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騎士の役目
しおりを挟む互いに顔を見つめ合い、息を止める。
栗色というには明るい金の髪に滑らかな肌。夜の森だというのに、健康的な肌色が月明りで輝いている。
一直線の凛々しい眉と目元には、意思の強さと誠実さが表れていた。
通った鼻筋と口元。たくましく鍛え抜かれた体は制服の上からでもわかり、完璧な絵画から現れた英雄のように神々しい。
第一騎士団だということは、襟と上腕の飾りですぐに分かった。
見覚えがある。
これほど間近で見たことは無いけれど、町の人々や騎士団で話題に上がっていた……公爵令息。
その人が突然ハッと顔色を変えて、泉の水をかき分け突き進んできた。
そのまま呆然と立ち尽くしている私の腕を取る。
「何があったのですか?」
一瞬、何を言われたのか分からず顔を見上げる。
確か私より一つか二つ、年下のはずだが背が高い。
ぼんやりと見上げている私を見つめ返し、公爵様は続けた。
「何か辛いことが」
「え?」
「泣いておられる」
言われて初めて、自分が涙を流したままで立ち尽くしていたことに気が付いた。
慌てて手のひらで涙をぬぐう。
その手を取り、公爵様は指先でそっと私の涙をぬぐった。
「お辛い方をお守りするのが騎士の役目、私にできることはありませんか?」
まっすぐに私を見つめて言う。
こんな森の奥の泉で、一人涙を流す男に躊躇することなく公爵様は言った。そのあまりに誠実な様子に、頭の中を巡っていた声が飛んでしまう。
「あ……あの……」
「なんなりと申してください」
「わたしを……」
ぱたぱたと涙があふれてくる。
心のどこかで、こんな言葉を口にしてはいけないという思いも浮かぶのに、声を押しとどめることができない。
「わたしを……だきしめて……」
すっ、と公爵様の綺麗な瞳が細くなった。
彼は私とくらべものにならないほど高貴なお方だ。このような言葉、無礼と言って突き飛ばされても文句は言えない。
なのに――公爵様は何も言わず、そっと私を抱きしめた。
冷えた背中を包み込む温かな腕。
抱きしめる胸の確かな鼓動。息遣い。
最初は壊れ物を扱うかのように優しく、徐々に力を込めていく。その心遣いに、私の中の何かが解けていく。
「ふ……うぅう……う」
公爵様の背に腕を回し、私はあふれる涙を堪えるようにして嗚咽を漏らす。
ただこうして、優しく抱きしめられるだけでよかった。それだけで私の中の凍っていた何もかもがとけていく。痛みがとけていく。
背にあった大きな手のひらが、私の頭を包むように添えられた。
そして耳元で囁くように言う。
「大丈夫です。もう、私がいる……」
「ひうう、う……ふ、ぅうう……」
「一人で泣かないで」
強く強く抱きしめる。
その胸に額を強く押し付けて、私は小さな子供のように涙を流す。
「……大丈夫、私がいる」
この言葉が、たとえこの場限りのものだったとしても、私は生きていけるような気がする。
二度三度、息を継ぐようにしゃくりあげてから、私はそっと顔を上げた。
今更ながら泉の中で、ずぶ濡れになっていた私を抱きしめさせていたことに気が付いて体を離す。公爵様は離しがたいように片腕を背に置いていたが、私の行動を無理に止めようとはしなかった。
「申し訳……ありません」
濡れてはだけたシャツの胸元を隠すように掴んで言った。
公爵様はそんな私の様子をじっと見つめ、答える。
「謝る必要はありません」
「いえ、でも、ご無礼を……それに汚してしまいました」
公爵様は黙って見つめ返していた。
軽く居住まいを正して、顔を上げる。
「私は、セシル。姓はありません。騎士、モーガン・イングリスの魔法師です」
息をのむ気配がした。
だがそれも一瞬で、公爵様はすぐに規律正しい騎士の表情になって答えた。
「私の方こそ名乗りもせず失礼いたしました。第一騎士団騎士、エヴァン・アシュクロフトと申します」
ああ、やはり、と思う。
その名を耳にして、体の力が抜ける思いがした。
現国王の妹君を母に持つ、アシュクロフト公爵令息。その次男であられる。
高位貴族の中でも最上位。王位継承権は低いものの王族の席にあり、長子と双子の三男と共に、国王の信頼は絶大だと聞いている。
近寄るどころか、こうしてお顔を見ることすら失礼にあたるほど。
「公爵様に失礼を」
「失礼など何もありません」
強い声でエヴァン様は返した。
そして再び私の手を取る。
「このような夜の森に一人でいたのですか? 片翼の騎士は?」
パートナーの所在を尋ねられ、思わず言葉に詰まった。
近くにいると嘘をついてもすぐにバレてしまうだろう。私は言葉を選んで答えた。
「モーガン様は町におります。私が黙って、一人で来てしまったのです。夜風にあたりたくて」
嘘はついていない。
けれどじっと見つめるエヴァン様は、私の心の内を見透かしているようだ。
「魔力回復のために、聖なる泉の水を浴びに来たのでしょう? 片翼から神殿の聖水を貰っていないのですか?」
「その……使い切ってしまって」
これも嘘ではない。
もっとも、最後に聖水を貰ったのは三つも前の依頼の時。それ以降は聖水を貰ってくることもなく、その分のお金を与えられてもいない。
自分で働きお金を作ることもできるけれど、王都での暮らしに慣れるのに精いっぱいで、何より魔法研鑽の勉強もしなければならない。けっきょくこの森の泉の水を浴びるのが、一番早い。
エヴァン様は小さくため息をついた。
「何かご事情がおありのようだ」
「申し訳ございません」
「いえ、ですが……やはり護衛の騎士もなく夜の森に入るのは危険です。どうかもうお止めください」
そう言われても「はい」とは簡単に答えられない。
返事に困る私に、エヴァン様は私の手を取った。
「いつまでも冷たい水の中に居ては体に悪い。魔力が回復したのでしたら、どうぞこちらに」
そう言う騎士に、私は今までされたこともないほど丁寧に手を引かれた。
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