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第二部 絆ぐ伝説
第四話一八章 ローラシアの闇の域
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「……おのれ、自由の国の小僧め。メルクリウスめ」
ローラシア大公サトゥルヌス。ローラシアの頂点に立つ存在であり、人類世界でも五本の指に入る権力者たる老人はいま、その顔を屈辱のどす黒い色に染め、両目には憎悪の炎を燃やし、口からは呪いの言葉を吐き散らしながら大公邸の廊下をひとり、歩いていた。自慢の鷲鼻からは絶えず、体内に渦巻く怒りと憎しみが瘴気となって吹きだしているのが見えるよう。
絶対に近づきたくない。
目をつけられたくない、
正気の人間なら誰であれそう思い、遠くからその姿を見かけただけで――それが誰かはわからなくても――サッと物陰に隠れてやり過ごそうとする。
それぐらい、不吉な姿。
実際、サトゥルヌスはそれぐらい不満だったし、不機嫌だった。
この自分、ローラシア貴族の頂点であり、この世における生きとし生けるものすべてを支配する正当の権利の持ち主である自分が。よりによってどこの馬の骨ともわからない平民の小僧などに『約束』をさせられてしまった。
いや、もちろん、よその国の平民相手の約束など守る必要はない。どこの道徳家が他人の家の飼いイヌとの間に交した約束を守るというのか。身分のちがいもわきまえず、約束などを取りつけようとした方が愚かであり、不敬なのだ。そんな不敬者にはいずれ、報いをくれてやらなければならない。
しかし、だ。
たとえ、ロウワンを捕え、不敬罪で八つ裂きにしたところで『平民と約束を交した』という事実はかわらない。それは言わば、人間がイヌの位置にまで引きずりおろされたのと同じであり、サトゥルヌスにとって、いや、ローラシア貴族にとって一生の恥辱であり、汚点。その記憶は消せないし、他人の記憶からも消すことは出来ない。
「……おのれ、小僧。おのれ、メルクリウス。よくも、このサトゥルヌスにこのような屈辱を」
サトゥルヌスは歩きながら限りない憎悪を吐きだしつづける。
すべては身の程知らずにも『貴族さま』相手に約束などを取りつけようとした自由の国の小僧のせいだ。本来であれば貴族さまの前にひれ伏し、這いつくばり、靴を舐め、それでようやく哀願し、お慈悲を請うことを許される。その程度の下賤の身でありながら対等の立場での約束などを望むとは。なんという不敬。なんという身の程知らず。
そして、小僧にそんな口実を与えたメルクリウス。あの身の程知らずの若造が余に逆らうような真似さえしなければ……。
サトゥルヌスは自分にこれほどの屈辱を与えたロウワンのことを本気で憎んだし、そのきっかけを与えたメルクリウスはそれ以上に憎んだ。
「……しかし、こうなっては、ご報告申しあげないわけにもいかん」
サトゥルヌスはそう呟いた。まるで、高ぶる気持ちを抑える魔法の呪文ででもあるかのように。
サトゥルヌスの表情が一変した。
あれほど激しかった怒りも、恨みも、憎しみも、屈辱の思いさえもどこに消えたのかと思わせるほどにきれいになくなり、かわりに自慢の鷲鼻が突きだした風貌を染めるのは不安と緊張。その表情はまさに、自らの仕える皇帝に対して意に沿わぬ報告をもたらし、叱責されることを怖れる家臣のものだった。
ローラシアの大公。
人類世界屈指の権力者。
そのサトゥルヌスをして臣下の顔をさせる。
そんな存在がいったい、この世にいるというのか。
その答えは大公邸の一角、ほとんどのものは近づくことはおろか、存在することを知ることすら出来ない区域にあった。
パンゲアの大聖堂に一般には隠された秘密の部屋があったように、ローラシアの大公邸にも秘密の場所があった。ただし、パンゲアの秘密の部屋が地下深くにあったのに対し、ローラシアのその場所は大公邸の一番上、天に最も近い位置にあった。そして、それは『部屋』ではなく広大な『区域』だった。
大公邸の最上階。外からは飾り屋根に見え、部屋があるなどとは思わない一角。その広大な区域が丸々ひとつ、別世界として作られている。そのなかでは草木が生い茂り、チョウが舞い、日の光が燦々と降りそそぐ。そこに、地上世界に背を向けて、まさに『天上人』となった存在、〝賢者〟たちがいた。
その〝賢者〟たちはいま、庭園に植えられた一本の巨木、〝賢者〟たちが『世界樹』と呼ぶ、その樹のまわりに集まっていた。
「……〝賢者〟さま」
サトゥルヌスは緊張した声でそう呼びかけた。その声には怯えや恐怖だけではなく、敬意の念も確かに含まれていた。
サトゥルヌスはその場でひざまづいた。両膝をつけ、両拳を地面につき、深々と頭を垂れる。それはまさに『臣下』の礼。その姿はあまりにも自然なもので、
――あの大公サトゥルヌスがこんな姿をさらすのか。
と、見るものがいれば唖然とするにちがいないものだった。
「来たか、サトゥルヌスよ」
〝賢者〟のひとりがそう声をかけた。その尊大な口調、傲岸な態度、それらはいずれも普段のサトゥルヌスでさえかくやと思わせるほどのものだった。
「今回はずいぶんと失態だったようじゃな」
「申し訳ございません」
「まあよい。話はあとじゃ。これから『食事』の時間なのでな」
「はっ……」
二体の人形に両脇を抱えられて若く、たくましい奴隷が連れてこられた。精神はすでに破壊されているのか、その表情はなんともうつろなものだった。
〝賢者〟のなかでもっとも年かさと見えるものが立ちあがった。歩きだした。若い奴隷に近づいた。手を伸ばし、奴隷の額にふれた。すると――。
なんと言うことだろう。この秩序の世界にあって本来、決してあってはならないことが起きていた。
〝賢者〟の老いさらばえた体が見るみるうちに若さとたくましさを取り戻し、二〇代の青年のものとなっていた。
若く、たくましかった奴隷はたちまち一〇〇歳も歳老いたように干からび、骨と皮だけの老人と化していた。
その光景をサトゥルヌスはジッと見つめている。その表情はまさに渇望。何日もの間、砂漠をさ迷った迷い人がプールつきの大豪邸にたどり着き、屋敷の人々がプールのなかで水遊びするさまを見つめている。
そんな表情だった。
天命の理。
その業によって自分の『老い』と奴隷の『若さ』とを取り替えたのだ。
若さを奪われ、老いを押しつけられた奴隷はそのまま人形によって連れて行かれた。その骨と皮だけになった肉体がどんな扱いを受けるのか、サトゥルヌスは正確に知っていた。
〝賢者〟たちのペットの餌だ。
天命の理の使い手たる、天詠みの博士。
それが、〝賢者〟。
「ローラシア貴族たちは全盛期の天命の使い手たちを眠りにつかせて隠匿し、保存しているという噂があるわ」
メリッサはそう、ロウワンに語った。
だが、事実はそれどころではない。天命の使い手たる天詠みの博士たちこそが、ローラシア貴族を裏で操る真の支配者だった。そして、眠りにつくのではなく、他の人間の若さを吸い取ることで千年の時を生きつづけ、歴史の闇に潜んできた。その『不老不死』の業をちらつかせることで貴族たちを操り、決して人目につくことのない闇のなかから国を動かしてきた。
ローラシア貴族が他国からあきれられるほどに無能無力でありながら、数百年に渡って支配権を保ちつづけることが出来たのはまさにそのため。『千年の英知を保つ』〝賢者〟たちの存在があればこそだった。
サトゥルヌスが歳に似合わない若い肌をもっているのも、〝賢者〟たちによってごく限定的にだが他人の若さを植えつけられたからだった。
〝賢者〟たちに仕え、尽くし、気に入られ、いつかは新たな〝賢者〟の一員として迎えられ、永遠の生命と支配権を手に入れる。
それこそがローラシア六公爵の究極の願い。
そのために、〝賢者〟たちに対して頭をさげるのだ。
