壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第五話一一章 若き恋の行方

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 サラフディンの港は晴れやかな日差しに包まれていた。
 太陽は中天に輝き、空は青く、そのなかを長く伸びた白い雲が走り、瑪瑙めのうの縞模様のように空を彩っている。その空の下を荷揚げされる魚目当てのカモメの群れが飛びまわっている。
 風は強すぎもせず、弱すぎもせず、朝から一時も休むことなく良い具合に吹きつづけている。まさに、絶好の帆船はんせん日和びより。今日はどうやら風神の機嫌がすこぶる良いらしい。
 こんな日にはサラフディンの船乗りや商人たちは『絶好の稼ぎ時!』と腕まくりして海に乗りだし、それぞれの商売に精を出すのだ。
 先の戦いによる被害さえなければ。
 いくら、町中の人々が奮闘したと言っても、この短時間では港そのものを焼き払う羽目になった戦いの痛手が癒えるわけもない。桟橋のほとんどは焼け落ちたまま、その大半が使えない。その上、海からの敵の侵入を再び許さないよう海のなかに杭を立て、そこに太い縄を張ってある。大型船は入港するどころか港に近づくことさえ出来はしない。だからと言って、
 「こんな帆船はんせん日和びよりに、商売に出られないなんてもったいないなあ」
 などと、海を眺めながらボヤいているようなゴンドワナ商人ではない。
 「大型船が駄目なら小舟があるさ!」
 とばかりに港中の小舟を引っ張り出し、そこに荷を載せて海中に張った縄の目をかいくぐり海に乗り出す。そして、沖合いにとまっている大型船と港の間を盛んに行き来する。
 一時も休むことなく繰り返すその様はまるで、休むことなく正確に時を刻みつづける時計の振り子のよう。いくら、ゴンドワナ商人の抜け目なさ、ズル賢さをきらうものであっても、そのたくましさと活力とを認めないわけにはいかないだろう。
 たとえ、怪物が襲ってこようが、海が干上がろうが、ゴンドワナ商人の商魂を押さえつけることは出来ないのだ。
 そんな、焼け跡をさらしながらなお、商人たちの活気渦巻くサラフディンの港にロウワン、ビーブ、トウナ、〝ビルダー〟・ヒッグス、ロスタムの五人の姿があった。
 ロウワンはいつも通り騎士マークスの船長服をまとい、背中には〝鬼〟の大刀たいとうを担いでいる。以前はあれほどブカブカだった騎士マークスの船長服も、いまでは見ておかしくない程度には大きさが合っている。それだけ、ロウワンの身体が成長したのだ。
 ビーブも相変わらず、丹念な毛繕いで整えた自慢の毛皮を潮風にさらしながら、尻尾に握った抜き身のカトラスを振りまわしている。
 トウナも、その引き締まった肢体を洗いざらしのシャツと七分丈のパンツに包み、赤銅しゃくどういろに輝く肌を見せつけている。その野性的な風貌ふうぼうといい、頭に布を巻きつけて腰にカトラスを差すという、まるで海賊物語の表紙に出てきそうな姿といい、人々の目を惹きつけてやまない。
 そして、〝ビルダー〟・ヒッグス。
 トウナの招きによって自由の国リバタリアに向かうことになったこの技師は、その印象がすっかりかわっていた。
 ボサボサだった頭髪はきれいに整えられ、無精ぶしょうひげはさっぱりと剃り、風呂に入って長年の垢も落とした。背筋はピン! と、伸び、目には確かな生命力のきらめきと未来への希望が燃えていた。
 痩せこけた体そのものはさすがにそのままだったが、それでも、そこにいるのはもうみすぼらしく、落ちぶれた負け犬などではない。人々から尊敬をもって『ビルダー作るもの』と呼ばれていた頃の姿そのままだった。
 さらにいまひとり、今回から新たにロウワンの旅に加わる人物がいる。
 ロスタム。
 自由の国リバタリアとゴンドワナの連帯を諸国に示すべく、評議会議長ヘイダールによってつけられた名代みょうだい
 「まだ若いですが人格も、剣の腕も保証しますぞ。もちろん、商売人としての才覚も確かです」
 生き馬の目を抜くゴンドワナにおいて、商人たちの頂点に立つヘイダールがそう認めた人物である。
 『まだ若い』と言うだけのことはあって、せいぜい二〇代前半だろう。野伏のぶせや、プリンスと同世代と思われる。ネコ科の獣を思わせるしなやかな長身。ゴンドワナ人らしい彫りの深い端整たんせいな顔立ちに南国の日差しに鍛えられた浅黒い肌。豊かに波打った豊かな髪。
 一目見て心奪われる。
 そんな、絵に描いたような美青年であり、物語好きの少女たちが夢想する『砂漠の王子さま』そのものと言った人物である。
 月照つきてらすの王子おうじ
 そんな芝居がかった呼び名が、ごく自然に浮かんでくる。
 このサラフディンでもさぞかし女性たちにモテるだろうと思われた。事実、ここに来るまでの間にも何人もの女性たちがその姿に見とれていたものだ。……その横にいるロウワンなどには目もくれずに。
 ともあれ、新たな仲間を加えたロウワンたちは港にたたずみ、迎えの船がやってくるのをまっていた。
 そんなロウワンたちを港の守備責任者であるボーラと、パンゲアの〝神兵〟対策としてこの地に残ることになった野伏のぶせが見送りにきていた。
 ボーラがにこやかに言った。
