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第二部 絆ぐ伝説
第五話一三章 決闘者
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「よおよお、王さまのご帰還だな」
タラの島に戻ったロウワン一行を、ガレノアがいつも通りの豪快さで出迎えた。肩の鸚鵡、手にしたラム酒の大瓶もいつものままだ。
ガレノアの両隣には『ガレノアの腰巾着』こと料理長のミッキーと、参謀長のボウが並んで立っている。ミッキーはいかにも『人好きのするおじさん』という印象のにこやかな笑みを浮かべているし、ボウは謹厳実直なかの人らしく背筋をビシッと伸ばして立ち、唇を真一文字に結んでいる。その姿は、どんなにヤンチャな若造でも一目見た途端、体の芯に緊張が走り、居住まいを正してしまう、そんな威厳にあふれたものだった。
――この人たちはかわらないな。
ロウワンはそう思い、なにやらホッとする気持ちだった。
「出迎えありがとう、みんな。でも、ガレノア。おれは単なる主催だ。王さまとはちがう」
ロウワンにそう言われて――。
ガレノアは眼帯に覆われていない左目を大きく見開き、キョトンとした表情になった。だが、すぐにかの人らしい豪快な高笑いを響かせた。
「わっはっはっはっ! 似たようなもんじゃねえか。そう堅いこと言うなって」
ガレノアは笑いながらロウワンの肩をバシバシ叩く。まだまだ体格でも、筋力でも、ガレノアのほうが圧倒的な上回る。こんなことをされるとロウワンの体は波に揺られる小舟のように上下に大きく動いてしまう。
「と、とにかく、新しい協力者を紹介するよ」
脳みそを直接、ぶん回されるような衝撃に耐えながらロウワンはそう言って、ふたりの新しい仲間を紹介した。
「高名な技師の〝ビルダー〟・ヒッグスと、ゴンドワナ議長の代理を務めてくれるロスタム卿だ」
「『高名な技師』など、昔のことだ。いまは、ガキの夢を追うオッサンだ」
〝ビルダー〟は、そう前置きしてから挨拶した。
「ヒッグスだ。ここには海上鉄道を実現させるために来た。おれ自身の望みのため、全力で自由の国に協力させてもらう」
「私はロスタムと申します」
つづいて、ロスタムが『砂漠の王子さま』な外見にふさわしい、優美な挨拶をした。
「ゴンドワナ評議会議長ヘイダールより、自身の名代としてロウワン卿に協力するよう命じられております。ヘイダールの名に恥じぬよう、名代の役割を果たさせていただきます」
「おうおう、こいつはまた、えらい見栄えの良い兄ちゃんじゃねえか。おい、ロウワン。お前、完全に負けてるぜ」
「……自覚はしている」
ガレノアにからかわれて、ロウワンは少々、憮然とした表情を浮かべた。
実際、ロウワンとロスタムが並んで立っていれば、誰がどう見てもロスタムが主人で、ロウワンはお付きの少年に見えてしまう。そのことをロウワン自身、承知してはいるがやはり、他人から言われれば面白くはない。
――とりあえず、背を伸ばすためには魚と牛乳、それに、鍛錬か。
密かにそう思う、まだまだ成長期のロウワンであった。
「ガレノア」
それまで黙っていたトウナが、豪快無比の女海賊に尋ねた。
「おじいちゃんの様子はどう?」
「おう。まだまだ元気だぜ。『孫には負けられん!』って、 島長代理としてがんばってるさ」
「そう……」
良かった、と、そう言いたげにトウナは息をついた。
「それじゃ、ロウワン。あたしはこれで。おじいちゃんから島の様子を聞いておかないといけないし、〝ビルダー〟の紹介もあるから」
