悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

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11.背水之陣

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・背水之陣(はいすいのじん)
 死を覚悟して全力で物事にあたること。
 または、引くことができない困難な状況のこと




 この世には綺麗であたたかいものがいっぱいだと信じている連中を、ヘドロの中に引きずり落としてやりたかった。
 現状の制度と価値観を是正する具体策を提示せず、理想ばかりを口にする人間が心底嫌いだ。
 愛や希望とやらを頭ごなしに否定する気はないが、腹を空かせた何百人もの子供を前にして「あなたたちのことを愛しているから、食事がなくても我慢してね」と言えるのか? 平等だと言っておきながら、平民が貴族に歯向かえば罰せられる世界で、どこが等しい命だって?




「お久しぶりです、ヒルシュフェルト様」

 公爵家にしては質素な内装だが、そのひとつひとつの金額は推して知るべし。客間に通され、出された紅茶をひとり遠慮なく楽しむこと十分。
 やって来たヒルシュフェルト様は、俺の顔を見るや否や汚物でも見たかのように不快さを露わにした。

「……やはり貴様か、メルカダンテ。コースフェルト公爵の使いだと聞いたが、今日は如何な用向きだ」
「本題に入る前に、少しだけ雑談をさせてくださいませんか」
「雑談だと? ヒルシュフェルト家嫡男の私と、一介の使用人風情の貴様とか?」

 クリストフ・ヒルシュフェルトは貴族と平民の命が決して平等ではないことを理解している、俺にとっては好ましい部類の人間だ。
 自らの地位の重さを正しく理解しているが故に、平民と自身をしっかり区別できている。メルヒェン思考のお嬢様とハイドフェルト様、王族として理想を口にしなければならない殿下の中で、現実的なヒルシュフェルト様はなくてはならない存在だ。……だから、こうなってしまったのはひどく残念に思う。

「コースフェルト家周辺が騒がしかったことは、お耳の早いヒルシュフェルト様であればご存知のことでしょうが」
「……良いだろう。続けよ」
「寛大なお心に感謝します、ヒルシュフェルト様」
「狐めが」

 狐とは随分な言われようだ。それを言うのなら、ヒルシュフェルト様は狸ってところか。
 この人は、俺がヒルシュフェルト様の帰国を嗅ぎ付けている、と確信していたのだろう。本来なら、隣国に留学中のヒルシュフェルト様を訪ねに来た客を招き入れる筈もない。
 だが、この人は俺を通した。俺ならば確証があってのこと、決して引き下がらないと考えてのことだろう。おそらく、何の話をしに来たかも察しがついている筈だ。
 まあ、ヒルシュフェルト様の帰国は、昨晩の夜会で偶然に知り得ただけなんだが、そこは言わぬが花だ。

「まず、プリムローズ元伯爵の一件です。婚約者との仲を引き裂かれかけたことで、お嬢様は元よりコースフェルト家には同情の視線を向けられております。元々、殿下の婚約者として、市井でもそれなりに人気がございましたが」
「イルゼは、公爵令嬢として礼儀作法は備わっているくせに、価値観が庶民のそれに近い。つくづく妙な女だ」

 正面のソファにゆったりと腰掛け、ひじ掛けに頬杖をついたヒルシュフェルト様が関心の薄い声音で言う。
 本当に興味がないのか、興味がないふりをしているだけなのか。話を進めれば、自ずと分かってくるだろう。

「先の一件で、私はアリシア・プリムローズの身辺調査を行いました。調べれば調べるほど埃は出ましたが、決定打には今一つ足りませんでした」
「賢しい貴様のことだ。足りないのであらば、作れば良いと考えたか?」
「さて。あのブタ箱直送女プリムローズ嬢が痺れを切らして、殿下にアニマを盛って押し倒したところを現行犯で捕まえてやろう、とは考えておりましたが」
「……父に、狐を捕らえられない現行の法は直ちに改正すべきだと具申しなくてはならんな」
「さすが、ヒルシュフェルト様は勤勉でいらっしゃいますね」
「抜かせ、狐。早く話を進めろ」

 あからさまに嫌そうな顔をしなくても良いだろうに。割りと本心なんだが、伝わらないのは何故だろうな?
 だが、ヒルシュフェルト様が進めろと言うのなら仕方がない。わざとらしく肩を竦め、明かす。

