壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話五章 〝鬼〟への挑戦

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 少年はそのまま〝鬼〟の船に居着いていた。
 捕えられているわけではない。
 残るよう強制されてもいない。
 船員となるよう誘われたわけですらない。
 そもそも、〝鬼〟は普段は少年の存在など忘れているようにしか思えない。船のなかで少年を見かけるたび、『おっ、なんだ。まだいたのか、おめえ、よ』と、そう言いたげな表情をする。それでも、邪魔にするわけでもなく、追い出そうともしない。少年の存在を思い出せばそれなりに便利に使う。
 そんなわけなので少年はなんとなく〝鬼〟の船に残っていた。船の掃除をし、洗濯をし、食事の用意と後片付けをした。ときには〝鬼〟に雑用を言い渡されて陸にあがることもあった。
 なんのことはない。ガレノアの船に乗っていたときにしていたのと同じ使いっ走りの雑用係。乗っている船がかわっただけで海賊見習いの子供に過ぎなかった。
 一日の仕事を終えて夜になると、甲板かんぱんの端にちょこんと座り込み、盛大にいて肉を焼き、酒を飲む〝鬼〟の姿を眺めながら〝鬼〟の悪行あくぎょうの数々を唄いつづける〝詩姫うたひめ〟の歌を聞く。
 そんな毎日だった。
 その毎日のなかで少年は〝鬼〟の所業しょぎょうを目の当たりにしていった。
 〝鬼〟のやることにはまったく規則性とか法則性とか言うものは見いだせなかった。その気になれば海賊に襲われている船を助けることもあった。しかし、そのまま素通りすることも少なくなかった。自ら客船や貨物船を襲い、酒や食糧、金目の物を手に入れることももちろんあった。そのときもただ単に脅すだけて奪うものを奪って誰も傷つけずに引きあげることもあったが、すでに降伏している相手を意味もなく殺してまわることもあった。
 どこかの国の海軍が演習をしているところに出くわせば『面白そうだ』と舌なめずりして乱入し、船団をまとめて海のモクズにした。そうかと思えば『人魚を見たくなった』などと詩人のようなことを言って、あてもなく海の上をさ迷った。
 まったく、行き当たりばったりで、その行動には規則とか目的と言ったものはまったくないように思えた。
 まるで幼い子供のよう。
 そう言うのが一番ぴったりくる振る舞いだった。
 その日も〝鬼〟は気まぐれに貨物船を襲っていた。どうやら、今日は『そういう気分』だったらしい。空を見上げて一言、
 「今日は人を殺すのに良い日だ」
 などと呟くと、まるで草でも刈るかのように船員も乗客もまとめて殺し尽くした。
 〝鬼〟は〝詩姫うたひめ〟や少年に対して虐殺ぎゃくさつを手伝うよう命令するようなことはなかった。だからと言って、このふたりの存在に遠慮する様子も見せなかった。ふたりが見ている前でも平気で人を殺し、血にまみれた。
 〝詩姫うたひめ〟にも少年にもその行いをとめることは出来なかった。どうして、人の身で鬼をとめることなど出来るだろう。
 手出しすれば殺される。
 それだけのことだ。
 「……どうして、誰も〝鬼〟を退治しようとしないんだろう?」
 無力な少年は殺されていく人々を見つめながら、〝詩姫うたひめ〟に尋ねた。
 「あんなものすごい賞金を懸けておきながら、どうして、どの国の海軍も〝鬼〟を退治しようとしないんだ?」
 いくら〝鬼〟が強いと言ってもそれはあくまでも正面から戦った場合。遠距離から砲撃を繰り返せば船を沈めることは出来るはずだし、そうなればいくら〝鬼〟でも殺せるはずじゃ……。
 そう思った。
 〝詩姫うたひめ〟は静かに答えた。
 「鬼は強い。うかつに手を出せばどれだけの被害が出るかわからない。その理由もあるにはあるけど……」
 〝詩姫うたひめ〟はそう言ってからつづけた。
 「一番の理由は『いずれ、役に立つときがくるかも知れない』と思っているからよ」
 「役に立つとき?」
 「あなたも知っていると思うけど、この世界はもう五〇〇年にもわたって国同士の争いがつづいている。いまは一応、落ち着いているけど、いつまた大きな戦争が起きてもおかしくない。そのとき、もし、〝鬼〟を味方につけることが出来たとしたら?」
 「あっ……」
 少年がなにかに気付いた表情になったのを見て〝詩姫うたひめ〟はうなずいた。
 「そう。〝鬼〟を味方につけることか出来れば敵国を壊滅かいめつさせることが出来る。その狙いがあるからどの国も退治しようとしないのよ」
 「で、でも、〝鬼〟を味方につけることなんてできるのかな?」
 「出来ないわよ」