「しかし、メルクリウスめ。わしらに楯突くとは意外と骨のあるやつじゃったのだな」
「我らに楯突いた気などあるまいよ。ローラシアの全権を握った上ですべてを差し出し、我らからローラシア王として承認してもらおうという腹づもりだったのだろう」
「だとしてもなかなかの気概。死なせてしまったのは惜しかったかも知れんな」
「うむ。ここにいる、我らに尻尾を振るしか能のない惰弱者よりよっぽど、使い物になる道具だったかも知れんな」
「そ、それは……!」
愉快そうに笑う〝賢者〟たちの笑い声を裂いて、サトゥルヌスの悲鳴が響いた。顔面はすでに蒼白である。
〝賢者〟たちに『役立たず』として見捨てられれば、念願であった永遠の生命も支配権も消えてなくなる。そんなことになれば自分はいままでいったい、なんのために〝賢者〟たちに尽くしてきたというのか。
「騒ぐでない、サトゥルヌス。飼いイヌの分際で主人の意を疑うか」
「あ、いえ……」
「おぬしの献身は評価しておる。そのことを忘れるほど、わしらが情けのない飼い主だと思っておるのか?」
「め、めっそうもございません……」
サトゥルヌスは額を地面にこすりつけた。
「おいおい、あまりいじめてやるな」
「うむ。それどころではないからの」
「まさしく。いまこそ、我らを裏切った人類に報いを与え、その罪を思い知らせるとき。飼いイヌの粗相ひとつに目くじらを立てるな」
「そうじゃ。いまこそ、我らを裏切った人類どもを罰してやらなければならぬ。亡道の世界がこの世界からはなれ、我らの力が衰えると、人間どもは恩知らずにも我らを役立たず扱いしはじめおった。亡道の司を倒せたのも、その後、世界が復興できたのも、すべては我ら天詠みの博士の力だというのにその恩を忘れ、我々を蔑みおった」
「あまつさえ、『科学』などと言う技術を発達させ、『科学さえあれば天命の理など無用』とまで言い出しおった。なんという増長。なんという傲慢。その報いはくれてやらなければならぬ」
「しかり。そのために我らは貴族どもを操り、ローラシアを建国させた。再び、亡道の世界が近づき、我らの力が戻るまでの間、安全に過ごせる場所を作るために」
「以来、数百年。長すぎた隠匿の時間じゃ。じゃが、それももう終わる。ついに、再び、亡道の世界はこの世界と重なった。いまこそ、我らの力が最大限に強まるとき」
「そうじゃ。いまこそ、我らは再び世に姿を現わし、世界を支配する。今度こそ、我ら天詠みの博士の栄光がとこしえに讃えられる世界を作るのじゃ」
「サトゥルヌスよ」
「はっ……!」
「ロウワンとやら言う小僧など捨ておけい。我らの敵はあくまでもパンゲアなり」
「さよう。パンゲアこそは我らを侮った人類騎士団の末裔。その無礼は償わさなければならぬ」
「やつらもまた、〝神兵〟なる奇妙な代物を生みだしたようじゃがな。全盛期の力を取り戻した我らの敵ではない」
「サトゥルヌスよ。秘蔵してきた天命船を使うことを許す。ロウワンなる小僧と自由の国とやらは適当に叩いておけ。そして、パンゲアの相手は……」
おおっ、と、サトゥルヌスは声をあげた。
〝賢者〟の声とともに姿を現わした存在。それは――。
おぞましき異形の軍勢。
全身の筋肉がむき出しになったかのような脈打つ体。
心臓のように血管の浮き出た頭部。
鎌となった両腕。
それはまさに、『人間』という存在をどこまで貶め、汚すことが出来るかを競ったかのような存在だった。
「こやつらこそは、我らが千年の時をかけて作りあげた無敵の軍勢。天命の兵どもよ。その肉体は銃弾ごときでは破壊されず、我らの命ずるままどこまでも破壊と殺戮を繰り返す。まさに、我らを侮った人類の罪を罰するにふさわしい存在。サトゥルヌスよ」
「はっ……!」
「いますぐ、ローラシアの総力をあげてパンゲアを攻め滅ぼすのだ。その働き次第によっては、おぬしを新たな〝賢者〟の一員として迎えてやってもよいぞ」
「ははあっ!」