「私の目的はただ一つ、コースフェルト家に何のお咎めもなく、殿下とお嬢様の婚約を解消するために動いておりました」

 お嬢様の本意はなんであれ、没落エンドとやらを避ける為ならば、リチャード殿下との婚約を解消するべきだと思った。
 アリシア・プリムローズがもう少し賢しい人間であったのなら、殿下は彼女を婚約者に選んだだろう。お嬢様には何の咎めもなく、婚約は解消されていた筈だ。
 しかし現実は違った。アリシア・プリムローズとその身内は、どうしようもないほど愚かであった。それならそれで、使い道を変えれば良いと、俺は方針を変えることにしたのだが。

「当初、ハイドフェルト様や騎士団にご助力いただく予定はございませんでした。個人的感情も理由ではありますが、騎士団が決定的な証拠を入手するには時間を要するだろうと思ったからです……しかし、実際は違いました」

 騎士団の動きは迅速だった。既に、プリムローズ家がアニマを入手し、あの女が実際に使用していること。そして、コルデーにまで手を伸ばそうとしている、という情報を掴んでいたのだ。

「我が国の騎士団が優秀だったと推察するが」
「優秀というだけで、コルデーを紛れさせた荷をピンポイント且つ迅速に見付けられるものでしょうか?」
「我が国の騎士団は幸運だったな。或いは、日頃の鍛練の賜物か」
「なるほど、運が良かったのかもしれません。否定はしません」

 日々、数えるのもバカらしい量の荷を送り、或いは受け入れている中、幸運にもコルデーが紛れている荷を発見した、と。
 おそろしい確率だ。俺はてっきり、第三者による手助け密告があったものかと思ったんだがな。
 まあ、可能性がないとは言い切れない。ヒルシュフェルト様が本気で幸運だと思っているのなら、それでも良いだろう。────幸運が、一つや二つだったなら。

「騎士団の動きは以降も迅速でした」

 コースフェルト家が、あえて人身売買という言い方で人材斡旋をしていることは、何も今に始まったことではない。にもかかわらず、最近になって急激に噂が出回りだした。
 そこにきて、コースフェルト領から隣国へ出荷する荷に、生きた子供が入っていたこと。事態発覚から捜査に至るまでの迅速さ、加えて外部に一切情報を漏らさなかった手腕。
 コースフェルト領の孤児院を調べに行けば、犯人と繋がっていただろう修道女は、既に隣国へと逃げた後だった。
 クライン子爵の件もそうだ。ツェルの話だと、クライン子爵は前々から子供を買い取っていた。見逃されていたのか、或いは尻尾を掴ませなかったのか定かではないが、クライン子爵が捕らえられることはなかった。
 だが、国内の子供に手を出した途端、クライン子爵を逮捕された。逮捕までの流れはあまりにも迅速で、その上どこにも情報は漏れていない。

「どれもこれもあまりにも迅速で、まるで誰かが描いた道筋をなぞるかのようですね」
「……何が言いたい」
「────この度の一件、ヒルシュフェルト様の筋書きですね」

 ヒルシュフェルト様なら、コースフェルト家が人材斡旋を行っていることも、あえて人身売買と言っていることも知っている筈だ。
 捜査の段階で、ハイドフェルト家を遠ざけることも、行政のヒルシュフェルトならば可能だろう。
 というか、三大公爵家のうち二つを相手取って押さえ込む荒業ができるのは、王族を除けばヒルシュフェルト公爵家くらいのもの。
 プリムローズ家の荷についても、ヒルシュフェルト様が何らかのかたちで関わっていたとしても不思議はない。

「証拠がどこにある?」
「ヒルシュフェルト公爵家を相手に、証拠など意味を為さないのでは?」

 ヒルシュフェルト公爵なら、証拠なんざ容易く握り潰せてしまうだろう。証拠なんてあってないろうなものだ。
 というか、俺の考えは物的証拠なんてひとつもなく、ただの推測に過ぎないしな。

「とはいえ、決定的な証拠もない中で、どうしてヒルシュフェルト様が浮かんだのか、興味はありませんか?」

 ヒルシュフェルト様は何も言わない。腕を組んで、ただ黙って俺を見据えている。
 眼光で人が殺せるなら、俺の首はすっぱり落とされていただろう。それほどまでに、ヒルシュフェルト様の眼差しは厳しい。だが、俺の囀りを止めるつもりはないようだ。

