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第二部 絆ぐ伝説
第一話三章 〝詩姫〟
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深い夜が海を覆っていた。
降るような星空が海の上をどこまで広く覆っている。
その海の上にも、ひとつの星があった。その星は動いていた。さ迷っている、と言うわけではない。明確な目的地をもって動いているように見えた。
その星は焚き火だった。
あろうことか、船の甲板の上で堂々と焚き火をしているのだ。それも、人の身長よりも高々と炎が舞いあがっている、焚き火と言うよりいっそ、キャンプファイヤーと言った方がふさわしい盛大な焚き方だった。
その炎の前にどっかりと、ひとりの巨大な男が座り込んでいる。
〝鬼〟だった。
〝鬼〟が自分の船の甲板で火を焚いて、その前に座っているのだ。
火のまわりには串に差された肉の塊が幾つも並べられており、ジュウジュウと音を立てて焼かれている。焼かれている肉は一つひとつが人の頭ほどもある大きさで、一〇人もの男の胃袋を満たせそうに思えた。それほどの量の肉ですら、〝鬼〟にとっては足りないほど。理屈ではなく本能でそう感じられる。
〝鬼〟の横には大きな酒樽が置かれている。樽のなかにはなみなみとラム酒がみたされ、強烈なアルコール臭をあたりに漂わせている。
〝鬼〟はその樽から直接、ジョッキで酒を汲みとり、自分の口に流し込んでいる。酒を飲み、焼けたはしから肉を食い、また、酒を飲む。そして、肉を食らう。
一〇人分ほどもある肉が、樽いっぱいの酒が、魔法のように〝鬼〟の胃袋のなかに消えていく。
その様は見ていて爽快なほどだった。
――こんな風に思いきり飲み食いできたら気持ちいいだろうな。
それを見る誰もがそんな感想をもつだろう食いっぷりだった。
そんな〝鬼〟を少年はじっと眺めていた。
盛大に燃えさかる炎から少しはなれた場所で、相変わらず大きすぎる船長服を着込み、両膝を抱えてちょこんと座りながら。
少年は妙に〝鬼〟に気に入られてしまったらしい。その格好からか『船長』とあだ名され、その役割をさせられていた。
その役割というのは世話役だった。海賊に襲われていた客船から移した生き残りの船員と乗客たち。かの人たちの世話を任されたのだった。
「死体でも金は入るが、生きたままの方が身代金の額はいいからな。ちゃんと世話して生かしておけよ」
〝鬼〟からそう言われた。
成り行きとは言え、少年はその役割を生真面目にこなしていた。
――〝鬼〟の命令には逆らえない。
その理由もたしかにある。しかし、いちばんの理由は少年自身の思いにあった。
――とにかく、海賊の襲撃から生き残って、帰れることになったんだ。こんなところで死んだらもったいない。ちゃんと、生かして帰してあげなくちゃ。
そう思い、できる限りの世話をした。
もっとも、それほど気を使う必要もなかった。船員も、乗客たちも、〝鬼〟にはいたって従順であり、逆らおうなどとはつゆほども考えていなかった。
〝鬼〟から『船長』に任命された少年に対しても『子供のくせに』などという態度は見せず、おとなしく従った。物語のなかによくあるように海賊の手から逃れるために団結して反乱を起こす……などという気配は微塵もない。
そんな、かの人たちは無気力だったろうか。
臆病だったろうか。
そうではない。
賢明だったのだ。
鬼を相手に人間が暴力で挑む。
それは勇敢なのではない。無謀ですらない。『愚か』というのだ、単に。
生き残りの船員にも乗客にもそんな愚かものはいなかった。少年としては荒事を心配する必要もなく、日々、食事を用意し、洗濯をし、掃除をし、かの人たちの体調に気を配っていればそれでよかった。
――これって『船長』の仕事か? ただの雑用係じゃないか?
