35 / 49
35 ポール
しおりを挟む王宮から呼び出しを受けたフェリクス様はいつになく消沈した様子で帰ってきた。
こんな姿は先代が亡くなった時ですら見た事がない。一体王宮でなにがあったのか。
「ポール、後で執務室へ。」
しかし廊下を歩いている最中小声で自分にそう囁いた彼の目は力を失ってはいなかった。
「“草”が!?この邸内にですか!?」
王宮でのフェリクスとルシールのやり取りを聞いたポールは絶句した。
まさか謂れ無い罪でこのベルクール辺境伯領が糾弾されたなどと、にわかには信じ難い話だったからだ。
しかも自分が管理を任されてきたこの邸内に草がいるというのだ。邸外から来る出入りの商人や市井の者ならまだしもこの邸内に。
「あぁ、間違いない。お前は秘密裏にその者を探し出してくれ。」
「しかし……」
“草”を探すのは並大抵のことではない。しかもただの草ではない。王族の草だ。
草は長くその地に根を張り周囲に溶け込んで暮らしている。いつ来るかわからない、もしかしたら一生来ないかもしれない指令のためだけに。それを調べるとなると相当な時間と人員を要するだろう。
だがフェリクスはある可能性に懸けていた。
草は万が一正体がバレるような事があればすぐさま命を断つよう子供の頃からすり込まれて育てられている。だがその草にもし自分より大切なものがあったとしたら……このベルクール領で長く根を張るうちに心残りを作っていたとしたらどうだろう。伴侶や子がいたら、もしかしたらこちら側へ引き込む事が可能かも知れない。
しかしそれでも草の証言など無きに等しいほど弱いだろう。そして敵に気付かれればすぐさま消される恐れもある。
だがフェリクスはどんな小さな可能性や証拠もすべて拾い上げるつもりのようだ。
「身元の調査には諜報活動に長けているアシルとロイを行かせる。だが時間は限られている。そこでポール、お前には草の可能性のある者の目星を付けてほしい。私はその間……どうしてもやらなければならない事がある。」
「わかりました。必ずお役に立ってみせます。」
「それと……エリオは助けられないかも知れない。お前にはもうエリオしか肉親がいないのに……本当にすまない……。」
エリオが罰せられるのは誰のせいでもない自分のせいなのに、この優しい主人はまるで自分の事のように悲しんでいる。
一人息子のエリオはもう随分前からローゼリアに傾倒し過ぎている。今では父である自分の言葉にも耳を傾けようとはしない。だから遅かれ早かれこの屋敷を追われるような事態になる事は覚悟していた。
だがフェリクスはそんな事でこんな謝り方はしないだろう。おそらくエリオは命を落とす事になるのだ。
「……フェリクス様は変わりませんね。」
「?」
「ご幼少の頃から自分の事など構いもせずに人の世話ばかり焼いて…。」
優しい子だった。幼い頃から領内を駆け回っては厄介事に首を突っ込んでばかりいた。
貧しい者には与え盲いた者を支え、破落戸が暴れていると聞けば駆け付け、毎日傷だらけになって帰って来る。
一人の力で何が出来る訳ではない。ましてまだ子供なら尚更だ。けれど彼は毎日毎日見て回った。この地に生きる者達の姿を。
先代の補佐を任されるようになってからも彼は相変わらずだった。暇を見つけては町や村を見に行った。そして苦しむ者がいないか自分の目で確かめるまで帰って来ない。
さすがに領主を継いだ今でこそやらなくなったが、およそ彼の青春時代はすべて領民のために使ってきたと言っても過言ではないだろう。
そんな彼だ。あの日、ローゼリアを引き取ったのも仕方のない事だった。あのままバジュー男爵家に置いておけば彼女の名は今頃墓石に刻まれていた事だろう。いや、墓すら用意してもらえなかったかも知れない。
次期領主として生まれてしまったから、上に立つ者次第で左右される領民の人生を何よりも大切に考えているのだろう。
けれどローゼリアはその思いに報いる事はしなかった。
フェリクス様は決して見捨てない。だがそれも人の道を踏み外すまでだ。
エリオの命を取ると言う事は、それ以上の罪を犯したローゼリアと男爵は、命を取られた後抜け殻になった身体に更なる責め苦を受け続ける事になるだろう。
そしてまたフェリクス様は苦しむのだ。
「エリオに同情などいりません。罰を受けるのは己の行いに対してであり、フェリクス様のせいではないのです。だからどうか謝らないで下さいませ。」
「ポール……」
「完璧な人間などいないのです。そして完璧な領主も。ただ一つ言える事はベルクール領の民は今この瞬間も笑顔であると言う事。やりましょうフェリクス様。黙ってやられるなどあってはなりません。」
フェリクスは少しだけ眉を下げて笑った。
それはまるで少年の頃に戻ったかのような清々しい笑顔だった。
「それとポール、もう一つ頼みたい事があるんだ。これを……彼女が到着するまでに用意したい。」
そう言ってフェリクスは自身の座る執務机の引き出しから一枚の紙を取り出し、ポールに向かって差し出した。
「これは……」
上質なその白い紙には指輪の絵が描かれていた。そして宝石の大きさやカット、台に使用する金属の詳細な指示も。
「彼女へ……シルフィーラ嬢へ、すべてが終わったら渡したいんだ。」
そう言うフェリクスの表情は穏やかだがどこか淋しそうだった。
「……なら何が何でも負ける訳には行きませんね。」
「ああ。黙ってやられるつもりなどない。頼んだぞポール。」
67
お気に入りに追加
6,139
あなたにおすすめの小説

【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。
ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。
しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。
ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。
それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。
この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。
しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。
そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。
素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。
最愛から2番目の恋
Mimi
恋愛
カリスレキアの第2王女ガートルードは、相手有責で婚約を破棄した。
彼女は醜女として有名であったが、それを厭う婚約者のクロスティア王国第1王子ユーシスに男娼を送り込まれて、ハニートラップを仕掛けられたのだった。
以前から婚約者の気持ちを知っていたガートルードが傷付く事は無かったが、周囲は彼女に気を遣う。
そんな折り、中央大陸で唯一の獣人の国、アストリッツァ国から婚姻の打診が届く。
王太子クラシオンとの、婚約ではなく一気に婚姻とは……
彼には最愛の番が居るのだが、その女性の身分が低いために正妃には出来ないらしい。
その事情から、醜女のガートルードをお飾りの妃にするつもりだと激怒する両親や兄姉を諌めて、クラシオンとの婚姻を決めたガートルードだった……
※ 『きみは、俺のただひとり~神様からのギフト』の番外編となります
ヒロインは本編では名前も出ない『カリスレキアの王女』と呼ばれるだけの設定のみで、本人は登場しておりません
ですが、本編終了後の話ですので、そちらの登場人物達の顔出しネタバレが有ります
大好きなあなたを忘れる方法
山田ランチ
恋愛
あらすじ
王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。
魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。
登場人物
・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。
・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。
・イーライ 学園の園芸員。
クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。
・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。
・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。
・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。
・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。
・マイロ 17歳、メリベルの友人。
魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。
魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。
ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く
ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。
逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。
「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」
誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。
「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」
だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。
妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。
ご都合主義満載です!

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる