12 / 13
12.因果応報
しおりを挟む
・因果応報(いんがおうほう)
行為の善悪に応じて、その報いがあること
目覚めたとき、見上げた天井はヒルシュフェルト様の屋敷のそれではなかった。背中には柔らかな感触。ベッドに寝かせられているようだ。
あの後、ヒルシュフェルト様の屋敷に踏み込んできたハイドフェルト様は、俺の様子を見るや否や目を刃のように鋭くし、ヒルシュフェルト様へ掴みかかった。事情なんて聞く耳を持たず、「覚悟しておけ」と彼へ吐き捨てる様は、理想の騎士からは程遠い顔をしていた。
ひとまず、俺をハイドフェルト家の屋敷へと連れ帰り、客室へと放り込んだ後、ハイドフェルト様はまたすぐにどこかへと出掛けていった。
いないのは好都合。備え付けのバスルームに飛び込んで、昂って仕方がないナニをひたすらに慰めて……で、気付いたらここにいた訳だが。
「気付いたか?」
呆れた様子のハイドフェルト様が、俺の顔を覗き込んでくる。「バスルームで気を失っていたから移動させた」と、別に訊いてもいないことを教えてくれた。ああそうかよ。
「……ご面倒をおかけしました」
「引導を渡した相手を利用するとは、大した面の皮だ」
ああ、そっちか。流石に返す言葉もねえし、甘んじて受けるさ。気怠い身体をなんとか起こし、ハイドフェルト様へと向き直った。
片や貴族、片や一介の使用人。俺は個人的感情よりも、立場と礼儀を優先できる使用人なので。
「言い訳をお許しいただければ、ヒルシュフェルト様が関わっていると知った以上、対抗するにはハイドフェルト様を引きずり出す以外に手はありませんでした」
「……確かに、疑惑の目が高まっているコースフェルト家だけでは、ヒルシュフェルトを相手取るのは難しかっただろうな」
お分かりいただけて何よりだよ。しかも、賭けは俺の勝ちに終わった。俺も恥を忍んでハイドフェルト様を利用した甲斐があったってもんだ。
「……コースフェルトの為ならば、恥すらも呑み込んで、自分の身の危険も顧みないのか」
「何か勘違いされているようですが、私は仕事を果たしたまでです」
「大嫌いな貴族の為に、そこまでするのが仕事か?」
「どんな言葉を望んでいるかは知りませんが、恩義などはありませんよ。主義主張と責務は別物でしょう?」
以前もこんな話をしたかもしれないが、少なくとも俺はそう思っている。感情を優先する余り、仕事の出来を左右させるような人間を信用できるか? 答えは、否だ。
そういや、あの後どうなったんだか。ヒルシュフェルト様を追い詰めることは出来たし、ハイドフェルト様を引っ張り出せたものの、コースフェルト家の安寧を確約できた訳ではない。
尋ねたところで答えてくれるだろうか。ハイドフェルト様をちらりとうかがったとき、その碧眼に仄暗い光が瞬いているのを見て、何故だか背筋に悪寒が走った。
「……一度、コースフェルトに戻ります。謝意は後程改めて」
「不要だ。謝意はもちろん、コースフェルトに戻る必要もない」
「は?」
こいつは、何を言っている? いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。本能に突き動かされるままベッドを飛び降りようとして、出来なかった。俺の両肩を掴んだハイドフェルト様が情け容赦なく、ベッドへと押し付けたからだ。
俺だっていくらか鍛えちゃいるが、鍛えに鍛えた騎士様を相手に太刀打ちできるほどではない。なんとか隙を見付けたいところだが、次に発したハイドフェルト様の言葉に、そんなことを考える余裕は吹き飛んでしまった。
「俺とおまえが揃って捕まれば、どうなるだろうな」
俺と、ハイドフェルト様が捕まる? 俺はともかくとして、どうしてハイドフェルト様が捕まる?
