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第二部 絆ぐ伝説
第五話一二章 沸き起こる雲
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「どうして、旅に出るたび、新しい男を連れ帰ってくるんだ⁉」
『黒の誇り』号の甲板の上にプリンスの叫びが響いた。聞きようによっては怒声だが、情けない負け犬の遠吠えとも聞こえる、そんな声。
ロウワンはその声を聞いて『……ああ』と、顔を押さえながら溜め息をついた。
ロウワンの予想通り、プリンスはムスタムの姿を見るなり血相をかえてあわてふためき、船長の仕事を部下に押しつけ、トウナに詰め寄ったのだ。
詰め寄られたトウナはというと、プリンスがなにを騒いでいるのかまったくわからない様子で、うっとうしそうな視線を送っている。
「変な言い方しないで。新しい仲間を連れてきているだけでしょう」
「だから、その新しい仲間がなんでいつもいつも若い男なんだ⁉」
しかも、おれよりいい男って……。
さすがに、その一言は飲み込んだ。
野伏は自分よりも背が高い堂々たる威丈夫であるし、ロスタムは、こちらはもう『夢の王子さま』としか言いようのない美青年。それも、行者のような妖しさをもつ美しさではなく、正統派の美形。
プリンスは自分の外見についてはそれなりの自信をもっていたが、このふたりと並んでみれば一気に霞んでしまうことは誰に言われなくてもよくわかる。それだけに、そんな男たちを連れ帰ってくることが気が気でない。
「ロウワンは自由の国の戦力となる人材を探しているのよ。若い男が中心になるの、当たり前でしょう」
それに、メリッサをはじめとする『もうひとつの輝き』は女性ばっかりだったじゃない。
そう言って、プリンスに反論するトウナだった。
「そ、それはそうなんだけど……」
「それがわかっているなら変な言いがかりをつけないで。早く仕事に戻ったら? あなた、船長でしょう。航海中に他人に言いがかりをつけている暇なんてないでしょう」
「た、他人……」
その一言に――。
プリンスはあからさまに傷つき、落ち込んだ表情となった。
トウナは純粋に『他の人間』という意味で『他人』という言葉を使ったのだが、プリンスにしてみれば、そういう意味での『他人』だとしか思えない。
自分の言葉がどれだけプリンスを落ち込ませたかを知ってか知らずか、トウナは哀れなぐらい傷ついた表情を浮かべる青年をおいて、さっさと船室へと降りていった。トウナにしてみれば島長としての役割に専念すると決めた以上、島の将来について考えをまとめなければならず――かの人にとっては――わけのわからない言いがかりなどに付き合っている暇などなかったのである。
「あのふたりは……」
そのやりとりを見ていたロスタムが、語るともなくロウワンに語った。
「なかなか、難儀な関係のようですね。ロウワン卿」
「トウナは恋愛というものを知らないし、プリンスもこの手の話となると意外と意気地がないみたいだからなあ」
自分自身、誰かと付き合ったことなど一度もないというのに、なかなかに偉そうなことを言うロウワンであった。
「それはそうと、ロスタム卿」
「『ロスタム』とお呼びください、ロウワン卿」
「そこです。あなたは、おれより一〇歳近くも年長だ。そんな丁寧な態度をとることはないでしょう。あなたこそ『ロウワン』でけっこうです」
「いいえ。あなたは同盟国の主催であらせられます。礼をもって接するのが当然。今後も『ロウワン卿』と呼ばせていただきます」
ロスタムはそう言って胸に手を当て、深々とお辞儀をした。
