壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話四章 浪漫を追う漢

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 それからしばらくの間、〝鬼〟の船は各国を渡り、収容した船員と乗客とをそれぞれの国に送り返した。単に送り返すだけではなく国ごとの政府と交渉して金をせしめるわけなのだが、そのためには役所に出向き、繁雑はんざつな事務仕事をしなければならなかった。それらの仕事はなぜか、少年がやらされることになった。
 「あんなしち面倒めんどうくさいこと、やってられるか」
 という〝鬼〟の一言によって。
 「船長なんだからやっとけ。おめえが、よ」
 そう言って酒をかっくらい、の前で居眠りを決め込む〝鬼〟だった。
 ――『船長』なんて、そっちが勝手に言ってるんじゃないか。
 そうは思ったが生来が真面目なたち。なので、任された役割はきちんとこなした。
 とは言え、なんと言っても年端としはもいかない子供。役所でもどこでも胡散うさんくさい目で見られたり、なかなか信用もされなかった。おかげで、普通以上に難航なんこうはした。しかし、なにしろ実際に多くの船員や乗客が帰国のためにまっているのだから無視を決め込むわけにも行かない。疑いつつもとにかく事務処理は進めてくれた。
 しかし、これがまたたしかにしち面倒めんどうで、〝鬼〟が少年に丸投げするのも『無理はない』と思えるものだった。まして、年端としはもいかない子供である少年には大変だった。しかし、生き残りの船員たちの助けも借りてどうにかこうにか、なんとかかんとか、やり遂げた。
 〝鬼〟の思惑おもわくはどうあれ、形としては『海賊に襲われた客船の生き残りを保護し、祖国に送り返した』と言うことになるのだから立派な人命救助。繁雑はんざつな事務処理はともかくとして、役所でもどこでも感謝はされた。とくに、受け付けのきれいなお姉さんから驚かれ、感心されたのは嬉しかった。乗客たちも生きて国に帰れるとあって喜んでいたし、感謝もされた。その人たちの笑顔を見ると、
 ――大変だったけどやってよかった。
 そう素直に思えたし、誇らしい気持ちになれた。
 もちろん、金も手に入れた。〝鬼〟は『身代みのしろきん』と言ったが、実際には人々を保護し、連れ帰ったことに対する礼金だった。まあ、身代みのしろきんでも、礼金でも、金であることにはかわりない。名前がかわるからと言って使い道にちがいがでるわけでもない。
 〝鬼〟の言ったとおり、死体に対してもちゃんと礼金は支払われた。大切な家族や友人、仲間を海賊に襲われ、殺された人々にしてみれば、例え死体であっても自分のもとに帰ってきてほしい。死体を届けてくれた人への感謝もある。礼金を払うぐらい安いものだった。
 死体を引き取りに来た家族からもあつく礼を言われ、少年は誇らしいやら照れくさいやらだった。ただ、複雑な思いもあった。
 ――この人たちは僕が助けたわけじゃない。助けたのは〝鬼〟だ。〝鬼〟の目的がなんであれ、〝鬼〟が海賊たちを倒し、この人たちを連れ帰った。僕はただ雑用をこなしているだけ。本当にお礼を言われるべきなのは〝鬼〟であって僕じゃない。もし、僕が自分の力でこの人たちを助けていたなら、もっと堂々とお礼を受けられたのかな……。
 感謝され、涙を浮かべた顔で手をとって礼を述べられるつど、少年の胸にはそんな思いが渦巻いた。
 海賊たちの死体も最初によった国の海軍に引き渡した。海賊たちの首に賞金を懸けているのは軍なので、賞金支払いの手続きも軍の仕事なのだ。
 「おれも行こう」
