局一睡もできなかった。なぜなら今日の夕方、ポツダム会談(俺が知っている歴史上の重要そうな会談の名前)に匹敵する会談が「この近所」で行われるからだ。
「お前こそ怪我は大丈夫なのか」
「ナノマシンが多少の怪我ならすぐ治してくれる。このナノマシンは身体の構造強化も行うから、スタングレネードやゴム弾程度の攻撃をモノともしないのさ。肉食系パンダ、ハイパー未亜ちゃんは雷電為右衛門よりも強いのだ」
 そう言うと未亜は後ろを向き、スカートをまくり上げた。白い太ももとパンツ(白と青の縞模様)が露わになる。
「公道でスカートをめくるな!」
「と言いながら、しっかり網膜に焼き付けるヒロシなのでした」と未亜がケラケラと笑う。
 本当に怪我の痕跡は綺麗さっぱりとなくなっていた。なんて便利な身体なんだ。
「未亜」
「んー?」
「家、大丈夫だったのか?」
「微妙」
「どんな風に」
「お姉ちゃんの部屋の古い実験器具が爆発したことになっていた。一時警察や消防が来て大騒ぎになったみたいだけど、バター犬が有耶無耶にしたみたい」
「ハック、は?」
「あれ? 気になる? ヒロシってロボ子萌え?」
「違う。置き去りにしたから気が引けると言うか」
「大丈夫だよ。あの子はボクの十倍は強い。一人で完全武装の一個分隊を相手にできる。今は見えないところからボクたちを守ってくれている」
「あと、その……」
「何? 面倒臭いな。いっぺんに聞いくれない?」
「『だってボクは……』の続き」
「何それ?」と未亜はそっぽを向いた。
 答えてくれると思って聞いた訳じゃなかった。けど正直落胆した。俺はこの程度なのかと。俺はこれ以上の追求を止めた。

 教室に入ると黒田が新聞を手に走り回っていた。ディノサウロイドの来訪が国連臨時総会において正式に発表されたのだ。間もなく接近する「小惑星」が地上の可視光望遠鏡でも人工の構造物であることが判別できるようになる。パニックやあらぬ風評を未然に防ぐための措置だった。
 発表はディノサウロイドが地球発祥の温厚な知的生命体であり、友好的来訪であることが強調された。先遣隊と既に接触しており、一年以上に渡り意思の疎通を図ってきたことも明かされた。発表までに充分な根回しが行われたらしく、世界各国はディノサウロイドを歓迎すると声明を出した。国連に加盟しない一部の国家が、世界を混乱に陥れようとするアメリカ帝国主義の陰謀だと非難したが、今のところ大きな混乱には至っていない。だが今日の会談の結果次第で一変するかも知れない。
「見ろ! 全部本当の事だっただろうが!」
 黒田は俺を見つけるなり、ヒラリー・クリントンと国連事務総長のツーショット写真が一面に載っている新聞を顔に押しつけてきた。朝からこの写真と動画、嫌ってほど見たし。
「さぁ、謝れ。土下座して謝れ! 三つ指ついて、黒田様申し訳ございませんでしたと言え。お前もだ松本! 散々馬鹿にしやがって」
「エイリアンなのに、地球外生命体じゃないっていうのがワケわかないよねぇ」
 松本が俺の顔から新聞を引きはがし、ページをめくる。
「恐竜の宇宙人だぜ? 何千万年もひとつの文明を維持しているなんて凄くね?」と黒田が興奮冷めやらない。
「だよねぇ、人間なんて絶対滅びちゃうよねぇ」
 新聞やテレビの報道に嘘はなかったが、書かれていない事実もあった。ディノサウロイドが精神感応で会話することもそのひとつだ。松果体が発達していない人類に精神感応は一切通じない。しかし中には「心を読まれる」とか「心を操られる」などと気味悪がる人もいるかも知れない。そういった配慮から伏せているのだろう。また流星号が市街地上空で超音速飛行した件も、局地的に雷と竜巻が発生し、屋根瓦が飛ぶ被害が出たという記事が地方欄に小さく出ているだけだった。
「恐竜人ってどんな顔してるんだろう」
 黒田のこの疑問は人々の最大の関心事となっていた。現時点においてディノサウロイドの姿は公開されていない。新聞には手はずが整い次第発表されるとあったが、これについてはひとつの憶測がネット上でまことしやかに語られていた。人類が本能的に嫌悪感を抱く容姿をしているのではないかというものだ。現在公開の是非を検討中だが、結果的には公開されないのではないかとあった。たしかにまんまイグアナ姿の宇宙人では、拒絶反応を示す人もいるかも知れない。
「やっぱリトルグレイだよ。あれが恐竜から進化した、究極の知的生命体の姿なんだよ。昔から来てたんだよ恐竜人」
 松本。残念ながら今回が初めての来訪だ。
「リトルグレイって恐竜にちっとも似てないじゃん」と黒田。
「初めは恐竜ぽかったのが、何千万年もの進化の過程でああいう形になったんだ。人間だって恐竜時代には、ネズミみたいなほ乳類だったんだよ」
 リトルグレイが正解かどうかはさておき、松本の意見はそれなりに説得力がある。恐竜人といっても恐竜の面影は何一つ残っていないかもしれない。
 一時間目からテストが続々と返ってくる。普段なら結果に一喜一憂するわけだが、休み時間の話題は専(もっぱ)ら恐竜人一色だった。教師陣も同じで、テストを返し終わると解説もそこそこに、それぞれの分野において語った。社会的見地から、歴史的見地から、科学学的見地から……。これからあらゆる価値観が変わるだろうと口を揃えた。

 放課後、部室棟に続く渡り廊下で城崎先生ことルカ姉に出くわした。
