レーヌ・ルーヴと密約の王冠

若島まつ

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51 キングメーカー - Fraiseur de Roi -

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 フレデガルの送ってきた暗殺者は、若い男だった。とはいえ、それなりの心得はある。重要なことについては簡単に口を割らなかった。エマンシュナへの密入国を遂げ、なおかつ警備の厳重な王都への侵入を成功させる能力と人脈のあるものたちだ。フレデガルはいよいよなりふり構わずオルフィニナを亡き者にしようとしている。
「‘誰が手引きした’」
 誰に雇われた。とは訊かない。分かりきったことだ。
 暗殺者は赤黒く腫れ上がった目でクインを睨みつけた。手足には鉄の枷を付けられ、冷たい石の床に座っている。
「‘口を割って、俺に得があるか’」
「‘ある。命が惜しいならな’」
「‘口を割れば雇い主に殺される。結果は同じだ’」
 厳重な鉄柵の外で、オルフィニナとルキウスはこの尋問の様子を眺めている。ルキウスに耳打ちするように、オルフィニナはクインと暗殺者の会話を通訳した。
「手ぬるいな。さっきから同じやり取りを何度も繰り返してる」
 ルキウスは声を低くして言った。声色に苛立ちが混ざっている。
「わたしの前で本気の尋問をしたくないんだろう。これは見学者向けだ」
 オルフィニナは唇を吊り上げて、複雑な顔をした。クインは極力オルフィニナに血を見せまいとしているのだ。幼い頃から厳しい訓練を一緒に耐えてきた兄妹としては、やや寂しいものがある。
「まったく、過保護というか…舐められたものだ」
 ルキウスは眉間に皺を寄せて呟くと、後方に控えるバルタザルに目配せした。バルタザルは苦々しげに唇を結び、牢の中へ足を踏み入れて、クインにニッコリと笑いかけた。
「‘なんだ、てめぇは’」
 と、暗殺者が吐き捨てた時だ。
 鈍く不快な音が狭い牢内に響いた。肉の中で骨が砕ける音だ。
 バルタザルはたった今囚人を蹴り飛ばしたブーツで骨張った手を踏みつけ、呻き声も耳に入らない様子で朗らかに笑った。
「ああ、失敬。何を言ってるか解らないので侮辱されたのかと思いました」
「‘クソ野郎’」
 囚人が呻きながら吐き捨てた。口から血が飛び、石の床を汚した。
「今のは侮辱だ」
 オルフィニナが無表情のまま教えてやった。クインは苦々しげに唇を結んでいる。
 バルタザルはぞっとするほど朗らかな笑みを浮かべ、幼虫のように身体を丸め悶える男に向かってしゃがみ込んだ。
「わたしの主君と妃殿下は、あなたみたいな薄汚い輩が近づいて良いお方ではないのですよ」
 目を細めたまま、バルタザルが頑丈なブーツの底で折ったばかりの肋を踏みつけた。囚人は激痛に耐えかねて牢の壁に反響するほどの大声を上げ、脂汗を顔中に浮かべながら、血走った目で自分を踏みつけてくる男を見上げた。
「あまつさえ我が主に危害を加えようなど、虫唾が走ります。どのみち口を割らないのであれば、せっかくなので殺してくれと懇願するまで痛めつけてから殺すことにします。歯を抜き、骨を折り、爪を剥ぎ、全身の皮を剥いで、舌を切り、最後に目をくり抜きます。先に目を取り出しては、自分の肉が犬に食われるさまを見せて差しあげられませんからね」
 クインが淡々とそれを訳して聞かせると、初めて囚人がその目に恐怖を見せた。脅しではないことを理解しているのだ。バルタザルの柔和な目の奥に、無感情な闇がある。
「わたしの主君の命を狙うとは、そういうことです」
 オルフィニナの目の前で、初めてこの男が二面性を露わにした瞬間だった。
「オルデンの同胞に死人が出なかったのが不思議だ」
 オルフィニナは隣で尊大に立つルキウスに囁いた。ツークリエン山での夜襲のことを言っているのだ。
「あの時は俺を探すのでそれどころじゃなかったんだと」
 ルキウスは今になって、あの時バルタザルを置いて単騎駆け出した自分の行動が正しかったと思った。もしそばにバルタザルがいたとしたら、オルフィニナも無傷では済まなかったかもしれない。バルタザルは臣下のうち最も忠誠心に篤く、こと主君の前では無私であり、腕が立ち、最も残忍になれる男だ。敵に対峙する時の無感情さは、恐らくはクイン・アドラーを超えている。
「あれと殺し合うことにならなくて幸運だった」
 オルフィニナが視線を牢の中に戻すと、クインと目が合った。クインは不機嫌そうに唇を引き結び、視線でオルフィニナに出て行くよう訴えた。
「…本当に殺させるなよ、クイン。拷問もだめだ」
 オルフィニナが言うと、クインは小さく顎を引いた。
「今のは訳すな」
 ルキウスはそう言って、暗い笑みを浮かべた。

