レーヌ・ルーヴと密約の王冠

若島まつ

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52 厨房の女王 - la Reine cuisinière -

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 アストレンヌでは、連日宴が開かれた。それも、王城だけではない。王太子の居城であるレグルス城にも名だたる貴族が集まり、祝宴とは名ばかりの肚の探り合いをしている。
 レグルス城での宴を取り仕切ったのは、女主人であるオルフィニナだ。彼女は女城主としての才能を発揮し、この場でも名を上げた。最も好評を得たのは、この場を上辺だけの政治的な集まりではなく、女性や子供たちの同伴を促し、友好的な空間を作ることに成功したことだ。
 オルフィニナの感覚では、国事に関わることは男だけではなく、老若男女問わず全ての国民が参画すべきなのだ。招待状には幼い子も歓迎する旨を書き添え、城下で人気の高い子供向けの劇を手配したり、見た目にも可愛らしい菓子を用意させたりと、とにかく彼らを退屈させないことに尽力した。
 貴婦人たちへの配慮も細やかだった。案内係の使用人や護衛の騎士のうち、女性の数を増やし、彼女たちの衣装も物々しくならないように機能的ながら華やかな色合いのドレスやローブに統一するなどの工夫をした。
 料理に使う食材を選ぶときも、料理番の使用人たちを従えて城下の市場まで見に行く念の入れようだった。自分や側近たちの命を狙って毒物が混入されないよう徹底するためでもある。

 王太子妃になってからの日々は、恐ろしく慌ただしい。
 連日の祝宴に加えて、イノイル王国やルメオ共和国をはじめとする諸外国からの外交官や使節団が続々と列をなしてレグルス城へ集まり、その上、遠方の領主や有力貴族たちからの祝福を伝えに来る遣いも途絶えることがない。
 彼らをもてなすために、レグルス城の使用人たちも休む暇もなく働き続け、まるで年末の宴のような大騒ぎが何日も続いているのだ。
 この間、ルキウスとオルフィニナはヴァレルに対してギエリに駐屯している配下の軍を撤退させるよう要請している。
 アミラ女王としての正式な要請であればヴァレル・アストル大公も無下にはできないと踏んでいたが、ヴァレルは先手を打っていた。則ち、ヴァレル配下のエマンシュナ軍の駐在を一時的に認めるという条目を、アミラ国王ではなく議会を含むアミラ政府と取り交わしていたのだ。表向きの理由として、戦後の混乱にあるギエリ市民の安全を守るためとあるが、内実は王位に就こうとするフレデガルのための援軍だ。
 レオニード王にもアミラ女王として正式に申し入れたが、不調に終わった。アミラ王国議会とヴァレル・アストル大公との取り決めである以上は双方の合意があるべきであるという理由と、軍を引き揚げた後に再びエマンシュナに攻撃を仕掛けてこないという保証がない、という理由だ。
「残念だがどちらも理に適っている」
 オルフィニナはルキウスの執務室の隣に新たに作らせた自分の書斎で、羊皮紙の書面に目を通しながら苦笑した。女王になれば要請が通るだろうと浅はかな考えを持っていたことが情けなくもある。
「潰してこようか」
 長椅子の肘掛けに長い脚を乗せて寝そべりながら、クインが言った。ギエリまで行ってヴァレル大公の軍を殲滅してこようかと言っているのだ。
 クインの突飛な提案を、オルフィニナは「論外だ」と一蹴した。
「冗談だ」
「少なくとも半分は違うだろう。お前の考えてることは分かる。無謀なことはするな」
「…俺の考えがわかるのかよ」
 クインは長椅子から立ち上がり、机の上の書類と向かい合うオルフィニナの目の前にやって来た。
 座った状態で見上げると、ただでさえ背が高く肩の広いこの男がいっそう城壁のように見える。
「あんたが俺の考えを半分でも理解したことがあったか?」
 オルフィニナは不機嫌なクインの顔を見上げ、思案するように小さく唸ってから、眉を開いた。
「炒り豆と塩漬け肉のカリカリ」
「は?」
「炒り豆と塩漬け肉のカリカリを今食べたいと思ってるだろう。ダナがよくおやつに作ってくれた」
 オルフィニナは大真面目だ。クインは馬鹿馬鹿しくなって目をぎょろりとさせ、鼻で笑った。
「そりゃあんたが食べたいだけだろ」
「そうだ。でもお前と一緒じゃなきゃだめだ。スリーズ!」
「はぁい」
 呼ばれたスリーズが両手に分厚い本を抱え、書棚の奥から顔を出した。
「本の整理は明日でいい。ちょっと厨房へ先回りしてこれから行くと伝えてくれないか」
「はいっ!」
 スリーズは本を書棚に置くと、満面の笑みで書斎を出て行った。
「こらこら」
 とオルフィニナが咎めたのは、スリーズの後ろをのそのそ付いていこうとしたエデンだ。
「お前はだめだ。厨房に生きた獣は立ち入り禁止だとさ」
 エデンは不満そうに扉の前で腰を下ろし、大きな身体を横たえた。
「拗ねるな、拗ねるな。そんなところでふて寝してもダメ」
 オルフィニナが扉の前まで赴いてエデンの機嫌を取るようにワシワシ撫で回すのを眺めながら、クインは人知れず頬を緩めた。こういう子供っぽい言動は、オルフィニナが家族の前でだけ見せるものだ。