この『夢の王子さま』は、その外見とは裏腹になかなかに物堅い性格のようで何度、言っても常にへりくだり、ロウワンを目上とする態度を貫いている。
一方、トウナに手ひどくフラれたプリンスは、ガックリと肩を落として甲板の上をトボトボと歩いていた。その様子はなんとも哀れみを誘うもので、その姿を見た船員たちが思わず同情の生暖かい視線を送り、優しい言葉のひとつもかけてやりたくなるほどのものだった。
このときのプリンスの姿しか知らなければ、戦場にあってはクロヒョウのごとく剽悍に戦う戦士であるなどとは想像することも出来ないだろう。
そんなプリンスにロウワンは近づき、声をかけた。
「プリンス」
「えっ?」
顔をあげたプリンスが驚いたような表情を見せたのは、自分を見つめるロウワンの表情が意外なほどに厳しいものだったからだ。
「プリンス。トウナにははっきり言わないと伝わらないぞ」
「な、なに……?」
「トウナは小さな居留地の生まれだ。恋愛という文化を知らない。トウナにとって『結婚』とはあくまでも子どもを生み、村を維持していくための義務であり、責任。恋愛の発展じゃないんだ。いくら、思いを寄せたところで向こうから気付いてくれるなんてあり得ない」
「ロ、ロウワン……?」
プリンスは戸惑った声をあげた。他人の恋のさや当てに対して、野次馬根性で口出ししているにしては、ロウワンの表情も口調もあまりにも真剣なものだった。
ロウワンは真剣な面持ちのままつづけた。
「わかっているだろう。これからは、ローラシアやパンゲアを相手に本格的な戦いになる。しかも、戦う相手は人間じゃない。不死身の怪物どもだ。この戦いで生き残れる保証なんて誰にもない」
そういうロウワンの脳裏にはサラフディンの港での別れ際、野伏に言われた言葉が響いていた。
「パンゲアの動向には気をつけろ。とくに、ルキフェルのことは注意しておけ」
「ルキフェル将軍に?」
「報告によれば、今回のアドニス回廊での戦いにおいてルキフェルは為す術がなかったそうだ。ローラシアの送り込んだ化け物どもに対抗出来ず結局、パンゲアは例の怪物どもを投入したという。となれば、ルキフェルは立場を失い、怪物どもを指揮する連中が新たに軍権を握る可能性がある」
「ルキフェル将軍が失脚する。そう言うのか?」
「その可能性もあると言うことだ。そして、その場合、パンゲアははるかに危険な存在になる。
ルキフェルとは少し関わっただけだが、人となりはわかったつもりだ。あれは、本物の軍人だ。軍事力とは交渉の一形式であり、相手をこちらの意に従わせるという目的のために限定され、制御されて使用されなければならないと心得ている。ルキフェルがパンゲアの軍権を握っている限り、軍事力を乱用するようなことはないだろう。
だが、力をもった素人はちがう。力ですべてを解決できると思い込み、暴走する。そうなれば、民間人の虐殺でもなんでもやる。想像してみろ。あの怪物どもが軍隊ではなく、民間人相手に投入されることを。そんなことになったらどれだけの被害が出るかわからない。
ルキフェルが失脚した場合、パンゲアは『過ぎた力をもったガキ大将』になりかねない。誰の手にも負えない恐ろしい存在になるぞ」
過ぎた力をもったガキ大将。
我儘で自制の効かない子どもが不死身の怪物どもを引き連れてやってくる。
それは確かに、悪夢というのも生温い恐ろしい展開だ。そんなことになったらいったい、どれほどの死者が出ることか。まして、プリンスは軍の中心として最前線に立たなければならない身。そのなかで、プリンスが生き延びることの出来る確率などどれだけあるだろう?
