24 / 40
第三章
N4
しおりを挟む
焼き印は酷い嫌がらせと同時に保険でもあった。
彼の背にこともあろうに悪魔の数字なる禍々しい痕があると知るのは私だけであり、もし私の身元を知り告発するのであればそれが周知となる覚悟を決めねばならない。
とはいえ。
まあ……私に復讐したければ、彼の地位からして色々とやりようはある。復讐の復讐。大変不毛で私には相応しい。
が、やはりランディに迷惑は掛けたくないものだ。なのに「詰まらなくて飽きた」などというクソみたいな理由で油断した私こそがクソだ。最悪の場合、「私は悪魔なので忌まわしい術で何も知らない伯爵を誑かした」とでも言っておけば、教会はさぞかしランディに同情し、大喜びで私を殺すだろう。
それにしても、王子様の時のようなピリピリと生々しい感覚がない。
何かこう、「そうすべきだからそうした」というような意識が先行している。やはり悪意も憎悪もへたってきている……のだろうか。
昼食の席で、麗しの旦那様を視界に捉えつつ諸々考えていると、「どうした?」と問われた。
「あぁー……いえ。今日も格好いいですね」
「そうか? おまえは美しいぞ」
「はあ……そうですか? どうも。ところで殿下のご来訪が減っていますね」
「ん、ああ……ご結婚されるからだろうな」
「まあ、ですよね」
「……いらして欲しいか?」
「いえ、別にそういうことでは」
肩を竦めると、ランディが妙にじいっと私を見つめた。
「何ですか」
「俺とおまえの関係は、殿下から始まっている」
「そうですね」
「おまえの執着の対象は殿下だ」
「執着と言うか……まあ……そうなんですけれども」
「お会いしたいのであればお伝えしておく」
「えっ?? 待って下さい、誰もそんなこと言ってませんよ??」
待って待って待って、と「待って」を心の中で大量に生産しつつ、否定する。
「別にお会いしたい訳ではないですから」
「そうか」
ランディは軽く頷いたが、私の言葉を理解しているか聞き流しているのか分からなかった。
そしてその真実は三日後にはっきりした。
ランディは理解していなかったし聞き流していた。下手をすると酷く違う方角に受け取られた可能性すらある気がした。
んもうー、と呻きたくなったが、だったらそれでやるしかない訳だった。
いつものように王子様は来賓室の寝室へとお通しし、ベッドに腰掛けている高貴にしてお美しい姿を真ん前に突っ立って見下ろした。髪がつやつやだった。私より。
「で?」
私は腕を組んでそう訊ねた。
「何がだ」
王子様が見上げて来た。上目遣いだが可愛くないし媚びもない。相変わらず素で険のある目つきだった。
「ランディは何て言ったんですか」
「おまえが会いたがっていると言ったな」
そう口にしてから、王子様が小馬鹿にしたように唇の端を上げた。
「大方それは勘違いだ、とは返したが……実際勘違いだろう?」
「そうですね。でも来るんですね」
「……勘違いではない可能性も、少しは考えた」
「へえ。勘違いでは無かったとしたら、嬉しいんですか?」
「それはそうだろう。……俺はおまえに惚れているんだ」
「相変わらず、そんなこと言っても何の得にもならないのに言いますね」
「……俺に不毛な恋心を抱かれ続けているのは気分が良くないか?」
また王子様の唇の端が上がる。私も似たように上げてみた。
「バカかよ、ざまあ……というのは気分が良いと言い直せるんですかね?」
「……言い直せるだろう」
ふ、と笑いのような吐息を漏らし、王子様が首を戻した。私ではなく部屋のどこかに、もしくはどこでもない所にぼんやりと視線を向ける。
「そう言えば、結婚式はいつですか?」
「一年後くらいだ」
やる気の薄い返答だった。
「私もお呼ばれしますかね」
「伯爵夫人なのだから当然だ」
「まあ、そうですね。それで、その後もこうして伯爵邸にお通いあそばしますか?」
「ランディが許す限りな」
「私じゃないんですか」
王子様の価値観が分かり易くて笑ってしまう。
好きだのなんだの言ったところでこれだ。
「……おまえが嫌だと言えば、ランディも呼ばないだろう」
「どうですかねえー……」
王子様が来たいと言えば、ランディは私が例え嫌がったとしても全力で説得に掛かると思う。別に、嫌だと言う予定は無いが。
