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第4章 静かなる波紋、そして注目され始めるおっさん
静かなる相談の輪
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夜の兵舎は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
高窓から差し込む月光が石壁に淡く反射し、闇の輪郭を際立たせている。
訓練の声も怒号もない。今はただ、風が木々を揺らす音と、たまに遠くから聞こえる夜警の足音だけが空気を満たしていた。
そんな静けさの中、山本は兵舎裏手の広場にいた。
この時間になると、他の者はほとんど戻っており、ここにはほとんど誰も来ない。
彼は革の手帳を開き、今日の視察の記録を整理していた。
すると、背後から微かな気配が近づいてきた。
足音は重くなく、かといって気配を消すほどの訓練はされていない。
山本が振り返ると、灯りの届かない影の中から、ひとりの魔族の男が姿を現した。
背は高く、肩幅もあるが、姿勢はどこか遠慮がちだった。
鎧を脱いだ作業服のまま、左腕には階級章がついている。副官の印。
「……遅い時間にすみません、人事顧問殿」
「構いませんよ。ここは騒がしくないし、話しやすい」
山本は微笑みながら手帳を閉じ、石の腰掛けを勧めた。
男は一瞬ためらったあと、ゆっくりと腰を下ろす。
「今日は、少し人事の相談をしたくて」
「誰のことです?」
副官は一呼吸おいてから答えた。
「うちの部隊に、“カリヴァ”という兵がいます。能力は高く、剣技も弓術も並以上。ただ……他者との摩擦が絶えない。
命令に従うのですが、どこか反抗的で、仲間との連携も悪く、隊内の空気を乱します」
「なるほど」
山本は腕を組み、頭の中で情報を整理するように視線を天井に向けた。
「上官との対立は?」
「直接的な反抗はしませんが、目を合わせない、報告が最小限。命令には従うが、自分の判断を優先する節がある」
「年齢は?」
「二十代半ばです」
「初動の配置は?」
「入隊直後から近衛部隊の訓練班。その後、機動戦斥候部に半年、現在の部隊は三ヶ月目です」
「なるほどね……」
山本は懐から小さなメモを取り出し、いくつかのキーワードを書き留めた。
「まず、能力に優れるが人間関係に問題を抱える兵士は、たいてい“本人の中に理想がある”場合が多い。
おそらく彼は“自分ならもっと効率よくやれる”と思っている。けれど、それを言葉にしないまま行動してしまう。周囲からは“協調性がない”と見なされる」
「……その通りです。自分の判断で動いて、隊列を乱すこともあった」
「それを“問題”と見るのが組織ですが、“特徴”と見るのが人事です」
山本の言葉に、副官はまばたきをした。
「特徴……?」
「はい。つまり、彼は“今の部隊の価値観と合わない”だけです。
例えば、彼が常に二手先を考えるタイプなら、今のような一糸乱れぬ連携重視の部隊では、息が詰まる。
そうではなく、独立的な判断が求められる部隊――例えば先遣斥候、あるいは後方戦術指揮の補佐に回せば、能力が活きる」
「なるほど……」
「もうひとつ」
山本は静かに続けた。
「彼のような者は“結果で見返したい”という欲が強い。だから信頼ではなく実績を求める。
であれば、短期の個別任務を与えてみるのが効果的です。“一人で責任を負う機会”を与える。うまくいけば自信になるし、評価も得られる。
失敗した場合は、逆に自分の限界を知る。それもまた学びです」
副官はじっと山本の顔を見つめていた。
その表情には、驚きと戸惑い、そして少しの納得が混ざっていた。
「なんでそういう視点が出てくるんだ……」
山本は少し笑って答えた。
「人を見るのが仕事だったもので。前の世界ではね。履歴書の空白や、上司との相性。面談の最初の五分でわかることもあります」
「履歴書……面談……?」
聞き慣れない単語に、副官は首を傾げる。
山本はそれを軽く流すように、椅子の背にもたれた。
「要するに、人の強みは“数字”ではなく“場”によって変わる。
能力があるのに発揮できないのは、その人が“間違った場所”にいるからです。
配置を見直せば、人は変わります。組織も変わります。あなたの悩みも、きっと改善できます」
副官は、しばらく黙っていた。
そして、何かを飲み込むように一度深く息を吐いた。
「……ありがとうございます。正直、驚きました。
今まで、問題兵の処理といえば、“叱責する”か“外す”かしか考えていませんでした。
でも、見方を変えるだけで、こんなに可能性があるとは……」
「その“見方”を整えるのが、人事の役目です」
副官は立ち上がり、頭を下げた。
「近いうちに、また相談させてもらっても?」
「もちろんです。歓迎しますよ」
副官の足音が遠ざかる。
山本は再び手帳を開き、今のやり取りを記録に残していった。
それから数日。
山本のもとには、別の副官が、そしてまた別の隊長が――ぽつぽつと「相談」に訪れるようになった。
明確な噂ではなかった。
だが、現場で起きている変化と、それを静かに支えている“人間”の姿が、確実に耳目を集めはじめていた。
山本はそれに騒ぐことなく、ただひとつひとつの声に耳を傾けていった。
