婚約者の恋人

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37 テオドール・アルヴィア

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 「そろそろ着いた頃かな?」

 「……おそらく。」

 「どうなってるかな。」

 これに長年の付き合いである影は口をつぐんだ。

 「あの手紙はちゃんと渡してくれたかい?」

 「はい。」

 「相手も驚いただろうね。こんな事は前代未聞だろうから。」

 また黙ってしまったのは肯定なのだろう。
 馬鹿息子達が第二王子ルシールと共にベルクール辺境伯領へと旅立ったおかげで邸内はいつになく静まり返っていた。
 
 「まさかルシールも一緒に行くとは予想外だったね。いつもなら絶対に獲物には関わらないのに。」

 あの甥っ子は狡猾だ。
 残忍な指令を天使のように微笑みながら下し、その後は高みの見物に興じる。塵ほども痕跡を残さないよう細心の注意を払って。
 それなのに今回だけは何もかも彼のやり方に反している。

 「それだけ焦ってるんだろうね。こんな事は初めてだよ。ルシールに本気を出させるなんて。」

 しかも今回ばかりは無傷で済むかはわからない。それはルシールだって重々承知の上だろう。 
 確かにルシールは完璧だ。頭脳だけ取れば三兄弟の中でも一番だろう。だが性根が悪過ぎる。やる気のない仮面を被り政争からは遠ざかり、さも自分は無害ですと言わんばかりの顔をして裏で人を陥れる。 
 
 「でもね……大概の場合悪者の上にはもっと悪い人がいるものなんだよ。ね?」

 影は声を出さずに苦笑いだ。
 その“もっと悪い人”ことテオドール・アルヴィアは、随分昔に表舞台から降りて一臣下に下った。
 あの時はまさか次の世代に自分と同じ穴のむじなが生まれるなどとは思ってもいなかった。それも皮肉な事に自分と同じ第二王子として生を受けるとは。

 「あら、また悪いお話?」

 「やぁアンジェリク。お茶を持って来てくれたの?」

 妻のアンジェリクが姿を現すと影は一礼して姿を消した。相変わらずよく心得た部下だ。

 「うふふ。シルフィーラ達へのお節介かしら?」

 この妻には敵わない。私の本性を知った上で笑顔で嫁いで来た女性だ。
 ともすると自分よりも肝が座っているかも知れない。

 「お節介を焼くくらいならあんな問題だらけの家にやらなければ良かったのに。」

 「問題?ベルクール家に何か問題なんてあったかい?」

 するとアンジェリクは目を見開き、続いて呆れたように息を吐く。

 「影からの報告書に書いてあったでしょう?従妹にその親に使用人まで……あの子にとって問題だらけじゃない。」

 「だって家族が喜んでくれる人に嫁ぐって言ったのはシルフィだよ?」

 「本当に喜んでるの?」

 「喜んでるさ。いい青年だよ。結婚前から遊び呆けて内外に愛人囲ってる奴らに比べれば、変な奴らに寄生されて苦労してる男の方が余程いい。それにシルフィーラもねぇ……」

 いくら可愛い娘でもあの条件は頂けない。
 昔からシルフィーラの結婚相手はシルフィーラに決めさせようと思っていた。それなのにあの子の言う条件は“家族が喜んでくれる相手”ときたもんだ。
 なんて馬鹿らしい。幸福とは心から欲し自らの手で獲得してこそその尊さや価値がわかると言うものだ。
 せっかくこんな理解ある親の元に生まれたのだ。自らが選び掴み取った幸せを存分に享受して欲しいと願って応援しているのに、本人にその気はまったくない。

 「君だって自分で選んだのに。ねぇ、アンジェリク?」

 愛妻は三人の子をなした今でも少女のように愛らしく美しい。
 彼女は兄上を支持する最大派閥の侯爵家の娘だった。それで半ば強引に婚約を勧められて時間を共にするようになった。

  
 テオドールは美しく優しく穏やかな王子だった。
 優秀な兄を陰ながら補佐し、休みの日は部屋に籠もり本を読む。
 どんな相手だろうと礼儀正しく接し掛けるべき言葉も惜しまない。そんな彼を慕う者は多かった。だが彼は誰に対してもその心の内を明かす事は無かった。
 テオドールは地位や名誉にはまったくと言っていいほど興味が無かった。血を残す事に執着もない。今はまだ政情不安が拭えないが、そのうちに政権が軌道に乗った暁には早々にどこか静かな土地で隠居したいと思っていた。
 臣籍降下を申し出た時、臣下達はこぞって早過ぎると捲し立てた。その時兄はまだ正妃を迎えておらず、世継ぎも定まらない状態だったからだ。不測の事態を考えての忠言だったのだろう。
 だが不測の事態など起こらない事をテオドールは誰よりも一番よく知っていた。
 何故なら不穏分子となる者はすべて自分の手で葬って来たからだ。そしてそれはこの先も続いて行く。だから兄の御代は安泰なのだ。 
 彼は誰よりも兄を愛していた。
 だから兄のためになるのなら躊躇わず手を汚した。兄は自分とは違う。この王国に燦然さんぜんと輝く太陽だ。王になるために生まれたような男なのだ。だから自分には彼のためになる事をやらない理由が無かった。 
 優秀な頭脳は人を陥れる算段をまるで美しい旋律を紡ぐように脳内で書き上げる。
 人が死ぬ事に対し何の抵抗もなかった。
 すべての人間は盤上の駒。自分はただそれを動かすだけ。
 こうやって自分の人生は頭の中で描いた通りに進むのだと信じて疑わなかった。

 だが人生には時に愉快な事が起こるものだ。

 その日も私は“殺せ”といつものように影に命じていた。命じた相手は婚約者になったアンジェリクの縁者だった。
 だが思いがけずその話をアンジェリクに聞かれてしまう。
 彼女はニッコリと微笑むだけで私に何も問い質しもせず帰って行った。
 そして命令は実行された。
 懸念していた邪魔も入らなかった。
 アンジェリクは誰にも言わなかったのだ。
 それからもまるで何事も無かったかのように彼女は私に会いに来る。
 普通なら恐れをなして逃げるだろう。理由なら何とでも付けられる。気鬱や病気、子が産めない身体であるとか言えば大概の場合は円満に破談できる。
 しかし更に不可解な事は続く。なんと彼女は満面の笑顔で私の元に嫁いで来たのだ。
 さすがの私も理解に苦しみついに彼女に問い質す事にした。
 初夜の寝台の上。夫が人を陥れ殺す事についてどう思っているのか聞かれるという世にも奇妙な経験をしたのは、この大陸広しと言えどおそらくアンジェリクただ一人だろう。
 しかしアンジェリクはこれまた笑顔で答えたのだ。“何とも思っていない”と。

 『何とも思ってない訳無いだろう!?』

 思わず大きな声を出してしまったのも生まれて初めての事だったと思う。
 けれどアンジェリクは笑う。
 愛しているのだから仕方ないのだと。
 まったく訳がわからなかった。
 仮面を被り本性をひた隠し当たり障りのない会話しかして来なかった私の何をどう愛していると言うのか。
 その理由をアンジェリクは事も無げに言った。抑揚も無くあっさりと。

 『私を殺さなかったから。』

 殺さなかったのは彼女を殺した後に生ずる様々な問題の方が、自分の悪事の揉み消しよりも面倒だったからだ。だから殺さずに様子を見た。ただの気まぐれだったんだ。
 だが彼女はそれを否定する。

 『違うわ。あなたはあの時私を自分の懐に入れてくれたのよ。今までひた隠しにしてきた自分の内側へ。そして今はこんな風に向かい合って胸の内を晒してくれている。これまでのあなたにはそんな存在なんていなかったはずよ。』

 そんな存在などいるはずがない。だって誰にも気付かせやしなかった。
 私は自分のためだけに生きる欲深い人間だ。兄のためなどと大義名分を掲げて人を屠るだけのただの殺人鬼だ。いや、自分の手を汚しもしない私はそれ以下の卑怯者だ。

 『違うわ。だってあなたは自分のために力は使わない。違う?』
 
 それは違う。すべて自分のためだ。

 『私なりに調べてみたの。先王が亡くなる少し前から今までに亡くなった貴族の事。老衰や病死、事故死なんかも含めて。でもどれも不自然なものじゃ無かったわ。』

 当たり前だ。そうして来たのだ。この頭で完璧な計画を練り上げて。

 『あの時のあなたの様子だと……おそらくエドガール陛下はこの事を知らないのでしょう?』

 兄上が知ればすぐさま止めさせるだろう。
 私がこんな事をしなくたって兄上ならきっと自分の力でやり遂げる。盤石な政権を作り上げるさ。

 『けれどエドガール陛下が同じ事をすればどの貴族も皆……一族郎党が大変な目に遭うわ。中には何も知らない奥さんや子供達だって……。でも事故死なら……?咎を受けるのは本人だけで済むわ。あなたはそれを知っていてやっているんじゃないの?すべてを知って自分の手を汚しているんじゃないの?』

 この時の私の顔を絵姿に残しておきたかったと後に妻は言った。
 当たり前だ。びっくりしすぎて顎が外れたかと思ったんだ。
 複雑だ。とても複雑な想いだった。
 どんな理由があろうと事が済んだ今ではすべてが後付けの言い訳になる。
 だから彼女の言うような大層な理由なんて私には必要の無いものだ。
 けれど困惑する私に彼女は再び笑った。
 
 『結婚する前に本当のあなたが知れて良かった。私は自分の意志であなたを夫に選んだの。後悔なんて勿体無くて出来ないわ。こんな人生を歩める女なんてどこにもいないもの。』

 そう言ったアンジェリクをこの時の私は世界一美しいと思った。
 そしてそれと同時に心がゆるゆると解けて行くような安堵感。
 私はありのままの自分を曝け出した事で唯一無二の存在を手に入れた。


 「……ルシールには色々と思う所はあるが……もしもルシールが君が僕にくれたのと同じ言葉をシルフィーラに言わせる事が出来たなら……その時はシルフィーラをあげてもいいよ。」

 「あら、随分優しいわね。あんなにルシール殿下の事では顔を顰めてばかりいたのに。」

 そりゃそうさ。顔を顰めたくもなるよ。
 私と同じく歪な心を持った第二王子。
 だけど……

 「誰だって救われたいんだ。そのたった一度で人生が変わる事だってある。」


 でも負けたら終わりだルシール。
 その時は私がお前を終わらせてあげる。



 

 





 




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