「本当にあかねが殺されるんじゃないかとビビリましたよ」
 一昨日、家に戻った俺は呆気にとられた。
 父も母も妹のあかねも、いつもの通りテレビを見ながら夕食を摂っていたのだ。
「見たよ、みゃーちゃんとお兄ちゃん! ルカ姉の社会実験を手伝っているんだって? それにしてもUFOは大がかりすぎるよ! 久々に会ったルカ姉、カッコ良くない? 働く女って感じ? 『きれいな顔が台なしになるわよ』ってところゾクゾクしなかった? 私、きれいな顔だって! でも何? なんでみゃーちゃん下着姿だったの? あれ水着じゃないよね。ちゃんと説明してくれる?」
 一般人がエイリアンに対しどのような反応を見せるかという、社会実験が行われた事になっていた。ルカ姉とあかねが仕掛ける側。俺と未亜が仕掛けられる側。早い話「ドッキリ」である。あまりにも嘘くさい設定だが、事実の方がもっと嘘くさいので、この位でちょうど良いのかもしれない。興奮してしゃべるあかねが愛おしく、思わず抱きしめようとしたら「キモッ!」と突き飛ばされてしまった。しばらく口を利いてもらえそうにないが、無事でいてくれて何よりだ。
「あの拳銃は本物よ」
「でも弾は入っていなかったんですよね」
「ふん。どうかしら」
 ルカ姉が俺を睨みつけた。なにかと俺に食って掛かる。自分よりも俺の方が、多く未亜の記憶に残っていたことに嫉妬しているのかもしれない。そう考えると少しだけ許せる気持ちになれた。ルカ姉は一度俺に背を向け歩き出したが徐に立ち止まった。そして躊躇いながら振り返ると少し口ごもりながら言った。
「未亜を説得してくれてありがとう。それと……殴って悪かった。謝る」
「聞いても良いですか」
「なに?」
「幡枝さんと榊田さんが同人をやっていることを調べたのは……」
「未亜を囲い込み、監視することを名目に漫研を作ったんだけど、もちろんそれは表向きの理由。私ね、中卒なの。ハイスクール出ていないのよ。だから日本の高校生活にあこがれていたの。部活や放課後の与太話とかね。ドサクサに紛れて思う存分職権を利用させてもらったわ」
 やっぱり。公私混同もここまでくると尊敬に値する。
「あとひとつ」
「?」
「防疫服の中にオシッコしながら会見した科学者って、ルカ姉のことですか」
 ツカツカッと歩み寄るルカ姉に、また平手打ちを食らった。
 部室には幡枝さんと榊田さん、岩倉、そして未亜が既に来ていた。
「未亜ちゃんキッーク!」
 ルカ姉を見るなり、助走を付けたドロップキックを未亜が繰り出す。ひらりと避けたルカ姉の後ろに俺がいた。身体強化された未亜のドロップキックが俺の胸に決まる。背中から倒れ呼吸が止まり悶絶する俺。
「ああっ! よくもヒロシを! このイヤらしいバター犬め!」
「蹴ったのはあんたでしょうが! それに誰がバター犬よ!」
 二人がにらみ合う。
「ゴリョウさん、どうしたの。先生にいきなりドロップキックって」
 榊田さんが割って入るが未亜は構わず続ける。
「今度あんな真似をしたら、戦略原子力潜水艦を全艦探し出して沈めてやる!」
「そ、そんなことが本当にできるの?」
 未亜の言葉にルカ姉が青ざめる。この姉妹、学校で何をやっているのだ。
「ゲームの話ですよね、シミュレーションゲームの」と俺は咳き込みながらやっとの思いで立ち上がる。ややこしくなる前に話題を変えなければ。俺は榊田さんに話しかけた。
「未亜の言っていたことが本当になってしまいましたね」
「たしかに。オカルト雑誌レベルのトンデモ話が真実だったなんて。これからの科学は大変かもしれない」
「あら。それ、どういう意味?」とルカ姉が興味深そうに聞く。
「現代科学で解明されていない現象を、全てディノサウロイドの仕業にしてしまう人が必ず現れます。またディノサウロイドを神格化し、崇める連中も出てくるでしょう。結果思考停止が起こり、科学や精神文化が停滞する」
「へぇ。榊田君って思想家なんだ」
 皮肉ではなく、本当に感心しているようだ。 
「ゴリョウさんはエイリアンとのコンタクトは絶対に避けるべきだって言ってたけど、結局コンタクトしちゃったよね。この点をどう考えているの?」
 ルカ姉の顔から表情が消えた。岩倉も未亜を見つめる。
「母船はまだ来ていない。時間はまだ残されている」と未亜はぽつりと答えた。
 ルカ姉と岩倉が無言で顔を見合わせた。
「いつまで無駄話しているの。まんがコロシアムの話に戻すわよ」
 幡枝さんがメガネを中指でツイッとあげた。
「トモミンが早速、ラフスケッチを描いてきてくれたの」
 幡枝さんに促され、岩倉が鞄の中からスケッチブックを取り出し机の上に開いた。全員が感嘆の声をあげる。それは犬を連れた哀愁漂うホームレスのスケッチだった。このクソ忙しかった週末に、これだけのものを描いてくるとはさすがVIP。我が国の閣僚すべての命よりも価値があるというのは、あながち嘘ではないようだ。
「このままペン入れしても問題ないレベルだと思うんですけど。どうでしょう先生」
「さすが岩倉さん。私が口を挟む余地なんかないわ」
「犬をつれているところなんてリアルだなぁ」
「トモミン、プロの漫画家みたい」
 三枚のスケッチから一枚を選び、若干の修正を加えた上でペン入れをすることになった。
 人類と漫研の命運は岩倉の双肩にかかっている。

