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緩と急
しおりを挟む「それでさ、ランスロット卿は、ヴィオに婚約を申し込むつもりはあるのかい?」
「・・・っ」
ヴィオレッタがトムスハット公爵家に保護されてから二週間。
今日も今日とて会いに来たランスロットと、そんな彼を出迎えたヴィオレッタが、テーブルを挟んでお茶を飲んでいると、かつての従兄弟で、今はヴィオレッタの義理の兄となったジェラルドが現れ、なんの前触れもなく、二人に直球をぶち込んだ。
動揺したランスロットは、持っていたカップを盛大に揺らし、思いきりお茶をこぼしてしまう。
「ありゃりゃ」
自分の発言が原因だという事は棚に上げ、ジェラルドはメイドに命じ、拭き布と氷水を持って来させる。
氷水の入った桶と拭き布を持って来たメイドは、ランスロットの前まで来ると「失礼します」と言ってその前で跪き、横に桶を置いて布を浸した。
ランスロットが茶をこぼしたのは、ズボンの右太もも辺り。そこを冷やすとなると、当たり前だが、すぐ側まで来て彼の足に触れる事になる。
勿論、そのメイドにやましい気持ちなどある筈もない、ただ職務を果たしているだけだ。
だからランスロットも大人しく拭かれている。
けれど、そのあまりの距離の近さに、まるで何かを希う様に足に触れるその位置に、何故かヴィオレッタの胸がもやっとした。
「出したての熱々の茶じゃなくてよかった。ねぇ、ヴィオ・・・って、え?」
「・・・え?」
前者の声はジェラルド。
後者はランスロットだ。
だってそれは、使用人の仕事。
貴族令嬢のする事ではない。
ヴィオレッタもそんな事は勿論知っている。
知っている、けれど。
「・・・っ、メグ、私がお拭きするわ」
「へ? あの、お嬢さま?」
「ヴィオ?」
「ヴィオレッタ嬢?」
突然に声を上げたヴィオレッタに、メイドだけでなく、ジェラルドもそしてランスロットも目を丸くする。
だが、何故か必死な様子のヴィオレッタはランスロットの前に跪き、横のメイドに向かって手を差し出した。
「布をかして、メグ」
「えと、あの」
「かして頂戴」
「ですが・・・」
使用人の仕事を、頼まれたとはいえヴィオレッタにさせていいものか、突然に代わると言い出した理由に何となく察しはつくものの、メイドの領分を弁えるメグは、拭き布を渡す事に戸惑いを見せる。
「お願い、メグ」
困ったメグは、ちらりとジェラルドの視線を窺う。
ジェラルドは肩を竦め、小さく頷いた。
メグは頭を下げてから布を渡し、静かに後ろに下がって行ったが、さて、こうなって慌てたのはランスロットだ。
「ヴィオレッタ嬢、貴女にそんな事をさせる訳には」
「・・・いえ、やらせてください」
「では、僕が自分で拭きますから」
「お願いです、私にやらせてくださいませ」
「ですが・・・」
ヴィオレッタは独り言の様に小さく呟いた。
「・・・嫌、なのです」
「え?」
「お仕事でランスロットさまの服を拭いていると分かっております。けれど何故か、どうしてなのか、なんとなく・・・胸のあたりがモヤモヤしてしまうのです」
「ヴィオレッタ、嬢・・・」
「ですから、どうか私にやらせてくださいませ」
「・・・」
ランスロットの無言を是と受け取り、ヴィオレッタは改めて氷水で布を湿らせ、緩く絞ると、ランスロットの膝の上、茶で濡れた箇所に当てる。
実はもう既に、ズボンも肌もだいぶ冷えているのであるが。
ランスロットは、目の前で自分の前に跪くヴィオレッタの俯いた顔に釘づけだ。
窓から射し込む光が、ヴィオレッタの頬に睫毛の陰影を落としていて、瞬きをする度にゆっくりとその影も上下する。
・・・睫毛、長いな。
そんな言葉しか頭に浮かばなくなっているランスロットは、たぶん今、思考を停止している。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
黙ってズボンを冷やし続けるヴィオレッタと、見惚れる様にヴィオレッタを見つめるランスロットと、そんな二人を見守るジェラルドたちその他数名。
結局、それ以上は事態が発展しなさそうな様相に、再び口を開いたのはジェラルドで。
「それで、さっきの話の続きだけど、二人は婚約する気はあるのかな? どこで聞きつけたのか、ちらほらとヴィオレッタに釣り書きが届き始めてるんだけど、どうしようか」
ビシャンッ
氷水の入った桶をひっくり返したのは、ヴィオレッタかランスロットか。
二人同時に立ち上がったので、正確なところは分からない。
ーーー そんな、どこか間の抜けた遣り取りがあってから、数日後。
トムスハット邸に、テーヴが現れる。
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