パンゲアの〝神兵〟。
ローラシアの天命の兵。
人ならざる怪物たちによる戦い。
妖物大戦がはじまろうとしていた。
ローラシア大公サトゥルヌス。ローラシアの頂点に立つ存在であり、人類世界でも五本の指に入る権力者たる老人はいま、その顔を屈辱のどす黒い色に染め、両目には憎悪の炎を燃やし、口からは呪いの言葉を吐き散らしながら大公邸の廊下をひとり、歩いていた。自慢の鷲鼻からは絶えず、体内に渦巻く怒りと憎しみが瘴気となって吹きだしているのが見えるよう。
絶対に近づきたくない。
目をつけられたくない、
正気の人間なら誰であれそう思い、遠くからその姿を見かけただけで――それが誰かはわからなくても――サッと物陰に隠れてやり過ごそうとする。
それぐらい、不吉な姿。
実際、サトゥルヌスはそれぐらい不満だったし、不機嫌だった。
この自分、ローラシア貴族の頂点であり、この世における生きとし生けるものすべてを支配する正当の権利の持ち主である自分が。よりによってどこの馬の骨ともわからない平民の小僧などに『約束』をさせられてしまった。
いや、もちろん、よその国の平民相手の約束など守る必要はない。どこの道徳家が他人の家の飼いイヌとの間に交した約束を守るというのか。身分のちがいもわきまえず、約束などを取りつけようとした方が愚かであり、不敬なのだ。そんな不敬者にはいずれ、報いをくれてやらなければならない。
しかし、だ。
たとえ、ロウワンを捕え、不敬罪で八つ裂きにしたところで『平民と約束を交した』という事実はかわらない。それは言わば、人間がイヌの位置にまで引きずりおろされたのと同じであり、サトゥルヌスにとって、いや、ローラシア貴族にとって一生の恥辱であり、汚点。その記憶は消せないし、他人の記憶からも消すことは出来ない。
「……おのれ、小僧。おのれ、メルクリウス。よくも、このサトゥルヌスにこのような屈辱を」
サトゥルヌスは歩きながら限りない憎悪を吐きだしつづける。
すべては身の程知らずにも『貴族さま』相手に約束などを取りつけようとした自由の国の小僧のせいだ。本来であれば貴族さまの前にひれ伏し、這いつくばり、靴を舐め、それでようやく哀願し、お慈悲を請うことを許される。その程度の下賤の身でありながら対等の立場での約束などを望むとは。なんという不敬。なんという身の程知らず。
そして、小僧にそんな口実を与えたメルクリウス。あの身の程知らずの若造が余に逆らうような真似さえしなければ……。
サトゥルヌスは自分にこれほどの屈辱を与えたロウワンのことを本気で憎んだし、そのきっかけを与えたメルクリウスはそれ以上に憎んだ。
「……しかし、こうなっては、ご報告申しあげないわけにもいかん」
サトゥルヌスはそう呟いた。まるで、高ぶる気持ちを抑える魔法の呪文ででもあるかのように。
サトゥルヌスの表情が一変した。
あれほど激しかった怒りも、恨みも、憎しみも、屈辱の思いさえもどこに消えたのかと思わせるほどにきれいになくなり、かわりに自慢の鷲鼻が突きだした風貌を染めるのは不安と緊張。その表情はまさに、自らの仕える皇帝に対して意に沿わぬ報告をもたらし、叱責されることを怖れる家臣のものだった。
ローラシアの大公。
人類世界屈指の権力者。
そのサトゥルヌスをして臣下の顔をさせる。
そんな存在がいったい、この世にいるというのか。
その答えは大公邸の一角、ほとんどのものは近づくことはおろか、存在することを知ることすら出来ない区域にあった。
パンゲアの大聖堂に一般には隠された秘密の部屋があったように、ローラシアの大公邸にも秘密の場所があった。ただし、パンゲアの秘密の部屋が地下深くにあったのに対し、ローラシアのその場所は大公邸の一番上、天に最も近い位置にあった。そして、それは『部屋』ではなく広大な『区域』だった。