「ああ。おじいさんによろしく」
「ええ」
そう答えて、トウナは〝ビルダー〟と共に自分の家に向かった。
残されたロウワンは人がかわったように真剣な眼差しになった。ガレノアの巨体をまっすぐに見つめ、尋ねた。
「くわしい話はあとで聞くとして、まずは知っておきたい。ローラシアとの戦いで何人、死んだ?」
その言葉に――。
ガレノア、ミッキー、ボウの三人が一斉に表情を引き締めた。
そう問われることを予想していたのだろう。参謀長のボウが死者の数を口にした。その数を聞いてロウワンは眉をひそめた。
「……そうか。大勝だったと聞いていたけど、それでもやっぱり、それだけの死者が出たんだな」
「当たり前だろ」
沈痛な表情で呟くロウワンに対し、ガレノアは無慈悲なまでの厳しさで言い放った。
「誰も死なない戦いなんてありえねえ。戦うことを選んだからには死者は必ず出る。今回の戦いはまちがいなく大勝だった。おれさまの海賊人生のなかでも三本の指に入るほどのな。それでも、死者は出る。これから先、戦いをつづけるなら死んでいくやつらはいくらでも増える。この程度のことでへこんでられねえぞ」
「……わかっている。野伏にも同じことを言われた。目をそらしはしない。戦死者に対してはきちんと報いる。そのために、約束した未来は必ず実現させる」
「それでこそ、ですぞ」
重々しい歴戦の武人としての風格を漂わせるボウが、その外見にふさわしい口調で短く讃えた。まるで、孫息子を鍛える、厳しくも愛情深い祖父のように。
「ありがとう。海戦のくわしい様子はあとで聞くとしてとにかく、戦死者の弔いと負傷者の見舞いをしたい」
ロウワンはそう言ったが、死者のほとんどは相手の船に乗り移る際、相手の銃撃によって海に落ちたものたち。当然、遺体の回収など出来るはずもなく、正確には『戦死』ではなく『行方不明』である。遺体を埋葬しての弔いなど出来はしない。
そのかわり、たっぷりのラム酒の瓶を船に載せて、沖に出た。ドバドバと豪快に音を立てて『海賊の命』ラム酒を海に注ぎ込む。
「どうか安らかに……なんて柄じゃないよな。この酒で、あの世でもドンチャン騒ぎをつづけてくれ」
「ちげえねえ。あいつらには、こいつこそ最高の弔いだぜ」
ガレノアもそう言って、ラム酒を海に注ぎ込んだ。
「おれが死んだら、ラム酒の大樽につけ込んで海に流してもらいてえな。そうすりゃあ、あの世でも一生、飲み放題だ」
その言葉に――。
ロウワンはマジマジとガレノアを見つめた。
「あなたでも死ぬのか、ガレノア?」
「おいおい、なんてえ言い草だよ。この純情可憐な乙女に向かってよ」
「『乙女』は勘弁してくれ、提督! 夢と浪漫が吹っ飛んで、沈没事故を起こしちまう!」
ミッキーの悲鳴が走り、船の上は陽気な笑い声に包まれた。ガレノアの肩の鸚鵡が大きく羽ばたいて一声、鳴いた。
ロウワンは戦死者の弔いをすませたあと、負傷者の見舞いに向かった。
負傷者たちは島に作られたドク・フィドロの診療所にまとめて放り込まれている。診療所とは言っても人手も足りなければ、施設もまだまだなので、狭い部屋にありったけ寝台を詰め込み、その上に負傷者を放り出しておく……という程度のものでしかない。
それでも、誠心誠意の治療を受けられるだけずっとマシだった。各国海軍の水夫たちのほとんどは怪我をしたところで治療などしてもらえず、腐った傷をそのままにして放っておかれるのが普通なのだ。収容されている負傷者たちもその自分の幸運をしみじみと噛みしめ、感謝しつつ心穏やかに治療の日々を送っている……はずなどもちろんなく、そこは診療所とは思えない陽気な叫びと酒の匂いに満ちていた。