「ランディや私はともかく、お妃様が嫌がりませんかね」
「王族の姫が形ばかりの夫の行動にとやかくは言わんだろう」
「そういうものですか」
私は王族の生態に詳しくは無い。
しかし、他意無く眺めてみればこの王子様だ。いつも目つきは悪いし不機嫌そうだが、強くて格好良くて外見は大変良い。白馬というよりも黒馬が似合うが、強制的に押し付けられる相手がこれならば、普通の女性は天の采配に感謝するだろう。
妻としての独占欲は湧かないものだろうか。それとも、こうであるからこそ最初から諦めるものだろうか。
そして王族の姫とはいえ血の通った人間だ。自分だけを愛してくれる夫を望みはしないものだろうか。愛人をよそで調達するから構わないのだろうか。
まあ……総合して私には関係のないことではある。
「じゃあ、しますか」
よいしょ、とベッドに乗る。
「もう少し……」
王子様が呟いた。
「はい?」
「……いや」
首を振ると、王子様もベッドに上がってきた。
私が無造作に押し倒すと、王子様はそのまま押し倒される。
シャツを開くと、相変わらずの締まった体が晒される。王族なのだから、好きなだけ食って醜く肥え太ればいいのに、などと思いもする。容姿に関していいだけ罵れるようになるのは少し楽しい。
今現在この彼にブサイクだとかとかブタだとか言ったところで、事実とかけ離れすぎていて言った側が虚しい。なんだかこう……とにかくどうでもいいから貶したいという感情が露わすぎて、現実の把握すら怪しくなっている程の必死さを感じる。それはつらい。
そんな諸々を考えつつ、べろっと腹から胸元まで舐め上げる。
「は……」
艶の滲む吐息を聞きながら、ふと「楽しいって……?」と自分に問い掛けた。
罵りの種類の多寡など関係なく、王子様との行為は楽しいとか楽しくないとかいう次元での話では無かった筈だ。
マクスウェルの時も感じたが、確かに、私の中の物が色々とへたってきている。
「……はは。……ランディ」
彼の優秀さを今日もまた思い知る。それとも、あれ程の憎悪ですら掻き出されかねない私の心などは、元から弱かったという話だろうか。
「っ……俺とベッドにいる時に、他の男の名を呼ぶな」
「は? ああ……」
嫉妬か。では女の名なら良いのだろうか。私ならば、女性とも男女間のような性行為が出来る訳だが。
と言うか、彼が王女であったなら嬲る言葉に「子供が出来て、それが私のような体だったら面白いですね」などというレパートリーが増えるだけだ。一族以外とでは、両性具有の子が生まれる確率は極めて低いにしても。
「別のことを考えていました。特にランディが愛しくて頭から離れなくてつい名前が口から出てしまったですとか、そういう訳でもないのでね……そう嫉妬しなくても」
彼が王女だったら、という妄想を引きずりつつ、半分上の空でそう言う。
「嫉妬などしていない」
「はあ。では過去関係した人の名前片っ端から呼びながらセックスしましょうか」
「い、いやだ」
「それ、嫉妬ですよね?」
「っ……。……そうだ」
そう認める王子様は全くもって苦々しげで、可愛くなかった。
「ふうん。……アレックス」
初めて王子様の名を、しかも略して呼んでみた。
「な」
彼は目を見開き、暫し無言の後、ふいと顔を背けた。
「……何だ、突然。馴れ馴れしい」
「お嫌でしたか」
「別に嫌だとは言っていない」
「では嬉しかったですか」
「嬉しくなどない」
「ふうん」
何だかやり取りが面倒になって来て、それで終わらせた。
無言で服を脱がせ、衣服をベッドの下に放る。
「脚、開いて」
「……俺に命じるな」
今更なことを言いながら、王子様が脚を開く。
あまりに今更過ぎて、実際口から出た。
「今更」
ついでに鼻で笑う。大体、結局脚も開いている。
「あなた面倒くさいです」
「……おまえこそ今更だ」
「……そうかもしれませんけどね」
王子様が面倒くさいことはとうに知ってはいる。
それにしても萎える。
何事もなくても、単に相性も悪い。この王子様は一体私のどこに惚れたのだろうか。頭がおかしいのだろうか。
ああ、いや……私にやられまくって体に心が引きずられたんだったか。知らないが、どうであれ頭がおかしいのに違いは無いだろう。
一つ息を吐き、サイドボードに堂々と乗っている潤滑剤のボトルを握り、中身を王子様の脚の間にぶちまける。
「……俺を雑に扱うな」
今更2とでも呼びたくなる言いようだった。
「……はあ」
益々萎える。
「何なんです、今日は」
心の底からうんざりしてそう訊ねると、思いの外悲しそうに見返された。意味が分からなかった。
「おまえが俺を嫌っているのも憎んでいるのも分かっている」
「はあ」
面倒くさくてまた溜息が漏れた。
「だから何なんですか。それでも少しくらい尊重されて優しくされたい日なんですか?」
一体何の日だよ、と心の中で呟く。
「……頷いたら、そうしてくれるのか」
王子様がそう呟いたので少し驚いた。ついまじまじと見返すと目が合う。暗い目をしていた。
「……いいですけど?」
そう返しながら、私は唇の端を上げていた。歪な笑みだと思うが、王子様はそれに反応はしなかった。
「……それって、あなたのプライドはゴミ箱に捨てるってことと同じような意味ですよ」
「……構わない。既に捨てているようなものだ」
「そうですか……」
私はもっと笑みを濃くした。
「では、はっきりと、優しくしてって言って下さい」
王子様は躊躇しなかった。
「……優しくしてくれ。……今この時だけでいい」
今日は城で嫌な目にでもあったのだろうか。それで心が弱ってでもいるのだろうか。うちに来た時はいつもと変わりなかったが、私はそういう機微を悟るのは下手だ。
「いいですけどね」
開かれた脚の間に体を入れると、腕が背に回された。引き寄せられる。
こうされると私が腕の中に収まるくらいの体格差はあった。胸糞悪い程でもないが気分が良い訳でもなく、単に「抱きしめられている」という事実だけを把握する。
「……ヘルガ」
「何ですか、アレックス」
胡散臭く優しげに囁き、首に腕を回す。私の体に回された腕に力が込められる。
「……好きだ」
掠れた声が耳に潜り込んでくる。
私は嫌いですよ、という言葉は飲み下す。腹の辺りに蟠るその言葉をやり過ごしながら、返事をした。
「そうですか。ありがとうございます」
ほうら、優しいでしょう? と恩着せがましく言ってやりたくなったが、それも飲み込んだ。
彼の背にこともあろうに悪魔の数字なる禍々しい痕があると知るのは私だけであり、もし私の身元を知り告発するのであればそれが周知となる覚悟を決めねばならない。
とはいえ。
まあ……私に復讐したければ、彼の地位からして色々とやりようはある。復讐の復讐。大変不毛で私には相応しい。
が、やはりランディに迷惑は掛けたくないものだ。なのに「詰まらなくて飽きた」などというクソみたいな理由で油断した私こそがクソだ。最悪の場合、「私は悪魔なので忌まわしい術で何も知らない伯爵を誑かした」とでも言っておけば、教会はさぞかしランディに同情し、大喜びで私を殺すだろう。
それにしても、王子様の時のようなピリピリと生々しい感覚がない。
何かこう、「そうすべきだからそうした」というような意識が先行している。やはり悪意も憎悪もへたってきている……のだろうか。
昼食の席で、麗しの旦那様を視界に捉えつつ諸々考えていると、「どうした?」と問われた。
「あぁー……いえ。今日も格好いいですね」
「そうか? おまえは美しいぞ」
「はあ……そうですか? どうも。ところで殿下のご来訪が減っていますね」
「ん、ああ……ご結婚されるからだろうな」
「まあ、ですよね」
「……いらして欲しいか?」
「いえ、別にそういうことでは」
肩を竦めると、ランディが妙にじいっと私を見つめた。
「何ですか」
「俺とおまえの関係は、殿下から始まっている」
「そうですね」
「おまえの執着の対象は殿下だ」
「執着と言うか……まあ……そうなんですけれども」
「お会いしたいのであればお伝えしておく」
「えっ?? 待って下さい、誰もそんなこと言ってませんよ??」
待って待って待って、と「待って」を心の中で大量に生産しつつ、否定する。
「別にお会いしたい訳ではないですから」
「そうか」
ランディは軽く頷いたが、私の言葉を理解しているか聞き流しているのか分からなかった。
そしてその真実は三日後にはっきりした。
ランディは理解していなかったし聞き流していた。下手をすると酷く違う方角に受け取られた可能性すらある気がした。
