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だってボクは……

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「見ろ、篠原!」
 朝一番、黒田が勝ち誇ったように俺の前に新聞を突きつけた。みると二面の片隅に「国連臨時総会開催」の文字があった。どうやら「俺の言っていたことが現実になったぞ」と言いたいらしい。短い記事に目を通すが宇宙人はおろか小惑星の単語さえ見当たらない。記事は臨時総会の趣旨が不明瞭としつつも、近年政情不安なアフリカ諸国について何か声明を出すのではないかと締めくくられていた。
「これでいちいち騒ぐのなら、カルガモ親子の引っ越しは一面トップの大スクープだな」
 俺はアクビを堪えながら答えた。
 黒田よ。未亜の話し相手としてはお前の方が相応しいのかも知れない。
「戦争でも起きているのならまだしも、この時期に総会の開催は絶対おかしい。アフリカ問題のような事案は普通、安保理で話し合われるものなんだ。国連関係者もみんな不思議に思っているらしいぞ」
「その関係者って黒田のお知り合い?」と松本。
「国連関係者のブログを見た人の話だよ」
「伝聞じゃん。またまとめサイト?」
「英語のブログなんて読めねぇよ。翻訳ソフトかけても、意味不明の日本語にしかならねえし」
 正直そんな話はどうでも良かった。今日の俺は城崎先生の攻略で頭が一杯なのだ。
 どうすれば話しを聞き出すことができるのか。やはり俺が城崎先生の興味を引く情報を持っていると思わせることがポイントだろう。俺が持つ未亜の情報で、城崎先生が知らなさそうなことってなんだ? 超古代文明の話? 一笑に付されるだけだ。
「何だよ篠原。何、ニヤついているんだよ」
 思わずもらした俺の苦笑いを黒田が見逃さない。目ざといヤツ。
「城崎先生の苦手なものってなんだ?」
「城崎の苦手なもの? なんで?」
「いつもいじめられているから仕返しでもしようかと思って」
「いつもいじめられているのか! なんと羨ましい。ヒールで踏まれるのか、口汚くののしられるのか?」
「ののしられているな、結構」
「見た目まんまのS嬢だな城崎は! 漫研を作るとき校長がすっかり調教されたって本当か? 校長が『私を豚と呼んでくれ』とせがんだとか」
 それは初耳だが、あってもけして誰も不思議に思わないだろう。
「あーわかる、ウチの校長ってMっぽいよねぇ」と松本が笑う。
「篠原、ここはM男(えむお)に徹するべきだ。その内ご褒美がもらえるはず。脱童貞も夢じゃない」
 結局今週はテストが一科目も帰ってこなかった。本来ならこれで土日を憂いなく過ごせるはずだったが、城崎先生との対決次第でどうなるかわからない。
 放課後俺は腹をくくって部室へと向かった。
 部室には幡枝さん、榊田さん、未亜が来ていたが城崎先生と岩倉の姿がない。
「二人とも今日はお休みだって」と幡枝さんが報告し、部会は早々に解散となった。
 くくった腹が行き場を失い腸捻転を起こしそうだった。

「今日はミスドが良いな」
「何の話だ」
「今日はミスドが食べたい」
 未亜がエサを求める子犬ように、目をクリクリさせながら言った。
 ちょっと甘やかせるとすぐつけあがる。
「勝手に食うがいいさ。俺は止めない」
「えー? キャンペーン中だよ。コマーシャル見てないの?」
「だから自分の金で食う分には止めはしない」
「ケチ」と頬を膨らませる。
 なぜケチになるのだ。この思考回路が理解できない。今月の小遣いはもう底をついたのだ。あまたの誘惑に満ちあふれる商店街をスルーし児童公園まで来た。パーカー男を警戒しながら横切る。ところがパーカー男の代わりにいたのは、ウチの学校の制服を着た女子だった。鞄を両手で持ち、公園入口に立っている。
「岩倉?」
 近づいてみるとやはり岩倉だった。なぜこんなところにいるのだろう。学校を休んでいたのではないのか。今日しておかなければならない話でもあったか。まんがコロシアムの打ち合わせ? しかし学校の方が岩倉には利便が良いはず。わざわざ十五分も歩いて来る理由が見当たらない。幡枝さんや榊田さんには話せない話? 
「岩倉、どうした? 俺たちを待っていたのか」
「はい。お話、会話がしたくて、お待ちしておりました」
 岩倉が大きな声ではっきりと答えた。俺は面食らい言葉を失った。
「トモミンじゃない!」と未亜。たしかに岩倉とは思えないハキハキとしたしゃべり方だが、双子の姉妹でもいない限り本人に違いない。
「松果体の発達した個体を、意外にも近くに発見、見いだすことができました。これは我々にとっては幸運。あなた方にとってもハッピー。御陵さんの近くにいたという事実は偶然、必然、渡りに船」
 岩倉が言語明瞭に意味不明なことをしゃべり出した。
「トモミンを返せ!」
 未亜が岩倉に向かって叫ぶ。返せ? 誰から?
「今はご本人の同意合意を得て、翻訳者になっていただいております」
「オトメの肉体を弄ぶとはなんと卑劣な! この変態ロリコントカゲめ!」
「人類の分類区分によると、我々はトカゲではないはずですが」と岩倉が首をかしげる。
「うるさい! このバーカ! バーカ!」
 なんなんだ、この小学生レベルの悪ふざけは!
