最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
40 / 61

第39話

しおりを挟む
 起きるたびに違う状況というのもなかなかスリルがある。
 そう思いながら霧島は白い天井にくっついた蛍光灯を眺めた。すぐに横から京哉が心配そうに覗き、優しい指が前髪をかき分けてくれる。

「忍さん、分かりますか?」
「ん、ああ、白藤大学付属病院か。私はどのくらい寝ていたんだ?」
「天根署で倒れた日も入れて三晩目です。あ、起きないで下さいよ。酷い貧血で輸血もしたけど撃たれた怪我はまだ治ってないんですから。それに全身合計で百針を超えちゃった傷もあるんだし」

 それでもなお身を起こそうとした霧島を京哉が慌てて押し留めた。支えられてゆっくりと横になる。確かに意識してみると身体のあちこちが引き攣っていて、見下ろせば患者用の薄い衣服の下の右腕に点滴の針が刺さりチューブが繋がっていた。

「そうか、輸血したのか」
「生きてるのが不思議なくらいの貧血だったんですって。ほんの少しだけど僕も分けてあげられましたから」
「有難い、お前から貰ったのは二度目だな。全治どのくらいだ?」

 甲斐甲斐しく京哉は霧島のベッドに角度をつけてくれながら答える。

「一ヶ所だけならともかく全身に渡ってるから三週間くらいと聞きました」
「そんなにか。参ったな、富樫が退院する前に踏み込んでやろうと思ったんだが」

「退院って、入院してるんですか?」
「片目潰して腹刺した」
「それは……でも貴方だって全身の傷が酷いから絶対安静の重傷患者なんですよ」

 静かに痛みを堪えるような目に宥められて霧島は再び横になった。ベッドの背に角度がついて見通しが良くなり、ブラインドの隙間から月まで覗いているのが見える。
 そんなものを眺めてから視線を移し年下の恋人の心配顔を見上げた。

「京哉お前、酷い顔をしているぞ。それに眼鏡はどうした?」
「酷い顔ってどういう……眼鏡は天根署で壊れたんで、伊達だし後で買ってきます」

 殴られて壊されたのだろう。やはり紳士的な聴取ではなかったのだ。これは機捜隊長として正式に抗議する事項だと記憶する。
 霧島としては恋人の整った素顔が見られて嬉しいが、まずはじっと眺めて怪我をしていないかチェックした。

 自分の大怪我より京哉の擦り傷が一大事なのである。すると打撲痕が僅かなあざになり残っている。だがそれよりも目の下が真っ黒だ。

「冗談ではなく酷いぞ。その顔はもしかして眠っていないのか?」
「眠りたいですし煙草も吸いたいし眼鏡だって無いと落ち着かないんですけど、時間がないんですよね。意識もないクセに暴れる患者がいましたから見張ってなきゃいけなくて。こうなると無駄に図体がデカくて一苦労なんですよ」

「なるほど……無駄か。そうか、お前を寝かせない不逞の輩が出没するのか」
「そうなんです。シャワーも、お手洗いだって超速で、もう大変なんですよ。誰かさんは大人しくしててくれないと怪我にも悪いし、押さえ付ける僕だって……」

 すとんとベッドの傍のパイプ椅子に腰を下ろした京哉は目のふちを赤くしていた。

「心配なら僕がその病院の様子、見てきましょうか?」
「独りでか? それこそ寝ているどころではないな」
「ですよね。あ、配膳車がきたみたい。ご飯だ。持ってきますね」

 ドアから出て行った京哉はトレイふたつを両手で運んできた。霧島はベッドに付属したテーブルを引き寄せる。京哉がそれに二つを並べて置いた。

「おっ、なかなか旨そうだな」
「貧血改善強化週間ですからね。あーんしましょうか?」
「いいからお前もしっかり食え」

 病院食にしては結構いける食事を済ませて片付けると霧島は横になる。傍で京哉が見張っていては仕方ない。まだ躰が重たくだるいのも確かで、うたた寝を繰り返しながら別れていた間の報告をする。霧島は傷口を犯された事実まで話したが京哉の目は静かなままだった。

 やがて二十二時の消灯を迎える。オートで蛍光灯が常夜灯になると京哉はジャケットを脱いで二人部屋のドア側のベッドに横になった。薄暗がりに静かな声が伝わる。

「忍さん、おやすみなさい」
「ああ。お前もゆっくり寝てくれ」

 余程疲れていたのだろう、すぐに京哉は規則正しい寝息を立てだす。霧島も一時間ほどは我慢し大人しくしていたが、そっと起き上がると点滴を止めて抜いた。

 窓際のパイプ椅子の上に自分の衣服その他が畳まれ置かれていた。音を立てないよう、ミラードの保養所から京哉が持ってきてくれたらしいスーツに着替える。一緒に置いてあったショルダーホルスタも身に着けた。

 ジャケットを羽織ってドアに向かいながら、ふと気が付いて懐から銃を抜く。
 マガジンを手に落としてみると全弾抜かれて空っぽだった。

「チッ、やられた」

 呟いた霧島の背後から静かな声が掛けられる。

「……何処に行くんですか?」
「ちょっと散歩にな」

 振り返ると京哉が掌に三十二ACP弾五発を載せてこちらをじっと見つめていた。霧島は差し出されたそれをマガジンに詰め込み元通りチャンバにまで装填する。

「散歩に行くのにそんなものが必要なんですか?」
「この辺りは物騒だからな」
「そのようですね。僕を寝かせない不逞の輩もしょっちゅう出没するみたいですし」

「だがまあ気にするな。今日くらいはゆっくりと寝て――」
「――忍さんっ!」

 背伸びした京哉は両手で霧島の頬を挟むと頭を前後に激しく揺さぶった。

「うわっ、何をする……京哉、やめろ!」

 手を離されたが病室が回転しているかのような激しい眩暈を起こし、霧島はふらふらと後退すると床に尻餅をつく。京哉が腕組みして目前に立ちはだかった。
 見下ろすと睨みつけてくる。

「そんな貧血患者が独りでどうするんですかっ!」
「って、おい、京哉お前、泣いているのか?」
「泣いてなんかっ……悔しいだけですっ!」

 常夜灯の薄暗がりで細いシルエットは後ろを向いてしまった。ふらつく頭を宥めながら霧島はそろそろと膝立ちになると京哉の薄い躰を抱く。
 今の今までずっと静かに喋り霧島を壊れ物の如く扱っていた京哉が、霧島の手を叩き落とすように振り払った。

「僕ばっかり助けられて、なのに貴方は僕なんか要らないみたいに……」
「そういうつもりではないんだが」

「じゃあ、どうして僕を置いて独りでなんて……何のための相棒バディでパートナーなんですか! ……うっく、忍さんなんか、もう……ひっく!」
「京哉、すまん」

 もう隠しようもなくしゃくり上げる京哉をこちらに向かせ、膝立ちのまま細い躰を強く抱き締める。

 零れる涙を頬に受けると熱い。
 切ない想いを改めて知らされ胸を衝かれた。
しおりを挟む

処理中です...