 海軍事務所に出向くときだけは〝鬼〟もそう言った。
 ノッソリとその巨体を動かし、愛用の大刀たいとうかついで立ちあがった。
 「え、でも、海軍の事務所に行くんですよ?」
 「わかってるよ。だから、行くんだ」
 「だ、だって、あなただって賞金を懸けられているはずじゃ……」
 ――史上最高の賞金首。
 〝鬼〟がそう呼ばれていることは〝詩姫うたひめ〟から聞いて知っていた。
 ニヤリ、と、〝鬼〟は笑った。
 「だから、行くのさ。前に描いた手配書がそろそろ古くなっている頃だからな」
 少年には〝鬼〟の言っていることの意味がわからなかった。とにかく、〝鬼〟と一緒に海軍事務所に出向いた。不安はなかった。いったい、〝鬼〟と一緒にいてなにを不安に思えと言うのだろう。すでに、この世で最大の災厄さいやくと一緒にいるというのに。
 〝鬼〟が海軍事務所に入った。その途端、あたりの空気がかわった。一瞬で周囲がざわめいた。鍋に入れられた水が一瞬で泡だったような、そんな様子。それは、その場にいる誰もが今し方やってきた巨漢きょかんの男が何者なのか、正確に知っていることを意味していた。
 無理もない。
 と言うより、当然だろう。なにしろ、海軍事務所の掲示けいじばん、数多くの賞金首の手配書が張られたその場所にはひときわ大きく、壁一面を占める勢いで他を圧して、〝鬼〟の手配書が張られていたのだから。これほど大きな手配書、いやでも目に入るし、こんなものを毎日、見ていれば見間違いようなどない。
 手配書のなかの〝鬼〟はやけに気取った様子でポーズなどつけ、しかも、他の手配書に比べて明らかにずっと高度な技巧を駆使して描かれていた。
 〝鬼〟は自分自身の手配書に近づいた。ジロジロと眺めた。不満そうに呟いた。
 「ふん。やっぱり、古くなってやがるな」
 そう言うと、手配書を引きちぎった。丸めて放り捨てると、受け付けに向かって一言、言った。
 「おい、画家を呼べ。いま、この国でいちばんの画家をな」
 「は、はい、ただいま……」
 少年が呆気あっけにとれているのをよそに、受け付けの女性はあたふたと上司に報告した。上司は真っ青になって怒鳴りちらした。すぐに若い事務員が駆け出していった。ほどなくして画家の腕を抱え、まるで拉致らちしてきたかのような勢いで帰ってきた。
 実際、拉致らち同然に連れてきたのだろう。画家はなにがなんだかわからないといった様子だった。しかし、その様子も〝鬼〟を見るなり一変した。
 生きる伝説。
 海に巣くう災厄さいやく
 史上最高の賞金首。
 相手が〝鬼〟であること、その〝鬼〟がそれらの名で呼ばれていることを画家は知っていた。
 〝鬼〟とは言わば、この世界における『伝説の生き物』。
 そんな生き物の似姿を描けというのだ。画家であれば魂を振るわせないはずがない。
 一流であればあるほどその震えは大きくなる。このとき、呼ばれた画家はまさにその典型だった。訳もわからず慌てふためいていた様子など消え去り、画家としての情熱に突き動かされ、絵筆を握った。その姿はさすが『国一番』と言われるだけのことはあった。
 鬼は画家の前で愛用の大刀たいとうを肩にかつぎ、気取った様子でポーズをとった。
 ――なんで、大刀たいとうまでもっていくんだろう?
 そう思っていたが、どうやらこのためだったらしい。手配書を描かせるからには細部までこだわる、と言うわけだ。
 やがて、等身大の似姿が描かれた。描きあげた途端、その画家は気を失って倒れてしまった。それぐらい、魂を込めての作画だった。
 〝鬼〟はその絵をためつすがめつ眺めた。そして――。
 いきなり、破り捨てた。
 驚く少年の前で〝鬼〟は倒れた画家を蹴り飛ばした。