大公邸の最上階。外からは飾り屋根に見え、部屋があるなどとは思わない一角。その広大な区域が丸々ひとつ、別世界として作られている。そのなかでは草木が生い茂り、チョウが舞い、日の光が燦々と降りそそぐ。そこに、地上世界に背を向けて、まさに『天上人』となった存在、〝賢者〟たちがいた。
その〝賢者〟たちはいま、庭園に植えられた一本の巨木、〝賢者〟たちが『世界樹』と呼ぶ、その樹のまわりに集まっていた。
「……〝賢者〟さま」
サトゥルヌスは緊張した声でそう呼びかけた。その声には怯えや恐怖だけではなく、敬意の念も確かに含まれていた。
サトゥルヌスはその場でひざまづいた。両膝をつけ、両拳を地面につき、深々と頭を垂れる。それはまさに『臣下』の礼。その姿はあまりにも自然なもので、
――あの大公サトゥルヌスがこんな姿をさらすのか。
と、見るものがいれば唖然とするにちがいないものだった。
「来たか、サトゥルヌスよ」
〝賢者〟のひとりがそう声をかけた。その尊大な口調、傲岸な態度、それらはいずれも普段のサトゥルヌスでさえかくやと思わせるほどのものだった。
「今回はずいぶんと失態だったようじゃな」
「申し訳ございません」
「まあよい。話はあとじゃ。これから『食事』の時間なのでな」
「はっ……」
二体の人形に両脇を抱えられて若く、たくましい奴隷が連れてこられた。精神はすでに破壊されているのか、その表情はなんともうつろなものだった。
〝賢者〟のなかでもっとも年かさと見えるものが立ちあがった。歩きだした。若い奴隷に近づいた。手を伸ばし、奴隷の額にふれた。すると――。
なんと言うことだろう。この秩序の世界にあって本来、決してあってはならないことが起きていた。
〝賢者〟の老いさらばえた体が見るみるうちに若さとたくましさを取り戻し、二〇代の青年のものとなっていた。
若く、たくましかった奴隷はたちまち一〇〇歳も歳老いたように干からび、骨と皮だけの老人と化していた。
その光景をサトゥルヌスはジッと見つめている。その表情はまさに渇望。何日もの間、砂漠をさ迷った迷い人がプールつきの大豪邸にたどり着き、屋敷の人々がプールのなかで水遊びするさまを見つめている。
そんな表情だった。
天命の理。
その業によって自分の『老い』と奴隷の『若さ』とを取り替えたのだ。
若さを奪われ、老いを押しつけられた奴隷はそのまま人形によって連れて行かれた。その骨と皮だけになった肉体がどんな扱いを受けるのか、サトゥルヌスは正確に知っていた。
〝賢者〟たちのペットの餌だ。
天命の理の使い手たる、天詠みの博士。
それが、〝賢者〟。
「ローラシア貴族たちは全盛期の天命の使い手たちを眠りにつかせて隠匿し、保存しているという噂があるわ」
メリッサはそう、ロウワンに語った。
だが、事実はそれどころではない。天命の使い手たる天詠みの博士たちこそが、ローラシア貴族を裏で操る真の支配者だった。そして、眠りにつくのではなく、他の人間の若さを吸い取ることで千年の時を生きつづけ、歴史の闇に潜んできた。その『不老不死』の業をちらつかせることで貴族たちを操り、決して人目につくことのない闇のなかから国を動かしてきた。
ローラシア貴族が他国からあきれられるほどに無能無力でありながら、数百年に渡って支配権を保ちつづけることが出来たのはまさにそのため。『千年の英知を保つ』〝賢者〟たちの存在があればこそだった。
サトゥルヌスが歳に似合わない若い肌をもっているのも、〝賢者〟たちによってごく限定的にだが他人の若さを植えつけられたからだった。
〝賢者〟たちに仕え、尽くし、気に入られ、いつかは新たな〝賢者〟の一員として迎えられ、永遠の生命と支配権を手に入れる。
それこそがローラシア六公爵の究極の願い。
そのために、〝賢者〟たちに対して頭をさげるのだ。
「しかし、メルクリウスめ。わしらに楯突くとは意外と骨のあるやつじゃったのだな」
「我らに楯突いた気などあるまいよ。ローラシアの全権を握った上ですべてを差し出し、我らからローラシア王として承認してもらおうという腹づもりだったのだろう」