んもうー、と呻きたくなったが、だったらそれでやるしかない訳だった。
いつものように王子様は来賓室の寝室へとお通しし、ベッドに腰掛けている高貴にしてお美しい姿を真ん前に突っ立って見下ろした。髪がつやつやだった。私より。
「で?」
私は腕を組んでそう訊ねた。
「何がだ」
王子様が見上げて来た。上目遣いだが可愛くないし媚びもない。相変わらず素で険のある目つきだった。
「ランディは何て言ったんですか」
「おまえが会いたがっていると言ったな」
そう口にしてから、王子様が小馬鹿にしたように唇の端を上げた。
「大方それは勘違いだ、とは返したが……実際勘違いだろう?」
「そうですね。でも来るんですね」
「……勘違いではない可能性も、少しは考えた」
「へえ。勘違いでは無かったとしたら、嬉しいんですか?」
「それはそうだろう。……俺はおまえに惚れているんだ」
「相変わらず、そんなこと言っても何の得にもならないのに言いますね」
「……俺に不毛な恋心を抱かれ続けているのは気分が良くないか?」
また王子様の唇の端が上がる。私も似たように上げてみた。
「バカかよ、ざまあ……というのは気分が良いと言い直せるんですかね?」
「……言い直せるだろう」
ふ、と笑いのような吐息を漏らし、王子様が首を戻した。私ではなく部屋のどこかに、もしくはどこでもない所にぼんやりと視線を向ける。
「そう言えば、結婚式はいつですか?」
「一年後くらいだ」
やる気の薄い返答だった。
「私もお呼ばれしますかね」
「伯爵夫人なのだから当然だ」
「まあ、そうですね。それで、その後もこうして伯爵邸にお通いあそばしますか?」
「ランディが許す限りな」
「私じゃないんですか」
王子様の価値観が分かり易くて笑ってしまう。
好きだのなんだの言ったところでこれだ。
「……おまえが嫌だと言えば、ランディも呼ばないだろう」
「どうですかねえー……」
王子様が来たいと言えば、ランディは私が例え嫌がったとしても全力で説得に掛かると思う。別に、嫌だと言う予定は無いが。
「ランディや私はともかく、お妃様が嫌がりませんかね」
「王族の姫が形ばかりの夫の行動にとやかくは言わんだろう」
「そういうものですか」
私は王族の生態に詳しくは無い。
しかし、他意無く眺めてみればこの王子様だ。いつも目つきは悪いし不機嫌そうだが、強くて格好良くて外見は大変良い。白馬というよりも黒馬が似合うが、強制的に押し付けられる相手がこれならば、普通の女性は天の采配に感謝するだろう。
妻としての独占欲は湧かないものだろうか。それとも、こうであるからこそ最初から諦めるものだろうか。
そして王族の姫とはいえ血の通った人間だ。自分だけを愛してくれる夫を望みはしないものだろうか。愛人をよそで調達するから構わないのだろうか。
まあ……総合して私には関係のないことではある。
「じゃあ、しますか」
よいしょ、とベッドに乗る。
「もう少し……」
王子様が呟いた。
「はい?」
「……いや」
首を振ると、王子様もベッドに上がってきた。
私が無造作に押し倒すと、王子様はそのまま押し倒される。
シャツを開くと、相変わらずの締まった体が晒される。王族なのだから、好きなだけ食って醜く肥え太ればいいのに、などと思いもする。容姿に関していいだけ罵れるようになるのは少し楽しい。
今現在この彼にブサイクだとかとかブタだとか言ったところで、事実とかけ離れすぎていて言った側が虚しい。なんだかこう……とにかくどうでもいいから貶したいという感情が露わすぎて、現実の把握すら怪しくなっている程の必死さを感じる。それはつらい。
そんな諸々を考えつつ、べろっと腹から胸元まで舐め上げる。
「は……」
艶の滲む吐息を聞きながら、ふと「楽しいって……?」と自分に問い掛けた。
罵りの種類の多寡など関係なく、王子様との行為は楽しいとか楽しくないとかいう次元での話では無かった筈だ。
マクスウェルの時も感じたが、確かに、私の中の物が色々とへたってきている。
「……はは。……ランディ」
彼の優秀さを今日もまた思い知る。それとも、あれ程の憎悪ですら掻き出されかねない私の心などは、元から弱かったという話だろうか。
「っ……俺とベッドにいる時に、他の男の名を呼ぶな」
「は? ああ……」