 ミスドの貸し切りを初めて見た。けして広くない店舗だが、店内には十数人しかいないのでガランとしている。参加者は科学者風の白人男性一人と軍服を着た白人男性二人。それぞれに副官っぽい人が一人ずつ。国連の人三人とSP二人。そしてルカ姉と岩倉、未亜と俺(どうやら俺も関係者の一人として認識されているようだ)。どう見たって誰かさんのお誕生日会とは思えないメンツ。緊張のあまり顔の白くなった女性店員さんがカウンターの向こうに一人見える。なんか可哀想。
 人類の行く末を左右しかねない会談が、一地方都市のミスドで行われようとは誰が想像しただろう。ミスドを指定したのはもちろん未亜だ。キッズセットでもらえるオモチャが欲しいらしい。ただしこの会談が日本で行われることになったのは、けして未亜がミスドを指定したからではない。岩倉との面談のため、ディノサウロイド対策室と国連の人の来日が既に決まっていたのだ。それでも女子高生のワガママに、いい大人たちが振り回されている事実に変わりはない。俺は岩倉が食べたという高級フレンチのお相伴にあずかりたかったのだが。
「紹介します。こちらはアメリカ国防総省国防情報局ディノサウロイド対策室室長のリチャード・グリーン博士。NASA地球外知的生命探査研究の権威で、SETIプロジェクト統括者の一人でもあります」
 ルカ姉の視線の先に見事に禿上がったやせ形の白人男性がいた。こちらを見て小さく頷く。メガネの奥に輝く眼光が異様に鋭い。室長ってたぶん偉いんだろう。
「そしてこちらはアメリカ海軍のジェレミー・ウエーバー大佐」
 小柄だが、がっしりとした筋肉質の軍人が未亜を睨みつけている。
「あ、ひょっとしてジョージ・ワシントンの艦長さん?」
 未亜が指さし、ケラケラと笑い出した。
「ゴメンね。大切なオモチャ壊しちゃって。最近改修したばかりだったんだって?」
 海軍大佐はしかめっ面のまま口を開かない。
「ここで所属の詳細は明かせません。で、こちらはアメリカ空軍のジェームズ・ロス少佐」
 トム・クルーズを彷彿とさせる、やたら男前の空軍少佐も未亜を睨みつけている。まさかあのラプターのパイロットってことはないよな。いずれにせよ三人とも未亜に向ける視線に敵意を感じる。無理もないか。
 既に精神感応状態にあった岩倉は、国連の臨時職員として紹介された。このご時世、就活なしとは実に羨ましい。未亜と俺は「彼らが例の」という一言で紹介が済んだ。なんか秘密結社の一員にでもなった気分だ。
「そして私はディノサウロイド対策室科学顧問の御陵琉花です。今日は進行と通訳を勤めさせていただきます」
「質問!」
 話が始まる前に俺は手を上げた。小難しい話になれば、俺ごときが口を挟む余地はなくなるだろう。聞きたいことは聞けるウチに聞いておかなければ。
「この岩倉は今、どういう状態なんですか? 本人の意思はどこにあるんですか?」
「それには我々、私が回答、お答えしましょう」と岩倉自身が発言した。
「正確には私は『我々』です。あなた方が呼称するところの『ディノサウロイド』の代表者一名と精神を共有共感している状態にあります。ディノサウロイドの精神感応メッセージを、岩倉さんの言語野で変換翻訳トランスレーションしているのです。ただしかなりの意訳であることをご留意ください。『情景を岩倉さんの言葉で描写している』と考えて頂いた方が解りやすいかもしれません」
「岩倉の意思みたいなものはどこにあるんですか」
「現時点で岩倉さんの意思はありますよ。岩倉さんの意思がなければ言語変換はもちろん、精神感応さえ行えません」
「危険はないんですね」
「現時点で異状は見つかっていません。常時脳波や脳圧、脳内血流、各種バイタルのモニタリングを行い、岩倉さんの健康には安全万全を期しています」
「わかりました」
 正直いうと良くわからなかったが、危険がないのならそれで良い。今後精神感応状態にある岩倉を、通常の岩倉と区別するために「憑依岩倉」と呼ぶことにしよう。
「篠原さんって優しいのですね」と憑依岩倉がにこりと笑った。
 可愛い。岩倉ってこんな笑顔ができるんだ。
 しばし見とれていると未亜が俺の足を蹴った。こいつ。
「あらかじめ断っておきますが、これは非公式会談です。事実確認を行うため設けられた即席のものです。正式な会談は今回の会談内容を精査した上で、後日国連本部にて行う予定です。よろしいですね」とルカ姉。
 国連本部? そんな場所はちょっと遠慮したい。俺にはやはりミスドが分相応のようだ。
「ロリコントカゲの代表はどうして姿を現さないの? 非公式だから?」
 未亜が不機嫌そうに言った。もっともな疑問だ。俺も今日は恐竜人と会えるものと内心楽しみにしていたのに。
「非公式会談ということもありますが、ロリコント……もといディノサウロイドは、検疫と防疫措置が終わるまで姿を見せることはありません」とルカ姉が事務的に答える。
「バター犬はロリコントカゲを見たの?」
「見ました……ってバター犬じゃないっつーの!」
「どんなだった?」
「ノーコメント」
「トモミンは見たの?」
 未亜の質問に憑依岩倉が答える。
「岩倉さんはもちろんご覧になっています。何か不審に思われているようですが、我々にはお互いの姿を映像でやりとりする概念慣習がない、というだけの話です」
「じゃあ、今見せて」
「お見せできる手段方法がありません」
「トモミン。絵を描いて」
 なるほど。岩倉の画力ならディノサウロイドの姿を正確に描けるはずだ。
 ところが憑依岩倉は黙り込んでしまった。
「文化的な問題も含むので、この話はここまでにしましょう。ディノサウロイドの姿は必ず公開するとお約束します」とルカ姉が話を切り上げた。
 ここまで拒否するとはどういうことだ。ネットでの噂に信憑性が増すだけではないか。
「ここからは私たちが質問します。良いですね」と憑依岩倉が再びしゃべり出した。
「初めに……御陵さんに怪我を負わせてしまったことを謝罪陳謝します。記憶の多くをなくされてしまったとか。誠に遺憾痛恨です。また篠原さんには御陵さんの説得にご尽力いただき、誠に感謝感激雨あられ申し上げます」
「お前は役人か」と未亜が漫才師のように突っ込む。
「今は国連の職員です。お給料ももらっています。時間給はお父さんより多いです」
 参加者から失笑が漏れたが、この言葉は憑依岩倉がディノサウロイドの代表であると同時に、岩倉自身でもあることも示している。なんかやっぱりちょっと怖い。
「御陵さん、ざっくばらん単刀直入にお伺いします。あの宇宙船やロボットは、一体何なのですか」
 全員が固唾を呑み未亜を刮目する。俺も古代文明としか聞いていないし、シュピーゲル号なる宇宙船も実際に見た事はない。未亜、お前は一体何者なのだ。
 高まる緊張の中、未亜が素っ気なく答えた。
「ペルム紀に地球上で発生し、繁栄した文明の遺産だよ」
「ペルム……ピリオド?」
 ルカ姉が翻訳を忘れて呆けている。偉そうなことを言いながら、やはり今の今まで未亜の正体を知らなかったようだ。俺と大して変わらないじゃん。
 グリーン博士が翻訳をせかす。動揺し、しどろもどろとなったルカ姉がやっとの思いで翻訳を済ませると、グリーン博士たちはそれぞれ顔を見合わせ「マイガッ」とか「アンビリバボー」とか言って頭を抱えた。アメリカ軍を翻弄する第二のエイリアンの正体が、今ここに明らかになったのだ。ところでペルム紀っていつ?
「ペルム紀っていつですか御陵博士」と憑依岩倉。
 良かった。知らないのは俺だけではないようだ。
「えーっと……たしか古生代の終わり、二億九千万年から二億五千万年ぐらい前……と記憶していますが」
「二億九千万年前の文明!」
 憑依岩倉が驚きの声を上げた。二億九千万年前って、ムー大陸やピラミッドどころの話じゃないじゃん! 恐竜時代よりも前ってことか?
「我々の……ここでいう我々とはディノサウロイドのことですが……我々の先祖が地球上で繁栄していた頃にも、その宇宙船は存在していたと?」
「もちろん」
「驚異としか言いようがありません」 
 憑依岩倉が両手で頬を押さえため息をつく。
「その宇宙船を作った文明は?」
「滅びた。二億五千万年前に、滅びた」
 未亜はポン・デ・リングに手を伸ばしながら、十枚買ったサマージャンボ宝くじが全部外れた程度のテンションで答えた。
「P-T境界事変と何か関係があるの?」
 ルカ姉が険しい表情で聞いた。騒がしかったグリーン博士たちが静かになり、未亜の返答を待つ。P-T境界事変? 
「ノーコメント」と一言発すると未亜はポン・デ・リングにかぶりつき、はむはむと美味そうに食い始めた。ルカ姉とグリーン博士たちが声を潜め協議している。英語なのでよくわからないが、P-T境界事変にひっかかっているようだ。
 それを無視して憑依岩倉が口を開く。
「二億五千万年もの長期に渡って、一隻の宇宙船をどのように保守管理してきたのですか。主(あるじ)がいなければ尚更です。経年劣化は避けがたいと思うのですが。ドックのようなものを持っているのですか」
「シュピーゲル号は動的平衡素材で構成された新陳代謝を行う宇宙船だ。だからボクのような初々しい処女のごとく、いつも新品なのだ」
 新陳代謝? 生き物みたいな宇宙船ということか。「シュピーゲル号が自分自身で改修を行っている」とはこれを言っているのか。
 グリーン博士たちは口々に何か言葉を発しており、まるで収拾がつかない。
「新陳代謝を行う素材……。どれもこれも信じられない話です」
 俺から見ればディノサウロイドも憑依岩倉も充分信じられない存在だけどね。
「御陵さん。あなたはその宇宙船と、どのような関わりにあるのですか」
「シュピーゲル号のAI(人工知能)と思考を共有する関係だ。ボクがシュピーゲル号であり、シュピーゲル号がボクである」
「宇宙船の人工知能と融合合体した存在?」
「そう。ボクこそが肉食系パンダ、アルティメット未亜ちゃんなのだ」
 グリーン博士が「ワッツ?」とルカ姉に聞き返している。どうやら「肉食系パンダ」を直訳してしまったらしい。慌てて取り繕っている。
「ひとまずペルム紀文明のお話は置いておきましょう。本題に移りたいと思います。御陵さんは我々と人類との接触を妨害しようとしています。なぜですか」
「なぜ? そんなの決まってるじゃん。異文明同士の接触は悲劇しか生まない。それは人類の歴史を見れば明らか。今までどれだけの文明や民族が滅んできたか数えてみるがいい。同じ人類同士でもこの為体(ていたらく)なのに、どうして種が異なるロリコントカゲと人類が分かり合えると思うの? ひとたび戦争が始まれば、どちらか片方が滅びるまで戦いは終わらないよ」
「我々に戦争という概念はないのですが」