ゴンドワナ商人の息子として常に現実を見、冷徹な数字をもって予測を立てるよう教育されてきたロウワンである。その視点をもって将来を予測すれば、プリンスの未来に対して楽観的にはなれなかった。
「恥ずかしがっている場合じゃないぞ、プリンス」
ロウワンははっきりとそう言った。
「思いは遂げておけ。悔いを残すな」
「……ああ。そうだな」
言われて――。
プリンスもついに覚悟を決めた表情になった。
同じ頃――。
ローラシア大公国の中枢たる大公邸、その最上階にある秘密の区域において、明るさや健全さとはまったく無縁の対話がなされていた。
建物のなかに作られた広大な人工の庭園。その中央にそびえる世界樹。大きく枝葉を張り巡らせたその木の前で、大公サトゥルヌスが恐怖と緊張の入り交じった表情を浮かべ、脂汗をにじませながらひざまづいていた。顔色はすでに紙のように白い。
その眼前では千年の時を生きてきた〝賢者〟たちが、今日もまた奴隷の生命を食らって自分たちの若さを保っていた。
「サトゥルヌスよ」
「は、はは……」
〝賢者〟のひとりに冷ややかに呼ばれ、人界屈指の権力者は、さらに怯えた表情となった。
「とんだ失態じゃの。自由の国とやらとの戦いに完敗したそうではないか」
「しかも、せっかく使用することを許してやった虎の子の天命船をことごとく失ったとか」
「確かに『捨て置け』とは言ったが、『花をもたせてやれ』などと言ったわけではないぞ」
「おまけに、パンゲアとの戦いに投入した天命の兵まで全滅させたそうじゃな」
「……も、申し訳ありません。パンゲアの〝神兵〟ども、思いの外、手強く」
「ふん。子どもの使いすら果たせず言い訳か。情けないことよ。どうやら、我らはそなたの力量を見誤っていたようじゃ」
「まったくよな。そろそろ大公をかえるとするか」
「今度はいっそ、そこらの子どもでもクジ引きで選んでみるか。それでも、この無能者よりはマシそうではないか」
その言葉に――。
〝賢者〟たちは一斉に笑声を立てた。
サトゥルヌスはかかる屈辱の数々に対し、歯を食いしばり、拳を握りしめ、必死に耐えていた。本音を言えばこんな年寄りども、軍を動かして一掃してやりたい。皆殺しにしてローラシアを名実共に自分のものにしたい。
しかし、そんなことをすれば念願である『永遠の生命』が手に入らなくなる。
他人の生命を吸い取り、我が物とする。
そんなことは、天命の博士たるこの年寄りたちだけに出来ることなのだ。歯を食いしばり、ひたすらに耐えるしかなかった。
結局、幾ばくかの嘲弄されるだけの時間を過ごしたあと、サトゥルヌスは『天上界』をあとにした。とにかく、とりあえずは大公としての地位を保証されただけで御の字と言えた。
「……おのれ、年寄りども。いまに見ておれ。わしが永遠の生命を手に入れた暁には必ずやきさまら全員、八つ裂きにしてくれるぞ」
そう呪いの言葉をもらしながら、サトゥルヌスは長い廊下を歩いて行く。
しかし、〝賢者〟たちへの憎悪はともかくとして、いまはとにかく功績をあげ、気に入られなければならない。〝賢者〟たちに取り入らずに永遠の生命を与えられることなどないのだから。
「とにかく、自由の国の小僧だ。一度ならず二度までもこのわしに恥をかかせおって。その罪は償わせなければならん。アドニス回廊での戦い以来、パンゲアの情報がまったく入ってこなくなっているのも気がかりだが……いまはとにかく、あの小僧だ」
しかし、どうすればいいのだろう。自由の国はローラシアが送り込んだ最強船団を一蹴してのけたのだ。しかも、虎の子の天命船が一隻残らす沈められた。
いくら選民思想に凝り固まったサトゥルヌスと言えどその事実を前にしては『いつでも踏みつぶしてやれる』などと思うほど、非現実的にはなれなかった。
「……やはり、やつを使うしかないか」
不気味な呟きを残し――。
サトゥルヌスは自分の邸宅に向かった。