「決定的な証拠がない以上、考慮すべきは動機です。もし仮に、コースフェルト家が罪に問われた場合、誰が最も得をするでしょう?」
「コースフェルトに限らず、貴族間の足の引き合いは日常茶飯事だ。コースフェルトを相手取れると言う点では、確かにヒルシュフェルト家が疑わしいやもしれぬが、誰が犯人だとしても不思議はなかろう」
「いいえ、ヒルシュフェルト様。この一件、他の貴族ではおそらく得られる利益など微々たるものなのです」

 確かに、騎士団の捜査が入ったことは衝撃だった。人身売買については濡れ衣だが、叩けば埃なんざいくらでも出てくる。捜査の過程で余罪の証拠を見付けられでもしたら、とウチの連中が肝を冷やしたことは事実だ。
 だが、人身売買という点だけを見れば、コースフェルト家の地盤を崩すほどの打撃ではない。ウチに恨みを持つ相手が、中途半端に手を出して満足するだろうか。

「ですから、見方を変えてみたのです。コースフェルト家を破滅させることが目的ではなく、力を削ぐことが目的だとしたら、さて誰が最も得をするでしょう?」

 最初から、コースフェルト家の力を僅かに削ぐことが目的だったとしたら?
 圧倒的な力の差がある相手にさほど効果のない攻撃をしたところで、労力ばかりがかかって得られる利益など微々たるもの。
 だが、相手が同程度の力を持っていたら、僅かな攻撃でも命取りになるだろう。

「ヒルシュフェルト様ならばよくご存知でしょうが、もし仮にコースフェルト家が罪に問われた場合、旦那様は迷わず手足を切り捨てる御方です。疵にはなれども、致命傷にはなりません」

 使用人が勝手にやったことであり、自分はまったく知らなかった、とぬけぬけと言いやがっただろうよ。
 まあ、三大公爵家の一角が没落することの影響を考えれば、使用人の一人や二人で事なきを得るなら、と理解はできる。
 だが、その場合、まず真っ先に切り捨てられたのは俺だった筈だ。何せ、アリシア・プリムローズの一件で俺の名はそこそこ知れ渡っている。生け贄スケープゴートとしては、これ以上ないほどにお誂え向きだ。

「コースフェルトの力を削げるだけでなく、私という目障りな杭が頭ひとつ飛び抜けている今を、あなたは見逃すほど愚かではないでしょう?」

 相手の目的が、コースフェルトの力を削ぐことだったなら、誰が一番得をする? 
 ────ヒルシュフェルト様を、ヒルシュフェルト家を置いて他にはいない。
 とんとん、と。肘置きを叩く音。ヒルシュフェルト様が、ここにきてようやく口を開く。追い詰められたからではない。俺を、追い詰めるために。

「訂正を要求するぞ、メルカダンテ。私の目的はコースフェルト家の力を削ぐことではない。貴様の目的を白日のもとに晒し、事によっては貴様を罪に問うことだ」
「……それはそれは、光栄ですと言うべきでしょうか」

 これは少し、予想外だったな。まさかヒルシュフェルト様の優先度が、コースフェルトより俺の方が高かったとは。

「貴様が目障りではあったが、本格的に排除せねばならぬと断じた発端は、先の留学だ。何故か、貴様ならば理解しているだろう?」
「あまりにも都合が良すぎたから、ですね?」
「然り」

 当時、ヒルシュフェルト家の評判は「悪の宰相一族」と評されるまでに落ちていた。
 それは、ヒルシュフェルト家が、殿下とお嬢様の婚約を誰よりも反対している貴族だからだ。
 特に、お嬢様と同年代であり、殿下との婚約を声高に反対していたヒルシュフェルト様を悪し様に罵る声は日ごとに増していた。
 ヒルシュフェルト公爵も、ヒルシュフェルト様当人も、周囲の評価など気にするほどか弱くはないのだが、かといって放置し続ける訳にもいかないと考えていた筈だ。

「都合が良い申し出だったことは認めよう。余りにも都合が良すぎて、誰かの思惑が絡んでいると勘繰ってしまう程度はな」

 ヒルシュフェルト様の疑念は正しい。あまりにも都合が良すぎる留学の裏で、俺が動いていたんだからな。
 それまで情報収集にのみ専念していた俺だが、プリムローズ家がアリシアという名の少女を迎え入れたという情報を入手したことで、打って出る必要が生じた。
 お嬢様の話をすべて信じている訳ではなかったが、もし仮にリチャード殿下、ハイドフェルト様、ヒルシュフェルト様が使い物にならなくなった場合、我が国の未来は絶望的なものになる。
 そこで考えたのが、ヒルシュフェルト様を国外に出すことだ。一介の使用人の俺では出来ることなどたかが知れているが、金や情報を融通して早めるくらいならば出来ないこともなかった。

