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第二部  第二章  泡沫の夢と隠された真実

19  闇の鍛冶の神エレウテリオ

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「これが神殺しの剣……」


 目の前には漆黒の、闇色の肌へと変化したエレウテリオの大きな掌には、これまた小さ過ぎるだろうちっぽけな短剣が一つ。


 一切の装飾すらもなくうっそりとした何処か妖しげな鈍色の光を放つ短剣。

 それは何処にでもある様でいて何処にも存在しないだろう不思議なモノ。


 一見にしてその短剣は安物にしか見えない。
 またはなまくらな短剣と言っても決して言い過ぎではないと思う。
 何故ならインノチェンツァは兎も角、大神であるサヴァーノですら初見で差し出された短剣をそう思ってしまったのだから……。


 だが一見鈍らにしか見えないけれどもである。

 それは本当に俄かには信じ難いが、何処にでもある様なものの筈なのに何故なのだろうか。

 刀身へふと視線を向ければ大神でありガイオの次に力を有するサヴァーノの身体にたとえ様のない戦慄が、そう全身の血液が一瞬にして凍り付いてしまう程の、今まで決して抱いた事のない恐怖が音速級の速さで駆け巡っていったのである。


 ――――!!


 声にこそ出しはしなかったと言うか、そこは最高神としての誇りプライドがそれを何とか堪えたと言ったところなのだろう。


 楽園がまだ本当の楽園であった頃だった。

 地位や権力欲のないガイオが何も態度に表さないのを良い事にサヴァーノは自身こそがこの世界で最高なる存在――――となればである。

 北にある寂れた大地とついでにとばかりに亡者や何かの拍子に変異し誕生したであろう魔獣どもの蔓延はびこる冥界をガイオへと押し付けた。


 そんな経緯もあってかサヴァーノは常に最高神の地位へ異常なまでに執着すると同時に誰よりも強く、また最高たる者であらねばならないとかなり斜め上へと突き抜ければだ。

 少々変わった……見る者によってはとても滑稽な裸の王様の出来上がりである。

 まあその裸の王様にもプライドは勿論ある訳で、だからそう簡単に件の短剣が只者ではないと感じ取ればである。
 心秘かに恐怖を抱きはするのだが他者に、特にサヴァーノの隣には今も昔も変わらず彼が盲愛してやまないインノチェンツァが不思議そうにその短剣を見つめているのだ。


 そう他者よりもである。

 インノチェンツァを前にしてちっぽけな、いや断じてこれはちっぽけではなくとても言葉に言い表せられないだろう恐ろしい短剣であろうともだ。


 愛する女性の前で最高神……いや、男として断じてあからさまに怯える訳にはいかない!!


 そこはサヴァーノ自身の沽券に係わるところだったらしい。


 そんなサヴァーノの心の葛藤等全く気づきもしないインノチェンツァはと言えばである。
 神殺しの剣の真の恐ろしさを女神であるにも拘らず何ら感知する事はなかった。
 

 元々インノチェンツァの御力はこの世界を創り出した時点でほぼほぼ消失したのだ。
 とは言え数多の、雑多な神々と比べればまだまだその御力は残っているけれどもである。
 しかし残念ながら神殺しの剣の正体を見抜くまでには至らなかっただけ。


「ふん、流石自らを最高神と勝手に名乗るだけに心眼は持っていたか」

 若干蒼褪めるだけに何とか踏ん張っていたサヴァーノを嘲笑うエレウテリオ。

「既に神堕ちしておるのか」

 一昔前と余りにも様相の変わったエレウテリオを興味深げに見つめるインノチェンツァ。

「い、いや、あれは神堕ちではない」
「では何だと申すのじゃ」

 やや焦れるインノチェンツァへサヴァーノはゆっくりと二の句を告げる。

「エレウテリオは今も尚純粋なる神のままだ」
「じゃがほれ、あの様に……」

 闇そのものであろうとインノチェンツァが突っ込む前に――――。

「エレウテリオが纏うのは純粋なる闇。ダーリアへの想いが、彼女を失ったエレウテリオの純粋なる怒りと悲しみが光ではなく闇を纏う鍛冶の神となったのだ」

 真の神殺しの剣を生み出せるまでの御力を備えたる、それ程までにサヴァーノは喜びと同時に後悔もした。

 サヴァーノ達の謀略故に一人の神が恐ろしく変異してしまった現実を……。


 きっともう二度とエレウテリオは真の鍛冶の神として祝福をもたらす事の出来る神器は作れまい。

 逆にこれより彼の作り出す神器は純粋なる恐怖しか齎さない恐ろしいものとなるであろう。

 もしかすれば今目の前にあるこの剣よりも更に恐ろしいもの。

 いや既に我らは開けてはならぬ扉を開けてしまったのかもしれないとサヴァーノは思った。


 しかし考えようによってはエレウテリオを利用する事で、サヴァーノは真の覇者となれる可能性もあるのだと、そう目線を変えればこればこれで然して問題にはならぬだろうとくつくつと喉を鳴らして嗤ってもいたのである。

 だがそれはサヴァーノ自身余りにも浅慮であったと、この後深く……それこそ長き時の中で後悔する事になるとはこの時の彼はまだ気づきもしなかった。
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