ローラシア首都ユリウス。
その中心部にそびえるサトゥルヌスの邸宅はそれ自体がひとつの都市と言えるほどに巨大なものだった。その邸宅のなかには使用人だけで常時、一万を超える人員が配置されている。
その邸宅のなかの客室。
『特別な客』だけに使われるその客室をいま、ひとりの巨漢が占領していた。一糸まとわぬ全裸姿に首輪をつけた少女を従えて。
椅子の上にふんぞり返って座り、体重を後ろにかけて椅子を傾かせ、卓の上に両足を投げ出して酒をかっ食らっている。平民たちにとっては一〇年分の食費にも匹敵するほどの高額の酒を水のように飲み干している。
扉が開き、大公サトゥルヌスが入ってきた。
その姿を見て巨漢はニヤリ、と、笑って見せた。獰猛な人食い熊のように危険で、しかし、どことなく人好きのする愛嬌のつまった不思議な笑みだった。
「おれの出番かい? おめえ、よ」
……〝鬼〟。
『黒の誇り』号の甲板の上にプリンスの叫びが響いた。聞きようによっては怒声だが、情けない負け犬の遠吠えとも聞こえる、そんな声。
ロウワンはその声を聞いて『……ああ』と、顔を押さえながら溜め息をついた。
ロウワンの予想通り、プリンスはムスタムの姿を見るなり血相をかえてあわてふためき、船長の仕事を部下に押しつけ、トウナに詰め寄ったのだ。
詰め寄られたトウナはというと、プリンスがなにを騒いでいるのかまったくわからない様子で、うっとうしそうな視線を送っている。
「変な言い方しないで。新しい仲間を連れてきているだけでしょう」
「だから、その新しい仲間がなんでいつもいつも若い男なんだ⁉」
しかも、おれよりいい男って……。
さすがに、その一言は飲み込んだ。
野伏は自分よりも背が高い堂々たる威丈夫であるし、ロスタムは、こちらはもう『夢の王子さま』としか言いようのない美青年。それも、行者のような妖しさをもつ美しさではなく、正統派の美形。
プリンスは自分の外見についてはそれなりの自信をもっていたが、このふたりと並んでみれば一気に霞んでしまうことは誰に言われなくてもよくわかる。それだけに、そんな男たちを連れ帰ってくることが気が気でない。
「ロウワンは自由の国の戦力となる人材を探しているのよ。若い男が中心になるの、当たり前でしょう」
それに、メリッサをはじめとする『もうひとつの輝き』は女性ばっかりだったじゃない。
そう言って、プリンスに反論するトウナだった。
「そ、それはそうなんだけど……」
「それがわかっているなら変な言いがかりをつけないで。早く仕事に戻ったら? あなた、船長でしょう。航海中に他人に言いがかりをつけている暇なんてないでしょう」
「た、他人……」
その一言に――。
プリンスはあからさまに傷つき、落ち込んだ表情となった。
トウナは純粋に『他の人間』という意味で『他人』という言葉を使ったのだが、プリンスにしてみれば、そういう意味での『他人』だとしか思えない。
自分の言葉がどれだけプリンスを落ち込ませたかを知ってか知らずか、トウナは哀れなぐらい傷ついた表情を浮かべる青年をおいて、さっさと船室へと降りていった。トウナにしてみれば島長としての役割に専念すると決めた以上、島の将来について考えをまとめなければならず――かの人にとっては――わけのわからない言いがかりなどに付き合っている暇などなかったのである。
「あのふたりは……」
そのやりとりを見ていたロスタムが、語るともなくロウワンに語った。
「なかなか、難儀な関係のようですね。ロウワン卿」
「トウナは恋愛というものを知らないし、プリンスもこの手の話となると意外と意気地がないみたいだからなあ」
自分自身、誰かと付き合ったことなど一度もないというのに、なかなかに偉そうなことを言うロウワンであった。
「それはそうと、ロスタム卿」
「『ロスタム』とお呼びください、ロウワン卿」
「そこです。あなたは、おれより一〇歳近くも年長だ。そんな丁寧な態度をとることはないでしょう。あなたこそ『ロウワン』でけっこうです」