そう思わないでもなかったが、もともと女海賊ガレノアの船に見習いとして乗り込み、雑用係をやっていたのだ。料理も、洗濯も、掃除も、すべてやらされてきた。その頃の暮らしに戻ったわけで、少年としてはむしろ落ち着ける毎日だった。
夜の海に漂うものは肉の焼ける音と酒の匂いだけではなかった。
それらとは比較にもならない美しいものが流れていた。
それは、歌。
高く澄んだ美しい歌声が流れていた。
炎をはさんだ〝鬼〟の向かい側。そこに、一糸まとわぬ裸体に首輪だけをつけ、奴隷の鎖をたらした少女が立っている。その少女が歌を唄っていた。少年はちょこんと座りながらチラチラとその裸体に目をやっている。
――見てはいけない。そんなの失礼だ。
そうは思う。思うのだが、ともすれば視線がその裸体に釘付けになってしまうのは……『少年』の身であれば致し方ない。
少女の姿を見ていると肚の底で熱いものが生まれ、ボコボコと泡立つのが感じられる。いままでに感じたことのない種類の熱さだった。
そのなかで少女は唄う。唄いつづける。
それは、〝鬼〟の歌だった。歌のなかで〝鬼〟は世にも残虐な振る舞いを繰り返していた。
あるときは、たまたま立ちよった島で村を襲い、家々を焼き尽くし、住民を皆殺しにしてすべての財を奪った。
またあるときは、『〝鬼〟などこのおれが退治してやる!』と豪語する若い海軍提督の前に自分から現れ、船団ごと海に沈めた。
さらに、またあるときは、自分の頭を引っ掻いて逃げた猫を探すために町ひとつを壊滅させ、多くの人を巻き添えにした。そして、とうとう見つけた猫の頭を指先で引っ掻いて去って行った。
唄われる所業のいずれもが人間にはとうてい不可能な、まさに『鬼』の業だった。無慈悲で、残酷で、吐き気をもよおすような悪行の数々。そのはずなのに、少女の美しい声で唄われているせいか、そのような嫌悪感は感じない。それよりも、理不尽に生命を奪われた人々の悲しみが伝わってくる。
聞いているとじんわりと胸に染み込み、涙が流れてくる。
そんな哀切な歌だった。
少年はいつか、涙を浮かべながらその歌を聞いていた。
歌がやんだ。
ほう、と、裸の少女は息をついた。
「いい歌だ」
肉をかみ砕いた口のなかを酒で洗ったあと、〝鬼〟はそう言った。すす皮肉でも、お世辞でもない。心からそう思っている。そうとはっきりわかる言い方だった。
「いつ聞いても、何度聞いても素晴らしいな、おめえの歌は、よ」
「あなたは……」
少女は挑むような目で鬼を睨みながら言った。
――〝鬼〟を相手にこんな目を向けられる人間がいるのか。
か弱い人間が誇りと意地にかけて絶対的強者に挑む。
そんな姿を見たときの感動。そんな感動さえ感じさせる視線だった。
「……あなたは、何度聞いてもなにも感じないの?」
「感じているさ。いい歌だな、ってな」
「そうじゃない。あなたは自分のしたことが怖くならないの? 恐ろしくならないの? あなたはこんなにも残酷なことして、こんなにも多くの人の生命を踏みにじってきたのよ?」
「残酷な真似が出来るのも、生命を踏みにじることが出来るのも、すべては強えからだ。弱えやつにそんな真似は出来やしねえ。おれのしてきたことはおれの強さの証。おれの誇りだ。その誇りが唄われるのを聞くのは、いつだっていい気分さ」
〝鬼〟は堂々とそう言い放った。そのふてぶてしさの前にはどんなに正義感の強い人間でも感心するしかなかっただろう。
少年も例外ではなかった。ちょこんと座り込んでそのありさまを眺めながら、内心で〝鬼〟の態度に舌を巻いていた。
やがて、〝鬼〟はその場に大の字になって寝転がり、豪快ないびきをかいて眠り込んでしまった。