訝しむ俺をせせら笑いながら、ハイドフェルト様がひとつひとつ明かしていく。ぞっとするような仕掛けを。
「ヒルシュフェルトから、捏造済みの証拠は譲り受けている。俺とおまえが共犯だったという筋書きに変えた、な」
「ッ、自分が何をしてんのか、分かってるのか!?」
「言われるまでもない」
もし、仮にハイドフェルト様が捕まったら、当然ながらリチャード殿下の護衛騎士の地位は剥奪される。今日まで鍛え上げてきた剣の腕も、騎士としての理想も全て、リチャード殿下に捧げた忠誠も何もかも、棒に振るようなものだ。
そして、事はハイドフェルト様だけの問題ではない。民を守る騎士、ハイドフェルト家の信用は地に落ちるだろう。
その上、ハイドフェルト公爵の直系男児はこの人一人なのだ。代わりの嫡男を傍系から引き取るにしても、次期公爵として次期護衛騎士として育て上げるには、どれほどの時間がかかるか。
それを全て、ハイドフェルト様は本当に理解しているのか。理解していて尚、そんなことを仕出かしたのならば────狂ってる。
「ずっと考えていた。おまえを手に入れる為の方法をな」
つい零れ落ちたような声だった。とても静かで、だからこそ必死に何かを抑えているようにも聞こえて、ぞっとした。
「俺がみっともないほど愛を囁いたところで、おまえは信じないし受け取らない。おまえは、目に見えるものしか信じないだろう?」
「……だから、なんだ」
「裏を返せば、目に見えるものならば信じるのだろう。ならば、と目に見えるものを賭けることにした」
「目に見えるもの、だと」
「そうだ。俺の地位も名誉も理想も、俺が持っているすべてを引き換えにすることにした」
ハイドフェルト様が、嗤う。俺の頬を撫でながら、その手はゆっくりと俺の首へとかかった。ほんの少し力を込めるだけで、気道は潰されて程なく息絶えるだろう。
幸か不幸か、急所を握られている恐怖は余りない。それよりも、目の前の男の口から飛び出す言葉の方がずっとおぞましくて、吐き気がした。
「っ、愛しているとでも囁けば、それで満足か?」
「まさか。おまえの言葉を鵜呑みにするほど、愚かなつもりはない。故に、手は既に打っている」
手、だと? 困惑する俺に、ハイドフェルト様は何でもないように言った。「父にはすべて話した」と。
「悪巧みよりも時に効果を発揮するものがある。覆しようがないほどの、事実だ」
「事実、だと……?」
「俺には、エリアーシュを愛する余り陵辱した前科がある。今回に至っては、監禁までしているのだからな」
「なっ!」
「当然、俺のような危険人物のもとに、貴族の令嬢を嫁がせる訳にはいかない。誰よりも高潔な父ならば、そう考える」
ハイドフェルト公爵は、清廉潔白が服を着て歩いているような御仁だ。ハイドフェルト様に比べれば清濁を併せ呑める方だが、少なくとも国益を優先して、貴族の令嬢を性犯罪者に嫁がせるような真似はできない。
確かに、コーレイン辺境伯令嬢との婚約を水泡に帰すならば、それだけの事情を用意する必要があった。ハイドフェルト様の手は効果的だが、同時に自身をも傷付ける諸刃の刃だ。
たとえ、捏造された証拠をなんとかできても、ハイドフェルト公爵の息子への信用は地に落ちている。どちらにせよ、ハイドフェルト家の次期後継者はいなくなる。
……待て。権力にも守られていない今のこの人が、コースフェルト公爵家の使用人を監禁できるものか?
「おまえの想像通りだ、エリアーシュ。俺は変わらず、ハイドフェルト家の嫡男のままだ」
「コースフェルト公爵も、引き込んだのか」
「ああ、そうだとも。善良な父ならば、俺を廃嫡なさるだろう。だが、あのコースフェルト公爵が、俺の廃嫡を望むと思うか?」
俺という使用人とハイドフェルト家次期嫡男を秤にかけて、どちらを選ぶかなど考えるまでもない。ただの使用人一人で、次のハイドフェルト公爵を利用できるのであれば、旦那様は俺を切り捨てるくらいする人だ。
「……業腹であることは否定しない。この方法で、おまえの心が手に入るとも思っていない。元より、長期戦の覚悟だ」
俺の首に添えられたハイドフェルト様の手に、微かに力が込められたような気がした。
確かに俺は、愛情なんざクソ喰らえだと言ったさ。愛や友情をせせら笑い、より確実な利益と効率を優先するような、性根が歪んでいるクソ野郎だ。
いつかろくな目に合わねえだろうな、と思っていた。思っちゃいたが、こんなことになると誰が予想できた?
「────さあ、エリアーシュ。俺と諸共に堕ちる覚悟はあるか?」
そう言って、もはや清廉潔白とは程遠い一人の男が、噛みつくように口付けてきた。
◇
「っ、んッ、あ、も、イきたく、な……!」
「止める、ものか」
「やめっ、あ、んんッ、こわれ、ひっ!」
いっそ壊れてしまえば良い、と思った。理想を捨てた。目標も将来も、家族や友でさえ捨て、これまでのすべてを賭けたのだ。エリアーシュも同じくらい堕ちてもらわなければ割りに合わない。
「っ、出すぞ」
「あッ! や、う、ぐッ……!」
何度目か分からない吐精だった。奥へと叩き付けてやれば、胎は嬉しそうにシルヴェリオの雄を甘く締め付けた。
ふと、エリアーシュの手が緩んだ。顔を覗き込めば、どうやら意識を失ったらしい。無理もないか、とシルヴェリオはゆっくりと雄を抜いた。
「ん……」
意識をなくしていると言うのに、エリアーシュは甘い声を溢した。
今日だけで、エリアーシュは後ろだけで快楽を拾えるようになったらしい。才能があったのか、或いは他の男にでも抱かれたのか。ぱちんっと黒い炎が腹の奥で爆ぜた。
妬ましくはあるが、エリアーシュをこの先抱けるのは己だけだ。まずは、エリアーシュの身体に自分を覚え込ませる。唇を、肌を、熱を、かたちを。想いを注ぐのはその後だ。
「……どうしようもなく、おまえが好きなんだ」
手の甲についた三日月型の傷に、そっと唇を落とす。エリアーシュが付けた傷だった。
誰が抱いているのかを見せつけるべく、正面から抱いていた。意地でもすがりつくものかとシーツを握り締めていた手を無理やり剥がして手を絡ませたら、憎らしいと言わんばかりに爪を立ててきた。おかげで、手の甲には血が滲んでいるが、エリアーシュが付けたと思えば不思議と愛おしい。
「俺のことが嫌いなくせに、俺の剣を心から褒めてくれたことがあったろう」
エリアーシュの本性を知ってから、何度も何度も諦めようとした。彼の言葉は確かに正しい面もあるが、彼の在り方は決して善良ではない。頭では理解していても、心はどうにも止められなかった。それは、エリアーシュの所為でもある。彼がどうしようもないほどの悪人であればどれほど良かったか。
────あなたには剣の才がある。けれど、あなたは才能に胡座をかくことなく、努力を重ねている。剣の才以上に、努力できる才能こそを誇るべきかと。ハイドフェルトの名だけ見て妬んでいる人間の言葉に耳を傾けるのは、時間と精神の浪費ですよ。
親の権力で成り上がったのだろうと陰口を叩く相手に苛立ちを覚えていたシルヴェリオに向かって、エリアーシュはそう言った。
エリアーシュの在り方は、人として歪んでいる。決して善良な人間ではない。
けれど、エリアーシュは相手が誰だろうと、目に見えるものを素直に認め、称賛する正しさを有していた。
「おまえが、俺のことを肯定してくれたことも、俺の努力を見ていてくれたことも、堪らなく嬉しかった。そのとき、俺はまたおまえに恋をした」
エリアーシュは、自分の主義主張よりも国益を優先する男だろう。どうしようもないほどに性悪で、自分の利益の為に手段を選ばない男だが、見ず知らずの誰かの不幸を望めない甘さがある。
そこを、突いた。自分が、こんなにも愚かな男に成り果てるとは思いもしなかった。一心不乱に剣を振っていた幼い己が、今の姿を見たらきっと斬り殺そうとするだろう。
「……それでも、おまえを諦めたくなかったんだ」
行為の善悪に応じて、その報いがあること
目覚めたとき、見上げた天井はヒルシュフェルト様の屋敷のそれではなかった。背中には柔らかな感触。ベッドに寝かせられているようだ。
あの後、ヒルシュフェルト様の屋敷に踏み込んできたハイドフェルト様は、俺の様子を見るや否や目を刃のように鋭くし、ヒルシュフェルト様へ掴みかかった。事情なんて聞く耳を持たず、「覚悟しておけ」と彼へ吐き捨てる様は、理想の騎士からは程遠い顔をしていた。
ひとまず、俺をハイドフェルト家の屋敷へと連れ帰り、客室へと放り込んだ後、ハイドフェルト様はまたすぐにどこかへと出掛けていった。
いないのは好都合。備え付けのバスルームに飛び込んで、昂って仕方がないナニをひたすらに慰めて……で、気付いたらここにいた訳だが。
「気付いたか?」
呆れた様子のハイドフェルト様が、俺の顔を覗き込んでくる。「バスルームで気を失っていたから移動させた」と、別に訊いてもいないことを教えてくれた。ああそうかよ。
