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私にできること
しおりを挟むエヴァン様の手に導かれながら岸辺に上がり、息をつく。
このように丁寧な扱いをされなくても大丈夫なのに、という思いと、ただ手のひらの温かさが嬉しくて離しがたいまま従ってしまった。外套を羽織った私は、すぐにお礼の言葉を重ねて言う。
「膝上まで濡らしてしまいました。今、魔法で服を乾かしますので」
「私より先に貴方自身を。いくら魔力を補充するためとはいえ、すっかり冷えてしまっているのですから」
そうは言われても、高貴なお方を後回しにするわけにはいかない。
私はエヴァン様の衣服を乾かしてから、失礼のないように自分の身なりも整えた。その様子に「ほぅ」と驚くような声を漏らす。
「とても無駄のない、見事な術です」
「もったいないお言葉を……ただの、生活魔法です」
「いえ、騎士の片翼として働く魔法師は、派手な攻撃魔法を得意としても、このような細やかな術は苦手とする者が多い。以前より何か特別な仕事をなさっていたのですか?」
興味をもったように顔を覗き込んでくる。
私は気恥ずかしくて……視線をそらした。泉の冷たさで収まっていた媚薬の疼きが、また体の芯を熱くし始めている。顔まで、熱くなってくる。
軽く胸を押さえながら、静かに答えた。
「特別な仕事など何もありません。私が育った地は険しい山あいの寒村で、何もかもが乏しく、自分一人の力で乗り越えなければならないような場所でしたので……自然と」
暖を取るための、薪となる木々すら痩せているような土地だ。湯を沸かす魔法を会得するまでは、真冬でも凍るような水で体を拭かなければならなかった。
衣服を濡れたままにして過ごせば、それだけで命を失いかねない。
濁った水を浄化する魔法。
食べ物から毒を抜く魔法。
魔物や野獣から身を隠す魔法。
何より、怪我や病気を治す治癒の魔法は、生命線といえるものだった。
だからこそ逆に騎士の戦闘をサポートするような魔法に疎くて、いつもモーガン様をイライラさせてしまっている。
エヴァン様が私を見つめ続けている。
媚薬のせいとと分かっていても、胸が……どきどきする。
そんな私に微笑みかけながら、エヴァン様は言った。
「苦労をされ、身に付いた術なのですね。ご尊敬申し上げる」
「え、そ……そんな」
見惚れてしまうほどの笑みに戸惑っていた私は、はっと、何故このような場所にいらしているのかと気づいた。
確か門番の話では、大変な魔物を討伐するために出ていたはず。ここに来るまでの道でも、急ぎの馬車とすれ違っていた。
そのような状況で意味もなく夜の森に訪れていたとは思えない。
「あの、エヴァン様はなぜここに、何かご用事があったのでは?」
「あ……」
すっかり失念していたというように驚いてから、初めて恥ずかしそうに視線をそらした。
「私としたことが。実は……魔物の討伐で団員が怪我をしまして」
「それは大変。エヴァン様もお怪我を? 片翼の魔法師は?」
「私はかすり傷です。魔法師たちの術で、皆、致命傷は免れましたが魔力を使い切り、一足先に早馬の馬車で王都に帰していたのです。傷は癒せても呪いを受けていてはいけませんので」
上位の凶悪な魔物は、人と同じように魔法を使うものもいる。
魔法師も多少の治癒や解呪はできるが、やはり神殿の神官たちの力には及ばない。騎士を守るため、呪いを肩代わりすることもある。
「では、エヴァン様は……」
「しんがりを務め、数人の騎士たちとここまで戻ってきました。馬もやらしてしまいましたので徒歩で。この森には魔力回復の泉があることを思い出し、私自身の魔力を補うために立ち寄ったのです」
「エヴァン様の魔力を……?」
「魔法師を名乗れるほどではありませんが、私も多少魔法が使えます。皆の体力を回復する助けになればと」
致命傷は免れたと言っても、完全に怪我が治ったわけではないのだろう。
傷の深い者と魔法師を先に帰し、いくらか歩ける騎士たちが後に続いたんだ。先行の者たちも救援を呼んで迎えに戻るだろうけれど……。
私は自分の胸に手を当て、魔力の量を確かめる。
いつもならもっと長く泉に浸かっていないと回復しないはずなのに、今日はもう十分、魔力が回復している感覚があった。もしかすると私が気づかないように、エヴァン様が何か魔法を使われたのかもしれない。
「あの、もしよろしければ私の魔法をお使いください」
「セシル殿……」
「まだ未熟ではありますが治癒の術も扱えます。体力の回復も。私にできることがあればどうぞ」
月明りの下で、エヴァン様の顔が輝く。
そして本当に嬉しそうな顔を向けて頷いた。
「こちらの方こそ、お願い申し上げる」
誠実な声で言ってから、少し申し訳ないといった顔になった。
「本来、他の騎士団である騎士の魔法師に、このようなお願いは失礼になろうが」
「何を言うのです。団は違おうと共に国を護る者。互いに協力し合うことに失礼などありません」
「ありがとう」
本当に素直なお方だ。
公爵様ともなれば、命令一つでどんな人でも動かせるだろう。それなのに私のような身分の者にまで礼を尽くすなど。彼の中に騎士の中の騎士を見て、更に尊敬の想いが募った。
同時に、モーガンの傲慢さが心配になる。
第六騎士団に入団してからの彼は、町中でも偉ぶった態度を見せることがある。
気に入らないことをした町人には怒鳴ることすらある。王都の騎士とはそういうものなのかと、驚くほどに。
「どうぞこちらに」
丁寧に礼を言い、私に手を差し出した。
導かれなければならないほど夜の森を歩き慣れていないわけではない。けれどそのお心が嬉しくて、私はエヴァンの手を取る。
優しく、そっと握り返す手に……胸がどきどきする。
勘違いをしてはいけない。この胸のざわめきは媚薬が体に残っているせいだと言い聞かせながら、私はエヴァン様の後に続いた。
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