なにしろ、もともとが『手足の一本ぐれえ、怪我のうちには入らねえ!』と豪語して無頼の道を進む海賊たちだ。肩口からぶった斬られていようと、腹に銃弾を食らっていようとかまわず、酒を飲み、賭博に興じ、馬鹿話をしては笑い転げている。
寝台がギッシリ並んで人ひとりが通るのがやっとという狭い通路には、空になった酒瓶と酒のしずくが一面に転がっている。怪我人とも思えない陽気な怪我人たちが寝台同士をくっつけて即席の賭場を作り、車座になって座ってサイコロを投げあっている。
責任者であるドク・フィドロも海賊船の船医だけあって、かの人たちの気質は知り抜いている。この点に関しては禁止はおろか、注意することさえ最初からしようとはしなかった。
「なあに、あいつらにはあれが一番の治療じゃて。日がな一日やることもなく、傷の痛みに耐えながら寝台の上で過ごすより、陽気に騒いだ方が治りも早いというもんじゃよ」
とは、確かに一理あるだろう。とにかく、楽しく過ごしていた方が健康に良いのはまちがいない。
室内は男たちの汗の匂いと酒の匂い、さらには、傷口から漏れ出す匂いが入り交じり、なかなかに強烈な異臭がこもっていたが、ロウワンはそれにもかまわず室内に入り、一人ひとりと顔をあわせ、言葉を交し、感謝とねぎらいの言葉をかけ、自由の国の主催として恩賞を約束した。
育ちが良いので、いくら誘われても賭博にだけは関わらなかったが――『商売と賭け事はちがう。商人たるもの、賭けにだけは手を出してはいかんぞ』とは、父ムスタファからとくに念を押して教育されたことだ――話自体はなかなかに盛りあがった。とくに、ロウワンが多額の恩賞を約束すると、その気前の良さに口笛を吹き鳴らし、やんやの喝采を送った。
「あれだけ陽気に騒がれていると『見舞い』という感じじゃなくなるな」
さすがにロウワンも苦笑した。
責任者であるドクのもとを訪れると妻のマーサ、娘のナリスも一緒になって多くの患者たち相手に大奮闘しているところだった。前々からロウワンのことを慕っていたナリスが大喜びで飛びついてきた。そんなナリスの頭を優しくなでながら、ロウワンはドクに向かって頭をさげた。
「ありがとう、ドク。あなたがいてくれるおかげで怪我人の治療が出来る。心からお礼を言います」
「なに、これがわしの仕事だからな」
「そうとも。いまさら、礼を言うなんて水臭いよ」
「ロウワンお兄ちゃんも、怪我したらナリスがきちんと看病してあげるからね」
と、まだまだ幼いながらも、両親の薫陶あって治療者としての自覚の高いナリスがそう請け負った。
「ああ、ありがとう。ナリス」
自分を慕う幼い少女に優しい視線を向けたあと、ロウワンはドクに向き直った。その目は、ナリス相手とはわけのちがう厳しいものだった。
「……でも、ドク。あのなかの何人かは一生、消えることのない傷を負っているんでしょうね」
「ああ、もちろんじゃ」
ドクと、マーサも一緒に沈痛な表情となった。
「残念ながら、どんなに懸命に治療しても治せる怪我などほんのわずかじゃ。人の世の医学はまだまだ神頼みとかわらんよ」
「……いつか、どんな病気も怪我も治せてしまう、そんな時代が来るんでしょうか?」
ロウワンがそう言うと、ドクは笑って見せた。
「おいおい、お前さんらしくないぞ。『来るかどうか』ではなく『来させる』じゃろうが」
「……そう、そうですね。おれたちの手でそんな時代を作るんですよね」
「そういうことじゃ。お前さんやナリス、将来を担う若い人間たちの力でな」
――そうとも。人間同士で争うことなく、人間のもつ力を正しく使う。それさえできればきっと、そんな時代だって作れる。いや、作ってみせる。