「……ご面倒をおかけしました」
「引導を渡した相手を利用するとは、大した面の皮だ」
ああ、そっちか。流石に返す言葉もねえし、甘んじて受けるさ。気怠い身体をなんとか起こし、ハイドフェルト様へと向き直った。
片や貴族、片や一介の使用人。俺は個人的感情よりも、立場と礼儀を優先できる使用人なので。
「言い訳をお許しいただければ、ヒルシュフェルト様が関わっていると知った以上、対抗するにはハイドフェルト様を引きずり出す以外に手はありませんでした」
「……確かに、疑惑の目が高まっているコースフェルト家だけでは、ヒルシュフェルトを相手取るのは難しかっただろうな」
お分かりいただけて何よりだよ。しかも、賭けは俺の勝ちに終わった。俺も恥を忍んでハイドフェルト様を利用した甲斐があったってもんだ。
「……コースフェルトの為ならば、恥すらも呑み込んで、自分の身の危険も顧みないのか」
「何か勘違いされているようですが、私は仕事を果たしたまでです」
「大嫌いな貴族の為に、そこまでするのが仕事か?」
「どんな言葉を望んでいるかは知りませんが、恩義などはありませんよ。主義主張と責務は別物でしょう?」
以前もこんな話をしたかもしれないが、少なくとも俺はそう思っている。感情を優先する余り、仕事の出来を左右させるような人間を信用できるか? 答えは、否だ。
そういや、あの後どうなったんだか。ヒルシュフェルト様を追い詰めることは出来たし、ハイドフェルト様を引っ張り出せたものの、コースフェルト家の安寧を確約できた訳ではない。
尋ねたところで答えてくれるだろうか。ハイドフェルト様をちらりとうかがったとき、その碧眼に仄暗い光が瞬いているのを見て、何故だか背筋に悪寒が走った。
「……一度、コースフェルトに戻ります。謝意は後程改めて」
「不要だ。謝意はもちろん、コースフェルトに戻る必要もない」
「は?」
こいつは、何を言っている? いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。本能に突き動かされるままベッドを飛び降りようとして、出来なかった。俺の両肩を掴んだハイドフェルト様が情け容赦なく、ベッドへと押し付けたからだ。
俺だっていくらか鍛えちゃいるが、鍛えに鍛えた騎士様を相手に太刀打ちできるほどではない。なんとか隙を見付けたいところだが、次に発したハイドフェルト様の言葉に、そんなことを考える余裕は吹き飛んでしまった。
「俺とおまえが揃って捕まれば、どうなるだろうな」
俺と、ハイドフェルト様が捕まる? 俺はともかくとして、どうしてハイドフェルト様が捕まる?
訝しむ俺をせせら笑いながら、ハイドフェルト様がひとつひとつ明かしていく。ぞっとするような仕掛けを。
「ヒルシュフェルトから、捏造済みの証拠は譲り受けている。俺とおまえが共犯だったという筋書きに変えた、な」
「ッ、自分が何をしてんのか、分かってるのか!?」
「言われるまでもない」
もし、仮にハイドフェルト様が捕まったら、当然ながらリチャード殿下の護衛騎士の地位は剥奪される。今日まで鍛え上げてきた剣の腕も、騎士としての理想も全て、リチャード殿下に捧げた忠誠も何もかも、棒に振るようなものだ。
そして、事はハイドフェルト様だけの問題ではない。民を守る騎士、ハイドフェルト家の信用は地に落ちるだろう。
その上、ハイドフェルト公爵の直系男児はこの人一人なのだ。代わりの嫡男を傍系から引き取るにしても、次期公爵として次期護衛騎士として育て上げるには、どれほどの時間がかかるか。
それを全て、ハイドフェルト様は本当に理解しているのか。理解していて尚、そんなことを仕出かしたのならば────狂ってる。
「ずっと考えていた。おまえを手に入れる為の方法をな」
つい零れ落ちたような声だった。とても静かで、だからこそ必死に何かを抑えているようにも聞こえて、ぞっとした。
「俺がみっともないほど愛を囁いたところで、おまえは信じないし受け取らない。おまえは、目に見えるものしか信じないだろう?」
「……だから、なんだ」
「裏を返せば、目に見えるものならば信じるのだろう。ならば、と目に見えるものを賭けることにした」
「目に見えるもの、だと」
「そうだ。俺の地位も名誉も理想も、俺が持っているすべてを引き換えにすることにした」
ハイドフェルト様が、嗤う。俺の頬を撫でながら、その手はゆっくりと俺の首へとかかった。ほんの少し力を込めるだけで、気道は潰されて程なく息絶えるだろう。