「あ、あの……」
少年は〝鬼〟が盛大に飲み食いしたあとを片付けながら、裸の少女に話しかけた。とは言っても、その目は少女の方を向いてはいない。必死に顔をそらしている。
しょせん、年端も行かぬ少年。裸体の少女を真正面から堂々と見つめるだけの度胸はなかった。
「……君の名前、教えてもらえる?」
「〝詩姫〟。〝鬼〟からはそう呼ばれているわ」
「うたひめ……」
「あなたもそう呼んでくれていいわ。いまのわたしには、親からつけられた名前なんてなんの意味もないから」
裸の少女――〝詩姫〟はそう言い切った。
――親につけられた名前なんて意味がない。
そう言い切るのはどんな思いなのだろう。
――ある意味、僕と一緒なのかも。
少年は思った。
――僕も、親からつけられた名前を捨てて別の名前をつけた……。
「君はなんで、この船にいるの?」
「復讐よ」
〝詩姫〟は迷いなくそう言い切った。
「復讐?」
「そう。復讐。わたしの歌に出てきた〝鬼〟に焼き払われた島。それは、わたしの住んでいた島」
「………⁉」
「〝鬼〟はたまたま、わたしたちの島に立ち寄り、たまたま、わたしたちの村を見つけた。そして、たまたま、村を焼き、村の人たちを皆殺しにした。なぜ、わたしだけ殺さなかったのかはわからない。多分、ただの気まぐれなんでしょうね。わたし以外は赤ん坊までわざわざ殺してまわったんだから」
「赤ん坊まで……」
「わたしは〝鬼〟の船に乗せられた。手近の港でいくらかの金と一緒に降ろされた。
『それだけありゃあなんとかなるだろう。ってか、生き残りたけりゃなんとかしな』」
そう言われて。
でも、わたしは〝鬼〟の船に乗り込んだ」
「〝鬼〟の船に乗り込んだ 自分から? どうして?」
「だから、復讐よ。わたしは〝鬼〟のすべての所業を記憶し、歌にして聞かせることにした。いつか必ずわたしの歌で〝鬼〟の良心を呼び覚ます。自分のしてきたことの意味を思い知らせ、良心の痛みに苦しませる。そのために」
「良心の痛み……。この男に良心なんてあるのかな?」
「わたしが植えつける。一生かけてでも必ずね」
そう言い切る少女の言葉には一切の迷いがなかった。
「〝鬼〟はそんなわたしをおもしろがって側に置いているのよ。歌を唄うペットとしてね。〝詩姫〟という名前もそのため」
――僕のことを『船長』と呼ぶようなものか。
少年はそう納得した。
〝詩姫〟が少年を見た。それまでの苛烈なまでの意志の強さが消え、年相応の柔らかい眼差しになっていた。
「そう言えば、あなたの名前は?」
「えっ、あ、僕は……」
少年は思わず〝詩姫〟を見た。それからまたすぐに視線をそらした。そして、消え入りそうな声で告げた。
「……名乗るほどのものじゃないよ」
――マークスⅡ。
自らつけたその名前を名乗ることは出来なかった。
「……そう」
〝詩姫〟はそう言ったきり、少年に対する興味をなくしたようだった。詮索する気もないらしい。それは、〝詩姫〟にとって少年が『名乗らせるほどのものじゃない』ことを示していた。
〝詩姫〟は船室へと去って行った。あとには少年と、高いびきをかいて眠っている〝鬼〟だけが残された。
――寝首をかいてやろう。
そんなことはつゆほども思わなかった。
そんなことをしても無駄だ。いま、この場で〝鬼〟目がけて剣を振りおろしたところで、〝鬼〟はたしかに気付きもしないだろう。眠ったままだろう。眠ったまま剣をへし折り、僕を殴り殺すにちがいない。
そのことがわかっていた。〝鬼〟が堂々と眠っているのはわざわざ起きているほどのこともないからなのだ。
少年は夜の闇に包まれた海の向こうを見た。涙がにじんだ。唇をかみしめた。ひどいさびしさが胸のなかに沸き起こった。