改めて、そう決意するロウワンだった。
ロウワンが診療所を出ると、ガレノアがいつも通りの豪快な足音を立てながらやってきた。肩の上では鸚鵡が鳴き、手にした酒瓶のなかではラム酒が踊っている。
「おう、ロウワン。怪我人どもの見舞いは終わったか?」
「ああ。とても『見舞い』という感じじゃなかったけどね」
「わっはっはっはっ! そうだろうとも。やつらはそれでいいのさ。まあ、見舞いが終わったならちょっと来てくれや。お前に紹介したいやつがいる」
「紹介したいやつ?」
「おう。おれさまの後釜でな。〝ブレスト〟・ザイナブ。〝ブレスト〟で通っている。いままでお前に引き合わせる機会がなかったがちょうど、哨戒活動から帰ってきたところでな。いい機会だから一度、会っといてくれや」
「へえ。あなたが自分の後釜と認めた相手か。それは、おれも興味あるな」
そうして、ロウワンはガレノアと共に港に戻ってきたばかりの『砂漠の踊り子』号に向かった。プリンスの操る『黒の誇り』号と並ぶ自由の国の主力船、〝ブレスト〟・ザイナブの愛船へと。
〝ブレスト〟は自分の船の甲板でロウワンを出迎えた。顔中を布で包み、体にピッタリした衣服をまとい、しかも、両の乳房はむき出しという刺激的な格好だが、〝鬼〟の船で〝詩姫〟を見ていたロウワンにとっては驚くほどのことでもない。そもそも、〝ブレスト〟の胸は飢えた人食いオオカミが目を爛々と光らせて顔を覗かせているような凄みがあり、色香などとは無縁なのだ。
「あなたが〝ブレスト〟・ザイナブか。ガレノアの後釜だと聞いた。おれがロウワンだ。よろしく」
ロウワンはそう言って右手を差し出した。〝ブレスト〟も右手を差し出したかそれは、ロウワンの手を握るためではなかった。親指を高々と突きあげると勢いよく振りおろし、ロウワンに向かって言ったのだ。
「頭は誰かな、老いぼれ」
タラの島に戻ったロウワン一行を、ガレノアがいつも通りの豪快さで出迎えた。肩の鸚鵡、手にしたラム酒の大瓶もいつものままだ。
ガレノアの両隣には『ガレノアの腰巾着』こと料理長のミッキーと、参謀長のボウが並んで立っている。ミッキーはいかにも『人好きのするおじさん』という印象のにこやかな笑みを浮かべているし、ボウは謹厳実直なかの人らしく背筋をビシッと伸ばして立ち、唇を真一文字に結んでいる。その姿は、どんなにヤンチャな若造でも一目見た途端、体の芯に緊張が走り、居住まいを正してしまう、そんな威厳にあふれたものだった。
――この人たちはかわらないな。
ロウワンはそう思い、なにやらホッとする気持ちだった。
「出迎えありがとう、みんな。でも、ガレノア。おれは単なる主催だ。王さまとはちがう」
ロウワンにそう言われて――。
ガレノアは眼帯に覆われていない左目を大きく見開き、キョトンとした表情になった。だが、すぐにかの人らしい豪快な高笑いを響かせた。
「わっはっはっはっ! 似たようなもんじゃねえか。そう堅いこと言うなって」
ガレノアは笑いながらロウワンの肩をバシバシ叩く。まだまだ体格でも、筋力でも、ガレノアのほうが圧倒的な上回る。こんなことをされるとロウワンの体は波に揺られる小舟のように上下に大きく動いてしまう。
「と、とにかく、新しい協力者を紹介するよ」
脳みそを直接、ぶん回されるような衝撃に耐えながらロウワンはそう言って、ふたりの新しい仲間を紹介した。
「高名な技師の〝ビルダー〟・ヒッグスと、ゴンドワナ議長の代理を務めてくれるロスタム卿だ」
「『高名な技師』など、昔のことだ。いまは、ガキの夢を追うオッサンだ」
〝ビルダー〟は、そう前置きしてから挨拶した。
「ヒッグスだ。ここには海上鉄道を実現させるために来た。おれ自身の望みのため、全力で自由の国に協力させてもらう」
「私はロスタムと申します」
つづいて、ロスタムが『砂漠の王子さま』な外見にふさわしい、優美な挨拶をした。
「ゴンドワナ評議会議長ヘイダールより、自身の名代としてロウワン卿に協力するよう命じられております。ヘイダールの名に恥じぬよう、名代の役割を果たさせていただきます」
「おうおう、こいつはまた、えらい見栄えの良い兄ちゃんじゃねえか。おい、ロウワン。お前、完全に負けてるぜ」
「……自覚はしている」
ガレノアにからかわれて、ロウワンは少々、憮然とした表情を浮かべた。
実際、ロウワンとロスタムが並んで立っていれば、誰がどう見てもロスタムが主人で、ロウワンはお付きの少年に見えてしまう。そのことをロウワン自身、承知してはいるがやはり、他人から言われれば面白くはない。
――とりあえず、背を伸ばすためには魚と牛乳、それに、鍛錬か。
密かにそう思う、まだまだ成長期のロウワンであった。
「ガレノア」
それまで黙っていたトウナが、豪快無比の女海賊に尋ねた。
「おじいちゃんの様子はどう?」
「おう。まだまだ元気だぜ。『孫には負けられん!』って、 島長代理としてがんばってるさ」
「そう……」
良かった、と、そう言いたげにトウナは息をついた。
「それじゃ、ロウワン。あたしはこれで。おじいちゃんから島の様子を聞いておかないといけないし、〝ビルダー〟の紹介もあるから」
「ああ。おじいさんによろしく」
「ええ」
そう答えて、トウナは〝ビルダー〟と共に自分の家に向かった。
残されたロウワンは人がかわったように真剣な眼差しになった。ガレノアの巨体をまっすぐに見つめ、尋ねた。
「くわしい話はあとで聞くとして、まずは知っておきたい。ローラシアとの戦いで何人、死んだ?」
その言葉に――。
ガレノア、ミッキー、ボウの三人が一斉に表情を引き締めた。
そう問われることを予想していたのだろう。参謀長のボウが死者の数を口にした。その数を聞いてロウワンは眉をひそめた。
「……そうか。大勝だったと聞いていたけど、それでもやっぱり、それだけの死者が出たんだな」
「当たり前だろ」
沈痛な表情で呟くロウワンに対し、ガレノアは無慈悲なまでの厳しさで言い放った。
「誰も死なない戦いなんてありえねえ。戦うことを選んだからには死者は必ず出る。今回の戦いはまちがいなく大勝だった。おれさまの海賊人生のなかでも三本の指に入るほどのな。それでも、死者は出る。これから先、戦いをつづけるなら死んでいくやつらはいくらでも増える。この程度のことでへこんでられねえぞ」
「……わかっている。野伏にも同じことを言われた。目をそらしはしない。戦死者に対してはきちんと報いる。そのために、約束した未来は必ず実現させる」
「それでこそ、ですぞ」
重々しい歴戦の武人としての風格を漂わせるボウが、その外見にふさわしい口調で短く讃えた。まるで、孫息子を鍛える、厳しくも愛情深い祖父のように。
「ありがとう。海戦のくわしい様子はあとで聞くとしてとにかく、戦死者の弔いと負傷者の見舞いをしたい」
ロウワンはそう言ったが、死者のほとんどは相手の船に乗り移る際、相手の銃撃によって海に落ちたものたち。当然、遺体の回収など出来るはずもなく、正確には『戦死』ではなく『行方不明』である。遺体を埋葬しての弔いなど出来はしない。
そのかわり、たっぷりのラム酒の瓶を船に載せて、沖に出た。ドバドバと豪快に音を立てて『海賊の命』ラム酒を海に注ぎ込む。