 未亜の断定口調に憑依岩倉が困惑の表情を浮かべる。それに代わってグリーン博士が初めて口を開いた。
「我々人類はたしかに幼い。現在もなお、どこかの国で人間同士が殺し合っている現状がある。それに対しディノサウロイドは、高度に発達した精神文明を持つ種族だ。彼らとのコンタクトは我々を良い方向へ導いてくれるのではないか。我々もコンタクトにあたっては様々なリスクを充分に検討した。結果、人類、ディノサウロイド双方は相互内政不干渉、文明不干渉の合意に至っている。ゆえに戦争など起こりえるはずがない」
「頭の毛の不自由な人」
 未亜の問題発言をルカ姉は辛うじて「ドクターグリーン」と訳した。
「高い精神性は与えられるものではない。獲得するものだ。それに何を持ってロリコントカゲの精神性が高いと言うの?」
「彼らは数千万年にわたり文明を継続し、知の探求を第一の喜びとしている。これが何よりの証拠だ」
「なるほど。それでは仮にボクがロリコントカゲの代表であるとしよう。ロリコントカゲの高い精神性から導き出された、人類発展の最善策があるんだけど聞きたい?」
 グリーン博士がジェスチャーで「どうぞ」と促した。
「現在地球上には七十億人を超える人類が生活している。しかしその多くが貧困に喘いでいる状況だ。現在の人類はこれを解決する手段を持たない。食糧、水、資源、エネルギー、環境、すべての問題に係わる重大な事案であるのに! 放置していると文明そのものの存続が危ぶまれる事態も想定できる」
 未亜は一呼吸おき、一度全員を見回してから、ゆっくりと大きな声で言った。
「人類の人口をいまの四分の一にしましょう。これで解決です。人類自身ができないと言うのであればボクがやってあげましょう。これは好意です。友好の証です。人類が末永く繁栄することを願っての行いです。さて、頭の毛の不自由な人。ボクのこの素晴らしい提案を受け入れてくれるかい?」
「実に趣味の悪い提案だ。論外にもほどがある」 
 グリーン博士の反論に対し未亜は言った。
「ロリコントカゲには優生思想がある。けして論外じゃないぞ」
 そんなことは初耳だと言わんばかりに、参加者全員の視線が憑依岩倉に集中する。しかし岩倉は顔色ひとつ変える様子はない。優生って何だっけ?
「未亜、何を根拠にそんなことを言っているの?」とルカ姉。
「ロリコントカゲの進化をこの目で見て来たからさ」
「見てきた? 九千万年前のディノサウロイドたちを?」
「うん」と当たり前のように答える。
「人類はその生活圏を世界中に広げ、無制限に人口を増やしている。それに対しロリコントカゲは移り住んだ大陸内で繁栄する道を選んだ。ある程度まで人口が増えると産児抑制を行い、人口と種の安定化に努めた。そうだよね。トモミン」
 思い出した。優生とは優れた遺伝子だけを後世に残そうとする考え方のことだ。人類も過去に実施した経緯があるが、現在では科学的倫理的に否定され行われていない。
「事実ですが何か問題でも? 優生は健全な種の継続には必要不可欠なものです。我々が今日まで繁栄できたのは、すべて優生の結果ですよ?」
 憑依岩倉が不思議そうに首をかしげた。普段なら可愛らしい仕草と感じたかも知れないが、今はエイリアンの代弁者としての姿がそこにあった。
「どう? みんなはこのことを知っていた?」
 未亜が全員を見回す。反応からして誰も知らなかったようだ。
 グリーン博士が静かに言った。
「先にも述べたように、ディノサウロイドは内政不干渉、文明不干渉を約束している。彼らが我々に対し間引き政策を強要することはない。思想の相違がコンタクトを阻害する要因にはなり得ない」
「結論ありきか。人類がロリコントカゲとの交流を決めたのは、トモミンが見いだされる前の話だよね。トモミンを介して意思疎通ができるようになってからわずか数日! 優生思想なんて彼らの考え方のほんの一部でしかない。これからゾクゾクと問題が噴出するんじゃないのかな?」
 グリーン博士は腕を組んだまま答えなかった。ディノサウロイドとのコンタクトは既に世界に向け発表されている。今から覆すのは難しいのかも知れない。ルカ姉が事務的な言い回しに戻り未亜に尋ねる。
「御陵未亜さん。グリーン博士の発言通り、ディノサウロイドは人類への文明不干渉を約束しています。あなたの憂いは解決されたと言って良いと思うのですが。それでもなお、あなたは人類とディノサウロイドとのコンタクトを妨害するのでしょうか?」
「ふふん。もしもここでボクが妨害するって言ったらどうなるのかな」
「本会議にて継続討論となります」
「ふーん」
 未亜が背伸びをした。伸ばした腕がUFOキャッチャーのクレーンのように下がると、俺のトレイからエンゼルフレンチ一個をかっさらっていく。そのエンゼルフレンチを自分の顔の前にかざし、穴からルカ姉を覗き込んで言った。
「よく言うよ。ボクのことをスナイパーライフルで狙っていたくせに」
 閉鎖されていたはずの自動ドアが突如開いた。SP二人が拳銃を抜き構える。入ってきたのは女性……流星号に乗っていたアンドロイドのハックだった。両脇にグッタリとした男二人を抱えている。先週ゴム弾を撃ってきた連中と同じ格好だ。ハックは会談が行われているテーブルまで来ると、その男二人を無造作に投げ出した。二人とも息はあるようだ。
「色良い返事がなければ、ボクを暗殺するつもりだったんだろ?」
