孝謙異聞

夢酔藤山

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 鑑真に来日を請うた長屋王もこの世に亡く、その子に導かれて、それを滅ぼせし者への受戒を説くという運命のほろ苦さ。しかし、鑑真の心中とは別のところに、聖武の慄きや孝謙の信心は漂っており、その有難さは、昨日のように覚えている。
(宗教とは私のために非ず、万民のためにこそある)
 このときほど、孝謙天皇はそれを強く思ったことはなかった。
 父帝とは志が違えども、宗教を心の支えにした瞬間は、この鑑真和上との出会いからかも知れない。

 鑑真より受戒したその翌月、太皇太后藤原宮子が崩御した。聖武帝の生母にして、孝謙母后・光明子の姉、孝謙天皇にとっては祖母后にあたる。藤原一門は一族として初めて皇族に嫁した偉大なる宮子に哀悼を捧げ、何よりも盛大にこの大葬に臨んだ。
 もっともその裏では、とても理解しえない聖武上皇の慄きがあった。
 いや、その慄きは決して尋常なものではなかった。その正体を、このとき孝謙天皇は知る由もなく、ただ軽薄なる父帝として見つめるばかりであった。うろたえながら藤原仲麻呂へ取り縋るなり、
「そこもとも大事ないか。長屋王の怒りに触れたのではないか」
と叫んだと思えば
「太宰少弐(藤原広嗣)め、祟ったか」
などと虚空に呻く。聖武天皇の所作は、あられもない取り乱しぶりであった。
 聖武上皇の良心は、もはや破裂寸前だった。
 そのためか否か、天平勝宝八歳(七五六)五月二日、天平太平の大帝として世に流布されし聖武天皇は、遂に崩御にいたるのである。
 その死を前にして
「阿部内親王をこれに」
と、孝謙天皇の幼名を口にしていた。
 そして語られた父帝の告白。
 呪わしき藤原の血脈の真実に、孝謙天皇は言葉を失った。
 
 それは、それは、身の毛もよだつ話であった。
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