「いいえ。あなたは同盟国の主催であらせられます。礼をもって接するのが当然。今後も『ロウワン卿』と呼ばせていただきます」
ロスタムはそう言って胸に手を当て、深々とお辞儀をした。
この『夢の王子さま』は、その外見とは裏腹になかなかに物堅い性格のようで何度、言っても常にへりくだり、ロウワンを目上とする態度を貫いている。
一方、トウナに手ひどくフラれたプリンスは、ガックリと肩を落として甲板の上をトボトボと歩いていた。その様子はなんとも哀れみを誘うもので、その姿を見た船員たちが思わず同情の生暖かい視線を送り、優しい言葉のひとつもかけてやりたくなるほどのものだった。
このときのプリンスの姿しか知らなければ、戦場にあってはクロヒョウのごとく剽悍に戦う戦士であるなどとは想像することも出来ないだろう。
そんなプリンスにロウワンは近づき、声をかけた。
「プリンス」
「えっ?」
顔をあげたプリンスが驚いたような表情を見せたのは、自分を見つめるロウワンの表情が意外なほどに厳しいものだったからだ。
「プリンス。トウナにははっきり言わないと伝わらないぞ」
「な、なに……?」
「トウナは小さな居留地の生まれだ。恋愛という文化を知らない。トウナにとって『結婚』とはあくまでも子どもを生み、村を維持していくための義務であり、責任。恋愛の発展じゃないんだ。いくら、思いを寄せたところで向こうから気付いてくれるなんてあり得ない」
「ロ、ロウワン……?」
プリンスは戸惑った声をあげた。他人の恋のさや当てに対して、野次馬根性で口出ししているにしては、ロウワンの表情も口調もあまりにも真剣なものだった。
ロウワンは真剣な面持ちのままつづけた。
「わかっているだろう。これからは、ローラシアやパンゲアを相手に本格的な戦いになる。しかも、戦う相手は人間じゃない。不死身の怪物どもだ。この戦いで生き残れる保証なんて誰にもない」
そういうロウワンの脳裏にはサラフディンの港での別れ際、野伏に言われた言葉が響いていた。
「パンゲアの動向には気をつけろ。とくに、ルキフェルのことは注意しておけ」
「ルキフェル将軍に?」
「報告によれば、今回のアドニス回廊での戦いにおいてルキフェルは為す術がなかったそうだ。ローラシアの送り込んだ化け物どもに対抗出来ず結局、パンゲアは例の怪物どもを投入したという。となれば、ルキフェルは立場を失い、怪物どもを指揮する連中が新たに軍権を握る可能性がある」
「ルキフェル将軍が失脚する。そう言うのか?」
「その可能性もあると言うことだ。そして、その場合、パンゲアははるかに危険な存在になる。
ルキフェルとは少し関わっただけだが、人となりはわかったつもりだ。あれは、本物の軍人だ。軍事力とは交渉の一形式であり、相手をこちらの意に従わせるという目的のために限定され、制御されて使用されなければならないと心得ている。ルキフェルがパンゲアの軍権を握っている限り、軍事力を乱用するようなことはないだろう。
だが、力をもった素人はちがう。力ですべてを解決できると思い込み、暴走する。そうなれば、民間人の虐殺でもなんでもやる。想像してみろ。あの怪物どもが軍隊ではなく、民間人相手に投入されることを。そんなことになったらどれだけの被害が出るかわからない。
ルキフェルが失脚した場合、パンゲアは『過ぎた力をもったガキ大将』になりかねない。誰の手にも負えない恐ろしい存在になるぞ」
過ぎた力をもったガキ大将。
我儘で自制の効かない子どもが不死身の怪物どもを引き連れてやってくる。
それは確かに、悪夢というのも生温い恐ろしい展開だ。そんなことになったらいったい、どれほどの死者が出ることか。まして、プリンスは軍の中心として最前線に立たなければならない身。そのなかで、プリンスが生き延びることの出来る確率などどれだけあるだろう?