「これは岩倉を守るための措置です。誤解を与えたようなら謝罪します」
 ルカ姉が青ざめながらも事務的に答えた。
「ふん、まぁいいや。ハックにも何か出してやって。この子も甘いものが大好きなんだ」
 未亜がカウンターの奥に向かって何か注文しだした。
「この女は何者だ? 外には十人を超える警護がいたはずだ。どうやって入ってきた!」
 グリーン博士が引きつった顔で未亜に聞く。
「ハックだよ。ボクの命の恩人。SPさんは今お昼寝の時間」
 ルカ姉が驚きの声を上げる。
「じゃあ、これが秋葉原に現れたというロボット?」 
「そう。シュピーゲル号が人類文化を観察するために作ったアンドロイド。並の人間が敵う相手じゃないよ?」と未亜が依然拳銃を構え続けるSP二人を見ながら言った。
 グリーン博士がSPに拳銃を下げさせ、倒れている男二人を店外へ運び出すように指示した。未亜は立ち上がるとルカ姉の手を引き、ハックのところへ連れて行く。
「見てこの完成度! 顔の造型、プロポーション、どれをとっても完璧! 強い、可愛い、格好いい! ボクのフィギュアコレクションの中でもベストワンだね。ちょっと触ってみ。巷(ちまた)の高級ダッチワイフとはまるで出来が違うから!」
 先週見たときは一瞬だったので良くわからなかったが、間近に見るハックは3DCGのように美しい女性だった。未亜の言うように完璧という言葉が相応しい。ノーメイクにユニクロのシャツとジーンズというカジュアルな格好にもかかわらず、近寄りがたいオーラを放っている。そして……俺的にはハックが心なし幡枝さんに似ていることに驚かされた。幡枝さんがもう少し大人になったら、このぐらいのオーラを放つのかもしれない。
 ところで未亜。お前はその「巷の高級ダッチワイフ」をどこで触ったのだ? 
「ほれほれ、触ってみ。女の子同士だから遠慮はいらないよ」
 未亜に促され、ルカ姉が恐る恐るハックに触れる。
「暖かい……」
 急に科学者モードになったルカ姉がハックの身体をまさぐりだした。胸を揉みしだき、目を覗き込み、顔を近づけ髪や身体の臭いを嗅ぐ。遠目にはまるで愛撫しているようにしか見えない。しまいには口を開けさせ指を突っ込みだした。妙にエロチックで我々男性陣は目のやり場がない。グリーン博士の頭が心なし赤くなっている。第三者がこの状況を見たら、ミスドでレズビアンショーを楽しむ変態ご一行様と思うだろう。
「これのどこが作り物だというの? 人間と少しも変わらないじゃない! 皮膚や粘膜の手触りもまるで違和感がないわ。一体どんな物質で作られているの?」
「秘密」
「ディノサウロイドのロボットなんて、これに比べたらガラクタ以下よ!」
 叫ぶルカ姉に未亜が満足そうに頷く。
「うんうん。さもありなん」
 憑依岩倉を前にディノサウロイドのロボットをガラクタ呼ばわりしているけど、外交上問題ないのだろうか。ふと見るとミスドの女性店員がトレイを持ったまま、カウンター口で硬直していた。今のレズビアンショーを観覧していたようだ。なんかやっぱり可哀想。
 ハックが店員に歩み寄りトレイを受けとる。そして隅の席に座ると、はむはむとドーナッツを食べ出した。食べ方が心なし未亜に似ている。一瞬幸せそうな表情を見せたのは気のせいだろうか。
「食べている……。食物をエネルギーにするの?」 
 独り言のようなルカ姉の質問に未亜が答える。
「動的平衡素材は置き換わる分子や原子が必要なんだ。カロリーだけでは身体が維持できない。つまり人間と一緒。消化の方法は全く異なるけどね。あ、ヒロシ。ハックは文字通りウンコしないぞ。そう言えばハックって幡枝先輩にちょっと似ているよね。ハックってある意味ヒロシの理想の女性像なのかな?」
 全員の視線が俺に注がれる。
 なぜ今その話題をここでするのだ馬鹿女。ルカ姉も訳すな。
「次元が違いすぎる。こんな文明を相手にしていただなんて……」とルカ姉は自分の席に戻ると肩を落とした。
「シュピーゲル号はどうやって船体を構成する物質を入手しているのですか?」
 憑依岩倉がいつの間にかハックの横に座り、人差し指で頬や胸を突きながら言った。ハックはそれを気に止める様子もなく、黙々とドーナッツを頬張っている。
「飛行しながら星間物質を……おっと、これ以上は秘密だ」
「星間物質? 水素原子だけでは船体は作れないでしょう」
「だから秘密」
「そうですか。それにしてもこのダッチワイフは良くできています。大量生産はできないんですか? 一体お土産(おみやげ)に持って帰りたい」
「無理。ハックはワンオフだ。それにハックはダッチワイフではない。『機能』は装備しているけど、そう言う目的に作られたものではない。わかりやすいかなぁと思って、比較対象として高級ダッチワイフを取り上げただけのことだ……って、あー、もうっ! トモミン、面倒くさい!」
 ダッチワイフをお土産って。意味わかって言っているのか岩倉。
「話を戻したいと思います。御陵未亜さん。あなたは今後も人類とディノサウロイドのコンタクトを妨害するつもりなのでしょうか」
 ルカ姉が議事の進行に戻る。ところがこの数分の間にすっかり消耗してしまった様で、声にまるで張りがない。
「逆に聞こう。ロリコントカゲは人類とどのような関係を望んでいるの?」
「友好的な文化交流を希望しています」
 ハックの胸を揉みながら憑依岩倉が答えた。説得力ゼロ!
