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森の奥へ

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鬱蒼と木が繁る山道を黒い高級車が登っていく。

山道の割には丁寧に舗装されているので振動もなく進んでいく。

ハンドルを握るのは初老の白髪の紳士。

執事という表現がぴったりの風貌、黒のスーツを乱れなく着こなしている。

助手席に座るのはがっしりとした体格の若者、高尾雄一。

ラフなブルーのシャツが似合っている。

男らしい顔に緊張を浮かべている。

「高尾さん、もしかして、緊張なさってますかな」

初老の男がハンドル操作もスムーズに声をかける。

「はい。自分のような者が教員などになって良いのかと、いまだに思います」

初老の紳士は、軽く笑う。

「何をおっしゃいますか。今さらやめるなどとは仰らないでくださいよ」

好意的な口調だ。

「空手で世界を掴むほどの実力をお持ちで、後輩や子供達への指導も丁寧。皆に慕われたと聞いています。折角持っていらっしゃる教員免許を無駄にしてはいけませんよ。わが校としても逸材が赴任してくださると喜んでいるのです」

「いえ、ただの空手バカですよ」

誉められた雄一は、くすぐったそうに言う。

初老の男は首をふりながら言う。

「ご謙遜を。あなたが所属なさってたN電機の方々もそのまま一般社員として働いて欲しいと熱望していたのは、私も直接、取締役の江並さんから伺っていますよ。素晴らしい人材だと仰っていました」

「それは、誉めすぎです」

雄一は心底照れたように下を向いた。

「私としてもN電機の方々には良くしていただいたので、何としても恩返しをしたかったのですが」

「一昨年の世界大会は本当に残念でした」

初老の男の言葉に若者は、ふと遠い目になる。

世界大会の行われた治安の悪い都市、練習場から宿泊先のホテルに帰る道すがら、年配の夫婦が暴漢に襲われているのを目撃し、高尾は止めに飛び出したのだ。

暴漢達にほぼ防御で対応して追い払おうとした高尾。

そこに暴漢の仲間が車で突っ込んできた。

老夫婦を庇い、高尾は車に跳ねられた。

利き足の複雑骨折。

当然、大会には出られず、日常生活を送るにはほぼ支障はないものの、選手生命は断たれた。

金メダルを取った選手が「ユウイチの出場していない大会での金は意味はない」と言い、老夫婦がマスコミの取材に答え「タカオが私たちを救った。タカオは私達のために怪我をおった」と涙ながらに語った。

そのニュースは国内でも大きく取り上げられ、雄一は一躍、時の人になった。

だが、周囲の盛り上がりとは裏腹に、選手を諦めなければならなかった雄一はポッカリと穴が空いたような状況で過ごしていた。

自分の行動に後悔はしていない。

後悔するくらいなら、将来の糧にする。

それが信条であったが、選手としての道を諦めるということは、それだけ雄一には大きなことで、おいそれと気持ちの切り替えをすることは出来なかった。

燃え尽きたような日々。

そして、全快した昨年末、悩んだ末に高尾は退職願いを会社に出した。

選手生命を断たれた心の傷を、環境を変えて癒したかったのだ。

会社は好条件を提示し彼の慰留を図り、また、空手界のイケメン貴公子と呼ばれた彼の風貌と人気を当て込んだマスコミ、芸能プロ、スポーツメーカー等からの誘いも皆断った。

そこへ何かと面倒を見てくれていたN電機の取締役の江並から、高校で教鞭をとってみないか?という誘いがあったのだ。

町から離れたところでスポーツに専念できる学校。

スポーツの強豪である平坂学園。

数々の名選手を排出しているが、学生達の生活を守るため、マスコミの取材は受けない。

知る人ぞ知る学園。

普通科の本校とは別に、スポーツ科の生徒が集中してトレーニング出来るよう街から離れたに場所に分校があるということは聞いていた。

また、大学から花開いた選手が、平坂学園出身ということもよくあった。

秘密主義と陰口も囁かれている学園。

江並は、雄一が心に踏ん切りをつけるため会社を辞める意思が固いと知ると、そこなら煩い世間から離れ、落ち着いて新たな生活を始めることが出きるのではないかと提案してきたのである。

雄一に再就職を持ちかけてくるのは、空手選手としての名声、そして雄一にとって不本意であったが、雄一の外見、優しく整った顔立ちと格闘競技で鍛えた身体のアンバランスな魅力を求める先ばかりだった。

江並は平坂学園の水泳部OBであると聞き、その体格の良さに雄一は納得したものだ。

江並は自分の母校の教師として、雄一の空手家としてのキャリアを活かし第二の人生を歩き出しては?と提案してきたのだ。

先方の提示した条件は教師として破格のものであった。

それは街から離れた学園で寮生活を送ってもらうこと、生徒達の指導に専念してもらうこと、そして生徒の文武両道の生活を守るためマスコミへの接触等派手な活動は慎んでもらうこと等の規制に対しての見返りも含まれてのことであった。

文武に励む高校生達の役に立つことは元より、口下手で目立つことが嫌いな雄一としても、派手な生活は望んでいない。

また、自分が打ち込んで来た空手家としてのキャリアも活かせる。

願ってもないセカンドキャリアと思えてくる。

学園としてマスコミ、利権を求めるスポンサー達をシャットアウトしてもらうのも有り難い。

そして、雄一は心を決めた。

「しかし、あなたのような若い方には都会と離れた生活が満足できるかどうか心配です」

初老の男が言う。

「私は元々、自然の中でゆっくりするのが好きでしたし、そんな生活が夢でした。正直、今も、静かな環境の中で、己を見詰め直したいと思っています。そして、私のようなものが、未来のある高校生達の役に少しでも力を貸せる立場になることは願ってもないことです」

「そう言って下さると有り難い。あれが学園です」

校舎が見えてきた。

堅牢な洋風の聖堂を思わせる建物。

スポーツの名門、平坂学園がその姿を雄一の前に現した。

石造りの塀、門、そしてその奥の校舎には、装飾の様々な奇怪な姿のガーゴイルが装飾されている。

荘厳な建物。

雄一は軽く威圧される。

車が近付く。

大きな意思の扉が両開きに開く。

高級車が門の間を進み、ゆっくりと扉は閉められた。







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