 「起きろ。これじゃあ、おれのすべては表現されてねえ。国一番の画家と呼ばれているならモチーフの内面まできちんと描ききるんだな。おめえ、よ」
 画家には画家の誇りがある。
 そういうことなのだろう。すでに、まともに立っていられないほどに疲労ひろう困憊こんぱいしていた画家だったが、〝鬼〟に言われるままに再び絵筆を握った。
 やがて、二枚目が描きあがったが、〝鬼〟はそれにも満足しなかった。
 三枚、四枚……。
 〝鬼〟に言われるままに画家は描きつづける。そのたびにほおはやつれ、目はくぼみ、生命力が失われていくのがはっきりわかった。
 それはまさに、画家としての命と誇りを懸けた戦いだった。
 そして、ようやく――。
 画家が消耗し尽くして半死はんし半生はんしょうになった頃、〝鬼〟は大きくうなずいた。
 「おう。これなら充分だ。よくやったな。おめえ、よ」
 その野太い唇をニヤリと曲げて、〝鬼〟は『優しい』と言っていいほどの笑顔を見せた。その笑顔に――。
 画家は心から満足した表情を浮かべた。
 そのまま倒れ込んだ。
 画家は――。
 事切れていた。
 その場を沈黙が支配した。不思議なことに――。
 その場にいる誰ひとりとして、ひとりの画家が生命を失うまで絵を描かせつづけた〝鬼〟を責める気持ちを抱くことはなかった。
 その理由は画家の表情にあった。
 あまりにも満ち足りた、幸せそのままの死に顔。
 ――画家としてのすべてを出し尽くし、地上での役割を終えて天に召されたのだ。
 その死に顔には誰もがそう納得した。
 〝鬼〟を責めるどころではない。
 絵に人生を捧げたひとりの人間に、これほどの死に場所を提供した。
 そのことに対し、〝鬼〟に感謝したくなるぐらいだった。
 少年は胸に手を当て、画家に対して敬意を払っていた。そして、おそらくは〝鬼〟に対しても。
 少年だけではない。その場にいる全員が同じく、画家としての生を貫いたその人物に対して敬意を払い、天への旅立ちを見送った。
 〝鬼〟はその絵を自ら掲示けいじばんに張りつけた。そして、係のものに言った。
 「おい、賞金を書き込め」
 「は、はい……」
 係のものがあわててペンとインクをもって駆けつけてきた。
 ニヤリ、と、〝鬼〟は笑った。獰猛どうもうな、まさに、人食い鬼の笑みだった。
 「わかってるだろうな。ひとりの画家が生命と引き替えに描いた名画だ。その価値を落とすような字は、絶対に書くんじゃねえぞ」
 「は、はい……」
 係のものは震える手で絵のなかに賞金を書き込んだ。
 ――あんな様子でまともな字が書けるのか?
 少年はそう思ってハラハラした。
 その場にいる全員が同じ思いだったろう。もし、下手な字を書いて〝鬼〟の機嫌をそこねたなら――。
 いったい、どんな目に遭わされることか。
 八つ裂きとか、生皮をはがれるとか、そんな、人間の想像するようなありふれた残酷な行為ではすまないことは確実だった。
 ともかく、係のものは震えながらも賞金額を書き終えた。それを見て〝鬼〟は――。
 ニヤリと笑った。
 どうやら、お気に召したらしい。少年は胸をなで下ろした。その場にいる全員が同じように安堵あんどの息をつく音がした。
 少年の見るところ、〝鬼〟は字ではなく、書き込まれた賞金そのものに満足したように見えた。それぐらい、とんでもない額。
 「なんだ、これ⁉」
 一目見た途端、文字通り目の玉が飛び出す勢いで驚くほどのものだった。
 他のすべての手配書を合わせても〝鬼〟ひとりの賞金に遠く及ばない。まさに、天文学的な数字。むしろ、子供がいたずらで書いたかのようなとんでもない額。
 ――いくら国だからってこんな額、払えるの?
