婚約者の恋人

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35 ポール

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 王宮から呼び出しを受けたフェリクス様はいつになく消沈した様子で帰ってきた。
 こんな姿は先代が亡くなった時ですら見た事がない。一体王宮でなにがあったのか。

 「ポール、後で執務室へ。」

 しかし廊下を歩いている最中小声で自分にそう囁いた彼の目は力を失ってはいなかった。

 
 「“草”が!?この邸内にですか!?」

 王宮でのフェリクスとルシールのやり取りを聞いたポールは絶句した。
 まさかいわれ無い罪でこのベルクール辺境伯領が糾弾されたなどと、にわかには信じ難い話だったからだ。
 しかも自分が管理を任されてきたこの邸内に草がいるというのだ。邸外から来る出入りの商人や市井の者ならまだしもこの邸内に。

 「あぁ、間違いない。お前は秘密裏にその者を探し出してくれ。」

 「しかし……」

 “草”を探すのは並大抵のことではない。しかもただの草ではない。王族の草だ。
 草は長くその地に根を張り周囲に溶け込んで暮らしている。いつ来るかわからない、もしかしたら一生来ないかもしれない指令のためだけに。それを調べるとなると相当な時間と人員を要するだろう。
 だがフェリクスはある可能性に懸けていた。
 草は万が一正体がバレるような事があればすぐさま命を断つよう子供の頃からすり込まれて育てられている。だがその草にもし自分より大切なものがあったとしたら……このベルクール領で長く根を張るうちに心残りを作っていたとしたらどうだろう。伴侶や子がいたら、もしかしたらこちら側へ引き込む事が可能かも知れない。
 しかしそれでも草の証言など無きに等しいほど弱いだろう。そして敵に気付かれればすぐさま消される恐れもある。
 だがフェリクスはどんな小さな可能性や証拠もすべて拾い上げるつもりのようだ。

 「身元の調査には諜報活動に長けているアシルとロイを行かせる。だが時間は限られている。そこでポール、お前には草の可能性のある者の目星を付けてほしい。私はその間……どうしてもやらなければならない事がある。」

 「わかりました。必ずお役に立ってみせます。」

 「それと……エリオは助けられないかも知れない。お前にはもうエリオしか肉親がいないのに……本当にすまない……。」

 エリオが罰せられるのは誰のせいでもない自分のせいなのに、この優しい主人はまるで自分の事のように悲しんでいる。
 一人息子のエリオはもう随分前からローゼリアに傾倒し過ぎている。今では父である自分の言葉にも耳を傾けようとはしない。だから遅かれ早かれこの屋敷を追われるような事態になる事は覚悟していた。
 だがフェリクスはそんな事でこんな謝り方はしないだろう。おそらくエリオは命を落とす事になるのだ。

 「……フェリクス様は変わりませんね。」

 「?」

 「ご幼少の頃から自分の事など構いもせずに人の世話ばかり焼いて…。」

 優しい子だった。幼い頃から領内を駆け回っては厄介事に首を突っ込んでばかりいた。
 貧しい者には与えめしいた者を支え、破落戸ごろつきが暴れていると聞けば駆け付け、毎日傷だらけになって帰って来る。
 一人の力で何が出来る訳ではない。ましてまだ子供なら尚更だ。けれど彼は毎日毎日見て回った。この地に生きる者達の姿を。
 先代の補佐を任されるようになってからも彼は相変わらずだった。暇を見つけては町や村を見に行った。そして苦しむ者がいないか自分の目で確かめるまで帰って来ない。
 さすがに領主を継いだ今でこそやらなくなったが、およそ彼の青春時代はすべて領民のために使ってきたと言っても過言ではないだろう。
 そんな彼だ。あの日、ローゼリアを引き取ったのも仕方のない事だった。あのままバジュー男爵家に置いておけば彼女の名は今頃墓石に刻まれていた事だろう。いや、墓すら用意してもらえなかったかも知れない。
 次期領主として生まれてしまったから、上に立つ者次第で左右される領民の人生を何よりも大切に考えているのだろう。
 けれどローゼリアはその思いに報いる事はしなかった。
 フェリクス様は決して見捨てない。だがそれも人の道を踏み外すまでだ。
 エリオの命を取ると言う事は、それ以上の罪を犯したローゼリアと男爵は、命を取られた後抜け殻になった身体に更なる責め苦を受け続ける事になるだろう。
 そしてまたフェリクス様は苦しむのだ。

 「エリオに同情などいりません。罰を受けるのは己の行いに対してであり、フェリクス様のせいではないのです。だからどうか謝らないで下さいませ。」

 「ポール……」

 「完璧な人間などいないのです。そして完璧な領主も。ただ一つ言える事はベルクール領の民は今この瞬間も笑顔であると言う事。やりましょうフェリクス様。黙ってやられるなどあってはなりません。」

 フェリクスは少しだけ眉を下げて笑った。
 それはまるで少年の頃に戻ったかのような清々しい笑顔だった。

 「それとポール、もう一つ頼みたい事があるんだ。これを……彼女が到着するまでに用意したい。」

 そう言ってフェリクスは自身の座る執務机の引き出しから一枚の紙を取り出し、ポールに向かって差し出した。

 「これは……」
 
 上質なその白い紙には指輪の絵が描かれていた。そして宝石の大きさやカット、台に使用する金属の詳細な指示も。

 「彼女へ……シルフィーラ嬢へ、すべてが終わったら渡したいんだ。」

 そう言うフェリクスの表情は穏やかだがどこか淋しそうだった。

 「……なら何が何でも負ける訳には行きませんね。」

 「ああ。黙ってやられるつもりなどない。頼んだぞポール。」



 

 
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