魔女退治にはうってつけな夜

あだち

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1 魔女退治の夜

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 道に迷っているうちに、日が暮れてしまった。

 真っ暗な森に佇む大きな屋敷で、扉を叩いた理由をそう話した旅人に、亜麻色の髪の女主人は同情するように眉を下げた。

「それは、なんともお気の毒な。ええもちろん、どうぞ泊まっていってくださいまし。もう夜はすっかり冷えますもの」

 親切な言葉に甘えて、旅人は屋敷の中へと入る。女主人は客人を大きな暖炉の部屋に案内したあと、「時計がある食堂でお夕食です」と告げて、どこかへ消えていった。

 広々とした屋敷だった。すみずみまでよく掃除が行き届き、床にはちり一つ落ちていない。一目で高級品とわかる調度品も、磨き込まれて艶々だ。暖炉には赤々と燃える火が入れられて、外の寒さもすぐに忘れることができる。ろうそくの燭台を歩く小さな蜘蛛が、ただ唯一の隙と言えるほどに、掃除人の仕事は完璧だった。

 だが、不思議なことに、人の姿がまるで見えない。古ぼけた柱時計が置かれた空間で晩餐のテーブルについたのも、旅人と女主人の二人だけだった。

「主人はもう、亡くなってしまいましたの」

 食事が始まって間もなく、女主人は自分を未亡人だと明かした。その視線が、左手の薬指にはまった金色の指輪に向かう。
 旅人が無神経さを謝ると、未亡人は気にしないでと言うように笑った。

 髪を結い、赤いドレスに身を包んだ未亡人は、十代後半か、二十にさしかかったあたりに見えた。緑の瞳はろうそくの光をうけてきらきらと輝いている。
 白い肌は頬の紅で品よく際立ち、小さな唇は桃色の弧を描く。小ぶりの鼻を中心に、それぞれが行儀よく並んだその顔が、労働などとてもできそうもない華奢な、それでいてひどくやわらかそうな体の上に丁寧にのせられている。

 女はたいそう美しかった。そのことを旅人が臆面もなく褒め称えれば、女主人はうぶな娘のように赤くなった頬をおさえた。

「まあ嬉しい。そんな言葉は、もうずっと聞いていなかった気がします」

 もったいない。ここには共に住む人はいないのか。

「一人住まいが気楽ですもの」

 こんな森の中では寂しいだろうに。

「ご心配には及びません。知人が気にかけて、なにかと贈り物をくれますの。ところで、お料理はお口に合いませんでしたかしら」

 食堂に、沈黙が落ちた。

 旅人の前に並べられた皿は、運ばれてきたときと何も変わっていなかった。葉野菜のひとひらも、肉にかかるソースの一滴だって、減っていなかった。

 時計の針が進む音が、不自然に大きく響く。
 未亡人は目を閉じ、真っ赤なワインを一口飲み下してから「それとも」ともう一度口を開いた。

「安酒に慣れたハンターの舌には、上等過ぎる?」

 旅人、と名乗った男が立ち上がる。突き出した右手には銃。

 間髪いれず、発砲音が轟いた。

 ――一度、大きくのけぞった女主人の上体が、反動でテーブルに倒れ伏す。ほどけた髪が、肩と背中を覆い隠した。

「……やったか?」

 隠し持っていた銃を構えたまま、男が口にした問いに、答える声はない。
 しんと静まり返った空間に、やはり時計の進む音だけが響く。

 ハンターと呼ばれた男は銃をしまわず、慎重な足取りで女へと向かった。
 そばまで来ると、片手で亜麻色の髪を掴み、顔を上げさせる。弾は確かに額から後頭部まで貫いているが、銃創から血は出ていない。『血が凍っている』という噂は本当だったのだと思いながら、頭から手を放し、今度はその手を女の左胸に置いた。

 無音。
 正真正銘、死んでいる。

 ハンターは、ようやく銃を上着の内側のホルダーに戻した。そして、女の骸を両腕で横抱きにする。
 床に置いて首を切り落とし、退治した証として教会に持っていくためだ。

 女の身体を持ち上げた拍子に、支えのない首ががくりと後ろにのけぞる。濁りのない緑の目が、また現れた。穴が開いた以外には、数分前となんら変わりないように見えるその姿を、ハンターは改めて見下ろす。

 殺すのは惜しかった。ふと、そんな言葉が頭によぎる。

 女に向けた賞賛の言葉は本音だった。たとえ、そのあとに訊いたことが、仲間の有無の探りだったとしても。
 死んだばかりだからか、まだ顔色も悪くない。頬も張りがあって、額を隠せば眠っているようにしか見えない。男は眉をひそめた。実年齢は知らないが、見た目は若いし肉付きのいい身体は手に馴染む。つくづく、殺すに惜しい女だった。

 魔女でさえなければ――。


 

 
「なんてね」
 
 つややかな唇が、とつぜん動いた。

 きょろっと動いた目玉と目が合った男は、思わず女を床に放り投げようとした。――が、それは叶わなかった。
 女を抱えた腕や手首、ブーツの足首に、蜘蛛の糸が絡みついていた。光をチラチラと反射する細い糸は、男の四肢とテーブルの脚、部屋の柱、シャンデリアや窓枠を繋いでいる。
 その儚げな繋がりが、まるで鎖のように男の身体の自由を封じていた。

「しまっ……」

 叫びかけた口が、女の手で塞がれる。ひやりとした指先はすぐに離れたが、目を見開いた男の口からはヒューヒューと息の音しか出てこなくなった。

「聞いて。あたしが話してるんだから」

 そう言って、額に穴の開いた女は口元に人差し指を立てて満足げに笑った。声を奪われ、動くこともできなくなった男の首へ両腕を回すと、ゆっくりと脚を床へおろす。

「さて。一人住まいは確かに気楽なんだけど、あたしひとつ嘘ついちゃった。本当はね、ここで男と一緒に住んでるの。とは夏からだから、かれこれもう四ヶ月。さっき言った知人っていうか、同業者からのでね」

 床に降り立ち、乱れた髪を手ぐしで梳いて、額の穴をひと撫でする。指先が通り過ぎると、そこにあった銃痕は跡形もなく消えていた。
 魔術だ。ハンターの顔が青ざめて、逃げられない身体が震え始める。

 けれど、かろうじて残されていたその自由も、背後の床を踏みしめる足音に気づいたと同時に、ふ、と止まった。


「理由を聞いたら、女の一人住まいは危ないから、ですって。くだらないことを、って思ったんだけど、でもそれが使ってみたらとっても素敵な下僕だったのよね!」

 元通りになった美しい顔に満面の笑みを浮かべ、女は棒立ちのハンターの背後へ回り込んだ。
 正確には、その背後に立っていた、もう一人の男の隣に並んだのだ。

「紹介するわね、ゲオルクよ」

 女のほっそりとした手が、かたわらの男の、太い腕を撫でさする。
 
「ねえ見て、この身体。大きいでしょ? 背が高いでしょ? 手足も長くてしっかりしてて、力も強くてとっても丈夫。あたしを美しいとは言ってくれないけど、力仕事も雑用も、お客様への対応も、なんでも任せられる優等生だからもう、ほんと大助かりで」

 うっとりと自慢げに語りながら、女は自らの肢体を隣の男に押しつけた。白い手は、臙脂のベストからのびる清潔なシャツを纏った太い腕をつたって腹を撫で、トラウザーズに包まれた腰から腿へと動いては円を描く。
 ゲオルク、と呼ばれた黒髪の男はされるがままだった。執事と言うには立派すぎる身体の上を無遠慮に這いまわる女の手に何も言わず、眉一つ動かさない。冷たく見下ろす灰色の目には、何の感情も宿っていなかった。

 そんな男の胸元に、女は最愛の恋人に甘えるような顔で頬ずりした。そこについたで、自分が汚れるのも厭わずに。 

「あたしの下僕になる前はねぇ、とっても強い魔女ハンターだったんですって。もしかして、あなたゲオルクのお友達?」

 小首をかしげ、弾んだ声で問いかけると。

「……あら、もうお休みになったのね」

 下僕ゲオルクの持つナイフに胸を貫かれている旅人を見て、魔女は軽やかな笑い声を上げた。
 
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