最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

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第37話(注意・暴力描写を含む)

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「鳴海京哉のことを考えていたのかい?」
「ん、ああ、いや。何でもないが、何だ、どうした?」
「夕食を摂れるかと訊いたんだが」

「食うに決まっているだろう。用意しろ」
「わたしはきみの下僕じゃない筈なんだが……まあいいか」

 肩を竦めた富樫は携帯で連絡すると霧島に毛布を掛ける。
 
 幾らも待たずチャリンと音がした。
 これもパターンで咲夜と入れ違いに組員が入ってくると、食事の載ったワゴンと湯の載ったワゴンを交換して出て行く。食事はいつも富樫と二人きりだ。

 枕を重ねて背に当てられ上体を起こされた形で、霧島は口元にフォークで運ばれた肉を頬張った。今は体力勝負、与えられるものは何でも呑み込むようにしている。

「おい、咲夜は何処でかどわかしてきたんだ?」
「かどわかしてって……ホームレスでね。元々捨て子だったらしいんだが、物心ついた頃に施設を逃げ出して以来住所不定だよ。盗むか売るかで暮らしてきたらしい」

「そうか。しかしそんな女を構成員の中に放り込んだり私まで飼ったりして、暴力団組長がうつつを抜かしていてもいいのか? 下の奴らに示しが付かんだろう」
「今は在宅起訴中、休暇みたいなものだからね。好きに遊ばせて貰っているよ」
「だが今度こそ本気の収監が待っているぞ、私の一言でな」

 次々と口に運ばれる料理を咀嚼し、嚥下しながら霧島は涼しい顔で言ってのけた。

「でも、きみはわたしと取引にきた筈だよ、鳴海京哉のために。そうだろう?」
「その通りだ。だがここまでの仕打ちに黙って耐えるほど堪え性もないんでな」
「まあ、きみのそのプライドで身売りしにきたとは思っていないよ」

「喩え私が口を割らなくても咲夜がいる。何れにせよ貴様は終わりだ」
「咲夜を舐めていると痛い目に遭う。もう手下が三人られていてね」
「何だと、それは本当か?」

 諸手を挙げて富樫は天井を仰いだ。さぞかし後始末は大変だったに違いない。

「ところでこの屋敷に堺リノベーションとミラード化学薬品の会長はいるのか?」
「さて、何のことだか分からないな」
「何故面倒な本格的誘拐に手を付けた?」

 また逸らされるかと思ったが富樫はフォークを弄びながら肩を竦めて見せた。

「きみ自身が言ったじゃないか、きみと鳴海氏は百二十億をふいにしたと。だから僅かでも穴埋めさせて貰おうと思ってね。堺とミラードの会長に持ちかけたんだよ」
「まさか大御所二人まで保険金詐欺か?」

 面白くもなさそうに富樫はフォークを左右に振る。

「保険金詐欺をするかどうかは関知しないよ。堺の会長もミラードの会長も揃って肝硬変で移植が必要、だが高齢の上にドナーは不在……そこまで言えば分かるかい?」

 ここにきてようやく全てがカチリと嵌った。霧島は深く溜息をつく。

「堺とミラードの会長二人にあんたは臓器移植のチャンスがあると持ち掛けたのか」

 富樫は投げやりに肩を竦めた。

「自社他社問わず健康診断結果から抽出して詳しく調べた血液型や健康状態その他が適合する者のリストまで持参してきたよ」
「表沙汰にできん手術に臨む会長二人は拉致という形で姿を消した。吸血鬼殺人は輸血用血液を確保するため、三名射殺は本当に臓器を抜き取るためだったのか」

「チンピラの片割れは昔、看護師だったという触れ込みでね。生体から移植臓器を摘出するまでの扱いくらい心得ていると抜かすから雇ったんだ。三人は生きたまま倉庫近くのヤサで処理する手筈だったのに、それを全てしくじってくれたんだよ」

 確かに真夏の野外で射殺した死体の肝臓は移植できまい。新開倉庫近くのヤサにはそれなりの準備がされていたのに、チーフスペシャルなんぞ与えられテンパったあの二人は大事なドナーを殺してしまい、サド富樫に怯えて死にたがった訳である。

