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第六章 月華星亮
賊
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月華宮に夜が訪れた。私は陛下の来訪を待つ。
そういえば初日に紫琴宮側から逃げ出すのも考えたんだっけ。実際の内部構造を知ると、それがいかに無謀であったかを思い知らされる。何故なら月華宮は紫琴宮への直通の通路は皇帝陛下の私室に繋がる。それもあって月華宮は後宮の他の邸や棟とは切り離されており宦官の見張りがいる。紫琴宮側の通路には衛兵も配置されている。
次の天子を孕み、育てる場所である。この国で一番警備が厳重な場所といえよう。
だから、陛下を待っている時に、怪我をした若い男が月華宮の庭に迷い込んでくるなどと誰が想像出来ただろうか。
私は一人だった。小青は牡丹坊に戻っていたし、陛下を迎える準備を終えた宦官を全て下がらせていた。小梅と茉莉には月華宮の小部屋をあげて、休んでもらっていた。陛下とは2人きりで会いたかったのだ。
男は私の姿を認めると「…銀…蓮…」と呟き、そのまま倒れ込んだ。私は叫ばなかった。この男が誰か予想がついたから。
私は倒れ込む男に駆け寄り、「小龍ね」と声をかける。銀蓮の恋物語のしめくくりとして、今ここで彼に死なれたら絶対に嫌だと思った。寝室まで運ぶ。陛下の影は今も私の護衛についているのだろうか。じゃあ手伝ってくれたらいいのに…!
傷は深いようだが、医者を呼ぶことも出来ない。私に出来ることは布を裂いてキツく巻きつけて血を止めることぐらいだ。それでも部屋の卧が血に染まる。陛下のお通いを待つしかない。
裂傷による熱も出ている。私は水瓶から水をタライへ掬う。浸した布を絞り、額に載せる。何度も繰り返して温まった水は庭に撒き、新しく水を汲みにいく。その時庭に新たな影を見た。私はタライを投げ出し、小龍のもとへ走る。
「殺すな、伝言役が必要だ」
小龍の喉を掻き切ろうとする男を、静止する声が背後から聞こえた。私は振り返る。賊は1人ではない。何人も後宮に侵入している。後宮の月華宮に賊が何人も侵入するという事実が告げる恐ろしさに身が竦む。
喉を掻き切ろうとした男は、小龍の胸元を漁り、翡翠の簪を取り出し仕舞う。それは私が今つけている母の簪と同じもののように見える。
「戦争をする気は無かったが、ここまで逃げ込まれては追いかけるしかないじゃないか」
声の主は廊下から現れた、私の顔を認めると少し目を見開いた。驚嘆と歓喜がみてとれる。背が高く筋肉質な男性は、陛下に少し似ている気がする。長く垂らした髪には野生味があり、強い眼差しは覇王の風格すらある。侵入した賊にしては堂々としすぎていた。紫琴宮は無事なのだろうか。奕晨に危険がありませんように。間違っても今、お通りになりませんように。
「後宮まで逃げてくれたおかげで、もう一つ拾い物が出来そうだ」
男は目を細めた。満足気な表情で、私の頬を撫でる。
「お前が私と来てくれたら、誰も殺さずにすむ。護衛もつけぬ皇帝をひとりで迎えるつもりだったんだろう?せっかくだから殺しておいても俺はどちらでもいいがな」
頷く他なかった。男はもう1つの簪を出させると私の頭に対称に刺す。
「やはり、対は揃っている方がいい」
月に照らされた微笑みは、賊でなければ見惚れてしまうほど魅力的だった。
私は月華宮の庭に外への抜け道があることを知った。最近作られたものでは無さそうだ。出口に衛兵の姿はない。黒い装束を脱ぐと、衛兵の鮮やかな青色の襟が見えた。
「では公主には輿に入って貰おう。素晴らしい里帰りになることを約束するよ」
彼らの馬は雄々しかった。関所の通行書にも不備はなく、私は首都から遠ざかっていく。男についていった理由は、陛下から賊を遠ざけるためではあった。しかし今、縛られてもいない私が逃げ出さないのは、もはや陛下の命の危険があるからではない。
雄々しき馬、翡翠の簪、そして公主の里帰り。様々な要素を組み合わせて導き出される地は一つしかない。
男たちの会話から時折、聞こえてくる〝皓特拉尔という地名。母の生まれ故郷の〝雲峰〟に違いなかった。
そういえば初日に紫琴宮側から逃げ出すのも考えたんだっけ。実際の内部構造を知ると、それがいかに無謀であったかを思い知らされる。何故なら月華宮は紫琴宮への直通の通路は皇帝陛下の私室に繋がる。それもあって月華宮は後宮の他の邸や棟とは切り離されており宦官の見張りがいる。紫琴宮側の通路には衛兵も配置されている。
次の天子を孕み、育てる場所である。この国で一番警備が厳重な場所といえよう。
だから、陛下を待っている時に、怪我をした若い男が月華宮の庭に迷い込んでくるなどと誰が想像出来ただろうか。
私は一人だった。小青は牡丹坊に戻っていたし、陛下を迎える準備を終えた宦官を全て下がらせていた。小梅と茉莉には月華宮の小部屋をあげて、休んでもらっていた。陛下とは2人きりで会いたかったのだ。
男は私の姿を認めると「…銀…蓮…」と呟き、そのまま倒れ込んだ。私は叫ばなかった。この男が誰か予想がついたから。
私は倒れ込む男に駆け寄り、「小龍ね」と声をかける。銀蓮の恋物語のしめくくりとして、今ここで彼に死なれたら絶対に嫌だと思った。寝室まで運ぶ。陛下の影は今も私の護衛についているのだろうか。じゃあ手伝ってくれたらいいのに…!
傷は深いようだが、医者を呼ぶことも出来ない。私に出来ることは布を裂いてキツく巻きつけて血を止めることぐらいだ。それでも部屋の卧が血に染まる。陛下のお通いを待つしかない。
裂傷による熱も出ている。私は水瓶から水をタライへ掬う。浸した布を絞り、額に載せる。何度も繰り返して温まった水は庭に撒き、新しく水を汲みにいく。その時庭に新たな影を見た。私はタライを投げ出し、小龍のもとへ走る。
「殺すな、伝言役が必要だ」
小龍の喉を掻き切ろうとする男を、静止する声が背後から聞こえた。私は振り返る。賊は1人ではない。何人も後宮に侵入している。後宮の月華宮に賊が何人も侵入するという事実が告げる恐ろしさに身が竦む。
喉を掻き切ろうとした男は、小龍の胸元を漁り、翡翠の簪を取り出し仕舞う。それは私が今つけている母の簪と同じもののように見える。
「戦争をする気は無かったが、ここまで逃げ込まれては追いかけるしかないじゃないか」
声の主は廊下から現れた、私の顔を認めると少し目を見開いた。驚嘆と歓喜がみてとれる。背が高く筋肉質な男性は、陛下に少し似ている気がする。長く垂らした髪には野生味があり、強い眼差しは覇王の風格すらある。侵入した賊にしては堂々としすぎていた。紫琴宮は無事なのだろうか。奕晨に危険がありませんように。間違っても今、お通りになりませんように。
「後宮まで逃げてくれたおかげで、もう一つ拾い物が出来そうだ」
男は目を細めた。満足気な表情で、私の頬を撫でる。
「お前が私と来てくれたら、誰も殺さずにすむ。護衛もつけぬ皇帝をひとりで迎えるつもりだったんだろう?せっかくだから殺しておいても俺はどちらでもいいがな」
頷く他なかった。男はもう1つの簪を出させると私の頭に対称に刺す。
「やはり、対は揃っている方がいい」
月に照らされた微笑みは、賊でなければ見惚れてしまうほど魅力的だった。
私は月華宮の庭に外への抜け道があることを知った。最近作られたものでは無さそうだ。出口に衛兵の姿はない。黒い装束を脱ぐと、衛兵の鮮やかな青色の襟が見えた。
「では公主には輿に入って貰おう。素晴らしい里帰りになることを約束するよ」
彼らの馬は雄々しかった。関所の通行書にも不備はなく、私は首都から遠ざかっていく。男についていった理由は、陛下から賊を遠ざけるためではあった。しかし今、縛られてもいない私が逃げ出さないのは、もはや陛下の命の危険があるからではない。
雄々しき馬、翡翠の簪、そして公主の里帰り。様々な要素を組み合わせて導き出される地は一つしかない。
男たちの会話から時折、聞こえてくる〝皓特拉尔という地名。母の生まれ故郷の〝雲峰〟に違いなかった。
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