「……マークス。あなたはなんで僕を見捨てて姿を消したんだ?」
降るような星空が海の上をどこまで広く覆っている。
その海の上にも、ひとつの星があった。その星は動いていた。さ迷っている、と言うわけではない。明確な目的地をもって動いているように見えた。
その星は焚き火だった。
あろうことか、船の甲板の上で堂々と焚き火をしているのだ。それも、人の身長よりも高々と炎が舞いあがっている、焚き火と言うよりいっそ、キャンプファイヤーと言った方がふさわしい盛大な焚き方だった。
その炎の前にどっかりと、ひとりの巨大な男が座り込んでいる。
〝鬼〟だった。
〝鬼〟が自分の船の甲板で火を焚いて、その前に座っているのだ。
火のまわりには串に差された肉の塊が幾つも並べられており、ジュウジュウと音を立てて焼かれている。焼かれている肉は一つひとつが人の頭ほどもある大きさで、一〇人もの男の胃袋を満たせそうに思えた。それほどの量の肉ですら、〝鬼〟にとっては足りないほど。理屈ではなく本能でそう感じられる。
〝鬼〟の横には大きな酒樽が置かれている。樽のなかにはなみなみとラム酒がみたされ、強烈なアルコール臭をあたりに漂わせている。
〝鬼〟はその樽から直接、ジョッキで酒を汲みとり、自分の口に流し込んでいる。酒を飲み、焼けたはしから肉を食い、また、酒を飲む。そして、肉を食らう。
一〇人分ほどもある肉が、樽いっぱいの酒が、魔法のように〝鬼〟の胃袋のなかに消えていく。
その様は見ていて爽快なほどだった。
――こんな風に思いきり飲み食いできたら気持ちいいだろうな。
それを見る誰もがそんな感想をもつだろう食いっぷりだった。
そんな〝鬼〟を少年はじっと眺めていた。
盛大に燃えさかる炎から少しはなれた場所で、相変わらず大きすぎる船長服を着込み、両膝を抱えてちょこんと座りながら。
少年は妙に〝鬼〟に気に入られてしまったらしい。その格好からか『船長』とあだ名され、その役割をさせられていた。
その役割というのは世話役だった。海賊に襲われていた客船から移した生き残りの船員と乗客たち。かの人たちの世話を任されたのだった。
「死体でも金は入るが、生きたままの方が身代金の額はいいからな。ちゃんと世話して生かしておけよ」
〝鬼〟からそう言われた。
成り行きとは言え、少年はその役割を生真面目にこなしていた。
――〝鬼〟の命令には逆らえない。
その理由もたしかにある。しかし、いちばんの理由は少年自身の思いにあった。
――とにかく、海賊の襲撃から生き残って、帰れることになったんだ。こんなところで死んだらもったいない。ちゃんと、生かして帰してあげなくちゃ。
そう思い、できる限りの世話をした。
もっとも、それほど気を使う必要もなかった。船員も、乗客たちも、〝鬼〟にはいたって従順であり、逆らおうなどとはつゆほども考えていなかった。
〝鬼〟から『船長』に任命された少年に対しても『子供のくせに』などという態度は見せず、おとなしく従った。物語のなかによくあるように海賊の手から逃れるために団結して反乱を起こす……などという気配は微塵もない。
そんな、かの人たちは無気力だったろうか。
臆病だったろうか。
そうではない。
賢明だったのだ。
鬼を相手に人間が暴力で挑む。
それは勇敢なのではない。無謀ですらない。『愚か』というのだ、単に。
生き残りの船員にも乗客にもそんな愚かものはいなかった。少年としては荒事を心配する必要もなく、日々、食事を用意し、洗濯をし、掃除をし、かの人たちの体調に気を配っていればそれでよかった。
――これって『船長』の仕事か? ただの雑用係じゃないか?