「人類の絵画、彫刻、音楽、文学、スポーツ、演劇、映画、漫画、アニメ。これらすべてが我々には奇跡に思えるのです」
 絵画、音楽はわかるが、最後のアニメって。 
「文明衝突の危険性は我々も充分理解認識できます。先ほども申しましたように、文明不干渉内政不干渉の立場を堅持することをお約束します。我々の持つ技術を不用意に人類に供与提供するようなこともいたしません。我々が居留できる場所をほんの少し提供して頂き、ささやかな文化交流を図りたい。ただそれだけなのです」
 じっと憑依岩倉の言葉を聞いていた未亜が口を開いた。
「トモミン。結論を出す前にひとつ聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
「あの日、去年の七月二十四日。ボクはアキバで何をしていたのだろう」
「さぁ。わかりかねます」
「ではロリコントカゲは何をしていたの」
 憑依岩倉のハックをなで回す手が止まった。
「日本のサブカルチャーの研究調査ですよ」
「へぇ。熱心なんだね」
 未亜は腕を組みしばらく考え込んでいたが「ま、いっか」と呟くと言った。
「トモミンの勇気に敬意を表し、ボクはしばらくの間、双方の動向を静観することにした」
 全員の緊張が緩むのがわかった。
 未亜とディノサウロイドとペルム紀文明。この三つのファーストコンタクトは最悪のものだった。現実に未亜は命を落としかけたのだ。この会談をもっと早く設けることができたなら……。そうか、岩倉がいたからこそ今回初めて可能になったのか。岩倉、お前は正に人類の宝だ。至宝だ。
 感慨を持って岩倉に目を向けると、岩倉は依然ハックの横に座り、彼女の身体をいじり回していた。そんなにハックが気に入ったのか。それとも岩倉自身にそう言う「気(け)」があるのだろうか。
 会談はペルム紀文明の話しに戻り、軍人と科学者の質問タイムとなった。彼らの質問は当然のようにシュピーゲル号と流星号の性能に集中した。海軍の人は原潜を探し出し、沈めることが本当に可能なのかしきりに聞いている。ついさっき未亜が部室で発言した内容だ。部室に盗聴器でも仕掛けているのだろうか。空軍の人は第一宇宙速度に達しない機体がなぜ宇宙に出られるのかを聞いた。未亜が「ほらね」と俺を見る。何が「ほらね」なんだ? たしかに第一宇宙速度がどうのこうのと言っていたような記憶はあるが。
 ルカ姉は反物質炉について質問をした。俺はこの時まで知らなかったのだが、現在の人類科学でも反物質を作ることは可能なのだそうだ。ただ作れる数が極端に少なく、すぐに消滅してしまうという。どのように量産し、制御し、エネルギーを取り出すのか。
 しかし未亜は流星号のスペック以外何も語らなかった。またペルム紀文明を築いた種族が、どんな生き物であったのかさえ話すことはなかった。不満げな質問者たちを前に未亜はうそぶく。
「まぁ、ボクの存在は忘れて、せいぜいロリコントカゲと乳繰りあってくれ」
 この上から目線の一言を最後に会談は終わった。
「この会談の内容を有識者にて精査し、後日改めて正式な会談を……」
 締めくくるルカ姉の言葉が鈍る。
「なに?」と未亜が面白そうにルカ姉の顔を覗き込む。
「正式な会談は行われないかも知れない。未亜が不干渉を確約するのであれば、このままなかったことになるかもしれない。未亜の存在も、ペルム紀文明の存在も。今はこれ以上の混乱は避けたい」
「さすがはバター犬。それが一番賢いやり方だよ」
「いい加減、そのバター犬と言うのをやめなさい」
「はーい、先生」
 ルカ姉がため息をつく。
「ところで頭の毛の不自由な人」
 未亜がグリーン博士に言った。
「それ、食べないのならボクにちょーだい」と手つかずのトレイを指さす。
「体内のナノマシンの維持に、莫大なカロリーが必要なんだ」
 未亜の大食いの謎だけは解けた。
 
 五日後、報告書の提出を終えたルカ姉が休暇を取り、週末の間だけ御陵家に里帰りした。グリーン博士がルカ姉の功績を労ってのことらしい。三年ぶりの帰省という。
 ささやかなパーティーが開かれることになり、俺と妹のあかねも招かれた。家族水入らずを邪魔しては申し訳ないと一度断ったのだが、「一人で帰る勇気がない。付き合って欲しい」とルカ姉が懇願したのだ。実際ルカ姉は家の前まで来ると「やっぱり止めておく」と逃げだそうとした。そんなルカ姉を俺とあかねは引き留め、両脇を挟んで御陵家の敷居を強引にまたいだ。
 そこで待っていたのは俺たち兄妹が予想だにしない光景だった。出迎えたおじさんとおばさん、そして未亜の姿を見たルカ姉が突如膝をつき泣き崩れたのだ。俺たち兄妹は途方に暮れその場に立ちつくす。未亜が瀕死の重傷を負って入院したとき、両親の再三の願いを断り家に帰らなかったことをルカ姉は泣きながら謝罪したのだ。ルカ姉は未亜の最も近くにいながら自身の正体を隠し、父母に顔を合わすことなく裏方に徹していたのである。未亜はルカ姉に駈け寄ると「お帰りなさい、お姉ちゃん」と抱きしめた。あかねが声を潜めて泣いていた。
 