 ルキウスはこの日、早朝からアストレンヌ城に登城して政務に励んでいた。無論、各所への働きかけも熱心に継続している。
 王都へ凱旋し、オルフィニナとの婚姻を果たしてからというもの、ルースに左遷される前の放蕩王子とはまるで別人だと評判を上げている。それと同時に、オルフィニナの評判も上がっている。宴での有能かつ細やかな女主人ぶりに加え、敵国の捕虜という立場ながらあのステファン・ルキウス王太子を虜にし真っ当な道に引き戻したという功績が大きく印象づけられたためだ。
 ところが、ギエリからヴァレル麾下のエマンシュナ軍を撤退させる考えに賛同するものは少ない。皆ヴァレルの顔色を伺い、なおかつアミラ王国政府を信用していないのだ。
(まあ、無理もない)
 とはいえ、ここで手をこまねいていては、ギエリに残されたオルフィニナの弟とその母親がますます危ない。彼らをギエリから逃がすには、ヴァレルの軍を撤退させるよりも彼らの目を盗んで落ち延びさせる方が現実的だろう。
 問題は、その方法だ。

 ルキウスがレグルス城へ戻った時、いつも総出で出迎えに来る使用人たちがやけに少ないことに気づいた。バルタザルが彼らに理由を訊ねると、何やら妃殿下が厨房を使っているという。
 これを聞いたルキウスは、重苦しい飾緒のついた上衣をポイと脱ぎ捨てて足速に厨房へ向かった。バルタザルがそれを拾って使用人の男に渡し、後を追った。
 厨房からは、笑い声と共に香ばしい香辛料の匂いが漂ってくる。
 オルフィニナは、その中心にいた。王太子妃であり女王である彼女が、大勢の料理番や使用人たちに囲まれて、黒い石造りの調理台とかまどに向かい、自ら食材のたっぷり入った片手鍋を火にかけている。
「なあ、バルタザル」
 と従者に呼びかけたが、目はオルフィニナに釘付けのままだ。
「はい」
「厨房に立つだけであんなに美しい女性が他にいるか」
(これは――)
 と、バルタザルは苦笑いを噛み殺した。我が主は奥方に相当参っているらしい。
 確かに、オルフィニナ・ドレクセンは他に類を見ない美女だ。肌が透けるように白く、それでいて健康的に血色が良く、燃えるような赤い髪は太陽を思わせ、思慮深い琥珀色の瞳は目にしたものの心臓を射るほどに強い輝きを放っている。
 しかし、それだけではないだろう。肉体だけではなく魂が触れ合い、共鳴し、そこから発した激しい感情が今、オルフィニナに向かっているのだ。
 こういう感情をなんと呼ぶのか、果たして主は知っているのだろうか。

 オルフィニナがルキウスの帰城に気付き、柔らかく微笑んだ。隣には、クインがいる。
 クインはスリーズから受け取った大皿をオルフィニナに渡し、息をするような自然さでかまどの中の炭を中央へ寄せて石蓋をした。その間にオルフィニナは片手鍋から大皿に料理を移し、小さな皿にその一部を取り分けて、火を消し終えたクインに手渡した。
 料理をつまんで口に入れたクインがにやりと笑って何事かをアミラ語で呟くと、オルフィニナがくすくす笑いながら肘でクインを小突いた。
ムッティ母さんのカリカリと同じ味だろ」
「塩が多い」
「塩を入れ過ぎたのはお前だ、クイン」
 そうやって笑い合う二人は、まるで夫婦のように息が合っている。
 バルタザルは不穏な空気を警戒してルキウスの顔をチラリと見た。案の定、ものすごく面白くなさそうな顔をしている。が、オルフィニナの手料理にはそれ以上に惹かれているのだろう。クインに突っかかるよりも、もっと有効な手段を講じることにしたらしい。
 ルキウスは自城の厨房に初めて足を踏み入れ、一斉に道を開けた使用人たちの間を通ってオルフィニナの元へまっすぐにやってくると、オルフィニナが両手で持っていた大皿をサッと取り上げ、嫣然と微笑んで、片手でオルフィニナの腰を抱き寄せ、熱烈な口付けをした。
 咄嗟に押しのけて抵抗しようとしたオルフィニナはハタと手を止めた。叩いた拍子にルキウスがバランスを崩してせっかく作ったばかりのカリカリを落とされては堪らない。
 オルフィニナはポンポンと撫でるような軽快さでルキウスの腕を叩き、唇をはむ、と甘く噛んで、唇を離すことに成功した。
 オルフィニナが咎めるようにルキウスを見上げると、ルキウスは愉しそうにニヤリと笑った。
「美味しそうな匂いがしたから、味見をしたくなった」
「わたしはまだ食べていないよ」
「料理の味見と言ったか?」
 オルフィニナは眉を寄せた。頬が赤くなっている自覚はない。
「…どちらにしても行儀が悪い。それに、ちゃんとあなたの分も用意してあるよ」
 オルフィニナはルキウスから大皿を取り返し、無表情のクインに手渡した。ルキウスとクインの視線が険悪に絡まり、オルフィニナに小さな溜め息をもたらした。
 同じ目的を持つもの同士、仲良くとまではいかなくとも、もう少し協力的にできないものだろうか。
 オルフィニナはクインが小皿に取り分けたカリカリを複雑な思いで受け取り、横から伸びてきたルキウスの行儀の悪い手をパチンと払い除けた。――そのとき、「あ」と、閃いた。
「一計、進上したい。二人とも顔を貸して」
 ルキウスとクインは互いの顔を見合わせた。