「どうもどうして御陵さんとは意志の疎通が図りにくいです。篠原さん、あなたから見ていかがでしょうか。一昨日とは比較にならないほど、洗練完成された日本語を話していると思うのですが」
「一昨日?」
「一昨日の夜、あなた方とお話しした、パーカーなる衣服を装着したユニットのことです」   
 唾を飲み込みやっとの思いで答える。
「……なぜパーカー男を知っている?」
「我々がそのパーカー男です。岩倉さんはお身体と言語野をお借りしているにすぎません。ご理解納得ご承知いただけましたか」
 頭の中がぐるぐると回り出した。岩倉、お前は一体何をしゃべっているんだ!
「我々の思考意思を岩倉さんの言語野を使って日本語化しているのです。先日までのユニットは日本語変換が不完全でした。しかし岩倉さんの能力は実に素晴らしい。ここまで感応力に優れた人類の存在は奇跡です。岩倉さんともっと早く巡り会えていたのなら、御陵さんとの不幸な一件も起きなかったかも知れません」
「二人で申し合わせて俺をからかっているのか?」
「どうやら根本的な事情経緯をご理解いただいていないようです。これは失礼いたしました。てっきり果たして、詳細は御陵さんから聞いておられるものとばかり思っていました」
 岩倉が頭を下げた。今俺は何に対して謝られているのだ。
「中継器か何かが近くにあるはずだ。この周囲全体に電磁パルス(EMP)を照射してやる!」
 未亜が空を見上げ叫んだ。中継器?
「落ち着いてください御陵さん。そんなことをしたら、街のインフラストラクチャーが壊れてしまいます」
「だったらトモミンを返せ!」
「わかりました」
 岩倉がよろけた。倒れるすんでの所で踏みとどまると目をパチパチとさせた。
「トモミン?」
 未亜が岩倉を支える。岩倉が小さくうなずいた。
「何か変なことされなかった? 触手状のウニョウニョした卑猥な形状の物体で悪戯とかされなかった?」
 岩倉は首を横に振ると未亜に何か囁いた。
「トモミン! それは騙されている。現にボクは殺されかけた!」
 岩倉が何か反論しているが良く聞こえない。
「卑劣なり変態ロリコントカゲ! シュピーゲル号の艤装を急がなくては」
 未亜は向かいのコンビニに駆け込むと、大型のレジ袋一杯にお菓子を買って走り去った。
「岩倉。今のは何だったんだ」
 岩倉が公園のベンチを見た。座って話そうということらしい。今しがた未亜が出て来たばかりのコンビニでドリンクを買い、ベンチに腰掛ける。ミニサイズのペットボトルを両手で弄びながら岩倉は静かに語り出した。

 昨日の部活のあと「ご両親同席のもと、至急に話を聞いてもらいたい」と城崎先生が岩倉を食事に誘ってきたという。仕事中だった岩倉のお父さんを強引に早退させ、送迎の高級外車が着いた先は、県内随一の高級フレンチレストランのVIPルームだった。城崎先生はいつもとは異なるフラットな口調で、自身を次のように紹介したという。
「私はアメリカ国防情報局に設置された、『ディノサウロイド対策室』にて科学顧問を務めている者です。今は訳あって英会話講師として松ヶ崎高校に勤務しています」
 話は一部ネットで囁かれている「小惑星UFO説」が事実だというものだった。飛来してくるエイリアンたちの先遣隊が一年ほど前に地球に到着しており、既にアメリカ政府と接触を果たしているという。ディノサウロイド対策室とはその窓口なのだ。
「彼らは特殊な意思疎通方法を用いるため、話し合いが難航しています」
 彼らは言語を持たず、意思の疎通を精神感応(テレパシー)で行うという。イメージで意思疎通を行う彼らに5W1Hの概念はなく、順序立てて物事を説明する言語的思考を理解しないのだ。
 ディノサウロイド対策室は世界中の自称超能力者にコンタクトをとり、精神感応能力者を捜した。恐山のイタコにまで声をかけたが見つけることができず、結局エイリアン側が製作した翻訳機を使用することになった。しかし所詮は言語を理解しない種族が作った翻訳機だ。お互いの社会観、道徳観、宗教観が未だよく理解できないらしい。そこに白羽の矢が立ったのが岩倉である。エイリアンとの精神感応が可能だというのだ。
「偶然にも、ともみさんに接近したエイリアンの一人が彼女の能力を見いだしたのです」
 エイリアンは松果体と呼ばれる体内器官で精神感応を行う。ほ乳類では内分泌器のひとつとして知られている器官だ。岩倉はこの松果体がほ乳類としては異常に発達しており、エイリアンとの精神感応が可能らしい。城崎先生はエイリアンの通訳者として岩倉をスカウトしたのだ。
「待て。話がおかしい。エイリアンがなぜ人類と同じ器官を持っている? 違う星で発生し進化した生き物なら、身体の構造なんて全く異なるはずだ」
 俺と同じ疑問を岩倉のお父さんも、フォアグラのテリーヌを頬張りながら口にしたという。この疑問に対する城崎先生の回答は驚くべきものだった。
「彼らは地球外生命体ではありません。彼らもまた地球人なのです」
 ここからは城崎先生の話と、岩倉が精神感応にて知り得た事実を要約して話そう。

 今から九千万年前。白亜紀中期の地球において、小型の草食恐竜から進化した生き物が石器文明を築いた。ディノサウロイド(恐竜人)の誕生である。彼らは大型肉食恐竜の脅威から逃れるため、肉食恐竜から隔離された島に移住、そこで農耕を発明し文明を発達させた。しかしその歩みは遅く人類の十倍以上の年月を要している。この差異をディノサウロイド自身は、戦争という概念を持たなかったためと推測している。また農耕を始めてから人口が増え豊かになったが、自分たちが住む島のキャパシティを超えることはなかったという。これらの性質は精神感応が育んだ「種の総意」によるものらしい。
 人類と対比してこの文明の最も特徴的なところは、文字文化が存在しないことだ。もちろん記録、計測、計算に使用される最低限の文字記号は存在する。しかし「順序立てて相手に心情を伝える」という概念がないため、文学が発生しなかったのだ。また通信手段も独特である。彼らは精神感応波を電気的に増幅させることで遠方への通信手段を手に入れたが、電波波長による通信手段は発明しなかった。
 石器を使い始めてから二千万年後、彼らは宇宙にその足跡を残す。更に五百万年後、その好奇心を太陽系の外へと広げる。光速の半分にまで加速できる核パルスエンジン搭載の恒星間宇宙船が作られ、三十人の乗組員と共に近隣の太陽系調査に飛び立った。ディノサウロイドは一個体の寿命が二百年以上と長命であり、一回に数年単位の冬眠ができるなど、長期の有人宇宙飛行に適した身体的特徴を有していたのだ。
 二つの太陽系を調査するも地球外生命体の発見には至らなかった。地球を出発してから百二十年を過ぎた頃に宇宙船が故障。帰還を諦めた彼らは三つ目の太陽系で最も地球に類似した星をテラフォーミングして永住することにした。数百年の年月を要するテラフォーミングは彼らにとっても困難な事業だ。幾度とない絶滅の危機に瀕しながらも彼らは惑星の開拓に尽力し、四世代をかけこれを成し遂げた。
 彼らは世代交代とともにいつしか連絡が取れなくなった故郷を忘れ、地球は神話の世界に埋もれていった。その後ディノサウロイドの興味は精神や潜在意識の領域へ移行してゆく。繰り返された絶滅の危機が、ディノサウロイドの意識を変化させた結果だった。

 それから悠久の年月が流れたある日、奇妙な電波がディノサウロイドの星に届く。どうやら何か意味を持った信号のようだ。精神感応波通信が一般的であったディノサウロイドにとって、「電波を用いた通信」など思いもよらなかった。彼らにとっての電波とは、天体などが発する自然現象のひとつに過ぎなかったのだ。
 分析が始まり地球発信であることが確認されると、ディノサウロイドたちは沸き返った。神話の星からメッセージが届いたのだ。ところがそれ以上分析は進まなかった。言語を持たない彼らはモールス信号さえ理解できなかったのだ。
 信号は年を追うごとに複雑化し、数が増えてゆくことが確認できた。またこの電波はディノサウロイドに向けてのメッセージではなく、四方八方に垂れ流しされているのではないかと推測された。ここでひとつの仮説が立てられる。
「電波で意思疎通を行う生命体が現れ、急速に進化増殖しているのではないか」と。電波を発する生き物である。代謝が著しく速いのかも知れない。一世代が秒単位、分単位という生命体があってもおかしくない。彼らはそう考えた。
 ディノサウロイドは地球への有人飛行を決断する。精神文化の熟成に傾倒していたディノサウロイドにとって久々の冒険だった。文明として既に壮年期を超え、数千万年も内向きであった事に対する自戒も込めた冒険である。八十人乗りの恒星間宇宙船三隻が作られ、船団が組まれることになった。新造船による二十光年離れた地球への旅は片道およそ四十年。ディノサウロイドには一世代で往復できる距離だ。船団が出発した時、最初の電波が受信されてから百年が過ぎようとしていた。
 船団は飛行中も電波を受信し、地道に分析研究を行った。やがて電波の中に圧縮されたデジタルデータを発見する。データを解析したところ画像であることが判明した。早速モニターに投影すると、現れたのは見たこともない生物だった。頭部感覚器官の構成はディノサウロイドと同じだったが、耳孔周辺に突起があり肌の色は様々だった。
 彼らを何よりも驚かせたのは、この生物が四六時中パクパクと口を開き、鳴き声をあげていたことだった。ディノサウロイドはこの時初めて「鳴き声による意思疎通」という概念を知る。もちろん鳴き声で危険を知らせたり、求愛行動をとる生物の存在は知っていた。しかし鳴き声だけで知的で複雑な意思疎通ができるとは思いもしなかったのだ。知性とは精神感応があって初めて成り立つものだと信じていたのである。
 急遽「言語」の研究が始まったが難航を極めた。恋愛感情を方程式に置き換えるようなものと言えばその困難さが伝わるだろうか。言語の種類が無数に存在することも障害となった。それでも少しずつ研究は進んだ。研究は彼らにとって驚きの連続だった。
 この種族の持つ激しい喜怒哀楽に驚く。
 石器を手にしてからわずか数十万年で宇宙に到達したことに驚く。
 宇宙に進出する一方で、お互いを殺し合っていることに驚く。
 文明を複数回滅ぼすことのできる大量の核兵器を持っていることに驚く。
 彼らは悩んだ。
「我々の存在を知ったら、我々の星に攻めてくるのではないか」と。地球が丸いとようやく理解した頃に風任せの帆船で大洋を渡り、他文明を滅ぼしてしまう種族なのだ。この時船団は既に地球まで数年の距離に迫っていた。
 そこで彼らは「考え得る限り友好的な言語メッセージ」を数カ国語で作成、これを電波送信して反応を見ることにした。しばらくすると「国際連合」の代表として「アメリカ」と呼ばれるコミュニティーがメッセージに応えてきた。友好的と思われる内容で「歓迎する」とあった。数百も存在するコミュニティーの中から、一コミュニティーを特定して接触するのは果たして好ましい事なのだろうか。再び彼らは悩む。
 検討の結果、彼らは先遣隊の派遣を決めた。質量の大きな母船は減速に時間がかかるが、搭載されている小型宇宙船は自在に加減速できる。片道飛行にはなるが母船よりも一年以上早く地球に到着できるのだ。七名が選抜され先遣隊は出発した。
 地球に到着した先遣隊は、翻訳機を搭載した人類型ロボットで間接的な接近遭遇を試みた。精神感応波により遠隔操縦するタイプで、不都合が生じた場合には直ちにコンタクトを中止、破棄する計画だ。防疫服に身を包んだ人類代表との初めての会見は、連続四十時間に及んだという。翻訳機の性能が著しく低かったため、不用意に人類側が発した社交辞令的挨拶の解釈に手間取り、お互いに友好的でありたいと意思表示するだけでこれだけの時間がかかってしまったのだ。
 時間スケールが異なるディノサウロイドにとって、連続四十時間の会見はどうということもなかったが、人間にとっては大きな負担だ。担当した三人の科学者はトイレに行く際に生じる除染の時間を惜しみ、防疫服の中に排尿しながら会見を続けたという。また会見のあと脱水症状を起こし点滴を受けたそうだ。
 こういった会見を繰り返す一方、ディノサウロイドは好奇心から複数の人類型ロボットを様々なコミュニティーの主要都市に配置し、人類文明の観察を行った。
 ある日、その中の一体が「謎のロボット」に襲われる。それはディノサウロイドのものよりパワーとスピードに優れた精巧なものだった。その謎のロボットはディノサウロイド製ロボットを捕獲しようとしたらしい。袋小路に追い詰められた操縦者は、逃れるためビルの外壁をよじ登ろうとした。その際誤ってエアコンの室外機を落下させ、たまたま通りかかった「人間の女性」に当ててしまったのだ。謎のロボットはその「人間の女性」を抱えると姿を消したという。
 報告を受けたディノサウロイド対策室は、直ちに周囲を封鎖し捜索を行ったが、血痕以外何も発見できなかった。ところが事件発生五時間後に、その「人間の女性」が姿を消した現場近くに忽然と姿を現す。頭蓋骨折、意識不明の重体として病院に運び込まれたものの、砕けた頭蓋骨にはある程度修復した形跡があり、顔こそ腫れ上がっていたものの容体は間もなく安定、僅か一週間ほどで回復したという。
 それ以降、その「人間の女性」は「謎の科学技術」をもってディノサウロイドを牽制する行動に出ているという。ディノサウロイドはその「人間の女性」に接触を試みる中で岩倉の存在に気がついたのだ。

 岩倉が話を終えたとき辺りはすっかり暗くなっていた。
 間違いない。その「人間の女性」とは未亜だ。
「怖くなかったのか?」
 岩倉は怖かったと答えた。両親も反対したという。しかし一度精神感応を試みたところ、極めて温厚な種族であることがわかったという。我欲がなく誠実で知の探求に熱心……たしかにそうでなければ何千万年も一つの文明を維持することなど不可能だろう。我々人類など一万年はおろか、あと千年も保つとは思えない。我々の先輩にあたる知的生命体。彼らもまた地球人という言葉を反芻する。
 岩倉は自ら家族を説得し、この協力要請を受諾したという。見かけによらず恐ろしく勇気のある女だ。精神感応ですべての経緯を知った岩倉は、居ても立ってもいられなくなり、ここに駆けつけたのだ。
「岩倉さん!」
 公園の入口から城崎先生が走ってくるのが見えた。黒服の男二人を引き連れている。黒服たちの片方の耳にはイヤホン。あーゆーのテレビドラマや映画で見た事があるなぁと思っていたら、黒服たちは無言で俺に掴みかかり、腕を後ろにねじ上げ地べたに押さえつけた。
「痛てぇ! 離せ!」
 男の膝が俺の首をがっちりと押さえ込む。一ミリも動くことができない。視界の片隅で城崎先生が優しく岩倉を抱きしめるのが見えた。
「勝手な行動を取ってはダメ! あなたの身は必ず守ると、私はご両親に約束したのよ」
 俺のことなど眼中にない様子で先生は岩倉の頭をなでた。岩倉がごめんなさいと呟く。
 土の匂いを嗅ぎながら俺は憤る。なんなんだ、この差は! 
 先生は俺を一瞥すると別人のような低いトーンで黒服に命じた。
「離してあげて」
 この人、これが地声なのか。 
「で、未亜は?」
 先生の問いに岩倉はダメでしたとうなだれた。
「そう」
 先生は表情をくもらせ口を閉ざした。黒服から解放された俺は立ち上がり、制服に付いた土を払いながら違和感を感じていた。今たしか「未亜」と言ったな。「御陵」ではなく。
 先生はしばらく考え込んでいたが、おもむろに上着のポケットからスマホを取り出し、一言二言英語で話すとまたポケットに戻した。
「御陵なら家に帰りましたけど」
 俺の言い直しに気づいた様子もなく先生が口を開いた。
「あなたはもう帰りなさい」
 あなたは部外者なのよ、早く家に帰っておねんねしなさい的な言い方に少しカチンと来た俺は言った。
「話は聞きました。未亜のことなら俺に……」
 先生が俺の胸ぐらを摑み顔を近づける。
「お前にできることは何ひとつない。とっとと家に帰ってマスでも掻いて寝ろ」
 日本語でも口汚く罵倒できるのですね。先生。
「俺にもなにか岩倉を手助けできることが……」
 パン。
 強烈な平手打ちが俺の頬を襲った。顎がずれたかと思うほど重い一撃だった。
「多少の事情を知った程度で調子に乗るな! 今の岩倉はこの国の閣僚、すべての命よりも価値のあるVIPだ。未亜とも今後一切係わるな。今日はこのまま真っ直ぐ家に帰りなさい。これは命令よ。良いわね」
 俺に向かってごめんなさいを繰り返す岩倉の手を引いて、城崎先生が黒服たちと去っていく。公園の外で高級車っぽいドアの開閉音がすると、低いエンジン音がうなりを上げ遠ざかっていった。
 公園に一人取り残された俺は、ビンタなんて中学の体育祭以来だなとぼんやり考えていた。あの時はたしかテントの支柱をふざけながら運んでいて、体育の先生に食らったんだったけ……などと思い出している内に怒りが沸々とこみ上げてくる。
「ナメてんじゃねーぞ、こらぁ!」と叫んでみた。
 しかし怒りは収まらない。公園の外で通行人が何事かとこちらを見ているが、気にしている場合ではない。俺は未亜の家に向けてダッシュした。全力だ。
 呼び鈴を押し、応対に出るおばさんへの挨拶もそこそこに、二階に駆け上がると未亜の部屋のドアを叩いた。しばらく待っても返事がない。「開けるぞ」と戸を開けるが未亜がいない。ベッドの上に制服が脱ぎ散らかしてあった。同じ女でもあかねとは大違いだ。シワになるだろうが! 隣の部屋から何か物音がする。ルカ姉の部屋か。
「未亜、いるのか」
 隣の部屋のドアを叩く。
「ういー。入ってー」
 間の抜けた返事が来た。そっとドアを開ける。部屋の真ん中に陶芸用のロクロをハイテク化したような機械があった。その前でスウェット姿の未亜がやたらごつい手袋をして何かをいじっている。
「それ、なんだ?」
「ぱらぱらっぱらー。エアー粘土!」
 未来から来た青い猫型ロボット風に答えた。
「3DCGをこの手袋で粘土のようにこねくり回せる優れものさ。ある程度の形になったらシュピーゲル号がいい感じにしてくれる」
 よく見ると未亜がいじっているものは物体ではなく立体映像だった。立体映像を指でちぎったり伸ばしたりしている。
「例えばこれをアンテナだとする」
 未亜が立体映像を指先で摘み引っ張る。映像が餅にように伸びるが太さが歪でとてもアンテナには見えない。ところが小指でチョンと触れると均一でまっすぐなブレードへと変化した。
「ね。便利でしょ? 属性や機能、使用条件等を設定してやれば、それなりのデザインに変化するんだ。ヒロシもやってみる? 面白いよぉ」
 こんなもの、市販しているわけないよな。
「これからどうするつもりだ」
「迎撃に出る。ちょうど週末だし、サザエさんの時間までに片付ける」
 お前の基準はそこか。
「そのシュピーゲル号? ってどこにあるんだ」
「今は月の裏側。近頃は人類も月にいっぱいオモチャ飛ばしているから、時々水星や金星、さらには太陽の裏側にまで退避させなきゃならない。でもさすがに太陽って遠くて。光速でも八分以上かかるんだよ。緊急事態に対処できないっつーの。手遅れになっちゃう。なんか良いアイデアない?」
 鼻歌を歌いながら立体映像をこねている。
「武器がまだないんだろ? どうやって迎撃するんだ」
「ホントは荷電粒子砲とかフェーザー砲とか、カッコ良いので武装したかったんだけど、射程が長くとれなくてさ。数十万キロも離れると減衰しちゃうんだ。戦闘機の製作も間に合わなかったし。だからこの際、電磁投射砲を主砲にすることで我慢しようかなーっと」
「電磁投射砲?」
「レールガン。宇宙では質量とスピードが最も確実な破壊兵器となる」
 言っている意味はよくわからんが、戦うつもりらしい。
「今さっき、岩倉から話を聞いた。彼らは恐竜から進化した地球人だそうじゃないか。とても平和的な種族で今まで戦争をしたことがないらしいぞ」
 未亜が手を止め、じっとりと俺を見る。
「懐柔されたの?」
「そうじゃない。きちんとした話し合いを持てと言っているんだ」
「こんな話を知っている? 昔、とある宣教師が食人の習慣がある未開の部族を訪ねたの。食人はいけないことだと宣教師は一生懸命説いたそうだよ。部族はその話に感銘を受け、宣教師を尊敬した。そのあとどうなったと思う?」
「どうなったって、人食いを止めたんだろ」
「尊敬する宣教師を殺して食べたの。その知恵と知識を我がものにするためにね。これが文化の違いというものなのさ」
 未亜が再び「エアー粘土」をこね出した。こいつの思考は極端すぎる。あいだというものがない。それとも何か根拠があってのことなのか。
「お前とその……融合? したという古代文明って一体何なんだ? 恐竜人と何か関係があるのか?」
「あ、囲まれた。しくったな。ハックを呼んでおけばよかった」と未亜が顔を上げる。
「何に囲まれたんだ。ハックって誰だ」
「バター犬の犬。ハックはこの間説明したじゃん」
 その時ガシャンと窓ガラスが割れ、小型の缶スプレーみたいなものが部屋に飛び込んできた。それは一度エアー粘土に当たると床にカラカラと転がり、俺の足元で白い閃光と共に大音響を発した。
 何も見えず、何も聞こえない。
 上下の感覚さえわからなかった。誰かに引き起こされてから初めて自分が床に倒れていたことに気付く。「未亜」と声を上げたつもりだったが自分の声が全く聞こえなかった。身体が持ち上げられる。どこかに運ばれているようだ。かなり激しく動いている。
 しばらくすると視力と聴力が回復してきた。状況を確認しようと辺りを見回して愕然とした。未亜が俺を「お姫様だっこ」をして車道を走っていたのだ。
「お、下ろせ!」
「ダメ、追いつかれる」
 後ろを見ると黒ずくめの男が複数追って来るのが見えた。アメリカのSWATみたいな格好で、各々ショットガンのようなものを持ちバスバスと撃っている。
 撃っている?
「未亜、撃っているぞ! 未亜!」
 何か黒いものが未亜の背中や足に鈍い音を立て当たるのが見えた。未亜が転倒し、俺もアスファルトに投げ出される。足がもつれ立つことができない。倒れた未亜に這い寄る。
「大丈夫か!」
「ゴム弾でも……当たるとやっぱり痛い」と顔をゆがませた。
 男たちが追いつき、たちまち俺と未亜を取り囲む。男の一人が腰から拳銃を抜き、弾を装填すると未亜に向けた。
「投降しろ御陵未亜! 今度はゴム弾では済まないぞ!」
 それって本物? そんな間抜けなことを考えていると未亜が空に向かって叫んだ。
「遅いぞ! 流星号!」
 流星号? シュピーゲル号とは違うのか。未亜はただ空の一点を見つめている。
 男が苛立って叫ぶ。
虚仮威こけおどしは効かんぞ! 両手が見えるよう腹ばいになれ、早く!」
 何を待っているんだと未亜に声をかけようとしたとき、空が裂けた。
 正確には天空の三分の一に及ぶ長さの、オレンジ色に輝く火柱が現れた。次の瞬間身体を引き裂かんばかりの衝撃と爆風が襲う。俺は思わず頭をかばい地面に伏した。遠くでガラスの割れる音と、バリバリと何かが壊れる音が聞こえた。
 風が収まり顔を上げると、淡く光る流線型の白い物体が降下してくるのが見えた。昔の新幹線を平べったくしたようなボディに小さな垂直尾翼が二つ。熱を発しているのか周囲に陽炎が揺らめいている。
 唖然と見上げる黒ずくめの男たちを蹴散らし、それは生き物の様に低いうなり声を発しながら俺と未亜の前に着地した。普通乗用車程度の大きさだ。ジェット戦闘機のようなグラストップの天井が音もなく開くと、中には白いシャツとジーパンに身を包んだ見知らぬ女が一人操縦席に座っていた。俺と未亜を表情のない目で見つめている。
「なんだ、これは」
 自分の声が遠くに聞こえた。誰か別人がしゃべっているようだ。
「流星号。機体表面に触らないように。断熱圧縮で高温になっている」
「これは、なんなんだ」
 俺は繰り返した。声が震えていた。
「だから流星号。シュピーゲル号搭乗用に作ったシャトル。エアー粘土で作った最初の作品。この大きさで反物質炉を搭載しているんだ。凄いだろ」
 そう説明すると未亜は操縦席に座る女に言った。
「ハック、あの連中を足止めして。それとお父さんとお母さんを守ってあげて」
 ハックと呼ばれた女はその場から三メートル(!)もジャンプし、仮面ライダーのように空中でトンボをうつと、体勢を立て直しつつあった男たちの中に飛び込んだ。男たちが慌てて構える銃器を、まるでダンスでも踊るかのように軽やかにたたき落としてゆく。
 腰を抜かしその様子を眺めていた俺のズボンのベルトを未亜がつかむ。体重六十一キログラムの俺を片手で持ち上げ流星号に放り込んだ。続いて未亜も飛び込む。男たちが何か叫んでいたが、ガラスルーフが閉まると外音が完全に遮断され、機体がふわりと浮かぶのを感じた。頭から座席に突っ込んだ俺は身体を起こそうと藻掻いたが、すぐに殺人的な加速が加わりそのままの体勢で座席に押しつけられた。頭に血が集まり視界が赤くなってゆく。こめかみがきしみ、鼻の奥できな臭い匂いがした。
「低空で超音速飛行すると凄いことになるねぇ。何件か屋根が吹き飛んだんじゃないかな。迷惑な話だよねぇ」と未亜がケラケラと笑った。
 この、加速で、なぜ、お前は、笑って、いられるのだ……。
 意識が遠のく寸前、ようやく加速が弱まった。やっとの思いでシートに座り直し、曲面のガラス窓から外を覗く。青い水平線が大きな弧を描いていた。
「嘘……だろ」
 天を仰ぐ。空が、黒い。
「マッハ十五は第一宇宙速度に足りないけど、だからといって宇宙に上がれないワケじゃない。それはあくまで慣性飛行が前提の話。この辺を理解していない人が不思議と多いんだよ。ちなみにここはまだ成層圏。インド洋はまだ明るいねぇ」
 未亜が上機嫌に何かを解説していたが、俺はほとんど聞いていなかった。キャビンに目を移す。ツーシーターのスーパーカーにそっくりなインテリアだ。ひとつ違うのはハンドルが旅客機の操縦桿のようなデザインになっているところだろうか。
「お前が運転しているのか」
「あー、これ?」
 操縦桿を指先でつんつんすると気恥ずかしそうに答えた。
「これ、ダミー。操縦は流星号がしてくれる。カッコ良いからちょっとくっつけてみただけ。内装はランボルギーニ・アヴェンタドールのパクリ。二十四分の一プラモデルを、そのまま拡大してみた」
 岩倉の話を聞いても、城崎先生のビンタを食らっても、俺はこの一連の話が何かの冗談だと思っていた。しかし今この目の前に広がる光景は紛れもない事実だ。けどどこからどこまでが本当なんだ? 超古代文明ってムー大陸がどうのとか、ピラミッド作ったのが宇宙人とか、そう言うのだろ? そんなのどう考えてもあり得ないし! 
「このままシュピーゲル号とランデブーしよう」
 展開が唐突すぎて、頭がまるで着いていかない。少し考える時間が欲しい。
「さっきの女の人は? 置き去りで良いのか」
「ハックはアキバでボクを助けてくれたアンドロイドだ。とっても強い。頭も良いから適当なところで逃げて、適当にやり過ごすよ」
 あれがアンドロイド? ロボットだというのか? 見た目人間と全く区別が付かなかったぞ。公園で見たパーカー男とは偉い違いだ。
「身体は大丈夫なのか」
「?」
 未亜がキョトンとしている。ついさっきまでゴム弾を食らい悶絶していたというのに、今は平然としている。それどころか流星号の殺人的な加速にも全く動じていない。俺はまだ頭と耳がガンガンと鳴って吐きそうだというのに! そう言えばさっき、俺は未亜に片手で放り投げられたような気がする。
「あ」
 何かを思い出した様だ。
「痛い。ものすごく痛ひ」
 突然未亜が両腕で肩を抱え込み、悶えだした。見え透いた小芝居。どこまでもふざけたヤツだ。ここはひとつ怒鳴りつけてやろうと思ったが、未亜が取った次の行動に俺の思考は停止した。
「ヒロシ、ちょっと怪我の様子を見てくれる?」とスウェットの上をゴソゴソと脱ぎ出したのだ。
「お、おい。何をやっているんだ。いい加減に……」
 ペールピンクの飾り気のないブラに包まれた、想像以上に豊かなバストが目の前に現れた。目のやり場をなくし慌てふためく。こんな状況においても思春期真っ盛りの本能に逆らえない自分が忌々しい。だが振り向いた白い背中に、ぎくりとするぐらい大きな内出血があった。赤黒く腫れ、若干の出血が下着を汚していた。
「だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない」と言いながら俺の制止を無視して今度は下を脱ぎにかかる。あらわになった腰と右の太ももにも、同じような内出血があった。パンツはブラとお揃い。
「医者に診せた方がいい。骨が折れているかも知れない」
 人は興奮状態にあると痛みを感じないときがある。怪我や骨折に気付かず試合を続けるアスリートの話は良く耳にする。
「ヒロシが舐めて治して」と思いっきり甘えた声を出した。
「こんな時にふざけている場合じゃないだろう!」
「ふざけてなんかないよ。ヒロシが舐めてくれたらすぐ治る」
 こちらに向き直ると四つん這いになって迫ってきた。当然逃げ場はない。
「ほら、触ってみて」と俺の手をつかみ、自分の胸元へ引き寄せようとする。
「こら待て! そこは怪我していないだろう!」
「ぬう。こんな千載一遇のチャンスをスルーするかな? 幡枝先輩への義理立て?」
「それ以前の問題だ! 状況を考えろ、状況を!」
「二人きりで成層圏。超ロマンチックじゃん? あとで責任取れとか言わないよ。愛人としての立場はわきまえているつもりだ。幡枝先輩にも内緒にしておく」
 またか!
「だからなんでお前が俺の愛人なんだ?」
「幡枝先輩が正妻だから」
「なぜ端から正妻を譲る?」
「だってボクは……」
 言葉は続かず、未亜は俺から目を逸らした。その表情を見て俺はギクリとした。
 この顔、部屋に引きこもっていた時と同じだ。同じ顔をしている。
 やっぱりこいつはまだ……。
「あ、ラプター、来たぁー!」
 突如叫ぶと未亜は操縦席に戻りコンソールを覗き込んだ。タッチパネルらしきものを操作すると曲面ガラスの内側に、数字や画像が表示されたウインドウがたちまち十数個出現する。未亜はその中の画像をひとつ指さした。
「ほら、ラプター二機。成層圏まで上がってきた」
 ラプターとはアメリカ空軍のステルス戦闘機だ。見えない戦闘機として世界最強を誇る。そのぐらい俺だって知っている。その見えないはずの戦闘機が十インチほどの小さなウインドウにハッキリクッキリと映っていた。いとも簡単に発見されているぞ、ステルス!
「あー、なんか英語で話しかけてきている。ウザッ! 日本語でしゃべれっつーの。ちょっと実力の差を見せつけてやろう」
 未亜は四点式のシートベルトを座席から引きずり出すと、下着姿のまま装着し出した。
「ヒロシ、ベルト」と未亜がこちらを見る。俺も慌てて装着する。
「いっくぞー!」と未亜が叫ぶと同時に重力が反対方向にかかった。シートベルトが肩に食い込む。内蔵が上に引っ張られ、血が頭に集まり再び視界が赤くなった。左横を何かが通り過ぎる。
「インメルマン・ターン!」
 今度は重力が下方向にかかり、肺の中の空気が絞り出された。視界がどんどん暗くなり意識が遠のく。そこにキリモミが加わり、脳と三半規管が激しく揺さぶられた。
「ほらほら、後ろをとったよ。どうする、どうする? 成層圏ではそれが限界?」
 未亜。お楽しみ中のところ誠に申し訳ないのだが、このままでは俺の胃の中のものが全てリバースしてしまう!
「あ、日本語通信だ」
 未亜は機動をやめ、タッチパネルを操作し出した。
 助かった、もう少しで大惨事になるところだった。喉もとまで来ていたモノを辛うじて押し戻す。曲面グラスの内側に城崎先生の顔が映し出された。
「……おい、これってまさか、向こうにもこっちの画像が行ってるのか?」
「双方向画像通信はSFアニメの基本だからね。ヒロシ、顔が真っ青だよ。大丈夫?」
 SFアニメの基本がどういうものかは知らないが、下着姿の未亜と俺が寄り添っている状況が中継されているというのか。これは確実に停学処分ものだ。何か言い訳をしなければと思ったが何も思いつかない。ところが城崎先生は俺たちの姿を見ても顔色ひとつ変えなかった。
「帰れと言ったのに」
 城崎先生が呟くように言った。
「ヒロシちゃん。今後アメリカはあなたをテロリストとして扱う。捕まればグアンタナモに送られ一生監禁されるのよ。私、あなたのおじさんやおばさんに何て言えばいいの?」
 どういう意味だ? それに「ヒロシちゃん」って?