“声があるうちは、見放されていない”
そう信じる彼のやり方は、静かだが確かに波紋を広げていくのだった。
高窓から差し込む月光が石壁に淡く反射し、闇の輪郭を際立たせている。
訓練の声も怒号もない。今はただ、風が木々を揺らす音と、たまに遠くから聞こえる夜警の足音だけが空気を満たしていた。
そんな静けさの中、山本は兵舎裏手の広場にいた。
この時間になると、他の者はほとんど戻っており、ここにはほとんど誰も来ない。
彼は革の手帳を開き、今日の視察の記録を整理していた。
すると、背後から微かな気配が近づいてきた。
足音は重くなく、かといって気配を消すほどの訓練はされていない。
山本が振り返ると、灯りの届かない影の中から、ひとりの魔族の男が姿を現した。
背は高く、肩幅もあるが、姿勢はどこか遠慮がちだった。
鎧を脱いだ作業服のまま、左腕には階級章がついている。副官の印。
「……遅い時間にすみません、人事顧問殿」
「構いませんよ。ここは騒がしくないし、話しやすい」
山本は微笑みながら手帳を閉じ、石の腰掛けを勧めた。
男は一瞬ためらったあと、ゆっくりと腰を下ろす。
「今日は、少し人事の相談をしたくて」
「誰のことです?」
副官は一呼吸おいてから答えた。
「うちの部隊に、“カリヴァ”という兵がいます。能力は高く、剣技も弓術も並以上。ただ……他者との摩擦が絶えない。
命令に従うのですが、どこか反抗的で、仲間との連携も悪く、隊内の空気を乱します」
「なるほど」
山本は腕を組み、頭の中で情報を整理するように視線を天井に向けた。
「上官との対立は?」
「直接的な反抗はしませんが、目を合わせない、報告が最小限。命令には従うが、自分の判断を優先する節がある」
「年齢は?」
「二十代半ばです」
「初動の配置は?」
「入隊直後から近衛部隊の訓練班。その後、機動戦斥候部に半年、現在の部隊は三ヶ月目です」
「なるほどね……」
山本は懐から小さなメモを取り出し、いくつかのキーワードを書き留めた。
「まず、能力に優れるが人間関係に問題を抱える兵士は、たいてい“本人の中に理想がある”場合が多い。
おそらく彼は“自分ならもっと効率よくやれる”と思っている。けれど、それを言葉にしないまま行動してしまう。周囲からは“協調性がない”と見なされる」
「……その通りです。自分の判断で動いて、隊列を乱すこともあった」
「それを“問題”と見るのが組織ですが、“特徴”と見るのが人事です」
山本の言葉に、副官はまばたきをした。
「特徴……?」
「はい。つまり、彼は“今の部隊の価値観と合わない”だけです。
例えば、彼が常に二手先を考えるタイプなら、今のような一糸乱れぬ連携重視の部隊では、息が詰まる。
そうではなく、独立的な判断が求められる部隊――例えば先遣斥候、あるいは後方戦術指揮の補佐に回せば、能力が活きる」
「なるほど……」
「もうひとつ」
山本は静かに続けた。
「彼のような者は“結果で見返したい”という欲が強い。だから信頼ではなく実績を求める。
であれば、短期の個別任務を与えてみるのが効果的です。“一人で責任を負う機会”を与える。うまくいけば自信になるし、評価も得られる。
失敗した場合は、逆に自分の限界を知る。それもまた学びです」
副官はじっと山本の顔を見つめていた。
その表情には、驚きと戸惑い、そして少しの納得が混ざっていた。
「なんでそういう視点が出てくるんだ……」
山本は少し笑って答えた。
「人を見るのが仕事だったもので。前の世界ではね。履歴書の空白や、上司との相性。面談の最初の五分でわかることもあります」
「履歴書……面談……?」
聞き慣れない単語に、副官は首を傾げる。
山本はそれを軽く流すように、椅子の背にもたれた。
「要するに、人の強みは“数字”ではなく“場”によって変わる。
能力があるのに発揮できないのは、その人が“間違った場所”にいるからです。
配置を見直せば、人は変わります。組織も変わります。あなたの悩みも、きっと改善できます」
副官は、しばらく黙っていた。
そして、何かを飲み込むように一度深く息を吐いた。
「……ありがとうございます。正直、驚きました。
今まで、問題兵の処理といえば、“叱責する”か“外す”かしか考えていませんでした。
でも、見方を変えるだけで、こんなに可能性があるとは……」
「その“見方”を整えるのが、人事の役目です」
副官は立ち上がり、頭を下げた。
「近いうちに、また相談させてもらっても?」
「もちろんです。歓迎しますよ」
副官の足音が遠ざかる。
山本は再び手帳を開き、今のやり取りを記録に残していった。
それから数日。
山本のもとには、別の副官が、そしてまた別の隊長が――ぽつぽつと「相談」に訪れるようになった。
明確な噂ではなかった。
だが、現場で起きている変化と、それを静かに支えている“人間”の姿が、確実に耳目を集めはじめていた。
山本はそれに騒ぐことなく、ただひとつひとつの声に耳を傾けていった。
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そう信じる彼のやり方は、静かだが確かに波紋を広げていくのだった。
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