 三人はオルフィニナの書斎で密議を始めた。
 それぞれ、手には小皿を持っている。オルフィニナが作ったばかりの、炒り豆と塩漬け肉のカリカリだ。
「君は天才だ」
 とルキウスが目を輝かせたのは、オルフィニナの発議ではなく、手料理のことだ。当然のように長椅子に座る彼女の隣に陣取っている。
「毎日食べたい」
「気に入ってもらえたのはよかったが、毎日はやめておいた方がいい。塩分が多すぎる」
 オルフィニナはスルスルと腰の下へ伸びてきたルキウスの手をピシリと叩くと、向かいに座るクインの不機嫌な顔に視線を移した。
「ジギはまだギエリにいるな」
「そうだ」
 クインが頷いた。
「では急ぎオルデンへ戻らせて。ルキウス――」
 オルフィニナは次にルキウスの方へ身体を向けた。ルキウスが指を舐める様子が、いやに艶冶だ。
「ルースにいるあなたの配下とオルデンのベルンシュタインを合流させよう」
「…なるほど」
 ルキウスは一瞬の思案ののち、愉しそうに笑った。
「ヴァレルの軍を撤退させられないなら、俺の軍を差し向けて奴らを監視すれば良いということか」
「いかにも、そうだ」
 オルフィニナが頷くと、クインは眉を寄せた。
「ベルンシュタインと合流させるのはいいが、意思疎通ができるか?あいつらマルス語は話せないぞ」
「わたしの見立てではな、クイン――」
 オルフィニナはルキウスの手にある小皿からカリカリをつまんで口に入れた。
「わたしをエマンシュナに取られて・・・・から、オルデンの同胞はマルス語を猛勉強したはずだ」
「君を俺から取り返すのに必要だから?」
 豆と肉を口に運んだばかりのオルフィニナの指をルキウスが掴み、ペロリと舐めた。オルフィニナが指を引っ込めようとすると、ルキウスは剣呑な笑みを浮かべて肩を抱き寄せた。
「そうだ。新しいオルデン領主が自分の部下たちと話す言葉を全て理解しようとする。諜報員の性だな」
 新しいオルデン領主とは、ルキウスがオルデン総督として指名したエマンシュナ貴族のルノーのことだ。実直なルノーはオルデンの民と友好的な関係を築こうと尽力しているが、情勢によってはそれが絶対的でないことを、オルデンに残してきたオルフィニナ麾下のベルンシュタインは理解している。
 この状況下では、情報の遅れが命取りになる。そのため、彼らがオルデンに居座るエマンシュナ人の話す言語を学習しないはずがない。と、オルフィニナは言っているのだ。
「道理だな」
 クインはそう言って立ち上がり、軽薄に主君の肩を抱くルキウスの肩を掴んで、彼女から引き剥がした。
「女王の、要請だ。できるのか」
 唸るような声には、怒りが滲んでいる。
「当然だろ」
 ルキウスも威嚇するように立ち上がり、クインに対峙した。口元は笑っているが、目はそうではない。
「言っておくが俺の兵士は優秀だ。ヴァレルの軍なんかよりよほど統率が取れてる。あいつらを監視して躾けておくぐらい、簡単だ」
「おい、軽く見てんじゃねぇぞ」
「軽く見てる?冗談だろ。妥当だよ。ヴァレルの軍はもう倦みきってる。制圧したはずの王都で略奪もできず、戦利品もなく、故郷に帰るのをただ無為に足止めさせられてるんだ。それも、ど田舎に。使命を課された王太子の兵とは士気が比べものにならない」
「こっちは王太子と王妃の命がかかってんだ。失敗は許されない」
「失敗するとでも?君こそ俺の部下を甘く見るなよ」
「もういい、二人とも」
 オルフィニナが見かねて立ち上がり、二人の間に割って入った。
「まずは、わたしたちの方針は調った。そうだな。どちらにしてもオルデンの同胞とルースの兵たちがあなたたちほど険悪でないことを祈る」
 オルフィニナは肩を竦めて言った。
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