 少年が思わずそう心配したほどの額だった。
 「どうせ、誰も〝鬼〟を捕まえることなんてできないと思っているから、適当な値をつけているのよ」
 船に帰ってから〝詩姫うたひめ〟にそう言われて――。
 少年は深くふかく納得したのだった。
 「よし。これで、おれの用は終わった。おれは先に帰るぞ。きちんと手続きをすませてこいよ。おめえ、よ」
 「は、はい……」
 少年にあとのことを任せて……というよりも押しつけて、〝鬼〟はひとり、悠然ゆうぜんと帰って行った。呆気あっけにとられた人々をあとに残して。
 後で〝詩姫うたひめ〟に聞いたところによると、〝鬼〟はときどきこうして各国の海軍事務所を訪れては自分の手配書を描かせているのだという。
 「な、なんで、そんなことするの?」
 「したいからでしょう。〝鬼〟のやることに意味を探そうとしても無駄よ」
 少年の問いに、〝詩姫うたひめ〟はそう答えた。
 もちろん、最初のうちは大騒ぎだった。なにしろ。、史上最高の賞金首が自分からのこのことやってきたのだ。捕えてやろうと軍人たちが襲いかかった。しかし――。
 そのすべてが一瞬で斬り捨てられる。
 返り討ちにされる。
 そんなことを繰り返されてはもはや手出しできるはずもない。いつの間にか〝鬼〟がやってきてもなにせず、言いなりになるようになっていた。
 ――自分の腕一本で国を従えたのか。
 その事実に――。
 少年は息を呑む思いだった。
 〝鬼〟の絵は手配書とはもはや名ばかりで、実体は〝鬼〟の勇姿を示す絵画となっていたのだ。
 やがて、すべての人を祖国に送り届け、〝鬼〟の船は〝鬼〟と〝詩姫うたひめ〟、それに、少年の三人だけとなった。
 「手続き、全部、終わりました。お金は船倉に運んであります」
 少年は〝鬼〟にそう報告した。
 そんな少年を〝鬼〟はまじまじと見つめた。
 「な、なんですか……?」
 〝鬼〟は不思議そうな表情と声で尋ねた
 「なんで、いるんだ。おめえ、よ」
 「えっ?」
 少年は言われて戸惑とまどった。
 〝鬼〟の表情と口調からするとどうやら、適当なところで逃げ出すものだと思っていたらしい。わざわざこうして船に戻り、報告してくるとは思っていなかったのだ。
 言われて少年はようやく自分でも気付いた。
 ――僕はどうして逃げなかったんだ?
 見張りがついていたわけではない。
 人質を取られていたわけでもない。
 自分ひとりで自由に行動できていた。逃げようと思えばいつでも逃げ出すことが出来たのだ。受け取った礼金をくすねて、どこかに行方をくらますなんて簡単だったのだ。それなのに、こうして船に帰ってきた……。
 ――僕はどうして……。
 「まあいい。残ってんならもう一仕事だ」
 「もう一仕事?」
 「金をすべて純金のインゴットにかえて、ついてこい」
 〝鬼〟はそう言った。

 鬼が少年を連れてやってきたのはありふれた町のありふれた家。家賃の安さだけが取り柄のような下町の古い家だった。
 〝鬼〟はその家のなかに純金製のインゴットをすべて放り込んだ。そして、何事もなかったように帰路に就いた。
 仰天ぎょうてんしたのは少年である。あわてて後を追い、尋ねた。
 「な、なんで、あんなことをしたんです? あの家の人はなんなんです?」
 「ああ。ありゃあ、ビルダー・ヒッグスって人間の家だ」
 「ビルダー・ヒッグス?」
 「ちょっとは名の知られた技師でな。海上鉄道を世界中の海に敷き詰めようなんて馬鹿げたことを抜かしてやがるのよ」
 「海上鉄道?」
 「ああ、その通りだ。海を渡る危険さは知ってるだろ。おめえ、よ。嵐に大波、大渦巻き。海の怪物たちに海賊ども。船は沈んで当たり前、襲われて当たり前。海を渡るのはいつだって命懸けだ。そこで、あのヒッグスってやつは考えたのさ。『もっと安全に海を渡る方法はないか』ってな」
 「もっと安全に海を渡る方法?」
 「そうさ。そこで、考え出したのが海上鉄道だ。海の上に鉄の道を敷き詰めて、その上で船を走らせようってのさ。そうすりゃあ、波が来ようが、嵐が来ようが、沈んだりしない。そう言ってな」
 「う、海の上に鉄道を⁉ そんなこと、出来るんですか?」
 少年の言葉に――。
 「わっはっはっはっは!」
 〝鬼〟は豪快に笑い飛ばした。
 「出来るか出来ないかなんてケチくさいこと言ってんなよ。おめえ、よ。そんな馬鹿馬鹿しいことを大真面目に考え、実現しようとしているやつがいる。それだけで世の中、楽しいじゃねえか」
 「……そのために純金のインゴットを?」
 「そう言うこった。まあ、あのインゴットをどうするかは本人の勝手だけどよ」
 〝鬼〟はそう言い切って思いきり両腕を伸ばした。
 「この世は浪漫ろまん。追いかける価値のあるのは浪漫ろまんだけ。そう言うこった」
 そう言って――。
 まるで、子供のように笑う〝鬼〟だった。
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