「どうか安らかに……なんて柄じゃないよな。この酒で、あの世でもドンチャン騒ぎをつづけてくれ」
「ちげえねえ。あいつらには、こいつこそ最高の弔いだぜ」
ガレノアもそう言って、ラム酒を海に注ぎ込んだ。
「おれが死んだら、ラム酒の大樽につけ込んで海に流してもらいてえな。そうすりゃあ、あの世でも一生、飲み放題だ」
その言葉に――。
ロウワンはマジマジとガレノアを見つめた。
「あなたでも死ぬのか、ガレノア?」
「おいおい、なんてえ言い草だよ。この純情可憐な乙女に向かってよ」
「『乙女』は勘弁してくれ、提督! 夢と浪漫が吹っ飛んで、沈没事故を起こしちまう!」
ミッキーの悲鳴が走り、船の上は陽気な笑い声に包まれた。ガレノアの肩の鸚鵡が大きく羽ばたいて一声、鳴いた。
ロウワンは戦死者の弔いをすませたあと、負傷者の見舞いに向かった。
負傷者たちは島に作られたドク・フィドロの診療所にまとめて放り込まれている。診療所とは言っても人手も足りなければ、施設もまだまだなので、狭い部屋にありったけ寝台を詰め込み、その上に負傷者を放り出しておく……という程度のものでしかない。
それでも、誠心誠意の治療を受けられるだけずっとマシだった。各国海軍の水夫たちのほとんどは怪我をしたところで治療などしてもらえず、腐った傷をそのままにして放っておかれるのが普通なのだ。収容されている負傷者たちもその自分の幸運をしみじみと噛みしめ、感謝しつつ心穏やかに治療の日々を送っている……はずなどもちろんなく、そこは診療所とは思えない陽気な叫びと酒の匂いに満ちていた。
なにしろ、もともとが『手足の一本ぐれえ、怪我のうちには入らねえ!』と豪語して無頼の道を進む海賊たちだ。肩口からぶった斬られていようと、腹に銃弾を食らっていようとかまわず、酒を飲み、賭博に興じ、馬鹿話をしては笑い転げている。
寝台がギッシリ並んで人ひとりが通るのがやっとという狭い通路には、空になった酒瓶と酒のしずくが一面に転がっている。怪我人とも思えない陽気な怪我人たちが寝台同士をくっつけて即席の賭場を作り、車座になって座ってサイコロを投げあっている。
責任者であるドク・フィドロも海賊船の船医だけあって、かの人たちの気質は知り抜いている。この点に関しては禁止はおろか、注意することさえ最初からしようとはしなかった。
「なあに、あいつらにはあれが一番の治療じゃて。日がな一日やることもなく、傷の痛みに耐えながら寝台の上で過ごすより、陽気に騒いだ方が治りも早いというもんじゃよ」
とは、確かに一理あるだろう。とにかく、楽しく過ごしていた方が健康に良いのはまちがいない。
室内は男たちの汗の匂いと酒の匂い、さらには、傷口から漏れ出す匂いが入り交じり、なかなかに強烈な異臭がこもっていたが、ロウワンはそれにもかまわず室内に入り、一人ひとりと顔をあわせ、言葉を交し、感謝とねぎらいの言葉をかけ、自由の国の主催として恩賞を約束した。
育ちが良いので、いくら誘われても賭博にだけは関わらなかったが――『商売と賭け事はちがう。商人たるもの、賭けにだけは手を出してはいかんぞ』とは、父ムスタファからとくに念を押して教育されたことだ――話自体はなかなかに盛りあがった。とくに、ロウワンが多額の恩賞を約束すると、その気前の良さに口笛を吹き鳴らし、やんやの喝采を送った。
「あれだけ陽気に騒がれていると『見舞い』という感じじゃなくなるな」
さすがにロウワンも苦笑した。