幸か不幸か、急所を握られている恐怖は余りない。それよりも、目の前の男の口から飛び出す言葉の方がずっとおぞましくて、吐き気がした。
「っ、愛しているとでも囁けば、それで満足か?」
「まさか。おまえの言葉を鵜呑みにするほど、愚かなつもりはない。故に、手は既に打っている」
手、だと? 困惑する俺に、ハイドフェルト様は何でもないように言った。「父にはすべて話した」と。
「悪巧みよりも時に効果を発揮するものがある。覆しようがないほどの、事実だ」
「事実、だと……?」
「俺には、エリアーシュを愛する余り陵辱した前科がある。今回に至っては、監禁までしているのだからな」
「なっ!」
「当然、俺のような危険人物のもとに、貴族の令嬢を嫁がせる訳にはいかない。誰よりも高潔な父ならば、そう考える」
ハイドフェルト公爵は、清廉潔白が服を着て歩いているような御仁だ。ハイドフェルト様に比べれば清濁を併せ呑める方だが、少なくとも国益を優先して、貴族の令嬢を性犯罪者に嫁がせるような真似はできない。
確かに、コーレイン辺境伯令嬢との婚約を水泡に帰すならば、それだけの事情を用意する必要があった。ハイドフェルト様の手は効果的だが、同時に自身をも傷付ける諸刃の刃だ。
たとえ、捏造された証拠をなんとかできても、ハイドフェルト公爵の息子への信用は地に落ちている。どちらにせよ、ハイドフェルト家の次期後継者はいなくなる。
……待て。権力にも守られていない今のこの人が、コースフェルト公爵家の使用人を監禁できるものか?
「おまえの想像通りだ、エリアーシュ。俺は変わらず、ハイドフェルト家の嫡男のままだ」
「コースフェルト公爵も、引き込んだのか」
「ああ、そうだとも。善良な父ならば、俺を廃嫡なさるだろう。だが、あのコースフェルト公爵が、俺の廃嫡を望むと思うか?」
俺という使用人とハイドフェルト家次期嫡男を秤にかけて、どちらを選ぶかなど考えるまでもない。ただの使用人一人で、次のハイドフェルト公爵を利用できるのであれば、旦那様は俺を切り捨てるくらいする人だ。
「……業腹であることは否定しない。この方法で、おまえの心が手に入るとも思っていない。元より、長期戦の覚悟だ」
俺の首に添えられたハイドフェルト様の手に、微かに力が込められたような気がした。
確かに俺は、愛情なんざクソ喰らえだと言ったさ。愛や友情をせせら笑い、より確実な利益と効率を優先するような、性根が歪んでいるクソ野郎だ。
いつかろくな目に合わねえだろうな、と思っていた。思っちゃいたが、こんなことになると誰が予想できた?
「────さあ、エリアーシュ。俺と諸共に堕ちる覚悟はあるか?」
そう言って、もはや清廉潔白とは程遠い一人の男が、噛みつくように口付けてきた。
◇
「っ、んッ、あ、も、イきたく、な……!」
「止める、ものか」
「やめっ、あ、んんッ、こわれ、ひっ!」
いっそ壊れてしまえば良い、と思った。理想を捨てた。目標も将来も、家族や友でさえ捨て、これまでのすべてを賭けたのだ。エリアーシュも同じくらい堕ちてもらわなければ割りに合わない。
「っ、出すぞ」
「あッ! や、う、ぐッ……!」
何度目か分からない吐精だった。奥へと叩き付けてやれば、胎は嬉しそうにシルヴェリオの雄を甘く締め付けた。
ふと、エリアーシュの手が緩んだ。顔を覗き込めば、どうやら意識を失ったらしい。無理もないか、とシルヴェリオはゆっくりと雄を抜いた。
「ん……」
意識をなくしていると言うのに、エリアーシュは甘い声を溢した。
今日だけで、エリアーシュは後ろだけで快楽を拾えるようになったらしい。才能があったのか、或いは他の男にでも抱かれたのか。ぱちんっと黒い炎が腹の奥で爆ぜた。
妬ましくはあるが、エリアーシュをこの先抱けるのは己だけだ。まずは、エリアーシュの身体に自分を覚え込ませる。唇を、肌を、熱を、かたちを。想いを注ぐのはその後だ。
「……どうしようもなく、おまえが好きなんだ」
手の甲についた三日月型の傷に、そっと唇を落とす。エリアーシュが付けた傷だった。
誰が抱いているのかを見せつけるべく、正面から抱いていた。意地でもすがりつくものかとシーツを握り締めていた手を無理やり剥がして手を絡ませたら、憎らしいと言わんばかりに爪を立ててきた。おかげで、手の甲には血が滲んでいるが、エリアーシュが付けたと思えば不思議と愛おしい。