 〝詩姫うたひめ〟の答えは無慈悲なまでに簡潔だった。
 「気まぐれを起こしてどこかの国に味方することはあるかも知れない。でも、だからと言って、行動を制御することができるような存在じゃない。いつ、敵にまわってもおかしくない。でも、現場の将兵はともかく、〝鬼〟を直接には知らない上の人間にはそのことがわからない。
 『しょせん、海賊。手懐てなずけてやる方法はいくらでもある』
 そんな風に考えて、いざというときのために泳がしているつもりなのよ」
 「そんな……」
 「他の海賊たちも同じ。いつ戦争になるかわからないから軍備は用意しておかないといけない。でも、軍を大きくすると維持費がかかる。だから、海賊たちを放置しておく。戦争になったときに契約して自軍に組み込めるように。
 実際、ほとんどの海賊はどこかの国と契約しているわ。その国からお目こぼしをもらうかわりに、その国と敵対する国の船だけを襲う。そんなことが繰り返されているのがこの世界の現実」
 「で、でも、海賊たちには賞金だって懸けているのに……」
 あんなもの、と、〝詩姫うたひめ〟は小馬鹿にしたように、皮肉なように、また、悲しくさびしげに言い捨てた。
 「あまりに数が増えても困るから海賊同士、潰しあわせるために仕掛けているだけよ。本気で討伐とうばつする気があるならとっくに軍を動かしているわ」
 そう言われては少年としてはなにも言うことができない。
 「そのあたりの事情は陸の上でも同じ。『いざというとき、傭兵として雇い入れるために』という理由であまりにも多くの野盗や山賊が野放しにされている」
 戦争は戦いが行われていないときも多くの被害を出す。
 〝詩姫うたひめ〟はそう付け加えた。

 〝鬼〟の船での日々は少年にとってある意味では残酷だったが、別の意味では貴重な経験となった。
 海賊の実体を見せつけられた、という点において。
 幼い頃から物語のなかで慣れ親しんできた海賊たち。それはいずれも陸の掟に縛られない『自由な海のおとこたち』だった。
 誰にも頼らず、誰にも支配されず、己ひとりの力で生き抜く人間。
 世界の海を股にかけ、ときには大自然の脅威と戦い、ときにはお宝目指しておお海原うなばらに乗り出す。
 そんな強くて、自由な人間たち。
 だからこそ、海賊に憧れた。
 自分も海賊になりたい。
 そう思った。
 そう思ったからこそガレノアの船に乗ったのだ。それなのに――。
 実際の海賊たちはまるでちがった。現実の海賊は丸腰の人々を襲い、殺し、奪う、ただの犯罪者だった。卑劣で身勝手な強盗集団に過ぎなかった。あのガレノアにしても、乗り込んだときがたまたまマークスの幽霊船を追いかけていたときだったからそんな機会はなかったが、実際には幾度となく客船や貨物船を襲い、多くの人を殺してきたはずなのだ。それが『海賊』というものなのだから。
 ――馬鹿だった。
 海賊に襲われ、悲惨な末路を遂げる人々を見るたびに少年は思った。
 ――僕はなんて馬鹿だったんだろう。こんなひどい連中に憧れるなんて。夢ばかり見ていて本当のことなんてなにも知らなかった。だから、こんな僕だから、きっと……。
 いつか、少年は剣の稽古けいこに没頭するようになった。船での仕事をこなしながら空き時間はすべて剣の素振りに費やすようになった。なにしろ、船は大きくてもたった三人しかいない。天命てんめいせんと言うことで航海は勝手に行う。人間のやることはない。その分、時間はたっぷりあったのだ。
 剣の稽古けいこのあいまに仕事。
 そう言ってもいいぐらい剣の稽古けいこに没頭した。
 「精が出るわね」
 その日も懸命けんめいに剣を振るう少年を見て、〝詩姫うたひめ〟がそう声をかけた。
 「どうして、そんなに熱心に剣を振るの?」
 「どうしてって……」
 ――もういやなんだ。人を助けに飛び込んだはずなのになにもできずにうずくまっているなんて。今度はちゃんと助けられるようになりたいんだ。
 その思いは口には出さず、グッと唇を引き結び、少年は無言のまま剣を振るいつづけた。
 〝詩姫うたひめ〟はそんな少年をしばらく見守っていたが、
 「わたしに打ち込んできて」
 いきなり、そう言った。
 「えっ?」
 驚いた少年は思わず〝詩姫うたひめ〟を見た。首輪をつけただけの一糸まとわぬ姿を見てしまい、耳まで真っ赤にして顔をそらした。年端としはもいかない少年にとって、〝詩姫うたひめ〟の裸体はいまだ、それほどまでに刺激的だった。
 「……で、出来ないよ。君に打ち込むなんて」
 ほおを真っ赤にして顔をそらしたまま少年は言った。
 けれど、〝詩姫うたひめ〟は答えた。
 「だいじょうぶ。当たらないから」
 ――当たらないだって?