「故、私の留学に関わった人間を直ぐ様調べ上げ、ようやっと貴様の名に辿り着いた。これが貴様以外の名であったのなら、単なる偶然と片付けたところだが、私は貴様と違って浅はかではないぞ、メルカダンテ。奇妙な違和感を一つでも覚えた時点で、徹底的に調べ尽くす」
「……左様でございますか」

 違和を覚えたのならば、始まりまで遡れば良い。どこから、何から、誰から。
 何のことはない、俺が早めたことで生じた歪み。始まりはほかでもない俺だった訳だ。
 実のところ、孤児院で辿り着いた違和の正体に、もしやという疑念はあった。既視感だ。
 俺は、迅速かつ隠密な行動、思惑を悟られないように隣国へと逃がす、という策略を練ったことがある。よりにもよって、ヒルシュフェルト様を相手に。
 隣国への伝手なら、正に隣国に留学中のこの人ならばいくらでも用意できるだろう。
 他に方法がなかったとはいえ、ヒルシュフェルト様を最初に動かしたことはまずかったな。

「アリシア・プリムローズなる女の騒動も、早々に把握はしていた。直ぐ様帰国せねばとも考えた……が、ふと過るものがあった。この一件、私を国外に出した貴様の目的は何か、とな」
「私の目的、ですか?」
「私を国外へと追い出し、入れ違いでやって来たアリシア・プリムローズ。すべてを知り得ていたとしか考えられない巡り合わせ……プリムローズを用い、我がヒルシュフェルト家とハイドフェルト家を貶める心算だったのだろう」
「────」

 思わず目を瞪った。同時に、言われてみればと納得するものもあった。
 何も知らないヒルシュフェルト様からすれば、俺はアリシア・プリムローズの件に一枚噛んでいて、邪魔になり得るヒルシュフェルト様を国外へと追い出した、と思えなくもない。

「貶めるなどと……ヒルシュフェルト様は、若年ながらも既に国の将来を見据えておられる聡明な方。そんなあなた様を貶めようとしていた、と思われるのは心外ですね」
「虚言が人の真似をしているような男に言われても、信じられると思うのか?」

 ヒルシュフェルト様には仮想恋愛遊戯乙女ゲームの筋書きを知る由もないのだから仕方がないとは言え、ヒルシュフェルト様と国の将来を案じた気持ちをまったく信じてもらえないとはなァ。

「……残念ながら、貴様の真意までは分からなかった。だが、貴様が良からぬ企み事をしているのは瞭然だ」
「良からぬなどと。私は、コースフェルト家に仕える忠実な従僕です。主人の望まぬことは致しませんとも」
「逆に言えば、主人の望む為ならば手段を選ばないのが貴様だ」
「ご評価いただけて光栄です」

 ヒルシュフェルト様の眼光が一層鋭さを帯びた。仇敵を見付けたとばかりの顔。だが、次の瞬間には嘲り笑う表情へと変わる。

「貴様の思惑は分からんが、動いているのであれば手を打つ必要があった。シルヴェリオ・ハイドフェルトは、貴様への反撃カウンターとしてはこの上なく有効だろう?」

 俺が心底嫌っている男の名を、ここで持ち出すとは。先のアリシア・プリムローズの一件で、リチャード殿下の護衛騎士であるハイドフェルト様が主軸となって動いた理由は、ヒルシュフェルト家が何か裏で動いたのだろう。

「……ハッ! 相変わらず、性格の悪ィ手を好む。どうせ俺が犯人だって証拠も捏造済みだろうよ。いやはや、ご苦労さんなことで」
「貴様にだけは言われたくないな。何にせよ、私の証拠を騎士団に提出すれば貴様の負けだ。神妙にお縄につけ、メルカダンテ」

 座り心地の良いソファから腰を上げ、まっすぐにヒルシュフェルト様のもとへと向かう。
 ああ、良い頃合いだ。ついさっきから込み上げて来る笑いを押さえるのに苦労していたんだよ。