「それはゴリョウさんが言っていたの?」
 市立図書館一階の喫茶店で、幡枝さんがコーヒーに口をつける。
「まあ、そうですね」
 未亜が抱える問題に、ひとつの区切りがついたことを幡枝さんに報告したのだ。
「まあ?」
 訝しげに俺のことを見ている。いくら敬愛する幡枝さんといえ、本当のことを話すわけにはいかない。まさかと思い自分の部屋を家捜ししたところ、盗聴器が山ほど出てきたのだ。発見し切れていない盗聴器が俺の持ち物にまだ付いているかも知れない。下手に真実を語れば幡枝さんに迷惑をかけかねない。もっとも話したところで、とても信じてはもらえないだろうけど。
「何かスッキリしないものの言い方ね。何か隠している? 私との逢瀬がゴリョウさんにばれて怒られたとか?」
 逢瀬! これまた甘美な響きだ。幡枝さん、そんなことがバレたからといって、誰の顔色をうかがうような俺ではありませんよ。
「へぇ。それじゃあ、『私、篠原君と付き合っているの。今後篠原君とは距離をおいてね』ってゴリョウさんに言ってもいい?」
「……?」
 俺は当惑した。未亜はどんな反応を示すだろう。また「愛人だからそれでいい」とか言うのだろうか。「だってボクは……」のあとにどんな言葉が続くのだろう。 
「冗談よ。まさかそこまで困るとは思わなかったわ。ゴリョウさんのこと、よほど大切に思っているのね。妬けちゃうなぁ私。男の人にそこまで思われるなんて」
 幡枝さんがいつものようにしっとりと微笑んでいる。違うんです幡枝さん。そう言うのではないんです……。いや、そう言うのでなければなんなのだ、このやるせない気持ちは。
「気になることがひとつ。ゴリョウさんがゴリョウさん自身を追い込んだ何か。その何かが失った記憶の中にあるような気がする」
 俺も同意見だ。しかしディノサウロイドも知らないとなれば、これ以上どうすることもできない。ふと幡枝さんを見るとメガネを外し、レンズをハンカチで磨いていた。
 やはりちょっとだけハックに似ているな。ルカ姉がハックの身体をまさぐっている映像がオーバーラップする。あれはエロかった……。
「どうしたの? 怖い顔して」
 メガネをかけ直した幡枝さんが、俺の顔を覗き込んでいた。
「いや、何でも……」
 今度は岩倉がハックの胸をいじっている映像が浮かんでくる。
 いかん! 幡枝さんでエッチなことを考えてはいかん! しかも本人の前で!
「あの、岩倉とは付き合い長いんですか?」
「二年ぐらいかな。どうして?」
「いつも仲がいいなぁって思って」
「そうそう。トモミンと言えば、あの子最近アルバイト始めたらしいの。でも何をやっているのか教えてくないのよ。あの子が働いているだなんて想像もできないでしょ? 接客関連は絶対無理だし。今度尾行してみようかな」
「ダメ! 尾行とか絶対ダメ!」
 SPに取り押さえられた時のことを思い出し、思わず叫んでしまった。
「どうして?」
「プ、プライバシーとかそう言う……」
「あれー? 今日の篠原君おかしいー。何か隠しているの。ひょっとしてトモミンのバイト先知っているの?」
「し、知りませんにょ?」
 噛んだ……。ルカ姉が見ていたら、また「いい人ね」とか言われちゃうんだろうな。
「完全に知っているっていう口ぶりじゃない! 教えなさい、こら!」
 でも、なんか、楽しい。

「なんか違う」
 黒田が何とかロールという、コンビニのロールケーキをかじりながらぼやいている。
 今度は何だというのだ。
「考えても見ろ。宇宙人がやってくるんだぞ。宇宙人が!」
「正確には地球人だよ」
 松本が訂正するが黒田は無視して続ける。
「なぜ、何も変わらない?」
「変わらないって、何が?」
「電車が止まるわけでも、休校になるわけでも、パニックが起きるわけでもない。なんら変わらない日常がただ流れるだけではないか!」
「黒田って終末論者なんだ」と松本。
「ちげーよ! どうしてみんな平然としていられるんだ? 宇宙人だぞ!」
「そう言うお前も普通に登校しているじゃないか」
「そう言うんじゃないんだよ。分かんねぇかなぁ、もう!」
 全く問題が起きていないわけではない。国連発表から一週間が過ぎ、少しずつ世間が騒がしくなりつつある。キリスト教国の保守色の強い地域や、イスラム圏でも原理主義が台頭している地域では、ディノサウロイド排斥のデモ活動が拡大しているという。また連日のように特集番組が放映され、ディノサウロイドとのコンタクトに対し、懸念を表明する著名な科学者、有識者も少なくない。
 一方アメリカや日本を中心に、ディノサウロイドの来訪をビジネスチャンスと捉える企業は多い。既にキャラクター化が水面下で画策されているという噂もある。
「ハリウッドで映画化される話も出ているそうだけど、恐竜人本人が出演するのかな」
 松本がブリックパックのコーヒーを口に含む。
 未だディノサウロイドの姿は公開されていない。
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