浪漫的女英雄三国志

はぎわら歓

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中華統一

38 呉の終焉

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 呉の治世が安定してくると孫休は家臣に政を任せ、己は学問と狩りに向かい朝廷を顧みることが無くなってしまう。
そのため、また君主の力が失われ始め丞相の濮陽興と左将軍の張布が権力を持ち始める。
そんな中で蜀が魏に攻められているという知らせを受け援軍を送ろうとしたが、早々に劉禅が魏に降伏し、援軍は中止となる。
三国鼎立の均衡が崩れ、更に、孫休は急死してしまう。息子であり、太子である孫ワンが皇位を受け継ぐところであったが、蜀滅亡と魏に対抗するには心もとない幼い皇帝では難しいと判断される。孫ワンを傀儡として利用し、野心を果たそうとする奸臣もこの情勢では出てこなかった。
そこで丞相の濮陽興と張布により、呉、最後の皇帝、孫晧が擁立する。

 冕冠(べんかん)をかぶる若き君主、孫晧を眺め、孫尚香はまるで兄の孫策が皇帝についたのか思った。麗しく華やかで堂々とした姿は26歳という若さで散ってしまった孫策によく似ている。

「ああ、兄上に見せたやりたかった。この孫晧の姿を……」

 孫策を信奉していた孫権がこの姿を見たらどんなに感動するだろうかと、尚香は久しぶりに潤む目元に手を当てた。臣下一同、孫晧への期待は厚く、やはり孫策を知るものは彼の生まれ変わりかもしれないとまで囁かれる。
孫晧は期待通りに、良い政治を行う。仏教の教えも彼に影響しているらしく、まず、貧しいものへの救済が始まり、孤独な者へは官女を娶らせ、人々の心と身体の豊かさに尽力を注ぐ。
 この明君ぶりに、誰もが呉の行く末が輝くものと信じていた。しかし彼を皇帝に推した濮陽興と張布を流罪にし、更には殺害する。これを機に彼は暴君として悪名を後世に残していくことになった。
 

 この振る舞いに、尚香は黙ってはいられなかった。

「陛下。どうして濮陽興と張布を廃したのですか」
「おばあ様。彼らの所業をご存じないのか。彼らはかつての呂壱や諸葛恪と同じです。佞言を吐き己が私腹を肥やしていました。このような者たちのせいで、政は乱れ、民は飢え、国が傾くのです」
「しかし、それならせめて官位を下げるかなどでよいであろう。重臣を廃していると魏を滅ぼした晋に付け狙われやすくなる」
「いいえ。害悪は、害虫は駆除すべきでしょう。このままにしておけば外敵よりも先に、中から食い破られます」
「……」

 もう尚香の出る幕はなかった。陸家の一族である陸凱が万イクと共に呉の丞相となり、孫晧に節度をもった正しい上奏をしうることが唯一の救いであった。
 度重なる暴虐な振る舞いに、陸家の謙虚で潔癖な血を受け継ぐ陸凱ですら孫晧を廃する計画を練る。しかし計画は遂行されることなく終わり、病床で孫晧に、陸抗は国の忠臣であると言葉を残しその生涯を終える。
 孫晧は口うるさかった陸凱の家族を迫害しようとたくらむが、陸家と孫尚香の力を警戒していたので、実行されることはなかった。そのかわり、少しでも孫晧を誹謗するものを抹殺する。帝位につく前、烏程侯であった時代から親しかった万イクでさえ、彼を誹謗したということで毒殺されかけた。毒で死ぬことはなかった万イクであるが、己がもう抹殺の対象であるという事実に、恐れおののき自ら命を絶ってしまった。

 年老いた尚香は手を合わせ祈る。息子の陸抗はそのような弱々しい母を見ることが辛くてたまらなかった。

「母上。私が呉を支えます。ですから、もう……」
「抗……」

 陸抗はまさに亡き陸遜に生き写しのように頼もしく、力強く、そして清らかである。

「そうであるな。そなたたち若者の時代である故、わたしは祈りながらみていよう」

 建初寺にて康僧会と共に祈りをささげる。

「僧会殿。わたしは陛下の育て方を誤ったのであろうか」
「いいえ、いいえ。陸将軍やお孫さんたちはとても立派で清らかです。陛下は……清らかすぎるのかもしれません」

 慈愛に満ち、それでいて悲哀を感じされる康僧会の眼差しは、空を見つめ答えを探しているかのようである。
尚香は朱士行を見送りながら孫晧と旅した数か月を思い出す。道すがら貧しいものに希望を与え、富めるものに教訓を与えながら朱士行は進む。孫晧はそんな彼に尊敬のまなざしを向け、王よりも聖人の方が尊いものであると感じていた。険しい蜀を越え、雍州に入ってから朱士行と別れた。帰りは二人で馬を飛ばしたので早く帰路についたが、孫晧は建業にあってもしばらく心は旅しているようであった。

「おばあ様。私にとって天命はなんでしょうか」
「さあな。若いころからそれを知るものもあまりおらぬ」
「士行殿と僧会殿と、我々の天命は違うものなのでしょうね」
「そうだな。宗教と政治は交わるときっと、良くなるか悪くなるか極端であろう」
「黄巾党の張角はきっと天命を勘違いしたのでしょう」
「ほう。そのような古いことを良く知っておるな。して、どう勘違いしたと?」
「彼は聖人であることを貫くべきでした。武器を取らずに」
「うむ。そうであるな。武器を取ったがために、聖は俗となり、反逆者となっただけであるな」
「恐らく彼が聖人として死んでいたならば、1000年先までも名を残せたでしょう」

 孫晧の考察に尚香は舌を巻く。周瑜の死後、逸材として名高かった陸遜以降、その二人を超えるものがなかなか出てこなかったが、この孫晧は匹敵するであろう。三国鼎立が崩れる前に、孫晧が皇帝でなかったことが悔やまれるばかりであった。

 陸家の長として陸抗はその責を担い、しかも呉を支えんと多忙な日々を送る。妻の李氏はその過労が不安でならず、休んで欲しいと願うが、陸抗は穏やかに笑って首を振るだけであった。孫晧に嫌な顔をされながらも、怖れず意見し、信頼を得る。そんな陸抗を慕うものは数多く、敵国である晋の将軍、羊コでさえその人柄に惚れ込み、親しみを込めた交流がなされていた。
 尚香は李氏に陸抗の様子を尋ねる。その昔、魏の司馬懿が、蜀の諸葛亮の様子を聞いて悟ったように、尚香もまた陸抗の寿命が近づいてきていることを悟る。

「すこし、休みなさい。このままでは……」
「いいえ、母上。今、休んでは晋に攻め込まれてしまいます。もう少し、もう少しなのです」

 孤独の君主、孫晧により陸遜はしばらく空席だった荊州牧に任命される。この時が陸抗にとって最も人生で輝かしいときであったが、すでに彼の身体を病魔が巣くっていた。
 立派な身体はやつれ、青白くなり、もはや起き上がることが不可能になった。李氏は泣きくれる毎日で子供たちの顔からも笑顔が消える。
 最後まで孤独な皇帝、孫晧と、呉の行く末を案じ、しかし李氏を得て幸せであったと告げ、静かに息を引き取った。享年48歳。秋風が吹き始めた頃である。

 呉が陸抗を失ったのち、滅亡は必須となる。晋に寝返った武将、歩闡の反乱を陸抗は討ち破ったが、二度目の反乱、郭馬による広州の乱を鎮圧できる将軍は誰もいなかった。そしてその乱の最中、晋からの攻撃を受け、孫晧は降伏する。魏から独立して58年、呉王朝は滅亡した。
 こうして西暦280年、晋が中国統一を果たす。黄巾の乱により国が乱れ、約100年後であった。 
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