最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

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第38話

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 頭蓋の中に管楽器と打楽器を百も詰め込まれたような頭痛で霧島は意識を取り戻した。

 反射的に見たのは腕時計で日付が一日進んでいる。窓外の暗さから八時ではなく二十時だと知り、あまりに長く気を失っていたことに驚いた。

 だが何とか生きてはいるらしい。
 しかしいつまでも呆然としていられない。自分の体調も鑑みると時間がなかった。

 とんでもないレヴェルの頭痛を宥めつつ血だらけのベッドから這いずって降りる。すると傍の椅子に霧島の衣服と銃の入ったショルダーホルスタ、手錠ホルダーと特殊警棒の付いた帯革が重ねて置かれていた。僅かに動いただけで血が噴き出す躰を血のこわばりついた衣服で包む。

 銃の残弾を確かめた。マリーナで二射発砲した筈だが五発装填されていた。有難いとは思わない。無性に腹を立てながら帯革を巻きジャケットを羽織る。

 腹を立てた勢いで行動を開始した。手にしたシグの約五百グラムを取り落としそうなくらい重たく感じつつ、ふらつきながら寝室を出る。屋敷の全てをルームクリアリングなどしていたら軽く死ぬ。そこで案内役を捕まえることに決めた。

 部屋住みの手下は上階と当たりをつけエレベーターに倒れ込む。最上階の四階に転がり出た。壁に縋り何とか立ち上がると縋ったまま歩く。
 何気なく振り返ると蛍光灯の光を反射して液体が点々と光っていた。自分の血だと気付くまでに数秒を要する。

 頭の回転が鈍ってきている。急がなければ拙い。

 最初に遭遇したチンピラの喉に銃口を捩じ込んだ。それだけで若いチンピラは腰を抜かしかけたが、霧島は肩で息をしながら冷たい銃口より温度の低い声で命じた。

「如月咲夜の所につれて行け。但し、騒いだらお前の頭に風穴が開く」

 カクカク頷いたチンピラの肩に縋り、酔っ払ったふりですれ違う男たちをクリアして辿り着いたのは廊下の一番端だ。
 その部屋にはかんぬき式の外鍵が取り付けられていて今はそれが閉まった状態だった。つまり中に誰か監禁されている訳だ。

「この中に咲夜がいるのか?」
「組長命令で閉じ込めてるっス。あんなおっかない女、誰も相手にできないっスよ」
「そうか。開けてやれ」

 非常に嫌そうな顔をしたチンピラだったが霧島の銃口の指示に従う。かんぬきを開けてドアオープンした途端、チンピラは避ける間もなく首を絞められ呻いた。
 真っ暗な部屋の入り口に立った咲夜が自分の長い髪をチンピラの首に巻きつけ、容赦なく締め上げているのだ。
 そうしながら咲夜自身は例の怖いような薄笑いを浮かべている。

 チンピラにはまだやって貰うことがあった。咲夜の腕を取って両手首に手錠を掛ける。自分の置かれた状況を理解しているのか怪しいほど咲夜は抵抗しなかった。

 ざっと身体検査すると咲夜はベレッタM92Fをベルトに差していた。M9なる名で米軍に正式採用されていた品である。それも見た限りでは真正品だ。
 没収し薬室チャンバを確かめると弾薬が装填されていた。アンロードする。

 掌に載せた弾薬は発射済み三十二ACP弾の弾丸をを硬いゴムで包んで仕込み、更に隙間を接着剤のようなもので固めた九ミリパラベラムだった。

 この九ミリパラの弾丸がまたも京哉のものなのか、それとも霧島のものかは分からない。赤の他人のものかも知れない。

 だが証拠物件としては願ってもない代物だ。

「おい、お前。この屋敷内で他に閉じ込められている人間はいないのか?」
「俺は……俺は知らないっスよ」
「ふん。では車のある場所まで案内しろ」

 半泣きのチンピラは素直にエレベーターへと歩き出した。意外と人間が少ないのは幸いである。チンピラに訊けばこの時間は部屋で皆くつろいでいるか、街に飲みに出ているかだという。お蔭で誰にも鉢合わせず一階に降りた。

 けれど玄関ホールから一歩外に出れば見張りの手下たちもいる。さてどうするかと霧島は思ったが、思っただけで思考が先に続かない。考えもせず前面にチンピラを押し出した。チンピラと霧島に捕縛し引きずった咲夜は塊になり外に出る。

 だが霧島忍の顔は今や誰もが知っている上に、そんな大物と一緒にいるのは下っ端と持て余した女シリアルキラーだ。撃っても損するだけという思いからか、はたまた組長の命令がないからなのか、皆が遠巻きにして誰も手出しはしてこない。

 ずっと監視の視線は感じたが案外簡単にガレージのスリードア・ハッチバックに乗り込めた。とっくに限界など超えていた霧島は後部シートにぐったりと凭れる。ドライバーは勿論チンピラだ。最低でも鉄柵の門扉を出るまでは運転させねばならない。

「俺……俺、組長に殺されるっスよ!」
「あんたは殺されない。富樫は私にこの咲夜の始末まで任せたのだからな」

「意味分かんないっスよ!」
「いいから天根署までつれて行け。それと富樫はどうした?」
「何か事故って怪我したそうで市内の水明会すいめいかい記念病院に入院されたっス」

 あっさり門扉も開けられた。お膳立てされたのを再確認した霧島はまたも腹を立てる。ムッとしている間にスリードアは軽快な走りを見せた。割とドライバーとしては優秀らしくチンピラはで三十分足らずで天根署に着ける。

 咲夜を連れた霧島はスリードアの中で固まっているチンピラに声を掛けた。

「世話になった。足抜けしたいなら県警本部の霧島の所まで来い。ではな」

 天根署のエントランスを手帳でクリアしエレベーターで五階へ。廊下を辿る。県議会議員令嬢暴行射殺事件の帳場が立てられた会議室に足を踏み入れた。

 全身を朱に染めた霧島を見て驚愕が波紋のように広がる。

 ヨンパチのリミットが近くなり喧噪のさなかにあった帳場の面々が口を開けて硬直した。

 水を打ったように静まり返った中、霧島の辺りを払う雰囲気に呑まれた捜査員たちを縫い、デスクに就いていた顔見知りの天根署長の傍に立つ。
 如月咲夜を突き出した。

「安西由季子殺しの本ボシだ。進呈する」
「霧島警視、きみ……」
「証拠はこれだ」

 デスクの上に三十二ACP弾を仕込んだ九ミリパラを投げ出し、ベルトの腹から抜いたベレッタM92Fをガシャリと置いた。
 その気で調べれば殺しに使われた弾丸からも接着剤の残滓と、僅かなりともこの銃のライフルマークが取れる筈だった。

「私の部下を釈放パイして貰おうか」

 置かれた物を暫し見つめ、管理官と顔を見合わせたのちに天根署長は呆然と頷く。

「鳴海巡査部長はパイだ」

 咲夜を連行した捜査員二人が入れ違いに京哉をつれて帳場に戻ってきた。全身を血塗れにした霧島を見て京哉は息を呑み絶句する。

 言葉もなく駆け寄ってきた京哉に抱き締められて安堵した霧島は糸が切れたように意識を失った。
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