ゴンドワナ商人の息子として常に現実を見、冷徹な数字をもって予測を立てるよう教育されてきたロウワンである。その視点をもって将来を予測すれば、プリンスの未来に対して楽観的にはなれなかった。
「恥ずかしがっている場合じゃないぞ、プリンス」
ロウワンははっきりとそう言った。
「思いは遂げておけ。悔いを残すな」
「……ああ。そうだな」
言われて――。
プリンスもついに覚悟を決めた表情になった。
同じ頃――。
ローラシア大公国の中枢たる大公邸、その最上階にある秘密の区域において、明るさや健全さとはまったく無縁の対話がなされていた。
建物のなかに作られた広大な人工の庭園。その中央にそびえる世界樹。大きく枝葉を張り巡らせたその木の前で、大公サトゥルヌスが恐怖と緊張の入り交じった表情を浮かべ、脂汗をにじませながらひざまづいていた。顔色はすでに紙のように白い。
その眼前では千年の時を生きてきた〝賢者〟たちが、今日もまた奴隷の生命を食らって自分たちの若さを保っていた。
「サトゥルヌスよ」
「は、はは……」
〝賢者〟のひとりに冷ややかに呼ばれ、人界屈指の権力者は、さらに怯えた表情となった。
「とんだ失態じゃの。自由の国とやらとの戦いに完敗したそうではないか」
「しかも、せっかく使用することを許してやった虎の子の天命船をことごとく失ったとか」
「確かに『捨て置け』とは言ったが、『花をもたせてやれ』などと言ったわけではないぞ」
「おまけに、パンゲアとの戦いに投入した天命の兵まで全滅させたそうじゃな」
「……も、申し訳ありません。パンゲアの〝神兵〟ども、思いの外、手強く」
「ふん。子どもの使いすら果たせず言い訳か。情けないことよ。どうやら、我らはそなたの力量を見誤っていたようじゃ」
「まったくよな。そろそろ大公をかえるとするか」
「今度はいっそ、そこらの子どもでもクジ引きで選んでみるか。それでも、この無能者よりはマシそうではないか」
その言葉に――。
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サトゥルヌスはかかる屈辱の数々に対し、歯を食いしばり、拳を握りしめ、必死に耐えていた。本音を言えばこんな年寄りども、軍を動かして一掃してやりたい。皆殺しにしてローラシアを名実共に自分のものにしたい。
しかし、そんなことをすれば念願である『永遠の生命』が手に入らなくなる。
他人の生命を吸い取り、我が物とする。
そんなことは、天命の博士たるこの年寄りたちだけに出来ることなのだ。歯を食いしばり、ひたすらに耐えるしかなかった。
結局、幾ばくかの嘲弄されるだけの時間を過ごしたあと、サトゥルヌスは『天上界』をあとにした。とにかく、とりあえずは大公としての地位を保証されただけで御の字と言えた。
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そう呪いの言葉をもらしながら、サトゥルヌスは長い廊下を歩いて行く。
しかし、〝賢者〟たちへの憎悪はともかくとして、いまはとにかく功績をあげ、気に入られなければならない。〝賢者〟たちに取り入らずに永遠の生命を与えられることなどないのだから。
「とにかく、自由の国の小僧だ。一度ならず二度までもこのわしに恥をかかせおって。その罪は償わせなければならん。アドニス回廊での戦い以来、パンゲアの情報がまったく入ってこなくなっているのも気がかりだが……いまはとにかく、あの小僧だ」
しかし、どうすればいいのだろう。自由の国はローラシアが送り込んだ最強船団を一蹴してのけたのだ。しかも、虎の子の天命船が一隻残らす沈められた。
いくら選民思想に凝り固まったサトゥルヌスと言えどその事実を前にしては『いつでも踏みつぶしてやれる』などと思うほど、非現実的にはなれなかった。
「……やはり、やつを使うしかないか」
不気味な呟きを残し――。
サトゥルヌスは自分の邸宅に向かった。
ローラシア首都ユリウス。
その中心部にそびえるサトゥルヌスの邸宅はそれ自体がひとつの都市と言えるほどに巨大なものだった。その邸宅のなかには使用人だけで常時、一万を超える人員が配置されている。
その邸宅のなかの客室。
『特別な客』だけに使われるその客室をいま、ひとりの巨漢が占領していた。一糸まとわぬ全裸姿に首輪をつけた少女を従えて。
椅子の上にふんぞり返って座り、体重を後ろにかけて椅子を傾かせ、卓の上に両足を投げ出して酒をかっ食らっている。平民たちにとっては一〇年分の食費にも匹敵するほどの高額の酒を水のように飲み干している。
扉が開き、大公サトゥルヌスが入ってきた。
その姿を見て巨漢はニヤリ、と、笑って見せた。獰猛な人食い熊のように危険で、しかし、どことなく人好きのする愛嬌のつまった不思議な笑みだった。
「おれの出番かい? おめえ、よ」
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