「だとしてもなかなかの気概。死なせてしまったのは惜しかったかも知れんな」
「うむ。ここにいる、我らに尻尾を振るしか能のない惰弱者よりよっぽど、使い物になる道具だったかも知れんな」
「そ、それは……!」
愉快そうに笑う〝賢者〟たちの笑い声を裂いて、サトゥルヌスの悲鳴が響いた。顔面はすでに蒼白である。
〝賢者〟たちに『役立たず』として見捨てられれば、念願であった永遠の生命も支配権も消えてなくなる。そんなことになれば自分はいままでいったい、なんのために〝賢者〟たちに尽くしてきたというのか。
「騒ぐでない、サトゥルヌス。飼いイヌの分際で主人の意を疑うか」
「あ、いえ……」
「おぬしの献身は評価しておる。そのことを忘れるほど、わしらが情けのない飼い主だと思っておるのか?」
「め、めっそうもございません……」
サトゥルヌスは額を地面にこすりつけた。
「おいおい、あまりいじめてやるな」
「うむ。それどころではないからの」
「まさしく。いまこそ、我らを裏切った人類に報いを与え、その罪を思い知らせるとき。飼いイヌの粗相ひとつに目くじらを立てるな」
「そうじゃ。いまこそ、我らを裏切った人類どもを罰してやらなければならぬ。亡道の世界がこの世界からはなれ、我らの力が衰えると、人間どもは恩知らずにも我らを役立たず扱いしはじめおった。亡道の司を倒せたのも、その後、世界が復興できたのも、すべては我ら天詠みの博士の力だというのにその恩を忘れ、我々を蔑みおった」
「あまつさえ、『科学』などと言う技術を発達させ、『科学さえあれば天命の理など無用』とまで言い出しおった。なんという増長。なんという傲慢。その報いはくれてやらなければならぬ」
「しかり。そのために我らは貴族どもを操り、ローラシアを建国させた。再び、亡道の世界が近づき、我らの力が戻るまでの間、安全に過ごせる場所を作るために」
「以来、数百年。長すぎた隠匿の時間じゃ。じゃが、それももう終わる。ついに、再び、亡道の世界はこの世界と重なった。いまこそ、我らの力が最大限に強まるとき」
「そうじゃ。いまこそ、我らは再び世に姿を現わし、世界を支配する。今度こそ、我ら天詠みの博士の栄光がとこしえに讃えられる世界を作るのじゃ」
「サトゥルヌスよ」
「はっ……!」
「ロウワンとやら言う小僧など捨ておけい。我らの敵はあくまでもパンゲアなり」
「さよう。パンゲアこそは我らを侮った人類騎士団の末裔。その無礼は償わさなければならぬ」
「やつらもまた、〝神兵〟なる奇妙な代物を生みだしたようじゃがな。全盛期の力を取り戻した我らの敵ではない」
「サトゥルヌスよ。秘蔵してきた天命船を使うことを許す。ロウワンなる小僧と自由の国とやらは適当に叩いておけ。そして、パンゲアの相手は……」
おおっ、と、サトゥルヌスは声をあげた。
〝賢者〟の声とともに姿を現わした存在。それは――。
おぞましき異形の軍勢。
全身の筋肉がむき出しになったかのような脈打つ体。
心臓のように血管の浮き出た頭部。
鎌となった両腕。
それはまさに、『人間』という存在をどこまで貶め、汚すことが出来るかを競ったかのような存在だった。
「こやつらこそは、我らが千年の時をかけて作りあげた無敵の軍勢。天命の兵どもよ。その肉体は銃弾ごときでは破壊されず、我らの命ずるままどこまでも破壊と殺戮を繰り返す。まさに、我らを侮った人類の罪を罰するにふさわしい存在。サトゥルヌスよ」
「はっ……!」
「いますぐ、ローラシアの総力をあげてパンゲアを攻め滅ぼすのだ。その働き次第によっては、おぬしを新たな〝賢者〟の一員として迎えてやってもよいぞ」
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パンゲアの〝神兵〟。
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