嫉妬か。では女の名なら良いのだろうか。私ならば、女性とも男女間のような性行為が出来る訳だが。
と言うか、彼が王女であったなら嬲る言葉に「子供が出来て、それが私のような体だったら面白いですね」などというレパートリーが増えるだけだ。一族以外とでは、両性具有の子が生まれる確率は極めて低いにしても。
「別のことを考えていました。特にランディが愛しくて頭から離れなくてつい名前が口から出てしまったですとか、そういう訳でもないのでね……そう嫉妬しなくても」
彼が王女だったら、という妄想を引きずりつつ、半分上の空でそう言う。
「嫉妬などしていない」
「はあ。では過去関係した人の名前片っ端から呼びながらセックスしましょうか」
「い、いやだ」
「それ、嫉妬ですよね?」
「っ……。……そうだ」
そう認める王子様は全くもって苦々しげで、可愛くなかった。
「ふうん。……アレックス」
初めて王子様の名を、しかも略して呼んでみた。
「な」
彼は目を見開き、暫し無言の後、ふいと顔を背けた。
「……何だ、突然。馴れ馴れしい」
「お嫌でしたか」
「別に嫌だとは言っていない」
「では嬉しかったですか」
「嬉しくなどない」
「ふうん」
何だかやり取りが面倒になって来て、それで終わらせた。
無言で服を脱がせ、衣服をベッドの下に放る。
「脚、開いて」
「……俺に命じるな」
今更なことを言いながら、王子様が脚を開く。
あまりに今更過ぎて、実際口から出た。
「今更」
ついでに鼻で笑う。大体、結局脚も開いている。
「あなた面倒くさいです」
「……おまえこそ今更だ」
「……そうかもしれませんけどね」
王子様が面倒くさいことはとうに知ってはいる。
それにしても萎える。
何事もなくても、単に相性も悪い。この王子様は一体私のどこに惚れたのだろうか。頭がおかしいのだろうか。
ああ、いや……私にやられまくって体に心が引きずられたんだったか。知らないが、どうであれ頭がおかしいのに違いは無いだろう。
一つ息を吐き、サイドボードに堂々と乗っている潤滑剤のボトルを握り、中身を王子様の脚の間にぶちまける。
「……俺を雑に扱うな」
今更2とでも呼びたくなる言いようだった。
「……はあ」
益々萎える。
「何なんです、今日は」
心の底からうんざりしてそう訊ねると、思いの外悲しそうに見返された。意味が分からなかった。
「おまえが俺を嫌っているのも憎んでいるのも分かっている」
「はあ」
面倒くさくてまた溜息が漏れた。
「だから何なんですか。それでも少しくらい尊重されて優しくされたい日なんですか?」
一体何の日だよ、と心の中で呟く。
「……頷いたら、そうしてくれるのか」
王子様がそう呟いたので少し驚いた。ついまじまじと見返すと目が合う。暗い目をしていた。
「……いいですけど?」
そう返しながら、私は唇の端を上げていた。歪な笑みだと思うが、王子様はそれに反応はしなかった。
「……それって、あなたのプライドはゴミ箱に捨てるってことと同じような意味ですよ」
「……構わない。既に捨てているようなものだ」
「そうですか……」
私はもっと笑みを濃くした。
「では、はっきりと、優しくしてって言って下さい」
王子様は躊躇しなかった。
「……優しくしてくれ。……今この時だけでいい」
今日は城で嫌な目にでもあったのだろうか。それで心が弱ってでもいるのだろうか。うちに来た時はいつもと変わりなかったが、私はそういう機微を悟るのは下手だ。
「いいですけどね」
開かれた脚の間に体を入れると、腕が背に回された。引き寄せられる。
こうされると私が腕の中に収まるくらいの体格差はあった。胸糞悪い程でもないが気分が良い訳でもなく、単に「抱きしめられている」という事実だけを把握する。
「……ヘルガ」
「何ですか、アレックス」
胡散臭く優しげに囁き、首に腕を回す。私の体に回された腕に力が込められる。
「……好きだ」
掠れた声が耳に潜り込んでくる。
私は嫌いですよ、という言葉は飲み下す。腹の辺りに蟠るその言葉をやり過ごしながら、返事をした。
「そうですか。ありがとうございます」
ほうら、優しいでしょう? と恩着せがましく言ってやりたくなったが、それも飲み込んだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる