最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

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第49話

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 天根署に出頭した望月執事の証言と参考人聴取での斑目由梨花の供述により、三名射殺事件の捜査は急展開を迎えた。

 まず堺リノベーション会長とミラード化学薬品会長が『保護』されて誘拐事件が明るみに出た。同時に射殺された三名がミラード会長のガードだったことが判明し、『拉致されていた』会長らの証言で海棠組が本ボシと断定された。

 そこで誘拐保険金詐欺の捜査にも密かに着手していた捜二が狂言誘拐ビジネスで海棠組と保険金を折半していた中小企業の役員を叩いて成果を得た。つまり状況証拠だけではなく出所の分からないカネという物的証拠を得たのだ。

 更に精神鑑定の必要ありとされ鑑定留置となった由梨花の供述の断片から海棠組の富樫組長の異常性が取り沙汰され、吸血鬼殺人についても富樫の関与が疑われて帳場は証拠固めに奔走していた。

 三名射殺教唆と誘拐に続き、おそらくこの件でも富樫の立件が可能だとされている。

 おまけに舌切りマル被二名射殺及びスナイパー殺害も富樫が教唆したものとし、スナイパー殺害の実行犯は未だ不明ながら帳場は立件する構えだった。

 以上の嫌疑を掛けられた海棠組事務所及び本家へのガサ入れは、大御所の会長たち保護から五日後に県警捜一と組対を中心にして行われた。

「ふうん。今朝のガサでも富樫を逮捕するに至らずですか」
「勾留されていた間の誘拐ビジネスで、富樫本人は現在も入院中だからな」

 入院中だからといって逮捕不可能と決めつけられないが、逃亡の恐れもなく所在が明らかで証拠隠滅の恐れもないことなどから逮捕状を請求しても判事に蹴られる可能性は高かった。帳場は博打を打たず富樫の退院の目途が立つのを待つ態勢らしい。

「ところで京哉、お前は煙草を吸いたくないか?」
「吸いたくないと言ったら嘘になりますけど、またですか?」
「いいだろう? ついでに私も外の空気を吸いたいだけだ」
「仕方ないですね、もう。じゃあ行きますか」

 京哉の煙草にかこつけて、この調子で朝からもう四回目の『外の空気』だ。けれど昨今では病院内に喫煙ルームなど存在しておらず、吸えるのは一階の外だけである。京哉は点滴台を引きずる霧島を伴って常連になっている階下に遠征した。

 富樫が遣わしたヒットマンに狙われる危険性から、二人には県警警備部の制服警官が二名張り付いていた。彼らを引き連れ、点滴まで引きずっているというのに、霧島は体力維持と称して自分で点滴台を担ぎエレベーターでなく階段で一階まで下るのだ。

 京哉はもう小言を垂れるのも諦めて延々と階段を下った。着いたのは入院棟の裏という目立たない場所である。
 赤く塗られた一斗缶を囲んで既に哀れな依存症患者の会が形成されていた。京哉も早速混ざって一本咥えるとオイルライターで火を点ける。
 傍で霧島が大欠伸した。

「ふあーあ。入院はあと何日の予定だ?」
「自分のことくらい覚えていて下さい。入院は二週間、あと最低九日ですよ」

 少々怒ったふりをしつつも京哉は霧島が心配で堪らない。左肩まで脱臼して肩から腕も固定した状態なのだ。更に肋骨二本にヒビが入っているのも検査で発見されている。全身合計二百針以上に及ぶ傷はどれも抜糸に至っていない。

 それだけではない。
 富樫に嬲られて以来自律神経に異常をきたしたのか霧島の体調は非常に不安定なのだ。嘔吐しては高熱を発することを繰り返している。それも本人は分かっている筈なのに自己申告しないので、京哉が気付いてやるしかない。

 せめて富樫が現職警察官暴行傷害で逮捕されたら霧島の気持ちにもケリがつき負ったトラウマも薄れるのかも知れないが、帳場も手出しできない膠着状態である。

 密かに京哉は天を仰いで溜息をついた。だが空模様はあまり良くなく雲が席捲して空気は重たく湿っている。などと思っているうちにポツリと頬に水滴を浴びた。

 降り出した雨はたちまち辺りを鈍色に変え、依存症患者らは命の次に大事な煙草を護って、慌てて一斗缶ごと軒下に退避する。それでも斜めに降る雨に閉口し、ぱらぱらと病室に帰って行った。京哉も煙草を消して霧島の患者服を引っ張り急かす。

「ほら、戻らないと行方不明患者はまた指名手配されちゃいますよ」

 屋内に戻るとまた霧島は点滴台を担いで階段を上った。呆れてものも言えない。しかし精神的に抑圧したくないので出来る限り霧島の好きなようにさせている。

 ベッドの片方は京哉が借りている二人部屋に戻ると、怪我人の腹が巨大な音を発した。微笑んで京哉は今枝とメイドたちが持ってきてくれたフルーツかごを示す。

「何か食べますか? リンゴかオレンジでも剥きましょうか?」
「ではリンゴを食わせてくれ。青いヤツ」

 青リンゴを取り出し京哉は果物ナイフで剥き始めた。屑かごの上で剥いてしまうと一片ずつ切り分けた片端から霧島の口に運んでやる。角度をつけたベッドに凭れて素直に「あーん」される年上の男が愛しい。
 京哉も食べてみると季節外れにも関わらず文句なく甘いリンゴで、一個を分け合ってあっという間に食べてしまった。

 夕食前の空腹で二個目を剥く作業に取り掛かる。それも男二人が食べ尽くすまで幾らもかからない。最後の一片を霧島の口に押し込んでやると、その京哉の手を握ったまま霧島はリンゴを咀嚼し呑み込んで京哉の指まで口に含んだ。手を引いたが霧島は離してくれない。

 温かな舌でねぶられて官能的な感触が酷く心地良い。指先から霧島の想いが逆流してくるようだ。だが京哉は身を震わせそうになるのを抑えて平静を装う。

「忍さん、洗ってくるから離して下さい」
「嫌だ。私もお前から離れん」

 言葉とは裏腹に霧島は京哉の手を離すと目を瞑ってしまった。京哉は室内入り口にある洗面所で手と果物ナイフを洗うと窓際のベッドの霧島に毛布を被せる。

 入院中でもあり、あれから一度も霧島と肌を合わせてはいなかった。そもそもヤラかしている場合ではない。そんなのは元気な奴がすることだ。だが。

 僅かな迷いから年上の男の寝顔を見つめる。寝顔といっても本当に眠っていないことくらい分かっていた。その頬が紅潮しているのに気付いて素早く額に触れる。

「何だ、京哉。吃驚するだろう」
「何だじゃありません、また熱が出てますよ。吐き気はしませんか?」

 訊きながらも問答無用でナースコールを押していた。まもなく医師と看護師がやってきて点滴に解熱剤を加え、夕食後に飲み薬も出すと告げられる。測れば熱は三十九度を超えていて医師は検査のための採血もした。京哉は哀しい想いで見守っていた。

 医療スタッフが去るのを待っていたように霧島が起き上がってベッドから滑り降りる。裸足で手洗いに駆け込んだ。慌てて京哉も追うと霧島の背をさすってやる。

 苦しげな霧島の様子に京哉も心がよじれ、振り絞られるように苦しかった。
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