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36 カインとアベル
しおりを挟む「また叔父上にダメだって言われたよ。そんなに僕って軽そうに見えるのかなぁ?」
「見える」
「見える」
「ちょっと同時にやめてよ。双子じゃあるまいし。」
父上はまたこの従兄弟…第二王子ルシールからのシルフィーラへの婚約の申し込みを断ったらしい。
恒例行事かってくらい毎年の事だから、僕達兄弟もそれに関してはもう笑い話の域だ。
ルシールは三兄弟の真ん中で、兄と弟とは似ても似つかぬ性格をしている。
次期国王として早くから指名された兄は厳格そのもの。下の弟は謙虚で生真面目。なのになぜ真ん中のルシールだけは溶けたマシュマロのように柔らかい性格なのか。長い付き合いだが未だに謎だ。
「理由は聞いた?何で駄目なのか教えてくれたの?」
「いいやアベル。またうまくはぐらかされちゃったよ。」
「そうか。まあお前の言い方も軽いから、本気に見えないんだろうな。」
「そうなのカイン?僕、結構本気で言ってるつもりなんだけどなぁ……」
普通納得が行かないとき人間はもう少し色々と難しく締まった顔をするものだがルシールは相変わらず何もかもが柔らかい。
父上はルシールの申し出に“何故駄目なのか”その理由を言わない。それは僕達が聞いても同じだ。
だから僕達はおそらくだが父はシルフィーラを王家に嫁がせるのが嫌なのだろうと思っていた。
父は王族出身だ。その窮屈さは嫌と言うほど知っている。ただでさえ窮屈な上に陰謀渦巻く王宮内では時に命だって狙われかねない。
こんな時家格の低い家なら喜んで娘を差し出すのだろうが我が家は王家に次ぐ公爵家。しかも父は王弟だ。シルフィーラを差し出すメリットもない。だからこれは純粋な親心なのだろう。妹を目に入れても痛くないと溺愛する父だ。それも決して比喩じゃない。
「まだまだ道のりは遠いねルシール。それにシルフィの年齢を考えても結婚には早いよ。こんなに早く他の男のものになるなんて僕らだって嫌だよ。」
「うーん。じゃあまた来年……いや、半年後だね。」
「しつこくて父上に嫌われるぞ。」
こんな会話が日常だった。
だが僕達は父の考えとは違った。
口では駄目だと言いつつも、世界で一番可愛い妹をくれてやるのならルシールしかいない。そう思っていたのだ。
少し歳の離れた妹を僕達はそれはそれは可愛がってきた。だってシルフィーラは素直で優しくてとびきり美しい。
出自も容姿も愛情も……すべてに恵まれたシルフィーラは人を羨む事も妬む事も知らない。透き通るように美しい心を持つシルフィーラは僕達の大切な宝物だった。
そんな宝物が初めて王宮に足を踏み入れたその日、僕達は人が……それも何とあのルシールが恋に落ちる瞬間を目撃してしまったのだ。
悪友が来たぞとばかりに僕らを迎えに来たルシールは、馬車から降りてきたシルフィーラを視界に入れた途端、まるで時間が止まったかのように目を見開いたまま動かなくなった。
そんなルシールに気付いたシルフィーラは、小さな足と慣れない靴でドレスの裾を踏まないように一生懸命ルシールの側まで歩いて行った。そしてルシールの目の前まで来ると可愛らしく礼をして、真っ直ぐにその目を見て言ったのだ。
「ルシールしゃまね?おにいしゃまのおしえてくれたとおり、わたしとおんなじだわ。でもルシールしゃまのおめめの方がキラキラしててとってもキレイ!」
僕達はその時のルシールの顔を一生忘れないだろう。
いつもすました顔で面白可笑しく世の中のすべてを皮肉りながら生きてきたルシールが、蕩けるような顔をしてシルフィーラに跪いたのだ。
それだけでも僕達には凄まじい衝撃だった。けれどルシールはその後シルフィーラの白く柔い小さな手を取り恭しく口づけた。
「……やっと会えたね……」
懐かしむような慈しむようなその瞳。
その時ルシールの目には……世界にはシルフィーラしか映っていなかった。
*
それからルシールはシルフィーラが王宮に来る度に顔を出した。
今までは茶会や夜会など面倒だと言っていたくせにだ。そしてどんなに離れた場所にいようともルシールはシルフィーラから目を離す事はなかった。