「ヒロシには手を出させない!」と未亜が叫んだ。
「それではこういうのはどう?」
 一人の女の子が黒服に連れられフレームインしてきた。後ろ手に縛られている。
「あかね!」
 それは紛れもなく妹のあかねだった。城崎先生は黒服から拳銃を受け取ると、左手であかねの髪の毛を鷲づかみにし銃口をこめかみに押しつけた。
「あかねチンもテロリストの共犯者だったなんて。ルカ姉悲しいよ」
 ルカ姉? 未亜の姉の御陵琉花? 城崎先生が? そんな馬鹿な! 
「小さい頃さんざん遊んでやったのに、ちっとも覚えていないのね。なんて薄情な子なのかしら」
 もう十年近くも前の話だ。面影を探るがまったく見当たらない。わかるわけないだろう!
「未亜、どういうことだ! 城崎先生がルカ姉って知っていたのか?」
 未亜は画面を睨みつけたまま黙っている。
「ヒロシちゃん。未亜はね、もう昔の未亜じゃないのよ。記憶の多くが消失し断片化している。特に私に関しての記憶はほぼ皆無。ひどいよね、肉親の記憶よりもヒロシちゃんの方が多く残っているだなんて」
 あかねが城崎先生の腕の中で硬直している。
「ショックだったわ。秋葉原で瀕死の状態で発見された少女が自分の妹だったんですもの。しかもあり得ない速度で回復してゆく。国防省は未亜を隔離すべきだと言ってきたわ。でも私はその忠告を無視して未亜を家に戻したの。そして名前を偽ってこの学校の講師として潜り込んだのよ。表向きは未亜を監視し『背景にあるもの』の正体を探るためにね。でも本当は父と母が悲しむ顔が見たくなかったの。未亜が可愛かったの。私情がこんな結果を招いてしまった。責任のすべては私にある。だから私が決着をつける」
 城崎先生……いやルカ姉は拳銃を握り直し、今度はあかねのアゴに銃口を押し付けた。
「篠原広志、未亜を説得しなさい。すべての装備を放棄し投降しろと。従わなければこのまま引金を引く。きれいな顔が台なしになるわよ。説得に成功すれば今回の事は不問に付してあげてもいい」
 あかねの顔がみるみる恐怖にゆがんだ。俺はパニックに陥り何も考えずに叫んだ。
「やめろ! 説得する! 説得するからあかねを離してくれ!」
「よろしい。今から五分時間をあげ……」
 誰かの着信音が鳴った。ルカ姉は銃口をあかねから離すと拳銃を黒服に返した。そして上着からスマホを取り出し無言で耳に当てた。スマホから相手の音声がかすかに漏れ聞こえる。ルカ姉はしばらく黙って聞いていたが、「イエス、マム」と一言スマホに吹き込むと通話を切り、掴んでいたあかねの髪を離した。
「未亜、何をした?」
 かすれた声で呟くルカ姉に未亜が答える。
「第七艦隊の航空母艦、ジョージ・ワシントンに電磁パルス(EMP)を照射し無力化した。搭載している航空機全機含めてだ。今は漂流する巨大なスクラップに過ぎない。あかねチンや篠原のおじさん、おばさんに危害を加えるとアメリカ機動艦隊のすべてに電磁パルス(EMP)を照射すると警告した。アメリカは丸裸になるぞ」
「成層圏からピンポイントで? そんなことが……」
「流星号は独立したAI(人工知能)を持つロボット機だ。大気圏内での最高速度はマッハ十五。飛行航続距離は無制限。一時間以内に世界中のあらゆる場所に出現できる。ホワイトハウス上空でデモフライトさせてもいいぞ。反物質炉を搭載しているから、下手に攻撃して破壊すると大惨事になることも教えておこう。〇・一グラムの反水素が対消滅したときに発せられるエネルギーを一度計算してみると良い!」
「反物質ですって?」
 ルカ姉が唸る。
「たった一機のエアクラフトにアメリカ全軍が降伏するというの? 未亜、あなたは一体何に取り込まれてしまったの?」
「取り込まれてなどいない! これはボクの意思だ!」
 なんだよこれ。
 なんなんだよこれは! 
 ルカ姉は未亜の現状を理解していない? 全くのすれ違いのまま現在に至っているというのか? 
「先生、ルカ姉、ちょっと待って! 未亜も!」
 二人が同時に俺を見る。
「今までお前らはこんな脅し合いを行って来たのか? このままじゃ、いつかきっと誰か大けがしたり死んだりするぞ。このまま一度もまともな話し合いをせず、小競り合いを続け、誰かが死ぬようなことがあったら俺は未亜もルカ姉も絶対に許さない!」
 未亜が目をまんまるに見開き俺を見つめる。
「だってヒロシ……」
「だってもへったくれもない! 直ぐに話し合いの場を設けろ。そうしなければ今この場でお前とは絶交だ!」
 絶交という言葉を口にしてから後悔する。こんな子ども染みた言葉、あまりにも恥ずかしすぎる。二十世紀少年じゃあるまいし、もっと良い言い回しはなかったのか。ところが俺を見つめる未亜の目に、みるみる涙が溢れる。あれ?
「絶交はイヤ。話し合うから絶交だけはしないで」
 泣きながら俺にすがりついて来た。嘘だろおい。
 ルカ姉が呟いた。
「あ、泣かした」
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