 さすがにムッとした。〝詩姫うたひめ〟の口調がからかうとか、小馬鹿にするとか、そういうものだったら逆に腹が立つこともなかっただろう。しかし、〝詩姫うたひめ〟の口調は淡々と事実を述べるというものだった。それだけに腹が立った。
 「そこまで言うなら……」
 思いきり当てるのではなく、軽くなでるぐらいならいいだろう。
 そう思い、剣を構え、〝詩姫うたひめ〟を見た。白く美しい〝詩姫うたひめ〟の裸体が正面から目に入る。少年はますますほおを赤くした。肚の底で熱いものが渦を巻くのを感じた。
 太陽が容赦なく照りつけ、荒々しい潮風が吹き付ける船の上。その船の上を裸で歩いているというのに〝詩姫うたひめ〟の肌は日にも焼けず、荒れもしない。最上級の大理石のような白さとなめらかさをたもっている。
 〝鬼〟とはちがう意味で〝詩姫うたひめ〟もまた人とは思えない存在だった。
 「やああっ!」
 少年はすべてを振り払うように声をあげた。
 〝詩姫うたひめ〟目がけて剣を振りおろした。だが――。
 ――えっ?
 少年は目をパチクリさせた。
 剣はなにもない空間を素通りしていた。
 ――た、たしかに、〝詩姫うたひめ〟に当てようとしたはずなのに……。
 少年は戸惑とまどった。〝詩姫うたひめ〟が避けたようには思えなかった。まるで、自分の方が最初からなにもない空間を狙ったように思えた。
 「だから、言ったでしょう。『当たらない』って」
 「くっ……!」
 少年は唇をかみしめて剣を振るった。だが、当たらない。かすりもしない。たしかに狙って剣を振るったはずなのに、実際に剣が振るわれたときには〝詩姫うたひめ〟の姿はそこにはない。最初から見当違いの場所を狙っているとしか思えなかった。
 最初のうちこそ『怪我させないようそっと当てて……』などと思っていた少年だったが、何度も避けられているうちにくやしさの方が強くなった。そんな気も吹っ飛んで本気で当ててやりたくなった。
 自分に出せる全力で、ムチャクチャに剣を振りまわした。それでも、当たらない。すべて、避けられる。ムチャクチャに剣を振るったせいですぐに息があがった。足元がよろめいた。その足元を〝詩姫うたひめ〟の足が軽く払った。ただ、それだけで――。
 少年はいともたやすく転んでいた。
 ハアハア、
 ゼエゼエ。
 少年は甲板かんぱんに転がったまま荒い息をついていた。ようやく息を整え、見上げながら尋ねた。
 「……ど、どうして、君がそんなに強いのさ?」
 「あなたが弱いのよ」
 〝詩姫うたひめ〟は無慈悲なほど冷静に事実を指摘した。
 「腕だけで剣を振っていて、足がついていっていない。だから、当てられないし、簡単に転ぶ。あなたに剣の素振りはまだ早い。まずは足捌あしさばきを徹底的に練習しなさい。剣を振るのはその後」
 「あ、足捌あしさばき……?」
 「教えてあげる。立って」
 少年は〝詩姫うたひめ〟に言われるままに立ちあがった。実戦における足の使い方を叩き込まれた。それからは毎日、足捌あしさばきの練習だった。ふたり並んで足捌あしさばきを繰り返すその姿はダンスを習っているかのようでもあった。
 そんな日がつづいたあるとき、少年は海の向こうに二隻の船を見つけた。もうすっかり聞き慣れた救難信号が出されている。
 ――客船が海賊に襲われている!
 もう何度目だろう。この光景を見るのは。
 そのとき、〝鬼〟はカモメの歌を聞きながら気持ちよさそうに昼寝していた。少年は意を決して〝鬼〟のもとに向かった。耳元で怒鳴った。
 「起きて!」
 「あん? なんだ、いきなり」
 「船が海賊に襲われてるんだ! 助けてあげて、早く!」
 「おいおい、船長、なに言ってんだ。なんでおれがわざわざ助けてやらなきゃならねえんだ」
 「あなたは強い、あなたなら助けてあげられる。だったら、助けてあげるべきだ!」
 「おいおい、勘弁かんべんしろよ。おれがそんな良い子なわけねえだろう」
 〝鬼〟は豪快にあくびをすると、大きく伸びをした。それからノッソリと立ちあがり、船室に向かおうとした。静かな船底ででも寝直そうというのだろう。
 その背に向けて少年は怒鳴った。
 「まて!」
 「あん?」
 明らかな命令口調の叫び。その叫びに〝鬼〟は立ちどまった。振り返った。そこで見たもの。それは、決意を固めた少年の表情だった。
 「これは命令だ!」
 「なんだと?」
 「僕は船長だ! お前が自分でそう呼んでいる。だったら、船長の命令に従え。いますぐ、あの船を海賊から助けるんだ!」
 ニヤリ、と、〝鬼〟は笑った。
 「言うじゃねえか。で、その『命令』にそむいたらどうするんだ?」
 「船において船長の命令は絶対だ。拒否すると言うなら……」
 少年はグッと両足を踏ん張り、自分より遙かに高い場所にある鬼の顔をにらんだ。
 「力ずくだ」
 〝鬼〟が破顔はがんした。
 我が意を得たり。
 そう言わんばかりの笑顔だった。
 「最初からそう言やあ、いいんだ。いいぜ。やってみな。おれをぶちのめし、泣いて謝るまで痛めつけ、言うことを聞かせてみな」
 「やってやる!」
 少年は――。
 〝鬼〟に殴りかかった。
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