「しかし闇医者のあんたが移植手術などできるものなのか?」
「そんなつまらないことをわたしはしないよ。他に医者はいる。女医だがね」

 本当につまらなそうな富樫から訊くべきを聞いた霧島は腹を括った。

「ならばそろそろ話をつけさせて貰おうか」
「たった一日で、わたしの手から飛び立って行こうというのかい?」
「貴様との付き合い如きに私は一秒たりとも人生を割きたくないんでな」

 思わず言ってしまってから霧島は後悔しかけた。相手は異常性癖のサディストだ。不満げな顔をしたそいつの握るフォークの先が、霧島は気になって仕方なくなる。

「忍くん。きみはわたしが嫌いかい?」
「当たり前だ。本気でそれを訊く貴様が分からん。分かりたくもないほど嫌いだ」

 瞬時に覚悟はしていたが躰は反応し心臓が喉元までせり上がってきたような気がして霧島は何度も唾を飲み込んだ。予想を嬉しく裏切りフォークがワゴンのプレート上に戻されても鼓動の激しさは治まらない。富樫が目に暗い光を溜めていたからだ。

「わたしがきみの心を占めるのは容易なことではなさそうだ」
「私の心を占めることができるのは、この世で唯一人だ」
「そうかな? 本当にわたしで心がいっぱいにならないか試してみようじゃないか」
「そんなもの試すまでもない……つうっ、やめ……っ!」

 のしかかられて全身の傷が引き攣れ激痛を生んだ。思考が白飛びするほどの痛みに霧島はのたうつ。それを抵抗と取ったか左上腕の弾傷を包帯の上から強く掴まれた。またも見る見るうちに白い包帯が真っ赤に染まりシーツにポタポタと血が滴る。

「ぐっ……チクショウ!」

 喋り過ぎも拙かったか眩暈と耳鳴りが酷い。あまりの痛みに意識が遠のきかけ呼吸さえ上手くできない。いっそ意識を失くしてしまいたい激痛だった。
 それでも霧島は意地になり意識を保とうと目を見開き続ける。だが躰はまだ身動きもままならない。

 そんな霧島の左肩口を富樫はメスで斬りつけた。

「あっく……くうっ!」

 冷たく全身の血が引く。流れ出る血液だけが他人のもののように生温かい。その傷に富樫は己の成長したものを擦りつけた。
 半ば切っ先を突っ込むように擦られて激烈な痛みに蹴り飛ばすこともできなくなる。おぞましさに霧島はまたも吐いた。

 傷口を犯され責め苛まれながら何度も吐く。食ったものを残らず吐いても生々しい傷を擦り上げる感触に耐えきれず、涙を滲ませながら胃液を吐き続けた。

「ああ、いい……忍くん、きみのこんなに深くにわたしはいるよ」

 気味の悪い囁きに霧島は朦朧としながらも耳までちぎって捨てたくなる。

 しかし富樫が独り達するのを見た霧島は男が一番油断する時を狙って動いた。背に枕を詰め込まれた体勢を利用して長身を跳ね起こす。右手にありったけの力を込めて富樫に掴みかかった。

 武道で鍛えた動体視力と手捌きで奪った物を素早く手の中で回転させ富樫の顔を一閃する。
 
 富樫が掛けたままだった眼鏡と一緒に血飛沫が飛んだ。

「あうっ――!!」

 メスの刃が富樫の鼻梁を切り裂き左目から血をしぶかせていた。血の噴き出した顔を富樫は押さえる。
 返す刀で霧島はドレスシャツの胸に斬りつけ、上体をぶつけるようにしてメスをその腹に突き立てた。
 だが華奢な刃は腹圧で折れる。

「くっ……やって、くれたな!」

 顔とドレスシャツを血染めにした富樫は暗い地の底から湧き上がるような声で唸った。対して霧島はもう振るえる刃を持たない。
 だが富樫は咳き込み血を吐いた。双方の血の海で睨み合うこと数秒、再度血を吐いた富樫が携帯に押し殺した声で囁く。

 そこで霧島も力尽きていた。
 握り締められた左上腕だけでなく全身の傷から血が止めどなく溢れ出している。急速に視界が狭く暗くなって身を起こしていられなくなった。
 横ざまに倒れたのも意識できずに軽い衝撃だけをぼんやりと感じる。

 それ以上は思考もできず、極度の貧血によって真っ白な重い濁流の渦に意識を巻き込ませていった。
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