 ギエリでは、混乱が暗雲のように広がっている。
 国民がエギノルフ王の死を知り、民衆の間には庶子から王族として認められた聡き女王の戴冠を待ち望む声が広がっている。多くの高位貴族はこれまで政務を取り仕切っていたフレデガルを推しているが、一方でフレデガルへの不信感を持つ者も多い。
 当然だ。七年ものあいだ王の死を秘匿し、王の娘を山奥の国境地帯へ追い出し、中央の政治から遠ざけ続けたことが周知の事実となったのだ。おまけに、どこから漏れたのか、王の死はフレデガルによる暗殺だったという噂まで囁かれ始めている。
 フレデガルは国王補佐官に与えられる執務室の中を、落ち着きのない犬のように独りウロウロしている。次第に歩き回る範囲が大きくなり、ふとした拍子に爪先にぶつかった椅子を烈火のような勢いで蹴り飛ばした。絨毯の上に木製の椅子が転がり、執務机の脚にぶつかってペンとインクの瓶を倒した。
「くそ!」
 目障りな姪が女王を名乗り出した瞬間から、心休まる時がない。
(いや、違う)
 フレデガルは忌々しい思いで首を振った。思い返せば、最初から気に食わなかった。二十年前、どうやら兄の落胤がギエリにいるらしいと密偵の報告を聞いたときから、不吉な予感がしていたのだ。
 何年も経ってから正式にドレクセン家へ迎えられた姪の顔を初めて見たとき、予感は確信に変わった。
 似すぎている。フレデガルの人生において常に邪魔者であり続けた兄のエギノルフと、赤い髪も、琥珀色の目もそっくり同じだった。
 やはり殺しておくべきだった。実際に、何度か試みたことがある。
 しかし、兄の側近だったルッツ・アドラーがそのたびに邪魔をし、その息子が常に標的の側にいた。
 その徹底ぶりは、王の警備を超えていた。オルフィニナの周囲にいる人間は、賢く、骨の髄まで忠実で、頑迷なほどに彼女に対する悪意を寄せ付けなかった。
 一体、どれだけの価値があの庶子にある。たかだか兄が気まぐれに手をつけた卑しい女の娘になど、玉座を穢されては堪らない。
 女など、脆弱で、強欲で、穢らわしい生き物だ。死ぬまで夫の奴隷のようだった母親や、妻のヒルデガルトのように。
 執務室の扉が叩かれ、フレデガルは顔を上げた。親指から血が滲むほどに爪を噛んでいたことに、この時気付いた。
 扉の向こうから、妻のヒルデガルトが現れた。部屋の惨状を見ても、驚くことはおろか、何があったかを訊くこともない。
 何から何まで人工物のような女だ。腰を必要以上に引き絞った前時代的なドレスに身を包み、大きく開いたレースの襟からは、水面に浮いた球体のような胸が覗いている。
 表情は、いつも同じだ。こちらを責めるような目で、赤い唇だけは薄気味悪く笑っている。
「ゾルガの婿どのがおいでですわ、殿下」
 フレデガルは不快さを隠しもせず、鼻を鳴らした。妻がわざとらしく「殿下」と呼んだ真意は知っている。エギノルフ王が崩御したと国民に知られてもなお、国王陛下になれないフレデガルを嘲り、責めているのだ。
 自分では何も持たぬくせに、この女の厚顔さには全く腹が立つ。取り柄といえばその実家が持つ軍隊くらいのもので、それほど美しくもない素顔を厚化粧で取り繕い、貧相な身体を必死に美しく見せようとしている。それだけの取るに足らない女が、国王になる男の妻だなどと、吐き気がする。
 しかし、ヒルデガルトを冷遇してその兄ゴスヴィン・ゾルガの不興を買う訳にはいかない。ゾルガの軍は、フレデガルの主戦力だ。
 フレデガルは奥歯を噛んで不快感を飲み込み、妻の顔を見て短く言った。
「通せ」
 扉の奥から現れたイェルク・ゾルガは、いつもの通り隙のない軍装で短い髪をきちんと整え、腰に剣を佩いている。
 イェルクは淡い灰色の怜悧な瞳でフレデガルを一瞥し、無言のまま机の上に倒れたインクの瓶を元に戻して、血が流れるように溢れたインクを自分の手巾で拭い、倒れた椅子を片手で起こした。
「二人で話します」
 とイェルクがヒルデガルトに言うと、ヒルデガルトは細い眉を峻険な山の稜線のように上げて一言も発さずその場を去った。
「何の用だ」
「おわかりでしょう。わたしの妹に暗殺者を送りましたね」
「命を助けるなどと言った覚えはない」
 フレデガルは苛立ち、再び部屋をウロウロし始めた。血の滲む親指を口に近づけそうになると、上衣のポケットに手を突っ込んだ。
 イェルクは冷たくその様子を眺め、小さく息をついた。
(まったくこの男は、一体誰がオルフィニナを訓練したと思っている)
 声色に嘲弄が表れないようにするのも、なかなか骨が折れる。イェルクは小さく咳払いをした。
「そういうことではないのですよ。いずれにせよあなたが送り込んだ暗殺者は全員帰って来ません。どうせ使い捨てるなら、もっと有意義な使い道を選んで欲しいものです」