 「ガレノアによろしく言っといておくれよ。事がすんだらまた一緒にやらかそうってね」
 「ええ」
 と、ロウワンは礼儀正しく返事をした。
 「『もうひとつの輝き』ならきっと、パンゲアの〝神兵〟を倒せる武器を作ってくれるはずです。自由の国リバタリアの軍勢が来るときにはその武器も一緒のはず。それまで、どうか持ちこたえていてください」
 「ああ、わかってるよ。このあたしがこの港を守る限り、誰にも奪わせるもんかい。それに……」
 と、ボーラは横目でチラリと袴姿の剣客けんかくを見た。
 ニヤリ、と、笑って見せた。
 「頼もしい助っ人もいることだしね」
 頼もしい助っ人。
 そう言われて野伏のぶせはかすかに胸を張った。『ふんぞり返る』ことまではしないのが、野伏のぶせなりの『奥ゆかしさ』という名の粋である。しかし――。
 わざわざ姿勢をかえて、服の裏地に描かれた牡丹がかすかにのぞくようにしているあたりは野伏のぶせもなかなか……。
 そのことはとりあえずふれずにおいて、ロウワンは野伏のぶせに言った。
 「野伏のぶせ。よろしく頼む。この港を、町を、人々を守ってくれ」
 「最善は尽くす」
 野伏のぶせはごくごく短く、そう答えた。
 もちろん、ロウワンはその点を疑ってはいない。
 「それより、ロウワン」
 「なんだ?」
 「ご両親は見送りには来ないのか?」
 「別れの挨拶は昨日のうちにすませたからね。それに、父さんには評議会の仕事があるし、母さんにも婦人組合での活動があるから」
 「……そうか」
 「勝手に家出しておいて、いまさら合わせる顔なんてない。そう思っていたけど、会ってみるとやっぱり、会って良かったと思うよ」
 そう言われて――。
 野伏のぶせはやや遠くを見る表情になった。
 「野伏のぶせ。よけいなことだとは思うけど、あなたも一度ぐらい帰った方がいいんじゃないか? ご両親は健在なんだろう?」
 「あのロスタムという男だが!」
 野伏のぶせ露骨ろこつに話をそらした。
 「気をつけろ。あの男、銃も、剣も、体術にいたるまで、相当に使うぞ。おれでも簡単には倒せんだろう」
 「あなたがそこまで言うのか。それは、確かにすごいな」
 「おそらく、お前では勝てん。パンゲアの怪物どもを相手にしたときの、お前の動きを見られていたとするならばな。気を許さないことだ。同盟関係を結んだとは言え、常に利によって動く商人たち。状況次第でいつ、お前の寝首をかく側になってもおかしくないからな」
 自由の国リバタリアとゴンドワナの連帯を示す名代みょうだいであると同時に、ゴンドワナに情報を流す間者かんじゃであり、いざというときの刺客しかくでもある。
 野伏のぶせはそう言って、警戒をうながしたのだ。
 野伏のぶせはゴンドワナ商人について知っているわけではない。だが、東方の覇者たる盤古ばんこ帝国ていこくも商業の盛んな国であり、商人たちが大きな力をもっている。
 野伏のぶせはその国で長く過ごした。だから、知っている。『商人』という存在がどういうものか。人好きのするにこやかな笑顔の裏にどれほどの野心と欲望、そして、謀略を隠しもっているかを。
 ロスタム個人に対する感情とは別に、数多の修羅場をくぐり抜けてた戦士の認識は甘くなかった。
 「ゴンドワナ商人の気質は知っているつもりだ」
 その警告に対し、ロウワンはそう答えた。なんと言っても、ゴンドワナ商人の息子である。
 「常に利によって動くからこそ信頼できる。こちらに力があることさえ示しつづければ決して裏切らず、誠実な仲間として振る舞ってくれる。だけど、警告してくれたことは覚えておくよ。ありがとう」
 「キキキイ、キイ、キイ」
 ロウワンの言葉にビーブがふんぞり返って自慢げに伝えた。
 ――任せとけって。そのために、おれさまがいるんだからな。
 「ふっ。そうだな」
 野伏のぶせもビーブの言い分を認めた。
 「確かに、お前の動きは対人間用のいかなる技をもってしてもとらえきれん。お前なら、本気の勝負になってもロスタムに勝てるだろう」
 ――おう、任せとけ!
 ビーブは態度でそう語り、いつも通りに尻尾に握ったカトラスを振りまわしながら、ますますふんぞり返った。
 「ロウワン」
 トウナが静かに声をかけた。
 「船が来たわ」
 トウナに言われて、ロウワンは沖合いを見た。見慣れた大型帆船はんせんが近づきつつあった。
 「『黒の誇り』号。プリンスが迎えに来たのか」
 『砂漠の踊り子』号と並ぶ自由の国リバタリアにおいてたった二隻の三級艦のひとつ。言わば、自由の国リバタリアの双璧とも言うべき主力船がやってきたのだ。
 そのことを意外とは思わなかった。
 むしろ、大いに納得する気分だった。
 ――トウナが帰ってくる。
 それと聞いてプリンスが矢も楯もたまらず『自分が迎えに行く!』と、主張したのだろう。しかし――。
 チラリ、と、ロウワンはロスタムを見た。
 『砂漠の王子さま』としか言いようのない若き美青年を。
 すでに五〇代で、痩せこけた貧相な体付きの〝ビルダー〟はともかく、こちらは……。―
 ――プリンスがまた、気をもむなあ。
 そう思い、ちょっとばかり苦笑するロウワンだった。
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