「俺のことが嫌いなくせに、俺の剣を心から褒めてくれたことがあったろう」
エリアーシュの本性を知ってから、何度も何度も諦めようとした。彼の言葉は確かに正しい面もあるが、彼の在り方は決して善良ではない。頭では理解していても、心はどうにも止められなかった。それは、エリアーシュの所為でもある。彼がどうしようもないほどの悪人であればどれほど良かったか。
────あなたには剣の才がある。けれど、あなたは才能に胡座をかくことなく、努力を重ねている。剣の才以上に、努力できる才能こそを誇るべきかと。ハイドフェルトの名だけ見て妬んでいる人間の言葉に耳を傾けるのは、時間と精神の浪費ですよ。
親の権力で成り上がったのだろうと陰口を叩く相手に苛立ちを覚えていたシルヴェリオに向かって、エリアーシュはそう言った。
エリアーシュの在り方は、人として歪んでいる。決して善良な人間ではない。
けれど、エリアーシュは相手が誰だろうと、目に見えるものを素直に認め、称賛する正しさを有していた。
「おまえが、俺のことを肯定してくれたことも、俺の努力を見ていてくれたことも、堪らなく嬉しかった。そのとき、俺はまたおまえに恋をした」
エリアーシュは、自分の主義主張よりも国益を優先する男だろう。どうしようもないほどに性悪で、自分の利益の為に手段を選ばない男だが、見ず知らずの誰かの不幸を望めない甘さがある。
そこを、突いた。自分が、こんなにも愚かな男に成り果てるとは思いもしなかった。一心不乱に剣を振っていた幼い己が、今の姿を見たらきっと斬り殺そうとするだろう。
「……それでも、おまえを諦めたくなかったんだ」
93
あなたにおすすめの小説
悪役のはずだった二人の十年間
海野璃音
BL
第三王子の誕生会に呼ばれた主人公。そこで自分が悪役モブであることに気づく。そして、目の前に居る第三王子がラスボス系な悪役である事も。
破滅はいやだと謙虚に生きる主人公とそんな主人公に執着する第三王子の十年間。
※ムーンライトノベルズにも投稿しています。
ぼくの婚約者を『運命の番』だと言うひとが現れたのですが、婚約者は変わらずぼくを溺愛しています。
夏笆(なつは)
BL
公爵令息のウォルターは、第一王子アリスターの婚約者。
ふたりの婚約は、ウォルターが生まれた際、3歳だったアリスターが『うぉるがぼくのはんりょだ』と望んだことに起因している。
そうして生まれてすぐアリスターの婚約者となったウォルターも、やがて18歳。
初めての発情期を迎えようかという年齢になった。
これまで、大切にウォルターを慈しみ、その身体を拓いて来たアリスターは、やがて来るその日を心待ちにしている。
しかし、そんな幸せな日々に一石を投じるかのように、アリスターの運命の番を名乗る男爵令息が現れる。
男性しか存在しない、オメガバースの世界です。
改定前のものが、小説家になろうに掲載してあります。
※蔑視する内容を含みます。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
BL
帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!
転生悪役弟、元恋人の冷然騎士に激重執着されています
柚吉猫
BL
生前の記憶は彼にとって悪夢のようだった。
酷い別れ方を引きずったまま転生した先は悪役令嬢がヒロインの乙女ゲームの世界だった。
性悪聖ヒロインの弟に生まれ変わって、過去の呪縛から逃れようと必死に生きてきた。
そんな彼の前に現れた竜王の化身である騎士団長。
離れたいのに、皆に愛されている騎士様は離してくれない。
姿形が違っても、魂でお互いは繋がっている。
冷然竜王騎士団長×過去の呪縛を背負う悪役弟
今度こそ、本当の恋をしよう。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年BLです。
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜
小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」
魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で―――
義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる