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第2章 届かない背中と指の距離
45 長い夜
しおりを挟む冷やした布を額に載せる。
汗を拭いて、魔法で作った氷水のアイスバッグで、自分がしてもらった時のように首元や脇のあたりを冷やす。汲んで来たコップの水を飲ませようとするが、飲み込めないのか唇の端を伝って流れ落ちた。
時間は夜の三つ――十一時をとうに過ぎている。
熱さましの薬を飲ませたいと思うのに、水すら口にできない状況ではどうにもできない。
「ヴァン……薬を、飲んでもらいたいんだ。ちょっとだけ起きれる?」
何度声をかけても、ヴァンは眠り続けている。
冷やし始めたおかげが多少呼吸の荒さは落ち着いてきても、相変わらず身体は燃えるように熱い。このまま、何か悪い後遺症でも起こしてしまわないかと心配になる。
喉も渇いているのだと思う。
唇がカサカサで、時々、呼吸しずらそうに舌が動く。
どうすればいいだろうと部屋の中を見渡すが、何も、どうすることもできずに時間ばかりが過ぎていた。
ジャスパーは「必ず良くなる」と言った。
そう言い切ったのだから、必ず回復するのだと思う。けれどそれは翌朝なのか、丸一日先なのか、三日も四日も後の話なのか分からない。
「ジャスパー……何で帰っちゃうんだよ」
どうらもならないと分かっていても声が漏れる。
ジャスパーは、置いていった物で間に合うと判断したのだろう。俺がそばで見守っていれば、ヴァンは大丈夫だと思ったのかもしれない。だったら、その期待通りにしたいと思うのに不安が頭をもたげる。
「水も飲めないのに、薬を飲ませるのは危険、だよね……」
たとえ小さな物でも、万が一、固形物が気管に入ったら大変なことになる。薬はヴァンがちゃんと目を覚まして、自分で飲んでもらわなければならない。
何度となく呼びかけ口元にコップを持っていって、それでも水を飲んでもらえない様子を見て俺は肩を落とした。
やったことは無いし、やっている人を見たことも無い。
テレビドラマや映画の一シーンとして見知っているだけのこと。
それでも、もし……少しでもヴァンの辛さが落ち着くなら、試してみるだけの価値はある。そう俺は覚悟を決めて、コップの水を一口、自分の口に含んだ。
軽く頭を持ち上げて支え、ヴァンの口元に口を近づけていく。
そっと触れた唇は、信じられないほど柔らかくて、乾いて、熱かった。
少しだけ開いた唇に深く自分のそれを重ね、開いた歯の隙間に流し込むように、含んだ水を送る。
「……ん……」
ヴァンの喉が少し動き、水を、飲み込んだ気配がした。
ゆっくりと唇を離す。
少し端から溢れたのか、濡れている。それを丁寧に拭いて、俺はもう一度コップの水を口に含んだ。あまり多くしないで、少しずつ、何度も繰り返せばいい。
先ほどと少し角度を変えて唇を重ねると、一度の水を覚えたヴァンの口は待っていたかのように薄く開いた。ゆっくりと、口内の水を流し込む。
ヴァンの喉ぼとけが上下する。
瞼は開かない。
目は覚まさない。
眠っている人に勝手なことをして、怒られるかもしれない。それでも、少しでも身体が楽になって回復してくれるのならと俺は繰り返す。
「ヴァン……」
眠る頭を抱きしめてからゆっくり横たわらせると、テーブルに戻って氷を作った。少し、頭が重いような感覚がしてきても、集中を切らさないようにと気合を入れ直す。
時間は止まってしまったんじゃないか思うぐらい、ゆっくりと流れていた。
夜が明ければローサさんが来る。
ジャスパーも毎日顔を出すと言っていた。
ヴァンも、回復しているかもしれない。
今は俺がしっかりヴァンの世話をするんだ。俺しかいないんだから。俺がヴァンを守るんだ。
「……もう少し、飲んで……」
出来るだけ冷たい水を口に含んでから、ヴァンの唇に俺のそれを重ねる。
ちょっとずつでも飲んでくれているのが分かるから、きっとヴァンは良くなる。唇も、少しずつ乾きが取れてきているように感じる。
呪文のように繰り返して、ヴァンの熱い手を俺の首にあたる。
「元気になれ」
目を覚まして、また俺の名前を呼んでもらいたい。
大丈夫。
きっと朝には良くなっている。
そう信じて、繰り返す。口移して水を飲ませ、氷水で冷やし汗を拭く。新しい寝間着にどうにか着替えさせて、横たわらせて息をつく。
夜の七つ――午前三時。
夏至を少し過ぎた今は、夜明けまであと二時間もかからない。
水を含んで唇を重ねる。
――今回の件で、俺は思い知った。
ヴァンの側にいられるということ、ただそれだけがとんなに幸せなのかと。
もし半年前にこの世界に留まることを選ばず元の世界に戻っていたなら、今頃俺はどうなっていたのだろう……。
二度とヴァンに会うことのできない世界。想像するだけで……ぞっとする。
ふと、誰かが、俺の頭を優しく撫でるような気配がした。
そばで「キキッ」と鳴く声。ウィセルだ。膝や肩でちょろちょろと動く。ややして、階下からドアの開く音がして、誰かが階段を上って来た。ウィセルの気配が消える。
俺はベッドに頭を預けるようにして、床に座り込んだまま眠っていたみたいだ。
瞼が重くて開かない。
「リク……」
ヴァンじゃない人の声がして肩をゆすられた。
「んぅ……?」
「こんなところで眠っていたのか?」
重い瞼を開けると、俺の顔を覗き込んでいたのはジャスパーだった。その後ろにローサさんと、見覚えのない壮年の男性。誰だろう。
窓からは朝陽が射し込んでいた。
思い出したように、俺はベッドに振り返る。
「ヴァン!」
声を上げて立ち上がろうとした瞬間、頭痛とめまいにふらついた。
そのまま座り込む俺をジャスパーが支え、入れ替わり、壮年の男の人がヴァンの枕元に膝をつき顔を覗き込んだ。
「うん、まだ熱はあるが、思ったより酷い状況ではないね。夜の間ちゃんと冷やして、飲み物を飲ませていたのかな?」
そう呟いてから、ヴァンの額に手をやり呪文を唱えた。
眠ったまま大きく深呼吸をしたヴァンの顔から、熱による赤みが消えていく。俺はジャスパーを見上げた。
「……誰?」
「俺の親父」
「ジャスパーの、お父さん!?」
ヴァンの胸元と脈を確認するように手首に触れた後、ジャスパーのお父さんはもう一度「うん、もう大丈夫だ」と頷いて立ち上がった。
「はじめましてだね。レイク・ウォルター・デイヴィスという。バカ息子にたたき起こされた、この国一番の腕のいい術師だよ」
「バカ息子言うな」
「親に泣きついて何を言う」
「俺は自分の腕を過信したりしないんだ。万が一のことも起こせないからな」
「気が動転していただけだろう。修行が足りんな」
めずらしくジャスパーが「ぐぬぬ」と言葉を飲み込む。
俺を置いて帰ってしまったのは、そういうわけだったんだ。後ろで見守り待っていたローサさんが、「食事や飲み物の準備は私がいたしますね」と、穏やかな声をかけ二階に下りて行った。
助けが来た。俺は……長い夜を乗り切ったんだ。
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