責任者であるドクのもとを訪れると妻のマーサ、娘のナリスも一緒になって多くの患者たち相手に大奮闘しているところだった。前々からロウワンのことを慕っていたナリスが大喜びで飛びついてきた。そんなナリスの頭を優しくなでながら、ロウワンはドクに向かって頭をさげた。
「ありがとう、ドク。あなたがいてくれるおかげで怪我人の治療が出来る。心からお礼を言います」
「なに、これがわしの仕事だからな」
「そうとも。いまさら、礼を言うなんて水臭いよ」
「ロウワンお兄ちゃんも、怪我したらナリスがきちんと看病してあげるからね」
と、まだまだ幼いながらも、両親の薫陶あって治療者としての自覚の高いナリスがそう請け負った。
「ああ、ありがとう。ナリス」
自分を慕う幼い少女に優しい視線を向けたあと、ロウワンはドクに向き直った。その目は、ナリス相手とはわけのちがう厳しいものだった。
「……でも、ドク。あのなかの何人かは一生、消えることのない傷を負っているんでしょうね」
「ああ、もちろんじゃ」
ドクと、マーサも一緒に沈痛な表情となった。
「残念ながら、どんなに懸命に治療しても治せる怪我などほんのわずかじゃ。人の世の医学はまだまだ神頼みとかわらんよ」
「……いつか、どんな病気も怪我も治せてしまう、そんな時代が来るんでしょうか?」
ロウワンがそう言うと、ドクは笑って見せた。
「おいおい、お前さんらしくないぞ。『来るかどうか』ではなく『来させる』じゃろうが」
「……そう、そうですね。おれたちの手でそんな時代を作るんですよね」
「そういうことじゃ。お前さんやナリス、将来を担う若い人間たちの力でな」
――そうとも。人間同士で争うことなく、人間のもつ力を正しく使う。それさえできればきっと、そんな時代だって作れる。いや、作ってみせる。
改めて、そう決意するロウワンだった。
ロウワンが診療所を出ると、ガレノアがいつも通りの豪快な足音を立てながらやってきた。肩の上では鸚鵡が鳴き、手にした酒瓶のなかではラム酒が踊っている。
「おう、ロウワン。怪我人どもの見舞いは終わったか?」
「ああ。とても『見舞い』という感じじゃなかったけどね」
「わっはっはっはっ! そうだろうとも。やつらはそれでいいのさ。まあ、見舞いが終わったならちょっと来てくれや。お前に紹介したいやつがいる」
「紹介したいやつ?」
「おう。おれさまの後釜でな。〝ブレスト〟・ザイナブ。〝ブレスト〟で通っている。いままでお前に引き合わせる機会がなかったがちょうど、哨戒活動から帰ってきたところでな。いい機会だから一度、会っといてくれや」
「へえ。あなたが自分の後釜と認めた相手か。それは、おれも興味あるな」
そうして、ロウワンはガレノアと共に港に戻ってきたばかりの『砂漠の踊り子』号に向かった。プリンスの操る『黒の誇り』号と並ぶ自由の国の主力船、〝ブレスト〟・ザイナブの愛船へと。
〝ブレスト〟は自分の船の甲板でロウワンを出迎えた。顔中を布で包み、体にピッタリした衣服をまとい、しかも、両の乳房はむき出しという刺激的な格好だが、〝鬼〟の船で〝詩姫〟を見ていたロウワンにとっては驚くほどのことでもない。そもそも、〝ブレスト〟の胸は飢えた人食いオオカミが目を爛々と光らせて顔を覗かせているような凄みがあり、色香などとは無縁なのだ。
「あなたが〝ブレスト〟・ザイナブか。ガレノアの後釜だと聞いた。おれがロウワンだ。よろしく」
ロウワンはそう言って右手を差し出した。〝ブレスト〟も右手を差し出したかそれは、ロウワンの手を握るためではなかった。親指を高々と突きあげると勢いよく振りおろし、ロウワンに向かって言ったのだ。
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