そう思わないでもなかったが、もともと女海賊ガレノアの船に見習いとして乗り込み、雑用係をやっていたのだ。料理も、洗濯も、掃除も、すべてやらされてきた。その頃の暮らしに戻ったわけで、少年としてはむしろ落ち着ける毎日だった。
夜の海に漂うものは肉の焼ける音と酒の匂いだけではなかった。
それらとは比較にもならない美しいものが流れていた。
それは、歌。
高く澄んだ美しい歌声が流れていた。
炎をはさんだ〝鬼〟の向かい側。そこに、一糸まとわぬ裸体に首輪だけをつけ、奴隷の鎖をたらした少女が立っている。その少女が歌を唄っていた。少年はちょこんと座りながらチラチラとその裸体に目をやっている。
――見てはいけない。そんなの失礼だ。
そうは思う。思うのだが、ともすれば視線がその裸体に釘付けになってしまうのは……『少年』の身であれば致し方ない。
少女の姿を見ていると肚の底で熱いものが生まれ、ボコボコと泡立つのが感じられる。いままでに感じたことのない種類の熱さだった。
そのなかで少女は唄う。唄いつづける。
それは、〝鬼〟の歌だった。歌のなかで〝鬼〟は世にも残虐な振る舞いを繰り返していた。
あるときは、たまたま立ちよった島で村を襲い、家々を焼き尽くし、住民を皆殺しにしてすべての財を奪った。
またあるときは、『〝鬼〟などこのおれが退治してやる!』と豪語する若い海軍提督の前に自分から現れ、船団ごと海に沈めた。
さらに、またあるときは、自分の頭を引っ掻いて逃げた猫を探すために町ひとつを壊滅させ、多くの人を巻き添えにした。そして、とうとう見つけた猫の頭を指先で引っ掻いて去って行った。
唄われる所業のいずれもが人間にはとうてい不可能な、まさに『鬼』の業だった。無慈悲で、残酷で、吐き気をもよおすような悪行の数々。そのはずなのに、少女の美しい声で唄われているせいか、そのような嫌悪感は感じない。それよりも、理不尽に生命を奪われた人々の悲しみが伝わってくる。
聞いているとじんわりと胸に染み込み、涙が流れてくる。
そんな哀切な歌だった。
少年はいつか、涙を浮かべながらその歌を聞いていた。
歌がやんだ。
ほう、と、裸の少女は息をついた。
「いい歌だ」
肉をかみ砕いた口のなかを酒で洗ったあと、〝鬼〟はそう言った。すす皮肉でも、お世辞でもない。心からそう思っている。そうとはっきりわかる言い方だった。
「いつ聞いても、何度聞いても素晴らしいな、おめえの歌は、よ」
「あなたは……」
少女は挑むような目で鬼を睨みながら言った。
――〝鬼〟を相手にこんな目を向けられる人間がいるのか。
か弱い人間が誇りと意地にかけて絶対的強者に挑む。
そんな姿を見たときの感動。そんな感動さえ感じさせる視線だった。
「……あなたは、何度聞いてもなにも感じないの?」
「感じているさ。いい歌だな、ってな」
「そうじゃない。あなたは自分のしたことが怖くならないの? 恐ろしくならないの? あなたはこんなにも残酷なことして、こんなにも多くの人の生命を踏みにじってきたのよ?」
「残酷な真似が出来るのも、生命を踏みにじることが出来るのも、すべては強えからだ。弱えやつにそんな真似は出来やしねえ。おれのしてきたことはおれの強さの証。おれの誇りだ。その誇りが唄われるのを聞くのは、いつだっていい気分さ」
〝鬼〟は堂々とそう言い放った。そのふてぶてしさの前にはどんなに正義感の強い人間でも感心するしかなかっただろう。
少年も例外ではなかった。ちょこんと座り込んでそのありさまを眺めながら、内心で〝鬼〟の態度に舌を巻いていた。
やがて、〝鬼〟はその場に大の字になって寝転がり、豪快ないびきをかいて眠り込んでしまった。
「あ、あの……」
少年は〝鬼〟が盛大に飲み食いしたあとを片付けながら、裸の少女に話しかけた。とは言っても、その目は少女の方を向いてはいない。必死に顔をそらしている。
しょせん、年端も行かぬ少年。裸体の少女を真正面から堂々と見つめるだけの度胸はなかった。
「……君の名前、教えてもらえる?」
「〝詩姫〟。〝鬼〟からはそう呼ばれているわ」
「うたひめ……」
「あなたもそう呼んでくれていいわ。いまのわたしには、親からつけられた名前なんてなんの意味もないから」
裸の少女――〝詩姫〟はそう言い切った。
――親につけられた名前なんて意味がない。
そう言い切るのはどんな思いなのだろう。
――ある意味、僕と一緒なのかも。
少年は思った。
――僕も、親からつけられた名前を捨てて別の名前をつけた……。
「君はなんで、この船にいるの?」
「復讐よ」
〝詩姫〟は迷いなくそう言い切った。
「復讐?」
「そう。復讐。わたしの歌に出てきた〝鬼〟に焼き払われた島。それは、わたしの住んでいた島」
「………⁉」
「〝鬼〟はたまたま、わたしたちの島に立ち寄り、たまたま、わたしたちの村を見つけた。そして、たまたま、村を焼き、村の人たちを皆殺しにした。なぜ、わたしだけ殺さなかったのかはわからない。多分、ただの気まぐれなんでしょうね。わたし以外は赤ん坊までわざわざ殺してまわったんだから」
「赤ん坊まで……」
「わたしは〝鬼〟の船に乗せられた。手近の港でいくらかの金と一緒に降ろされた。
『それだけありゃあなんとかなるだろう。ってか、生き残りたけりゃなんとかしな』」
そう言われて。
でも、わたしは〝鬼〟の船に乗り込んだ」
「〝鬼〟の船に乗り込んだ 自分から? どうして?」
「だから、復讐よ。わたしは〝鬼〟のすべての所業を記憶し、歌にして聞かせることにした。いつか必ずわたしの歌で〝鬼〟の良心を呼び覚ます。自分のしてきたことの意味を思い知らせ、良心の痛みに苦しませる。そのために」
「良心の痛み……。この男に良心なんてあるのかな?」
「わたしが植えつける。一生かけてでも必ずね」
そう言い切る少女の言葉には一切の迷いがなかった。
「〝鬼〟はそんなわたしをおもしろがって側に置いているのよ。歌を唄うペットとしてね。〝詩姫〟という名前もそのため」
――僕のことを『船長』と呼ぶようなものか。
少年はそう納得した。
〝詩姫〟が少年を見た。それまでの苛烈なまでの意志の強さが消え、年相応の柔らかい眼差しになっていた。
「そう言えば、あなたの名前は?」
「えっ、あ、僕は……」
少年は思わず〝詩姫〟を見た。それからまたすぐに視線をそらした。そして、消え入りそうな声で告げた。
「……名乗るほどのものじゃないよ」
――マークスⅡ。
自らつけたその名前を名乗ることは出来なかった。
「……そう」
〝詩姫〟はそう言ったきり、少年に対する興味をなくしたようだった。詮索する気もないらしい。それは、〝詩姫〟にとって少年が『名乗らせるほどのものじゃない』ことを示していた。
〝詩姫〟は船室へと去って行った。あとには少年と、高いびきをかいて眠っている〝鬼〟だけが残された。
――寝首をかいてやろう。
そんなことはつゆほども思わなかった。
そんなことをしても無駄だ。いま、この場で〝鬼〟目がけて剣を振りおろしたところで、〝鬼〟はたしかに気付きもしないだろう。眠ったままだろう。眠ったまま剣をへし折り、僕を殴り殺すにちがいない。
そのことがわかっていた。〝鬼〟が堂々と眠っているのはわざわざ起きているほどのこともないからなのだ。
少年は夜の闇に包まれた海の向こうを見た。涙がにじんだ。唇をかみしめた。ひどいさびしさが胸のなかに沸き起こった。
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