ある日の夜会の事だった。
社交の場でシルフィーラが注目の的なのはいつもの事だったが、その日は酔って羽目を外したドニエ伯爵家の子息がいきなり絡んできたのだ。
「シルフィーラ嬢、踊りましょう。」
酒臭い息を吐きながら身を寄せて来る男にシルフィーラは後ずさりながらも丁寧にダンスの誘いを断った。だが無理矢理その男はシルフィーラの手を引いたのだ。
男の力の強さに強引に手を引かれたシルフィーラは痛みに顔を歪めた。
少し離れたところで貴族達と会話をしていた僕達がそれに気付き飛び出そうとした瞬間だった。
「痛っっ!!」
瞬く間に男はシルフィーラの後ろへ転がった。シルフィーラを背に隠すようにして立っていたのはルシールだった。
いつも垂れ下がっているルシールの目はきつく吊り上がりギラギラと獰猛な光を宿していた。
長年一緒にいて初めて目にするルシールの姿に僕達は驚き何も言えず、ただ成り行きを見守る事しか出来なかった。
「少し冗談が過ぎたようだね。バルコニーで頭でも冷やして来たらいい。」
口調は冷たかったが周囲の視線に気付いたのかすぐにいつもの表情を見せたルシールに僕達も駆け寄り礼を言う。
「助かったよルシール。いつも気怠そうなお前も素早く動けるんだな。見直したよ。」
シルフィーラを助けてくれた事に感謝しつついつもの調子で話し掛けると、やはりルシールからもいつものように返事が返って来た。
「二人共さぁ、見てたなら早く出て来てよ。シルフィーラ大丈夫?」
そう言ってルシールは男に強く握られたシルフィーラの腕に痕が残っていないか確認する。
その眼差しは優しく、本気で心配しているようだ。きっとさっきはルシールも酒が入っていてカッとなったのだろう。
息子のしでかした騒ぎを誰かに聞いたのか、その後すぐに床に転がる男の父であるドニエ伯爵がすっ飛んで来て、ルシールとシルフィーラに土下座せんばかりに謝罪した。ルシールはいつものように
「やぁドニエ。僕も悪かったね。」
と言いその場を収めていた。二度とこんな事を起こさないようにとやんわり釘も刺して。
その一月後の事だ。ドニエ伯爵家の長男が暴漢に襲われて死亡したと知らせが入った。
あの日のように夜会で酒を煽った帰り道だったそうだ。
*
今まで頑なにシルフィーラへの縁談を断ってきた父が、シルフィーラが十八歳になったある日、突然縁談を受けてみてはどうかと言い出した。
相手はベルクール辺境伯、フェリクス・ベルクール。
僕達は納得できなかった。なぜルシールでは駄目なのにベルクール辺境伯なら良いのか。
父は昔から物事の核心を僕達に教えない人だった。自分で答えに辿り着けとばかりにただ微笑むだけだ。
けれどこの時ばかりは僕達も粘りに粘った。
すると呆れたように父は言ったのだ。
「お前達の言うところのシルフィーラの幸せとは何だい?」
「シルフィーラの幸せ?」
それは……何不自由ない生活に……まぁそこに愛があれば尚良いだろう。それならやはり何よりもシルフィーラを想うルシールのところにやるのが一番なのではないかと思う。
王宮での暮らしは窮屈だろうがあの世捨て人のようなルシールの事だ。父上のようにいずれは臣籍降下して公爵として暮らすだろうし、そうすればシルフィーラは今と変わらない暮らしを送れるはずだ。
悠々自適な公爵夫人として、人生を謳歌する事だろう。
しかし僕達のその答えを父は一笑に付した。
「そうだろうね。ルシールはシルフィーラのためなら何だって与えようとするだろう。それが物であろうと人であろうと国であろうと何でもね。」
「それほど深い愛を注いでくれる男なんてなかなかいないよ?政略結婚なら尚更だ。それなのになぜルシールじゃ駄目なのさ。」
「……すべてはこれからわかる。」
「何を言ってるの父上?」
「決めるのはシルフィーラだ。」
「それはそうだけど……」
「自分のために他人を地獄に落とす男と、自分のために自ら地獄に落ちる男。君達ならどっちがいい?」
「え……?」
「ふふ…どっちも嫌だよね。だからどうなるか見てみようよ。そのために必要なんだよ。時間がね。」
父はそれ以上何も言わなかった。
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