 フレデガルは白髪の混じった鳶色の頭をガシガシとかいて、窓際のソファに腰を下ろした。それでも落ち着かないのか、膝を揺らし、組んだ両手の指を忙しなく動かしている。
 ――臆病な男だ。
 イェルクは目の前の男を内心で侮蔑した。
 いくら王族らしく豪奢に着飾っていようと、精神から滲み出る見窄らしさは隠しようがない。
 この男の臆病さが、七年もの間王の死を隠匿させたのだ。いま少しの気概があれば、国王の死とともに自らが王として名乗りをあげ、周囲の反感や敵対などをものともせず王位を手に入れていただろう。
「何度も申し上げたように、今オルフィニナを殺すのは得策ではありません」
「ハッ」
 フレデガルはヒステリーを起こした女のように高い声で喚いた。
「ほら見ろ!やはりお前は信用ならん。爵位が欲しい、出世したい、ただの使い走りで人生を無駄にするのはごめんだと、そのためには家族も犠牲にすると言ったのはどこの誰だ!やはり情を捨てきれずに血のつながらない妹を庇おうとしているではないか!」
「庇う?」
 イェルクの薄い唇が歪む。フレデガルは自分よりも位の低いはずの一介の軍人に、冷たい恐怖を覚えた。イェルクは穏やかに目を細めた。
「情でしかものを考えられないのはどなたです、フレデガル殿下。あなたは焦り、オルフィニナ憎さにことを急いたに過ぎない。今回の行動のどこにも戦略的な要素はありません」
 フレデガルはゆっくりと大きな獣のように歩み寄ってくる家臣を見上げ、背筋を流れていく汗に怖気を催した。
「機を待つのです。あなたは民衆と一部の貴族から顰蹙を買っている。その上、エギノルフ王暗殺の嫌疑も持たれている。今オルフィニナを殺せば、あなたの差し金であることは明白です。国王殺害の嫌疑は確信に変わり、ますます反感を買うでしょう。そうなれば、今までオルフィニナを推していた者たちは誰に付きます」
 フレデガルは黙した。分かりきっていることだ。オルフィニナ亡き後は、正統な後継者として弟のイゾルフがその勢力を引き継ぐだろう。今イゾルフが成人を待たずに王になるべきであると主張している者たちも合わせれば、その勢力はフレデガルを凌ぐことになる。その上、オルフィニナの支持層は熱心だ。今でも十分脅威だが、オルフィニナを殺害したとなれば、激昂し、更なる脅威となるに違いない。
「…それなら今、小僧も殺しておけばいい」
「短絡的な。それだからあなたは王になれないのです」
 イェルクは冷淡に言った。フレデガルはこの傲慢な義弟の婿を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、椅子から腰を上げることはなかった。この男もまた、軍を掌握しているゾルガの人間だ。
「あなたがすべきことは、オルフィニナに自ら王権を放棄させることです。こちらにはイゾルフ王太子とその母親がいる。彼らの命のために、オルフィニナは指環を棄てるでしょう」
「フン、女め」
 フレデガルの声には、侮辱が込められている。この男の世界では、女は男に従属すべき存在なのだ。
「オルフィニナへの忠告については、ヴァレル・アストル大公の協力を得ます」
「わたしに、あのエマンシュナ人に頭を下げろと言うのか!」
 イェルクは溜め息を堪えた。臆病な上に愚かとあっては、救いようがない。
(最初にエマンシュナ人の策謀に乗ったのは誰だ)
 と、思わざるを得ない。
 フレデガルがアミラ王になりたいのは、それによりエマンシュナをも手に入れたいと切望しているからだ。古の時代に今のエマンシュナを含む大帝国を統治していた王家の血を誇り、我らこそがエマンシュナ王として相応しいと長年訴え続けてきた。その男が、アミラ王にさえなれず、あまつさえ王位を争うはずのエマンシュナ人と謀略を共にしているとは、失望を通り越してもはや笑えてくる。
 恐らくはアミラ王となった後でエマンシュナへ攻め入る腹積もりなのだろうが、この男にそれほどの胆力があるとは到底思えない。
「同盟者として、協力を要請するまでです。必要ならわたしが頭を下げますよ」
「お前が?」
「ええ。アストレンヌに行きます。あるいは、わたしが妹を説き伏せることも可能でしょう」
 イェルクは静かに笑んで辞去した。
 
 ギエリ城の暗い廊下を進むイェルクの手には、小さな木彫りの狼がある。彫りが粗く、ところどころ立ったささくれが、手の皮膚を力なく刺している。子供が作ったように不格好だ。
「古い血はいらない。そうだろ、ニナ」
 窓から射す月明かりが、イェルクの目を獣のように映した。
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