「なぁ、ヒルシュフェルト様。これは例え話なんだが……」

 逃げられる前に、ヒルシュフェルト様の膝の上に乗り上げた。根っからの文官であるこの人に、俺を押し退ける腕力はない筈だ。
 そして、勢い良く自分のシャツを引っ張った。飛び散ったボタンがカランカランと小気味良い音を立てながら転がっていく。
 警戒心を露わにするヒルシュフェルト様を見下ろし、ニィと口角を持ち上げて悪辣に嗤ってみせた。

「ヒルシュフェルト家を一人訪れた使用人が、媚薬入りの紅茶を飲まされて、あんたに襲われかけたなんて醜聞が起きたら、さてどうなるだろうなァ?」

 ティーカップの中には、遅効性の媚薬をこっそり入れておいた。当然、俺はアリシア・プリムローズと違って証拠を残す愚かしい真似はしない。
 使用人風情にもすばらしい紅茶を用意したことが仇になったな。
 すっかり勃ち上がったナニを押し付けてやると、ヒルシュフェルト様の端正な顔に朱が走った。

「そして例えば────その目撃者が、シルヴェリオ・ハイドフェルトだったら?」
「貴様、まさか……!」

 俺の目的を今さら察したところで遅いんだよ、ヒルシュフェルト様。
 このが自分の身を使うときは、最大効率が見込めるときで、そして絶対に勝てると踏んだときだ。ハイドフェルト様なんざ心底嫌いだが、感情を理由に利用しないなんて勿体ないだろう?
 つまり、俺を招き入れた時点であんたの敗けは決まったも同然だったんだよ。

「なァ、ヒルシュフェルト様。この俺が、いくつも痕跡を残しているなんて、おかしいとは思わなかったのか?」
「……貴様、よもや己を囮にしたのか。コースフェルトを陥れたい輩を釣り上げる為に?」
「妙な違和感はあったからな。俺は偶然を信じるほど、ロマンチストじゃあない」

 最初に覚えた違和感を、気の所為だと思える筈がなかった。だが、視界の端で動いているのは分かっても、全容は掴めなかった。
 そんなとき思い付いたのが、俺自身を撒き餌にすることだ。幸いにも、あの女の一件で俺の名はそれなりに広まっている。事件報告書にも名が記載されることになって、これは使えるなと思った。あくまでも、殿下の意向が理由であること、俺個人の意志が絡んでいないのも都合が良かった。

「俺という餌に食らい付く獲物を待っていたら、まんまとあんたが釣れた訳だ」

 ヒルシュフェルト様の顎を掴んだ。忌々しいと歪む唇に優しくキスをする。俺を振り払おうとしたのか、柔い肉に歯を立てられた。
 肉が裂ける音と鉄臭い味。ゆっくり傾く俺の身体。腕を掴まれたヒルシュフェルト様の身体も共に縺れ合う。甲高い音を立て、ティーカップが床に落ちた。俺の真上で目を瞪るヒルシュフェルト様へと嘲笑を送る。いやはや、俺の思惑通り動いてくれてありがとう、ヒルシュフェルト様。

「俺を浅はかだと言ったが、そっくりそのまま返してやるぜ、ヒルシュフェルト様」

 狩りで最も隙が生まれる瞬間は、獲物を捕らえたと確信したときだと言う。
 追い詰めたと確信した瞬間、本当に追い詰められていたのは自分だとわかった気分はどうだ?
 ヒルシュフェルト様が口を開くより先に、客間の扉を叩く音が響いた。

「クリストフ、いるか」

 ────さあ、主役のご登場だ。端から見れば、俺はヒルシュフェルト様に押し倒されている構図。その上、衣服は乱れて、唇まで切れている。無体を働かれたと、誰もが思うだろう。よりにもよって俺に執着しているあの人が、こんな光景を見たら、どうなるだろうなァ?

「エリアーシュが、ここにいると聞いているんだが……何か、音がしたが大丈夫か?」

 ヒルシュフェルト様が捏造した証拠を覆すだけの真実はない。もとより、ヒルシュフェルト家を相手取る力など俺にはない。旦那様も、ヒルシュフェルトと真っ向からやり合うくらいなら、俺をあっさり切り捨てるだろう。
 ならば、せめて死ぬときは諸共に。屈辱に歪むヒルシュフェルト様に、俺はそっと囁いた。

「さあ、ヒルシュフェルト様。俺と一緒に、地獄に落ちるブタ箱に入る覚悟はあるか?」
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