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第2章 届かない背中と指の距離
46 お叱り
しおりを挟むレイクさんが術を施した後も、ヴァンは眠り続けていた。
でも、夜中のような呼吸の荒さは無い。
ゆっくりと穏やかな息で上下する胸。汗のひいた首元。髪と同じ色の、綺麗な睫毛に縁取られた瞼がときどき動くから、夢でも見ているんじゃないだろうか。
俺は、いつもしてもらっていたように、ヴァンの頭を撫で髪を梳いて、額に唇を寄せた。
言葉にできない想いがあふれてくる。
助けが来たという安心感と寝不足で、重く感じていた頭が鈍く痛み始めている。
「リクくん、と言ったかね」
今後の方針や手順だろうか、ジャスパーといろいろ話をしていたレイクさんが、枕元でヴァンの顔を覗き込んでいた俺に声をかけ、呼んだ。
「はい」
立ち上がってレイクさんの方に行く。
そういえばきちんとお礼も言っていなかった。
「あの、すみません。朝も早いうちからヴァンのために来て下って、治療もしてくれて……ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げる。
レイクさんはジャスパーと顔を見合わせてから、俺の肩に手を置いた。
「礼を言うのはこちらの方だよ。本来、我々治癒術師がアーヴァインくんの体調管理をする責任がある。まぁ、今回は彼がずいぶん我が儘を言ったようだから、痛い目を見ることになったんだ。君が責任が感じる必要はない」
軽く笑いながら、眠り続けるヴァンの方に視線を向ける。
ワガママって……きっと、俺のことを心配して、無理に予定を早めたのだと思う。もしかしたら俺の、「会いたい」という願いが届いてしまったのかもしれない。以前俺が誘拐された時、不思議な力で報せが届いたみたいに。
だからやっぱり、責任の一端は俺にもある。
うつむいてしまう俺にレイクさんが呟いた。
「なるほど……だから彼は、君を大切にしたがるのだね」
「あの……」
「優しい子だ」
「……えぇっと?」
「夢中で魔法を使っていたのかな」
そう言って俺の頭を撫でた。
「軽い魔法酔いになっているね」
「あ……」
吐き気……というまではないけれど、この頭痛はそれか。そういえば夜中に何度も氷魔法を使った。まだ下手くそで一度にたくさんは作れないから、溶ける端から作らないと間に合わなかったというのもある。
「それに……これもいけないよ。指がしもやけになっている」
言われてはじめて気づいた。
指先が赤くなっている。途端になんだか痛痒くなってきた。
「痕になるほどひどくはないようだけれど気を付けて。場合によっては凍傷を起こして、壊死することもある。そうなれば魔法でも治しきれない。切り落とさなくてはいけなくなるよ」
そう言って小さく呪文を唱えると、俺の指の赤みと痛痒さが消えた。
ついでに額とうなじに手を当てて魔法酔いも治療する。鈍い頭痛が嘘のように消えて、胸もすっきりした。気づかないうちに胸やけのようになっていたみたいだ。
ちらり、とレイクさんの後ろに立っていたジャスパーを見ると、腕を組んですごく怒った顔をこちらに向けていた。
「ローサさんがいろいろ用意しているのだろう? アーヴァインくんは私が見ているから、バカ息子と食事をとってくるといい」
「あの……」
「彼は少なくとも、まだ十日は自由に動けない。家族の世話をするにはまず体力だ。しっかり食べることも必要だよ」
家族――そうレイクさんが言って、俺は頷いた。
二階に下りると、キッチンにはスープとパン、淹れたてのお茶が用意されていた。俺はこじんまりとしたダイニングテーブルのイスに座り、ジャスパーも無言で向いの席に腰を下ろす。
ローサさんは、「お飲み物を届けてまいります」と、水差しやレイクさんの分だろうお茶を乗せたトレイを手に、三階の方へと上っていった。
なんか……き、気まずい。
ジャスパーはイラついた顔で眉を歪めてから、大きくため息をついた。
「ヴァンに、怒られちまうな」
「……う、うん……」
「俺もリクも……」
「ジャスパーも?」
「リクに無理をさせた」
苦笑いに、俺は肩を小さくする。あれだけ無理をするなと言われていたのに。
いや……でも、あの状況なら他にどうしようもなかった、とも思う。
「一人でよく頑張ったな」
「え?」
顔を上げると、ジャスパーは困ったような顔で俺を見ていた。
「不安だったろ?」
「え……いや、その……」
不安だった。心配した。怖かった。
けれど俺はしっかりするって決めたんだ。
「ジャスパーが必ず良くなるって言ったから、大丈夫」
「そうか、強いな」
そんなふうに声をかけられたことは無かったから、俺はなんだかくすぐったいような気持ちでうつむいた。強かったんじゃない。ただ、必死だっただけだ。
「あいつに水、飲ませるの大変だっただろ?」
「え? あ、うん……全然目を覚まさなくて、熱さましの錠剤は危険だと思って飲ませられなかった。気管とか入ったら大変だし」
「うん、正解だ。水くらいは自分で飲めると思ったから、置いて行ってた」
「そっか……」
俺の判断は間違っていなかった。よかった。
「それで……水はどうやって飲ませていたんだ?」
「え?」
それは……俺が、口移しで――。
「あ……」
思い出した。
「あぁぁ! ……あ、あ、そ、そ、それは……その……」
ヤバイ。俺、ひ、必死だったとはいえ、なんてことを。
慌てて口を押えると、ジャスパーが察したように赤茶色の瞳を細めた。いや、その、やましいこととかじゃない……はずだから、怒られない。怒られない……よね?
「感触はどうだった?」
「やめて……思い出させないでぇ……」
顔を両手で覆ってうつむく。熱くなってくる。
ヴァンと……どんな顔で会えばいいのか分からない。恥ずかしい。泣きそう。
指の隙間から覗き見ると、ジャスパーは笑いを堪えているようだった。酷いよ。俺、本当に必死だったんだからな。
「ヴァンには黙っておいてやるよ」
「やっぱり、男に……なんて嫌だよね?」
「そういうんじゃないが……あいつはあいつで、すごいこだわりというか、心に決めたものがあるようだから、知らないでいた方がいいんじゃないかなぁーと」
「こだわり……」
そうだよね。
異世界だからって、キスが挨拶になっている外国と同じような感覚でいたけれど、女の子の方がいいに決まっている。ヴァンが、おでことかほっぺたにしかしなかったのは、やっぱり理由があったんだ。
ごめんなさい。
もう、キスしてほしいなーなんて、思ったりしませんから、許してください。
と、その時、三階からローサさんが下りて来た。
「リクお坊ちゃま、ジャスパー様、旦那様がお目覚めになりましたよ」
弾かれたように立ち上がって、俺は三階のヴァンの場所へと駆けて行く。
ヴァンはヘッドボードにクッションを並べて、上半身を起こしていた。
「リク……」
「ヴァン! 良かった、目を覚ました」
「心配かけたね」
ベッドのそばまでいくと、ヴァンはいつものように俺の頭を撫でて髪を梳いてから、額に口付ける。
嬉しいのに、なぜか……胸の奥が刺すように痛んだ。
「夜通し、僕を見ていてくれたと……?」
「う……うん……」
振り返るとレイクさんが頷いた。
どういう状況だったのか全部説明したのだろう。その証拠にヴァンは俺の顔をじっと見つめてから、確認するように手を取り指の状態を見る。これは……覚悟をした方がいい流れだ。
「魔法は使いすぎると酔う、という話はしたね?」
「はい……」
「しかも、しもやけになるほど」
「……う」
ヴァンだって魔法酔いになってるじゃないか、という言葉は飲み込んだ。国を護る大仕事と俺じゃ、比較にならない。
そのまま俺はベッドの上で正座して、ヴァンのお叱りを受ける。
ジャスパーも、「リクに何をさせているんだ」とガッツリ叱られて、「もとはお前が、無理に帰るとワガママ言ったからだろ!」と言い合いになっていた。
なんだかやっと、ヴァンが帰って来たみたいだ。
よかった。本当に、よかった。
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